第4話 彼は危ない、あなたと似ているから

 海乃の猛攻撃は、横須賀でのアプローチだけではなかった。神之川大学のテスト期間が終わった次の日、すなわち八月一日。海乃の呼集に嫌々ながら応じた冬葵は、集合場所に向かうべく、JR横須賀線に揺られていた。

 車窓の向こう側で、住宅街が左へ左へと流れていく。小学生くらいの男の子を必死になだめている夫婦、スマホをいじりながら騒いでいる大学生くらいの男女四人組……。いかにも夏の風物詩である人間模様を見ながら、これから待ち受けているであろう青春劇に、冬葵の心はざわつく。

 しかし、そんなことはお構いなしに、横浜で彼が乗り込んだ電車は保土ヶ谷、東戸塚、戸塚と、冬葵の身体を淡々と目的地へ運んでいく。


「お兄ちゃん! 彼女さん、どんな人? ねえねえ!」

「ちょっと静かにしろ」


 実は今回のデート、もとい外出には、何人かの「味方」がいた。

 一人目は、家を出発する時になぜかリュックを背負って玄関に座っていた妹、弥生棗。


「なあなつめ、鎌倉までちょっと時間あるんだから、参考書ぐらい読んだらどうだ。受験生だろ、しかも最後の夏休みなのに」

「うるさいな、お母さんみたいなこと言わないでよ」


 隣に座っている棗は口を尖らせ、冬葵の肩を引っぱたいた。向かいの男の子がびっくりしてこちらを見るくらいに大きな音が鳴った。


「だいたい私はお兄ちゃんと違って、チョー優秀なの。この間のマーク式模試だって、自己採点が合っていれば、確実に第一志望A判定なんだから。もしあったらS判定すら貰える勢いなんだよ」

「それは素直にすごいけどさ。でも、せっかく勉強する時間があるんだから、単語帳でも開くべきだと思う」

「分かってませんな、お兄様は」

 

 やれやれと大袈裟に首を横に振る様子に、冬葵は少しイラッとした。お返しに肩を叩き返してやろうかと思ったが、妹が成績優秀で、脳のスペックが格段に兄より優れていることは客観的な事実だ。ぐうの音も出ず、叩かれた肩を力なくさする。


「受験で大切なのはね、メンタルなんだよ、お兄ちゃん。こういうセイシュンな感じのイベントの時は、勉強のことなんか忘れてしっかり楽しむ。こういう時にまで勉強を持ち込むなんて、気が滅入って仕方がないよ。遊ぶ時は遊ぶ。そして、遊ぶ時は遊ぶ。これが大事」

「遊ぶとしか言ってないぞ。いつ勉強するんだよ」

「んー、気が向いたら?」

「よくそれでA判定取れたな……」

「まあなつめちゃん天才なので!」


 電車が大船に着き、扉が開く。電車がむわっとした熱気をたっぷり吸い込み、二人から会話を続行する気力を奪う。

 乗換駅として利用する人が多いのだろうか、埋まっていた向かいの椅子が半分くらいごそっと空席になった。そのすぐ後、降りた乗客よりも大勢の人間が乗り込み、一瞬で満席になる。


 電車が発車して、冷房が再び効き始めたところで、棗がまた冬葵の肩を叩いた。


「それより、お兄ちゃん。話を逸らさないで。お兄ちゃんの彼女の話をしてるんだから」

「あのな、俺、彼女いないから」

「嘘だね!」

 

 棗はいきなり兄の顔に指を突き付けた。まるでどこかの裁判シミュレーションゲームよろしく「異議あり!」とでも言わんばかりのどや顔だ。


「お兄ちゃん、昨日UMAって人とRINEしてたでしょ。私知ってるんだから!」

「人のスマホを勝手に見るなよ」

「あ、ついでにスマホのパスコード、私の誕生日に変えておいたから」

「本当に何してるんだ……」


 どのタイミングで盗み見られたのかは知らないが、棗はUMAこと賀茂海乃のことを彼女だと誤認してしまっているようだ。


「なつめ。あいつは彼女じゃない」

「え? でも『明日のデート、楽しみだね』って書いてあったよ。ハートマーク付いてたし」

「何というか、あいつが勝手に彼女を名乗ってるだけだ。アプローチ過剰なんだよ、海乃は」

「おっ? おやおや? 呼び捨てですか? 仲がよろしいんですねえ」

「うるさいな、もう……」

 

 優秀な脳みそから繰り出される棗の口撃は、いつもながら鬱陶しい。口喧嘩では晴らせない鬱憤をデコピンに乗せて、棗の額にぶつけた。



     ☆     ☆     ☆



 絶え間なく他愛のない会話をしているうちに、冬葵と棗を乗せた電車は鎌倉駅に到着した。ホームからはこれといって面白い風景は見えないが、降り立った瞬間、海と歴史的建造物の香りがした。風情のある街は、駅のホームからして情緒が溢れているものなのだろう。


