第5話 杏のお願い

 始業式から約一週間後――。


「あ、あの……まきさん……お願いが、あります……。お姉ちゃんを……変えてくださいっ!! お願い……します……」


 

 ――あんずからお願い事をされた。



△△△△△



 二年生になったからといって、学校での生活は大きく変わらなかった。いて言えば、学校で蕾來らいら香花きょうかが話しかけてくることが多くなった。

 当然と言えば当然だ。用心棒として彼女らと関わる頻度が多くなったのだから。

 

 その用心棒のほうも特に変わりはなかった。平日は部活帰りに寄って、夕食を食べてゴロゴロして帰る。休日は暗くなってくる十七時台に家に行って、夕食を食べてゴロゴロして帰る。

 それだけを続けていた。


 ただ気がかりなことはあった。

 唐子とうこだけはいつも夕食の席に着かないのだ。これは、俺が用心棒を頼まれた日からなので、今に始まったことではないのだが……。

 もうかれこれ三週間。やはり俺が行かないほうが良いのではないかと思ってしまう。

 この胸の内を唐子以外の姉妹には何度か話したが、「気にすることはない」の一点張りだった。けれどこれは蕾來と香花の意見で、唐子と血の繋がった姉妹である杏はこの話題のたびに何とも言えない表情を浮かべていた。

 だからといって、俺のほうから何か聞いたわけでもないのでその胸中はわからない。


 俺としては姉妹四人が仲良くしてほしいと思う。最低でもあと二年一緒に暮らしていくのだ。仲が良いに越したことはないだろう。

 そう考えると俺はあんまり家に行かないほうが良いような気もするし。だからといって、おじさんとの約束を破るわけにはいかないわけで。

 どうしたものか……。


 そんなことを考えていた矢先――。



▽▽▽▽▽



 目の前に座っている杏は俯いていてその表情は読み取れない。けれど、発せられた言葉からは必死さが伝わってくる。

 

「変えるって……?」

「お姉ちゃんは、昔から……男嫌い、なんです……。でも……このままじゃ、良くないと……思うん……です……」

「つまり、男嫌いを直して欲しいってこと?」

「あ、はい……そう、です……」


 男嫌い……か。だから、俺に対して毛嫌いしていたのか。

 用心棒を頼まれてから今まで唐子とは夕食を共にしていないのはもちろん、会話すらしたことがない。いつも、目が合うと睨まれて終わりだった。


「そういうことなら、協力するよ」

「……あ、ありがとう、ございます……」


 杏は視線を少し上げて上目遣い気味にこちらを見てから、頭を下げる。長い前髪の隙間から覗いた瞳は少し潤んでいた。


 男嫌いが治って、俺との関係が良好になれば姉妹との関係も前進するかもしれない。そうなれば俺も嬉しい。

 本当は俺がこの家に来ないことが四姉妹が仲良くなるには最善なのだろう。

 用心棒としての役割はおじさんと俺の約束だ。俺が用心棒をやっていることに四姉妹が賛同しているかどうかも疑わしい。唐子以外からは特に嫌われている印象は受けないが……。本音はわからない。

 ただ、おじさんとの約束もある以上、俺がいる中で四姉妹にも仲良くなって欲しい。

 俺のわがままな願望だけれど。


「唐子はどうして男嫌いなの?」

「たぶん……父親のせい、だと、思います……。お母さんを、捨てて……出て行ったから……」


 詳細なことはわからないけれど、離婚したときに何かあったのだろう。それについて詳しく聞くつもりもないし、杏だって出会って数週間の同級生にそんな話はしたくないはずだ。


「お姉ちゃんは……逆に、お母さんのことが、大好き……なんです……。急に、お母さんが、いなくなって……しかも、知らない男の人が……家に来てるから……今は、心の整理が、ついてないの、かも……しれない、です……」


 そこまで言って、杏はハッと慌てたように顔を上げた。


「べ、別に、牧さんが悪いって言ってるわけじゃないですからねッ!」


 急にまくし立てられて少し驚いた。

 捲し立てた本人も顔を真っ赤にして恥ずかしそうにしている。そしてその顔を隠すようにすぐさま俯いた。


「そう言ってくれるのはありがたいけど、でもなんで俺に唐子の男嫌いを直して欲しいの?」

「このままじゃ、ダメ……だと思うんです……。社会に出たら……どうしたって、男の人と……関わらないと、いけない、ですし……。それに……私が……こんなこと頼めるの、牧さんしか……いないので……」


 姉思いだな。率直そっちょくにそう思った。

 それに、杏が俺にしか頼めないと言うのだ。男嫌いを直すためにも、姉妹の仲を良くするためにも頑張ってみよう。


 正直、出会って三週間の相手に何もここまでしなくてもいいなと自分で思ってしまう。最近の自分らしくない。一年以上、人と深く関わるということを避けてきたその反動だろうか。積極的に関わってこようとしたり、頼ってこようとしたりされることが嬉しくなっている。

 半ば強制的に四姉妹の用心棒になって、色々と話しかけられて、少し浮かれてしまっているのかもしれない。


 ……このまま彼女たちと深く関わっていったら、また同じ過ちを犯してしまうかもしれないのに。


「わかった。杏の意見には納得だし、俺も頑張ってみるよ」

「じゃあ、私も手伝おっかな」


 どこから現れたのか、俺たちの前に香花がひょこっと顔を出してきた。驚いて間抜けな顔になっていたであろう俺たち二人に、香花はニッと笑いかけてくる。


「ごめんね。勝手に聞いちゃって。でも、困ってるなら協力するよ! 姉妹が困ってるなら助け合わないと」

「い、いいんです……か……?」

「いいよ。今の話を聞いてたら私にもできることがありそうだったからね」

「ありがとう……ございます……」


 香花の顔はやる気に満ちていた。けれどその顔に影が落ち始めた。


「私たちも良くなかったなって。お互い、それぞれの姉妹でいることのほうが多かったのもあるけど。もう少し、仲良くするために努力すれば良かったな」

 香花は「だから……」と続ける。

「今からでも仲良くなるために頑張るよ!……杏が相談相手に選んだのが私じゃなくて牧だったのもしゃくだしねっ」


 香花はパァッと明るい笑顔で強く宣言した。蕾來とそっくりな笑顔を見るとさすが双子だなと思う。

 俺への悪口が聞こえたのは如何なものかと思ったが……。

 香花の言葉を聞いた杏は、香花のほうを向いて縮こまっている。


「仲良くは……私も……出来てなかった、です……。ごめん、なさい……。人と話すの、苦手で……」

「気にしないでいいよ。じゃあ、杏も苦手意識直すように頑張ってみよっ」

「……はい。……頑張って、みます……」


 このまま俺が望んだように四姉妹が仲良くなってくれたら良い。


 ――こうして、唐子の男嫌い克服と、杏の対人意識克服の手伝いをする生活が始まった。

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