第8話 香る紫の花①

 いつからかサッカーを見るのが好きになった。お父さんがよく家で見ていたからだ。

 選手が足で魅せる技の数々。美しさの中に光る泥臭さ。試合を見ていくごとにサッカーに魅了された。

 ただ、スタジアムで見るのはあまり好きではない。一度お父さんと見に行った時に、これは違うなと思った。心の底から応援しているというのはわかるが、どうしてもあの熱気の中でサッカーを見る気にはなれない。あれ以来スタジアムでは見ずにテレビや携帯でじっくり見ている。

 そういう点ではお父さんとは馬が合わない。

 

 高校生になって私はサッカー部に入りたいと思った。



 ――だから、私はサッカー部のマネージャーになった。


 

 マネージャーになって初めて高校サッカーに触れた。それまではプロの試合しか見たことがなかったから。

 高校サッカーは私に新しい風を吹き込んでくれた。

 プロと比べたら技術は劣るけれど、最後まで懸命に走る姿……がむしゃらさみたいなものは見ていて素敵だと思った。

 

 マネージャーというのも楽しい。実際に試合で戦うのは私ではないけれど、マネージャーをしていると自分も試合の一部に入り込んでいるような気になる。一緒に戦っているような気になる。

 それに選手たちと一体になって感情を共有できるのも嬉しかった。同年代の友達でサッカーが好きな人はあまりいなかったから。





 高校一年生の秋ごろだっただろうか。

 お父さんはサッカースタジアムで出会った男の子の話をしてくれた。

 隣の席でただ黙々と試合を観戦している男の子にお父さんは、声を出して一緒に応援しようと声を掛けたらしい。

 それに対して男の子は渋々と言った形で応援を始めたそうだ。


 お父さんはその子の何が気に入ったのか知らないが、その後も何試合か一緒に見に行っていた。


 ――彼の名前は小田おだ まき


 いつの日かお父さんが名前を教えてくれた。


 聞き覚えのある名前だった。お父さんは彼について名前以外の個人情報は教えてくれなかったが、話を聞いている限り私の知っている小田 牧だと思った。


 お父さんは牧について、「もっと青春を楽しんで欲しい」だとか「元気に明るく過ごして欲しい」だとかそんなことを言っていた。

 確かに牧からは明るい印象は受けなかった。サッカー部内でも一人でいることが多い。笑顔を見たこともあまりない。

 それでも、サッカーは上手かった。上級生を差し置いて公式戦に出られるほどの実力。コート外では暗くても、コート内では輝いていた。

 そのギャップをカッコイイという女子たちがいた。

 彼への妬みからか牧の陰口を言っている部員がいた。

 ……きっと何も知らないから皆、幻想も妄想も抱けるのだと思う。


 かく言う私も牧のことについて何も知らなかった。眺めているだけで得られる上辺の情報しか持ち合わせていなかった。――最近までは。



 お父さんが再婚してから一か月弱。お父さんの転勤が決まった。引っ越した矢先の出来事でお父さんは嘆いていたが、命令に逆らえるはずもなく北海道へと飛んで行った――。


 ――一人の男子高校生を置き土産に。


 転勤の数日前。自宅でお父さんと二人、サッカーを見ていた時のこと。ハーフタイムになったところでお父さんが口を開いた。


「俺たちがいなくなった後、お前ら女の子四人じゃ不安だから牧を用心棒に頼んでいいか?」


 意味が分からなかった。


「どういうこと?」

「親としては心配なんだよ。女の子だけで暮らしてもらうのは」

「だからって私たちの知らない男が家に来るの?」

「牧くんは大丈夫だよ。俺にはわかる」


 何を根拠に言っているのだ。絶対に男子高生を女子高生の家に上げるほうが危険だ。

 そう思うものの、お父さんの目はいつにもなく真剣で、少し寂しそうで……。

 その目を見て反論できなくなった。


香花きょうか、お前が牧を明るくしてやれ」


 後半が始まる直前、お父さんが独り言のようにそう呟いてこの話は終わった。


 


 お父さんが北海道へ飛び立つ日。牧が私たちの用心棒になることが姉妹たちに告げられた。おそらく他の姉妹には相談も確認もしていなかったのだろう。皆、一様に驚いていた。

 反論は出なかった。と言うよりも出せなかった。これは決定事項だと言う口ぶりでお父さんが話したから。


 次の日、約束通り牧は家に来た。

 ライねえは明るく迎え入れた。あんずは近づかないように距離を取った。


 ――唐子とうこは部屋に引きこもった。



 それから牧は毎日欠かさずに家に来た。

 それなりに会話もした。


 ――真面目だな。


 そう思った。お父さんの言う「大丈夫」はどうやら当たっていたようだ。

 夕食は共にするものの、それ以外はソファでゴロゴロして私たちには興味がないような素振そぶりだった。それはそれでどうかと思うのだが……。

 

 牧は唐子のことを気にしていた。

 俺のせいで唐子が食卓に来れないのではないかと……。

 唐子は牧がくる以前も両親が居る時しか食卓には来なかったから、「気にすることはない」と言ったのだが、それでもずっと気にしている。


 昨日は杏からのお願いも引き受けていた。驚くほどにあっさりと。

 お父さんの頼みといい、杏の頼みといい、牧は頼まれたら断れない性格なのだろうか。

 それが良いのかどうかはわからないけれど彼は、優しい、と思う。


 真面目で優しい。今は彼をそんな風に思っている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る