「やっと着いた!」

「おう。待ち合わせ場所に行くぞ」

「はーい」


 階段を降り、人が渋滞してしまっている細い通路をどうにか抜けると、左に改札口が見える。そこを抜けると、駅前の大きな地図の前に見知った顔がいくつもあった。


「よう、冬葵」

 

 冬葵と棗の姿を真っ先に見付けたのは哲だった。いつもならば白無地に変な哲学のフレーズが書かれたTシャツを着ている彼女だが、今日は黒っぽい布地に白文字で「深淵が仲間になりたそうにこちらを見ている」と書かれた、絶妙にセンスの悪いシャツを着ている。これも哲学者の放った有名なフレーズか何かなのだろうが、冬葵には真偽のほどは分からなかった。


「俺となつめが最後か。すまん、待たせた」

「いいってことよ! 時間には余裕で間に合ってるからな!」


 次いで、鮎喰コウが近寄ってきて冬葵の肩を抱きながら言った。その馴れ馴れしさゆえ「良くないタイプのコミュ強」だの「パリピウェイ」だの言われている男だが、今日は「アロハシャツと頭にかけたサングラス」という風貌がその形容に拍車をかけている。


「それに、誘ってくれて感謝してるんだぜ」

「え、そうなのか」

「そりゃそうだろ! だって冬葵、夏の海といえば何だ?」

 

 うきうきとはしゃいでいるコウに、棗は冷たい視線を注ぐ。


「どうせ『水着美女』とか言い出すんですよね、コウ先輩」

「そうとも! なつめちゃん、よく分かってるじゃん!」

 

 冬葵の時と同じように、コウは棗の肩に腕を回そうとする。しかし棗はするりと逃げ出し、兄の背中に隠れた。


「近寄らないでください。良いのは顔だけですね、エロ先輩」

「人の妹に手を出すなコウ。いや、変態詩人」


 コウは冬葵と同じ創作サークルで散文詩を書いている。彼は漢詩や和歌のような形式美にはあまり魅力を感じないらしく、素朴で日常的な言葉で思いを紡ぐのが好きだそうだ。といっても、すぐにエロスや性愛と結びつけるため、多くのサークルメンバーからは「品がない」という理由で評価されていない。

 

 コウは既に何度か弥生家に遊びに来たことがあるので、棗とも打ち解けているのだが、あまりに彼がエロ根性を隠さないため棗も容赦せずに辛辣な言葉を浴びせるようになった。


「なつめちゃんの毒舌、今日も絶好調すぎない?」

「いつも通りですよ。……あ! そんなことより!」


 棗はコウのことを「そんなこと」呼ばわりのもと一笑に付し、哲の横に立っている少女、すなわち海乃に目を向け、ぱたぱたと駆け寄った。


「あ、あの、もしかしてあなたが、お兄ちゃんの初彼女さんですか?」

「おいなつめ、違うって言ってるだろ」


 冬葵のツッコミを気にも留めず、海乃は棗の手を取り、眩しい笑顔を彼女に見せる。


「『お兄ちゃん』ということは、あなたは冬葵くんの妹さんかな?」

「はい! 弥生棗です! どうか愚兄をよろしくお願いします!」

「賀茂海乃だよ。こちらこそよろしくね、棗ちゃん」

「うわあ、すっごい美人さんだ……! あんなダサ兄にはもったいない!」


 楽しそうに会話している海乃と棗を見て、手持ち無沙汰そうにしているコウが冬葵の脇腹を小突いた。


「なあ。訊こう訊こうと思ってたんだけどさ。あの海乃ちゃんって人と、どこで知り合ったんだ? めっちゃ可愛いじゃん」

「俺もよく分からん。昔会ったことがあるらしいけど、俺からすれば突然ナンパされて、なぜかそれ以来彼女ヅラされてるだけ」

「すげえ幸運じゃん。どうして付き合わないんだよ?」

「よく知らない人と付き合うのは、申し訳ないというか、しっくり来ないんだ」

「はあ?」


 さっきよりも強めに、コウが冬葵の脇に肘を立てた。


「そんなんだから童貞なんだよ。大切なのは顔とカラダだろ?」

「いや……。『だろ?』って、そんな当たり前みたいに言われても……」



     ☆     ☆     ☆



 鎌倉駅のロータリーを右に抜けると「若宮大路」という大きな道に出る。鶴岡八幡宮と由比ヶ浜を結んでいる、真っ直ぐ長く伸びた参道である。しばらくの間は道がアップダウンしていて先が見通せなかったが、十分ほど歩いていると、遠くの方に青空が広がり始めた。


 そのまま進んでいくにつれて、五人の周りの「夏の海」独特の匂いが強まってきた。潮そのものの匂いを打ち消すほどに強烈な、むわっと淀んだ日焼け止めの匂い。その隙間から微かに主張するホットドッグの燻煙。海に慣れていない冬葵と哲が嗅覚の混沌に顔を顰める一方、コウ・棗・海乃の三人は平然と階段を降り、由比ヶ浜の砂浜に足を着けた。


