第8話

「はじめまして。待たせてしまったかな。月影の首魁、悠だよ。よろしく」


「……ああ。君が首魁か。私はてっきり、そこの女性がトップなのかと。防衛大臣の高槻だ。よろしく頼む」


 悠が差し出した手を一瞥して、しかし握ることはなく、相手は軽く頭を下げる。燐は高槻のその態度を咎めるように睨めつけたが、当の悠は気にするそぶりを全く見せない。


「今日は交渉があってきたんだ」


「待ってくれ。客人を立たせたままにするのは良くないだろう。そこのソファに腰掛けてくれ」


 悠は「ありがとう」と柔らかに笑い、示されたソファに腰を下ろす。残された四人はその後ろに、綾人、零、燐、真滅の順番で並んで立った。


「皆さんも」


 高槻は彼らにもソファを進めるが、代表するように真滅がかぶりを振る。


「私たちは悠の護衛です。どうかお気になさらず」


 彼は右手を胸に当て、執事のように礼をする。


「護衛……」


 何を思ったのか、高槻はそう呟く。


「そこの女性も、ただの護衛に過ぎないと?」


 零は燐にそっと目をやる。上手に受け答えしろってことね。燐は微かに頷いて、甘やかな笑みを高槻に向けた。


「さっきから、随分と私のことが気になっているみたいね。何かご用でも?」


「私の同僚を殺したのは、君か」


 燐は片眉を上げ、不思議そうな顔をする。そんなことを聞きたくて、自分をやたらと気にしていたのか。


「さぁ、どうかしら」


 仲間の仇でも取るつもり? 結構なことね____。燐は小馬鹿にしたような微笑みを浮かべた。


 しん、と静寂が満ちる。


「……そこの首魁は、君が守るに値する人物か」


 高槻が沈黙の後に投げかけた質問は、悠を愚弄していると捉えられてもおかしくないようなものだった。燐はあからさまに不快そうな顔をし、真滅を見遣る。真滅はため息を吐き、静かな声で行った。


「そこまでにしてもらいましょう。そろそろ交渉を開始しなければ」


 途端、それまで沈黙を貫いていた綾人が「はっ」と笑い声を上げる。


「おっと、すまねえな。燐をスカウトしようってんなら俺を通してくれよ。時間稼ぎに躍起になってる高槻サン?」


「君は……」


「俺のことなんざどうでもいいだろ。さっさと悠の話を聞け」


「……分かった」


 高槻はようやく悠に目を向ける。


「それで、交渉とは?」


「簡単なことだよ。まず、スキルホルダーへの実験を指示した奴、行った奴……それから、実験を行うことに賛同した奴。とりあえず、実験に関与した奴ら全員の身柄をこちらに引き渡せ」


 高槻は「実験」という言葉を耳にした途端、表情を険しくした。


「君たちは、どこまで知っている?」


「そうだねえ。月華とほとんど同じところまで知っていると思ってもらえればいいんじゃないかな」


「実験のことをどうやって知った」


「スキルホルダーの間じゃもう専らの噂だよ。まあ、ただの噂じゃないってことは、こちら側で調べ上げているけどね」


 高槻は難しい顔をして黙り込む。その様子を観察しながら、悠は次の言葉を口にした。


「次の交渉に移ろうか。これはまあ、一つ目よりももっと簡単なことだよ」


 悠は前のめりになり、不敵な笑みを浮かべる。


「僕たちスキルホルダーに人権を認めろ」


「え、」


「まさか」


 言葉を失い俯いた高槻に、悠は言い募る。


「あんな非人道的な扱いをしておいて、『君たちには既に人権があるだろう』とでもいうつもりかな」


 冷め切った悠の声に、高槻の額にはじっとりと脂汗が浮かぶ。


「それは……」


 上げられた高槻の顔は、恐怖に塗れていた。


「た、助けてくれ! 私たちだって、もうやめたいんだ! あんな実験、あんな、残酷な……!」


 高槻は悠に掴みかかろうと立ち上がる。それより一瞬早く反応したのは真滅だった。


「気安くこいつに触るな」


 黒手袋に覆われた手が高槻の手首を弾く。ソファの後ろから軽く身を乗り出すようにして、相手の力を使った攻撃。


「相変わらず見事なものね」


 思わず感嘆の声を上げる燐に、真滅は「それ程でもないがな」と謙遜する態度を見せた。


「で、零。これは……政府の上に、黒幕がいるって考えていいのかな」


「そうなると思うよ」


 あっさり悠の問いに答えた零は、「ちょっと失礼」と蹲る高槻の方に向かう。ジャキ、と音を立てて銃が構えられたが、零はお構い無しに足を進めた。


「ぼくの目を見て」


 蜂蜜色の瞳が妖しく光る。


「うん……それでいいよ。落ち着いてね」


 過呼吸に陥りかけていた高槻が、落ち着きを取り戻していく。


「大丈夫? 高槻さん」


「あ、あ」


 零は頷き、高槻に微笑みかける。


「それじゃあ教えてくれないかな。君たちに、実験を指示している者の正体を」


「い、言えない」


 再び、零の瞳が光を湛える。


「もう一度聞くよ。君たちに、実験を指示しているのは誰?」


 静寂の中に響いたのは、「橘琴祺」という名。


「琴祺が……あいつが、私たちに……」


 焦点の合わない瞳で、高槻はもう一度言う。


「そう。ありがとうね、高槻さん」


 零は高槻の頭を数回撫で、彼をソファに座らせた。


「この感じじゃあ、今日はもう無理そうかな。そろそろ帰ろうか」


 悠がそう言って、ソファから立ち上がろうとした瞬間。


 突如響いた一発の銃声と人が崩れ落ちる湿った音に、燐は「あら」と声をあげた。


「悠、大丈夫?」


 銃を撃ったのは、部屋に控えていた防衛大臣の護衛役。そして、倒れたのは____


「たく、俺のスキルがなきゃ、お前今頃地獄の門の前だぜ」


__同じく、防衛大臣の護衛役。


「大丈夫だよ。念のために全身に張ってた、綾人のスキルのおかげでね」


「傷のひとつもつかないなんて、便利なスキルね。衝撃も来ないの?」


 悠の顳顬に目をやりながら、燐は何の気なしにそんな質問をする。


「それがねえ、全く来ない」


「まあすごい」


 緊張感のない二人に、真滅は「おい」と声をかける。


「ああ、分かってるよ」


「そちらが武力行使に出た……。つまり、私たちもそれに応えることができる」


 くすり。悠が笑った。


 全員がそれぞれ臨戦態勢に入る。


 あるものはきつすぎるネクタイを緩め、あるものはホルスターから銃を抜き……


「ここからは戦争だ!」


 悠のその声を合図に、四人は敵に躍り掛かった。

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