第9話
燐の指が複雑に動く。構えていた銃が内側から破壊され、二人に敵対していた兵は目を剥いた。
「悠と零は綾人と先に外へ。私と真滅は一通り兵士を片付けてから向かうわ」
「二人を外に出したら戻ってくる。お前らだけじゃさすがに分が悪いだろ」
「冗談はよして。すぐに片付けるわ」
真滅が手袋を外し、「取り敢えず」と二人の会話を遮った。
「零の作戦通りに動いておけば間違いない。燐と俺は敵を殲滅ながら屋敷内に爆弾を仕掛けて回る。お前たち三人は……まあ外で見てろ」
「腹立つ言い方するなァ真滅」
文句を言いながらも、綾人は悠と零を保護して窓ガラスを破って出ていく。
「それじゃあ始めましょうか」
「ああ」
銃を失った兵たちは体術で応戦するつもりなのか、二人を前に身構える。
飛びかかってきた一人目に、真滅が触れた。
途端、相手はその場に崩れ落ちる。
「前より素早くできたか」
「触れただけで必ず勝てる……絶対に敵に回したくないわ」
「はは、そうか」
触れた相手の、脳の部位を麻痺させる能力。
今日は私の出番はないかもしれないわね、と燐は独りごちた。
「爆弾の設置と遠距離の相手を殲滅するのは任せて頂戴」
蔦が伸びて、部屋の外の兵をがんじがらめにしていく。薔薇が幾本も宙を舞う。廊下に出た燐は兵の頸を切りながら、指定された場所に爆弾を置いて行った。
最後の部屋。燐は足を止める。
声が聞こえるのだ。三人分。
「今からでも間に合う。お前が前に出てくれ!」
「嫌だけど。僕に命令するとか、何様のつもり?」
「二人とも落ち着け。犠牲者を最も少なくする方法を考えるんだ。相手を刺激せずに……」
「そんなの無理に決まっています! ここはもう琴祺に出てもらう以外は!」
「だからぁ、お前は僕に命令するなって!」
『琴祺』燐はその名前に反応し、体を強張らせた。黒幕の名。
銃弾の数を確認する。残りは三発。ナイフの方が確実か。
「お三方、失礼するわね。さっそくだけど、死んでもらえないかしら」
「おや、君……」
最初に口を開いたのは、ソファに座っている男。歳の頃は、燐より数歳年上か。
「どうして!」
ソファの近くに立っていた高槻が叫ぶ。こんなところに逃げてきていたのか、と燐は意外に思った。
「君は……ビデオメッセージの。良かった。話をしたいと思っていたんだ」
続いてそう言った、窓を背にして椅子に腰掛けていた男に燐は微笑みかける。
「あなた、総理大臣ね」
テレビで見たことがあるわ。燐は腕時計に目をやり、「少しだけなら」と彼に向き直る。
「ありがとう。君らが求めているのは実験に拘った人間の身柄の引き渡し。それと自分たちに人権を認めることだったね」
「ええ」
「悪いが、一つ目の条件は飲めない。二つ目は……君たちが協力してくれるのなら、可能だ」
「へえ。まあ、そのお話は後で悠と零にして頂戴。出来るものならね」
燐がナイフを突きつける。側で見ていた高槻から「ひぃ」と情けない悲鳴が上がった。
「ねえ君」
そこで、ソファに座っていた男が再び声を上げる。
「僕のこと、知ってる?」
「……いいえ」
「そう」
その声と同時に、高槻の胸から刃物が突き出る。後ろから、男が刺したのだ。
「ありがとうね、君。助かったよ」
燐はナイフを引き、後ずさる。
その目は油断なく男を見つめていた。
「……あんたが琴祺ね。橘琴祺」
消去法で、おそらく間違いない。
「なぁんだ、知ってるんじゃないの」
「顔を見たのは初めてだもの。知っていたわけじゃないわ。_____初めまして」
強がってはいるものの、燐の額には汗が浮かんでいる。
高槻を刺した時。全く殺気が感じられなかったのだ。立ち上がるのと同時に、まるで呼吸でもするように人を殺した。
小型インカムに向かって全員に呼びかける。