「お兄ちゃんたち、早く早く!」

「そうだよ、冬葵くん、あっちゃん。人が多いから、早く場所取りしなきゃ!」

「ベストなウォッチングポイントを見付けたぞ! ここにシート敷くからな! あと俺パラソル借りてくる!」

「コウ先輩、たまには頼りになる! でもどうせウォッチするのは海じゃないんでしょ」

「たまにとは何だ、いつもだろ! というか、エロいお姉さんを見ることの何が悪い!」

「コウくんって本能に忠実すぎるんだね、そこまで露骨な人、流石に初めて見たよ」

 

「なあ冬葵。どうしてあいつらは平気なんだ」

「鼻が詰まってるんじゃないか? あきらこそ大丈夫か? 溶けそうだぞ」

「ちょっと溶けてる。かゆ、うま」

「それゾンビになる時の台詞だろ」

「そうだっけ」

「多分」


 海の浮かれた雰囲気が得意な三人と、泳ぐ前から既に沈み切った顔をしている二人。真っ二つにテンションが分かれながらも、水際から五メートルほど陸側の、あまり出店が密集していない東側にレジャーシートを展開した。コウが近くの売店でレンタルしてきたパラソルもきちんと砂浜に突き刺さり、日差しの苦手な冬葵と哲は安心して腰を下ろした。


「さて、お兄ちゃん!」

「ん?」


 人で溢れた海にあてられた冬葵の頬に、棗が小さいプラスチック製のビンをぺたりと当てた。表面には水色の文字で「過去最高のSPF」とデカデカと書かれている。


「その、FPS? それがどうかしたのか?」

「それじゃ一人称視点シューティングゲームだよ。これはSPF」

「……ああ、日焼け止めか。俺に貸してくれるのか?」

「そんなわけないじゃん。私に塗ってほしいの」

 

 棗は即座に否定しながら、デニムのスカートから黄色いシャツを引き出し、そのまま服のボタンを外し始めた。


「いやいや、自分で塗れよ。それに中に水着を着てるからって、人前で脱ぐな。品がないってバレるぞ」

「やだよ、面倒くさい。それに、背中は自分じゃ塗れないって」


 手早くシャツとスカートを脱ぎ捨てると、ピンク色のチューブトップタイプの水着が姿を現した。ほっそりとした棗によく似合う、動きやすさと可愛らしさを兼ね備えたデザインだ。


「似合ってるね! バンドゥ型かあ!」

 

 棗の水着を見て、海乃が目を輝かせた。冬葵にはよく分からないが、女性用水着にはいろいろなタイプがあるらしい。


「そうなんですよ! 最近流行ってるんですよね、このタイプ。受験のストレスを発散するために買っちゃいました!」

「いいね! それじゃあ、私が日焼け止めを塗ってあげちゃおうかな!」

「ほんとですか! じゃあお義姉さんに甘えちゃいます!」

「いや待てなつめ、今『お義姉さん』って言った気がしたんだけど」

「ほら冬葵くん、日焼け止めちょうだい」

「……無視かよ。はいよ、日焼け止め」


 冬葵のツッコミに海乃も棗も一切の反応を返さず、仲睦まじい姉妹のように二人の世界に入ってしまった。

 冬葵としては二人の仲が深まっていることは純粋に嬉しいことだが、海乃が自分を攻略するための包囲網が着実に形成されている気がして、妙な焦りも生まれていた。


「やあやあ、冬葵。なつめちゃんにハブられたな」


 日焼け止めを塗る役目を解かれてレジャーシートにのそのそ座り直した冬葵に、コウが別のボトルを持って近付いてきた。日本語で「日焼け止め」と書いてあるので、美容に限りなく疎い冬葵でもその正体は一目で分かった。


「うるせえ。ていうかお前も日焼け止め持ってるのか。美白系男子でも目指してるのか?」

「美女にモテるなら、それも上策かもな。でもそれよりは、美女のカラダに合法的に触れるための道具として持ってきたんだ」


 コウは欲望を隠すことなく大真面目に言い放つと、周りを歩いているビキニの女性たちに熱い視線を送り始めた。もちろん、目が合ったとしても即座に逸らされ、誰一人としてコウに視線を返してくれる人はいないのだが。


「お前ってほんと下衆だよな」

「本能に従って生きるのに何の問題があるんだ」

「問題しかないだろ。早く捕まっちゃえ」

「弥生家は、兄妹揃って俺に厳しいなあ」



     ☆     ☆     ☆


 

 それから五分後。

 大きなパラソルが作る日陰から、棗・海乃・コウがはしゃいでいる姿を眺めている哲が、唐突に口を開いた。


「つくづく優柔不断な性格だよな、冬葵は」

「というと?」


 哲の発言の意図が読めず、冬葵が訊き返す。


「海乃から聞いたんだけどさ、『二人で海に行こう』って誘われたらしいじゃん」

「……まあな」


 哲の言う通り、海乃は当初、冬葵と二人で海に出掛けることを提案していた。しかし「大人数で遊んだほうが楽しい」「ちょうど海乃に紹介したい友人がいる」などと理由をでっち上げ、コウと哲を呼んでいたのだ。


