第13話 逆境の孤独

 最近、やけに香花きょうかが話しかけてくるようになった。


 ニコニコ、ニコニコしながら。その笑みに悪気は感じないけれど、その裏で何かを企んでいるのではないかと、一瞬そんな考えが浮かんでしまうことがある。


 明日の遠足も同じ班になってしまった。

 いや。


 

 ――がお願いしてきたから無碍むげにできなかった。


 

 それだけ。

 だから仕方がなかったといえば仕方がない。


 そのあんずはもうベッドの上に寝転がってスヤスヤと寝息を立てている。

 私もこんな風に寝ているのかな……。

 双子だから顔は同じだけど、自分の寝顔はどうなのだろうとなんとなく思った。


 杏の寝顔が可愛らしいと感じたからかもしれない。


 部屋の明かりはもう勉強机の上を照らしているものだけだ。

 

 暖色の明かりを見つめると、暗闇の中を照らすそれに温かさを感じる。



「……おかあさん」



 思わず声が漏れてしまった。


 約一か月前、お母さんはこの家から去っていった。

 悲しかった。寂しかった。一緒について行きたかった…………。

 毎日お母さんと連絡は取っているけれど。それでも毎晩お母さんのことを思い出す。


 お母さんのいない家が考えられなかった。


 再婚も反対だった。お母さんを誰かに奪われたような気がしたから。

 私と杏だけを見ていて欲しかった。


 それに……。男の人は信用できない。けがらわしい。性欲の塊だ。


 ――糞じじいだって……お母さんを捨てて別の女とどこかへ行った。


 許せなかった。

 あれからお母さんは私たちを育てるために必死に働いてくれた。体がボロボロになっても働き続けていた。

 そんな姿を見たら余計に糞じじいのことが許せなかった。


 お母さんは疲れていても笑顔で優しく接してくれた。その笑顔が大好きだった。温かくて優しい笑顔が……。


 再婚の話をしてきたときのお母さんの顔は笑顔で楽しそうだった。


 心の中では反対だったけれど。お母さんに幸せになって欲しい。その気持ちとお母さんの笑顔が私の口をつぐんだ。


 お母さんが望んだことだから。

 そう思っていても再婚相手のお父さんとその姉妹のことはなかなか好きになれない。

 

 新しい家庭でお母さんと杏だけが心の拠り所だった。

 なのに。

 お母さんはいなくなってしまった。


 再婚してから仕事を辞めて、疲れている姿を見なくなった。今まで苦労してきた分、幸せになって欲しいと思う反面。見捨てられてしまったような気もした。

 絶対にそんなことはないと思っていても。


 ここまではお母さんのため。そう割り切って我慢することができた。


 けれど。


 男が家に出入りし始めた。


 これには納得できなかった。

 あんなに汚らわしい存在を家に上げこむなんて。しかも、これはお母さんのためでも何でもない。


 あの日から家の中は最悪だ。

 お母さんはいないし、汚らわしい男が上がりこんでくる。


 もう心がどうにかなってしまいそう……。


 唯一の心の拠り所となってしまった杏も、最近は香花を部屋に連れてきたり、コソコソと話している姿を見かけたりする。


 私の味方はもういないのかもしれない。たまにそんなことを考えてしまう。



「……はぁ」



 溜息がこぼれてしまった。


 そういえば歯磨きをまだしていない。思い出して立ち上がり、一階にある洗面所へ向かう。


 洗面所の扉を開けると……蕾來か香花がいた。

 いつもつけているヘアピンを外しているのでどちらかわからない。

 思わず扉を閉めようとしたが、相手にそれを抑えられてしまった。


「使っていいよ」


 にこやかに伝えてくる。


「……………………」


 無言のまま洗面所へ入って歯ブラシを取る。

 けれど、後ろにいる相手はなかなか出ていこうとしない。

 鏡越しに後ろを確認すると相手と目が合った……気がする。


「明日の遠足楽しもうね」


 鏡越しに笑いかけてくる。

 蕾來だろうが香花だろうが関係ない。私は無言を貫いた。


「私は仲良くできたらいいな」


 一週間ほど前から香花がよく口にしている言葉だ。

 初めて香花が私たちの部屋に来た日。

 香花が放った言葉の真剣さが伝わってきて少し動揺してしまった。

 こんな私と何で仲良くしたいのだろうか。意味が分からないと思った。

 でも、意味が分かったとしても私には仲良くなる気はない。私の……私たちのお母さんを奪っていった存在……。


「じゃ、おやすみ」


 相手は手をひらひらさせながら洗面所を出て行った。

 それも無言で見送る。


 鏡に映る私の顔は無表情で、自分から見てもこれは不愛想だと思う。


 お母さんが再婚して約二か月。お母さんが出て行って約一か月。

 笑顔が減った。


 昔はもっと綺麗に笑っていたのかな。


 こぼれるのは乾いた笑いだけだった。





 部屋に戻り、電気を消して杏の横に寝転がる。

 杏は先ほどと変わらない様子で寝ていた。


 杏はどう思っているのだろう……。


 お母さんのこと。新しい家族のこと。私のこと…………。


 考えても無駄だ。

 目を瞑る。


 明日の遠足はどうなるのだろうか。

 ……仲良くは……できないだろう。


 そう考えると憂鬱だ。今は杏だけが頼りだった。

 姉として情けないな……。


 真っ暗な世界でそんなことを考えながら眠りについた。

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