第10話 香る紫の花➂
食器を洗ってから、
二人の部屋の前で一呼吸する。私は人見知りするタイプではないから、人と話すことが苦手なわけではないけれど。明らかに好感を持たれていない人を相手にするのはちょっとばかし勇気がいる。
杏と視線を交わして頷く。杏がそっと扉を開けて中に入っていく。それに続いて私も中に入る。
落ち着いた部屋だった。悪く言えば暗い部屋だ。黒や紺の家具が多い。家具たちを差し置いて、唐子と杏の
唐子は机に向かって何かをしている。勉強でもしているのだろうか。
人の気配を感じ取ったのだろう、唐子はゆっくりと扉のほうへと振り向いて――固まった。
唐子はいつもカチューシャで前髪をあげているから、顔がよく見えて表情がわかりやすい。なんであなたがここにいるの、顔がそう言っている。
説明を求めるように唐子は杏に視線を移した。
「お姉ちゃんと話をしようと思って……。せっかく姉妹になったんだから……仲良くしてみない……?」
唐子とは真逆で、前髪で目まで隠している杏の表情は読み取りづらい。
「……話すことなんてない」
唐子の声は重く暗かった。完全なる拒絶。分かってはいたが、面と向かって言葉にされるとさすがに
「急に連れてきちゃってごめん……。でもちょっとだけでもいいから……」
「うんうん。ちょっとだけでもいいから、話さない?」
杏に続けて明るい口調で言ってみる。
「……話しかけないで。出てってッ」
それでも、唐子の心には踏み込めない。拒絶の言葉しか返ってこない。
へこみそうだ。
隣にいる杏は申し訳なさそうにこちらを見ている。
さすがにいきなりは無理か……。
いや、まだ……。
もうちょっと頑張ろう……。
「わかった。話しかけない。だから今から言うのは私が勝手に発する私の勝手な思い」
唐子の顔が歪んだ。こいつは何を言っているんだ、と唐子は思っているだろう。
けれど、構わずに続ける。
「親が再婚してから、私も唐子と杏とは上辺の話しかしなかった。それなのに、今更仲良くっていうのは急すぎるかもしれない。それでも私は仲良くしたいなって思った。唐子がどう思ってるかわからないけど……」
結局、話しかけている。
それでも……
「仲良くできればいいな……」
もう一度、一番伝えたいことを伝える。
唐子の表情から敵意が少し抜け落ちた気がする。私の気のせいかもしれないけれど……。
部屋を出て一階へ向かう。
「お姉ちゃんが……ごめんなさい……」
「気にしないでっ」
「私のほうからも、話してみます……」
私たち、新しい姉妹が仲良くなることに杏は前向きになってくれている。初めは唐子の男嫌いを直す約束だったけれど。
どっちもが達成できれば良い。……牧のためにも。
今日は失敗してしまったけど、明日からも挫けずに頑張ろう。
次の日の朝。家の前で牧に会った。朝家の前で会うのは始業式の日以来だ。
「おはよ~」
昨日のことがあったから、いつもより気持ち明るめに声を掛けてみる。
「……おはよ」
まだ暗い。いつも以上に暗い。昨日のことをまだ引きずっている様子だ。
「眠そうだねぇ。よく眠れた?」
「いや、ちょっと考え事してて……」
そりゃそうだ。
牧の性格で考え込まないというのはしっくりとこない。
いつも……今までも、口には出さないだけで、
私が少しでも助けになってあげられたらいいな……。
牧の姿を見るとどうしてもそう思ってしまう。それはお父さんが頼んだ用心棒だからか、同じ部員だからか、それとも別の何かか……。今の私にはわからない。
「昨日さ、夜に唐子の部屋に話に行ったんだよね――」
学校へ向かう道すがら、昨晩の出来事を牧に話す。
「……そうなんだ」
反応が薄い。いつも通りと言えばいつも通りなのだが……。
「私ももう少し上手にできると思ったんだけどな。なかなか
「……………………」
「めちゃくちゃ嫌われてるよ私……。視線が怖かった」
「……………………」
牧の反応が無くなった。
「お~い」
牧の目の前で手を振ってみる。
「え?」
「え? じゃないよ。話聞いてた?」
「……ごめん」
完全に上の空だ。ここまでくると段々ムカついてきた。
「しっかりしなよ。昨日も言ったけど、あんまり気にしないほうが良いよ。ダメだったのはダメでしょうがないじゃん。私だって、昨日は失敗したんだから。そりゃ、失敗の度合いが違うのかもしれないけど。まず気持ちを切り替えないと何も変わらないよ」
少し口調がきつくなってしまったのでトーンを落として。
「きっと大丈夫だよ。私もいるから。困ったら私を頼ってよ」
付け加える。
「……うん。ありがとう」
私の言葉が牧に響いたのかどうかはわからないけれど、感謝を述べる彼の口角はちょっとだけ上がっていた。
唐子の男嫌い克服。杏の対人意識克服。
そして、牧を明るくする。
やることは多い。けれど、せっかく関わりを持ったのだ。おせっかいでもそれが皆のためになると信じてやるしかない。
私は決意新たに春風吹く住宅街を牧と共に歩いて行く――。
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