「でも、別に良くないか? 二人きりで遊ぶだけが親睦を深める方法でもないんだし」

「……まあ、あたしが口出しするようなことでもないんだけどさ。でも、ちょっとこれ見てみろよ」


 そう言うと、哲はポケットから自分のスマホを取り出し「UMA」とのチャット画面を冬葵に向けた。


『冬葵くん、どんな水着が好きかな?』

『知らん』


『誘いすぎたかな、しつこすぎたかな?』

『大丈夫だろ』


『あっちゃんだったら、いきなり二人きりでのデートって嫌? ステップ跳ばしすぎ?』

『嫌ではない。というかこの前横須賀でデートしてたなら、いきなりではないだろ』


 こういった不安気な質問の数々と、それに対する哲の素っ気ない返事が、つらつらと並んでいる。海乃の奮闘が本当に健気で可愛らしく、愛おしく感じられた。


「な? 分かっただろ。海乃はお前のためにいろいろ考えてくれてるんだから、冬葵もちょっとくらい正直な気持ちを打ち明けてあげても罰は当たらないんじゃないか」

「……」

「もう二回も一緒に出掛けてるんだから『よく知らない人』ってわけでもないだろ」


 確かに、哲の発言は全くの正論だ。冬葵が気にしている「よく知らない人と付き合うのは不誠実だ」という言い訳は、もはや成り立たなくなってきている。横須賀で丸一日二人きりで過ごしたし、RINEでのやり取りもそれなりに行っている。今日もこうやって哲とコウを巻き込んで遊びに来ているだけでなく、妹の棗ともすっかり打ち解け、今まさに二人で波打ち際で足を浸けてキャッキャと騒いで遊んでいるのだから、既に冬葵と海乃は間違いなく「友人」だ。


「……でもさ」

「ん?」

「こうやって告白の返事を先延ばしにして、ずいぶん時間が経っただろ。今更OKするなんて、都合が良すぎるんじゃないか」

「……冬葵、お前、変なこと言うんだな」


 哲はスマホをポケットの中に仕舞い、首を傾げた。


「むしろここまで待たせてるんだから、さっさとOKしてあげた方が海乃のためじゃないか? ここで断ってもメリットなんてないと思うけど」

「……まあ、そうだよな。自分でも分かってた」

「分かればよろしい」


 冬葵がこれまで張っていた無価値な意地が、哲によって木っ端微塵に砕かれた。「よく知らないから好きになってはいけない」という論理が砕かれたことで、冬葵は海乃に抱いている憧れの気持ちを強く自覚してしまい、顔が熱くなっていくのを感じてしまう。この紅潮に対する「夏の太陽のせいだ」という言い訳は、頭上のパラソルによって遮られている。


「なあ、あきら」


 自明には釈然としない疑問が浮かんだ冬葵は、隣にいる無気力で色白の女子学生に問うことにした。


「ん? まだ何か言い訳するのか?」

「いや、そんなんじゃないけど。どうしてお前、こんなに俺と海乃の話に首を突っ込んでくるんだ? 『人間関係なんてどうでもいい』っていつも言ってるのに」

「……」


 問うた内容が不躾だったのだろうか、哲はすぐには答えず、冬葵に向けていた顔をふいと背けてしまった。


「あ、すまん、嫌なこと訊いちゃったか?」

「いや、そんなんじゃないけど。まあ、こっちにもいろいろあるんだよ」

「ふうん……?」


「おーい! あっちゃん! 冬葵くん!」


 いまいち哲の真意が分からないままモヤモヤしていると、まさに話題の中心になっている海乃が駆け寄ってきた。さっきまでの哲との会話をつい反芻してしまい、冬葵はまともに海乃の顔を見られず、言葉だけで乱暴に返事をした。


「どうした、海乃」

「ちょっとジュースを買ってこようと思ってね。その間、私の代わりに二人と遊んでてほしいの」

「そういうことなら、俺が行くよ」

「いやいや、冬葵くん。分かってませんな」


 つい一時間ほど前に誰かから聞いたような台詞を吐きながら、海乃は冬葵の肩をがっしと掴む。遊びすぎて息切れ気味の吐息が触れるくらい冬葵の横顔に近付くと、哲に聞こえないよう、小さな声でささやいた。


「今ここで冬葵くんが行っちゃったら、一人で荷物番をしているあっちゃんはどうなる?」

「……ナンパされる?」

「正解! そして、そんな事態は絶対に避けなければいけない。そうでしょ?」

「それはそうだな」


 得意気に海乃が説明してくるが、冬葵の耳に彼女の話はほとんど入って来なかった。海乃の水着はベーシックな水色のビキニなので、肩を組んでしまうと、必然的に海乃のむき出しの肩が冬葵の肩と密着することになる。冬葵のTシャツが辛うじて素肌同士の接触を防いでくれているが、それでも冬葵の心臓は異常なほど強くバクバクと脈打っている。


「それに。もう一つ、大切な意味があるのですよ、この作戦には」


 そんな冬葵の困惑を知る由もなく、海乃は渾身のどや顔のまま話し続ける。


「どんな意味があるんだ?」

「んふふ、実はあっちゃん、Tシャツの下にちゃんと水着を着ているの。せっかくスタイル良いんだから、お披露目しなきゃ!」


 海乃には、セクハラで地位を追われる中年管理職のごとき助平心が宿っているのだろうか。冬葵は心底呆れたが、とはいえ、彼にも人並みに欲望に揺さぶられる心は存在していた。


「……分かったよ。でもお前もナンパされるなよ、一人で出歩くわけなんだから」

「話が分かるね! 大丈夫、私はこのエリアのことは詳しいから。もしナンパされたらすぐに逃げられるよ」


 そう言うと、海乃は左手の細い指でピースサインを作り、冬葵に向けてとびっきりの笑顔を見せた。話の内容は健全なものではないが、清々しい表情と白く輝く歯は、今日の青空にとても似合っていた。


「そんなわけで、あっちゃん!」

「どんなわけだよ。あたしには聞こえてないんだから、最初からきちんと説明しろ」


 哲は説明を要求した。冬葵と海乃の会話が聞こえていなかったのだから、ごく当然の流れである。しかし海乃はそんなことお構いなしに、海水に濡れた砂浜色の細い腰に手を当てて、びしりと哲を指差した。


「あっちゃん! 脱いで!」

「は?」


 唐突かつ意味の分からない命令に、哲は呆気にとられた。


「だから! 脱いで!」

「『だから』はこっちの台詞だ。あたしはまだ事情を呑み込めてないんだ。サリー・アン課題をクリアしてない幼児か、お前は」


 サリー・アン課題とは、簡単に言えば「『自分の知っている現実を、他人も知っているとは限らない』という認識を持つこと」を指す。「心の理論」という範疇にカテゴライズされており、概ね三歳から四歳、五歳にかけて乗り越えられるとされている。


「何それ?」

「心理学の授業を受けてるのに知らないのか」

「えへへ……。まあ、私の代わりに、コウくんとなっちゃんと遊んでいてほしいんだよ」


 海乃は苦し紛れの笑顔を作り、ほとんど理由説明になっていない返答をした。


「え、なっちゃんって誰だ」


 突然出てきた人名に戸惑い、冬葵が尋ねる。


「棗ちゃんに決まってるじゃん。私の愛しい妹の!」

「なつめは俺の妹だ。勝手に盗るな」

「えー、いいじゃん! 結婚したら私の義妹になるわけだし」

「結婚って……しないからな、結婚なんて!」

 

 冬葵と海乃の諍いを後目に、哲は手を顎に添えて考え込んでいたが、やがて海乃の要求を呑んだ。


「ふうん……。よく分からないけど、とりあえず了解」


 哲はすっくと立ちあがり、履いているジーンズに手をかけ、一気に下ろした。そのまま少しも畳まず乱雑に自分のバッグの上に放り投げると、黒いTシャツもバサリと脱ぎ捨てた。


「おおお……」


 水着姿になった哲を見て最初に声を上げたのは、いつの間にか荷物置き場に戻ってきていた棗だった。


「あきらさん、スタイル良すぎませんか……。真っ黒ビキニをそんなに着こなせるなんて、とんでもなく上級者ですよ……」

「そうか? 普通だろ」


 色気のないTシャツとジーンズの下に隠されていたのは、黒一色のいたってシンプルかつスタンダードなビキニだった。棗のバンドウ水着のようなトレンド性や可愛らしさもなければ、海乃のビキニに咲いている星型のワンポイントのような装飾性もない。しかし、そのシンプルさゆえに着ている人間の肢体を引き立て、棗と海乃にも劣らず目を引く水着姿になっていた。


「もう、種族として負けた気がするよね、なっちゃん」

「海乃さんも美しいですよ、腹筋割れててすごくかっこいいし。私なんかお子ちゃまボディですから……」

「腹筋なんか割れてても何にもならないよ。確かに、たまにスタイルが良いって褒められることはあるけど、あっちゃんの黄金比ボディーには敵わないって」

「いやはや、黄金比をちょっとだけ逸脱したサイズの胸が、本当に憎らしいですね……」


 海乃と棗がガールズトークを繰り広げ始めてしまい、哲は二人から距離をとって冬葵の近くに退避した。呆れ果てた様子で、長い髪を束ねて結わいてポニーテールを作り始めている。


「なあ冬葵、ちょっと叱ってやってくれ、あのおっさんみたいなこと言ってる二人」


 正面から見ると、完璧な形をした溝の深い縦ラインが、胸部の真ん中に走っている。しかも頭の後ろに腕を回しているせいで、胸の大きさが最大限強調されていた。

 彼女が服を着ている時から薄々思ってはいたが、そのボリュームを改めて認識させられてしまい、冬葵は目を背ける。

 

「……まあ、その、コウみたいなカラダ目的のやつにナンパされるなよ」

「うっわ頼りにならねえ、叱れって頼んだのに」


 期待した回答が返ってこず、哲は胸を腕で隠しつつ、冬葵に蔑みの眼差しを向けた。


 棗と一緒に戻ってきていたコウが、冬葵の言を受けて、自分の胸を拳で叩く。


「そのあたりは任せてくれ。俺が全力でボディーガードするからな」


 だが、頼りになる発言とは裏腹に、目線は明らかに哲の胸に注がれ、鼻の下は伸び切っている。下心を爛々と湛えている眼差しを見て、今度は棗がコウに冷たい視線を送る。


「かえって不安になってきますね、コウ先輩のボディーガードとか」 

「何言ってんだよ。俺以外に誰が守れるってんだよ、あの寄せられた腕で柔らかそうに凹んでる巨いってえ!」

「コウ先輩さいってい、海に永遠に沈んじゃえ」


 コウの下卑た発言を棗が脛蹴りで遮ったのを見て、海乃はケラケラと愉快そうに笑って言う。


「ちょっと要らないかな。美味しくなさそう」

「ん? それどういう意味だ?」


 突然の「美味しくなさそう」という、文脈を無視したような海乃の発言に、意図を理解しかねた冬葵が尋ねた。

 やや目線を泳がせた後、海乃は頬をぽりぽりと掻きながら弁明する。 


「あー、海の精霊がいたら、そんな風に言いそうだなってだけだよ」

「海の精霊って人間食べるのか?」

「いや、ふとそんな感じがしたの」

「おお、そうなのか……?」

 

 海の精霊はどうやら人間を食べるらしい。もしかしたら神話などの中では有名なエピソードなのかもしれないが、冬葵には初耳の知識だった。



     ☆     ☆     ☆



「ただいま!」


 十五分ほど経ち、両手にペットボトル飲料を二本ずつ持って、冬葵の待っているパラソルに海乃が戻ってきた。

 

「おう、お帰り……あれ?」

「すみません冬葵センパイ、お邪魔しますね……?」


 海乃の後ろには、よく見知った姿があった。海乃が抱えきれなかったのであろうコーラのペットボトルを持って縮こまりながら会釈をするのは、棗の親友である桜戸こはるだった。

 

「あれ、こはるちゃんも来てたんだ」

「はい、偶然ですね」


 こはるは小さな体躯に似合わない大きな一眼レフのカメラを首にぶらさげ、少し恥ずかしそうに笑っていた。こはるの肩にぽんと両手を乗せて、海乃もにこにこ微笑んでいる。

 

「偶然見付けたから連れてきちゃった! さあさあ、こはるちゃんも水着になろうよ!」

「いやいや、恥ずかしいので……」

「何言ってるの! ここはどこ?」

「う、海です……」

「そう! 海での正装は?」

「うう……」


 困惑し果てているこはるを見かねて、冬葵は無理矢理二人の間に割って入った。海乃の拘束から解放されたこはるは咄嗟に冬葵の背後に隠れ、海乃と距離を取る。


「おいおい、その辺にしておけって。こはるちゃん怯えてるだろ」

「ちぇー。つまんないの。でもね、冬葵くん。これはキミのためでもあるんだよ」

「……どういうことだ?」

 

 海乃は得意気な顔をして、獲物を一度逃がしてしまったハンターのような目で、こはるにじりじりと近付いた。冬葵の背中にしがみついている彼女の手に、少し力が入る。


「んふふ、冬葵くん。吊り橋効果は知ってるよね?」


 唐突に海乃が問う。心理学を勉強している冬葵にとっては当たり前の知識だ。


「ああ。恐怖によるドキドキを恋している時のドキドキと勘違いして『一緒にいる人のことを好きになっちゃった』って思い込んじゃうやつだろ」

「そうそう」


 感心したような顔で何度かうなずきながら、海乃が一歩ずつ歩み寄ってくる。


「それでね、もしここでこはるちゃんが水着になったら、冬葵くんはドキドキすると思うんだ。そうすれば冬葵くんは恋しているのと同じ気分になって、テンションが高くなる。つまり、私との仲が深まるってわけだ!」


「……え?」

「……え?」


 冬葵とこはるは、ほとんど同じタイミングで声を上げ、数秒間、完全に硬直したまま動かなくなった。

 場面の停止を打開したのは冬葵だった。


「……いや、いろいろ間違ってると思うんだけど」


 冬葵に次いで、こはるも海乃の話を否定する。


「もはや、間違いとかそういうレベルじゃなくて、完全に暴論ですよね」

「え? どこが?」


「だってさ、海乃。まず、そのドキドキは恐怖の感情じゃないし、そもそもこはるちゃんの水着姿を見ても、俺はドキドキなんてしないって。俺にとっては妹みたいなものなんだから」

「え?」


 こはるは、さっきと同じように困惑の声を上げた。いや、困惑というよりは、怒気や憤慨が多分に含まれているような気がする。冬葵の裾を掴んでいた手を離し、ぺちぺちとTシャツの上から背中を叩いた。


「冬葵センパイ、私じゃドキドキしないんですか?」

「え? そりゃしないよ」

「ふーん……」


 こはるは不服そうに右頬を膨らませて、上目遣いで冬葵を睨んだ。しかし自分に何の非があるのか、冬葵には全く理解できなかった。

 冬葵には女心が分からない。だが、目の前で機嫌を損ねている少女をフォローしないではいられなかった。後ろを向き、こはるに優しい言葉を投げかける。


「いや、だって、こはるちゃんも俺にそういう目で見られるの嫌でしょ?」

「むー……」

 

 だが、冬葵のひねり出したフォローの一言は、欠片ほども効き目がないみたいだった。


「良いの? こはるちゃん」

「よ、良くないです!」


 海乃は、主語も目的語もない一言で、こはるに問う。だが、それでも意味はしっかりとこはるに伝わったようだった。


「うー、センパイ、ちょっとこれ持っててください!」


 こはるはやけになったように言い放つと、首に下げていた大きな一眼レフを冬葵の腕に押し付け、着ていた薄いTシャツを躊躇いもなく脱いだ。棗と同じかそれ以上にほっそりした身体には、露出を控えたワンピース型の水着がフィットしている。淡い紫色が基調色になっている、あちこちにひっそりと咲くチューリップ柄が、彼女によく似合っていた。


「ふ、冬葵センパイ! どうですか!」


 着ていたTシャツをばさりと青いレジャーシートの上に舞わせながら、きっと眉毛をつり上げて、冬葵に向かって両手を広げてみせた。やはり恥ずかしいのだろうか、頬は赤く染まり、唇は微かにプルプルと震えている。


「え、ええと、可愛いと思うよ?」


 冬葵は彼女に預けられたカメラを持ったまま、こはるの水着に対する素直な感想を伝えた。

 もしかすると自分の一言が再びこはるの機嫌を損ねてしまうかもしれないが、どうするのが正解なのか分からない以上、下手に巧言を弄するよりは、こうした方が良いと考えたからだ。


「えっ、あっ、そうです、か? えへ、えへへ」


 こはるの頬はさらに紅潮し、穫れたての瑞々しいリンゴのように真っ赤になる。それを隠そうとしてか、こはるは冬葵に背を向けた。ワンピースのスカート部分がひらりと広がり、彼女の可憐さが際立つ。


「冬葵センパイ、やっぱりこっち見ないでください!」

「ええー……」


 こはるの真意を理解しようとすることを、冬葵は完全に諦めた。とはいえ、こはるの笑顔を一瞬見られたということは、放った「可愛いと思う」は間違った発言ではなかったようだ。



     ☆     ☆     ☆



 こはるという専属カメラマンを手に入れたことは、冬葵たち一行にとっては僥倖だった。

 由比ヶ浜に来ている全ての人が遊ぶことに夢中だったためか、冬葵やコウのいないところでも、女性たちがナンパされることはなかった。むしろコウだけが果敢にもナンパに挑戦した結果、声をかけた二人組のOLには話すら聞いてもらえず、ひと夏のランデヴーへの道は完全に閉ざされた。その無様な表情はこはるに激写された挙句全員のスマホに送られ、一同の笑いの種になった。


 何百回と波が砂浜を濡らし、右手に見える稲村ヶ崎が茜色に染まっていくにつれて、冬葵の心は浮足立ってきた。


「冬葵、分かってるな?」

「ああ、分かってる。分かってるけどさ……」

 

 黒いTシャツを着直した哲と、遊んでいる最中にコウに脱がされ海パンのみの姿になった冬葵は、二人で夕方のパラソルの下でしゃがんでいた。他のメンバーはまだ元気を使い果たしていないようで、人がまばらになっていく砂浜で走り回っている。

 夏真っ盛りとはいえ、濡れた身体に夕風が触れると、流石に冷たい。冬葵は両腕を擦りながら、自分への言い訳を繰り返していた。


「……なあ、あきら」

「何だよ?」

「俺ってかっこいいかな? というか、性格悪くないか?」


 もし自分に魅力がなくて振られたらどうしよう。人柄が問題視されたらどうしよう。

 昼間に哲に説得された時の覚悟はどこへ去ってしまったのか、冬葵は自分を必要以上に客観視しすぎて、かえって不安になっていた。


「大丈夫だって。そもそも最初に告白してきたのは海乃だろ。勝ちが確定している戦いなんだから」

「まあ、そうだけど」

「だけどじゃねえよ、早く行けって」


 哲は無表情でスマホをいじりながら、左手でシッシッと追い払う仕草をした。いつもより一層目を合わせようとしない彼女の態度に、冬葵は突き放された気分になっていた。


「……ああもう、分かったよ」


 一つ二つと頭を掻き、冬葵はようやく重い腰を上げる。覚悟ができていたといえば嘘になるが、少なくとも一歩だけ踏み出す勇気は作り出せた。浅い呼吸をどうにかコントロールし、遠くまで聞こえるように大きな声を出す。


「おーい、海乃!」

「ん? どうしたの?」


 冬葵の声を聞き、海乃が足を止めて、こちらにつま先を向けてざくざくと歩いて来た。猿島でのデートの時にも感じたが、海乃は島や海といった大きなものをバックにした構図が非常に似合う。こんなイラストレーターらしい考えに、冬葵は自分の緊張をいくらか逃がしていた。


「あー、その、あれだ。ちょっと来てほしいんだけど」


 とはいえ緊張が完全に消え去るはずもなく、海乃の返事や反応を見ず、自分だけ海に背を向けて階段を上り始めた。


「分かったけど、冬葵くん歩くの速いよー!」

「お前が遅いんだろ」

「ぶー」


 心に余裕がないためか、つい責めるような口調になってしまい、冬葵は自己嫌悪する。「こんな自分が彼女と釣り合うのか……」とネガティブな考えに陥ってしまうのを追い払いたいが、その感情は彼の胸中に居座り続けようとした。

 

「……ふう、やっと追いついたよ」


 あれこれ身勝手に悩んでいるうちに、冬葵も海乃も階段をのぼり終え、由比ヶ浜をある程度広く見渡せる広場に到着していた。背後を通り過ぎる自動車やバイクが少しうるさいが、周囲が完全に静かではかえって緊張してしまい、告白なんて夢のまた夢だ。気持ちを落ち着かせるBGMとして、車のエンジン音は適していた。

 とはいえ、面と向かって話すほどの勇気は出てこない。冬葵は柵に両腕を乗せて、相変わらず遠い海ばかりを見ながら切り出した。


「おう。あ、あのな……」

「もしかして告白かな?」


 しかし、勇気を出した甲斐もなく、結論を海乃に言い当てられてしまった。

 驚きが全てを吹き飛ばし、思わず左に首をぐいっと向け、海乃の表情を確認した。こちらを見ていた海乃の瞳がすぐに目に入ったが、その目も頬も口も、ぞっとするほどいつも通りだ。自分を常にからかっているような、真意の分からない、透き通りすぎた美しさを持つ顔。

 何を考えているのか読み取りようのない表情に、冬葵の困惑が増幅する。


「……え?」

「あれ、違ったかな?」


 告白というのは、もっと一世一代の、決死の覚悟を持って行うべきものではないのか。自分が恋愛小説に影響されすぎているだけで、現実の恋愛は、目の前の海乃のように、冷静でアンロマンチックなものなのだろうか。

 ……いや、そんなことは、多分、いや決してないはずだ。


「海乃、心して聞いてほしいんだ」

「あ、うん。なあに?」


 冬葵は、自分の瞼がピクリピクリと動くのを感じる。理由は知り得ないが、きっと不安や緊張が心の外に出ているのだろう。

 気が変になるくらいに鼓動が速くなり、何度も自分の唾を飲み込み直す。何秒経ったか分からないが、とにかく長い間を置いて、ようやく核心となる二文字の言葉が口から出て行った。


「俺さ、お前のこと好き……かもしれない」

「……かもしれない?」


 卑怯に保険をかけた文末を、海乃は聞き逃さなかった。

 気分を害してしまったか、不安にさせてしまったかと一瞬気を揉んだが、海乃は依然としてニマニマしたままだ。冬葵がほとんど掴めていない彼自身の真意を、彼女は完全に見抜いているようだ。いつもと大して変わらない顔で、好意を伝えてきた青年を見上げている。

 

「冬葵くん、ちゃんと教えて。私のこと、どう思ってるの?」

「……あー。好きだ。好きだよ、お前のこと。好きだ」

「……んふふ。ありがと」


 目を少し細めて、海乃はじろじろと冬葵を観察する。鼻先を見て、唇を見て、喉元を見て、腰を見て、もう一度顔を見た。舐め回すような視線というよりは、高校の理科の実験で解剖したカエルの臓物を観察しているようなやり方にも思えた。


「……な、何してるんだ?」

「んー? いや、気にしないで。……よし、問題なさそうだね」

 

 自分の身体に何か付いているんだろうか。冬葵は急に不安になり自分の身体を確認したが、特に何の変哲もない、中肉中背の男子大学生の肉体しかなかった。


「じゃあ、行こうか」

 

 そう言うと海乃は冬葵の腕を引っ張り、他のメンバーがいつの間にか片付けを始めているパラソルへと歩き出した。


「いや、海乃、ちょっと待てよ。告白の答えは?」

 

 自分の告白がまるでただの手続きだったかのように扱われて、冬葵は慌てて返事を要求した。


「答え? ああ、じきに分かるよ」

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