「最後の部屋。誰かヘルプに入って」
それとほぼ同時に、窓ガラスが割れる。
「綾人。登場が派手よ」
「あ? いいだろそんなん。……で? こいつが琴祺か?」
「よく分かったわね。野生の勘?」
そんな会話をしながらも、燐と綾人の視線は琴祺から外れていない。
「で、どうする」と綾人が囁いた。
「……そうね、」
少々の沈黙の後、燐が口を開く。その瞬間だった。燐が突然、左に跳ぶ。
切れた右頬から血が滴った。
琴祺の手に銃は握られていない。彼の手は、高槻の血で赤く染まっているのみだ。
それを見た途端、燐の瞳孔が開く。
「お前」
燐の声が震える。
「そのスキル、どこで、どうやって手に入れた」
触れた血液を操るスキル。燐はそのスキルの持ち主を知っていた。
「そのスキルは……私の兄のものでしょう!」
衝動のまま、燐は琴祺に躍りかかろうとする。にやり。琴祺が笑った。
燐が握ったナイフが、琴祺の頸動脈に届く直前。
「燐!」
突然綾人が燐の胴に左腕を回す。もう片方の手に握られているのは、総理大臣の腕だ。
綾人はそのまま割れた窓から身を投げる。
受け身を取ることもできず立方体の内部にぶつかった燐は、苦しげに呻いた。
上から降ってくる血弾に、燐は「蜂の巣にされるところだったわね」と誰に聞かせるでもなく呟く。
「綾人、そっちの人は無事?」
「ん? ああ。気ぃ失ってるが、まあ無事だろ」
「……内閣総理大臣よ。人質にしましょう」
「分かった」
嫌に冷静な燐に、綾人は問う。
「なあ燐、あいつのスキル……」
「私の兄のものよ。間違いないわ」
強く握りすぎた燐の手は、震えている。
「あいつ、一体どうやって……」
綾人のスキルが解かれ、二人は地面に降り立った。未だ目を覚さない大臣は、少し小ぶりな立方体の中に入れられている。
「二人とも、無事か」
「真滅。部屋の兵と私が猟り損ねた兵は……」
「大方片付けた。で、あそこにいるのは?」
真滅の視線の先には琴祺が立っている。足元には多量の血。大方、それに乗って降りてきたのだろう。
「橘琴祺よ。触れた血液を操るスキルを持っているわ」
「……なるほどな」
琴祺は少しずつこちらに近づいてくる。
「ねえねえ!」
そう呼びかけられて、三人はそれぞれに戦闘態勢をとった。
「あは、そんなに警戒しないでよ。みんなには感謝してるんだ。僕の手伝いをしてくれてどうもありがとう」
「……そんなつもりは、全くないけれど」
燐の声は硬い。
「何言ってるの? こんなに国家転覆をしやすくしてくれたじゃない」
「まさか、」
真滅が呟く。
「ふふ。この国を牛耳る最後の一手を、まさか君らが果たしてくれるなんて!」
「綾人!」
立方体の中から、それまで沈黙していた悠が叫んだ。
綾人がその声に反応し、全員を立方体で覆う。
大鎌のように襲いかかった血は、綾人のスキルに阻まれて届かない。
「危ない……僕じゃなかったら見えなかったよ。嫌なスキルだね」
「本当にね。綾人、このまま撤退だ」
そう言ったのは零だ。燐は「何を言っているの!」と声を荒らげる。
「あいつ、この国を自分のものにするつもりなのよ!? ここから退いたら……!」
「それでいいんだよ、燐。今この場であいつを殺してぼくたちがこの国を乗っ取るのは、得策じゃない」
「なんで!」
「説明は後でする。今は撤退して、綾人」
綾人は返事をせず、きっと琴祺を睨め付けている。
「そりゃあできねえ相談だな。ちゃんと理由を言え。ここまでやって、『強い奴が出てきたから逃げます』ってのは、なァ?」
「……正義の味方になるチャンスを逃すのはどうかなってことだよ」
零のその言葉に、綾人は「は?」と疑問を露わにする。「なるほどね」と呟いたのは燐の方だった。
「いいわ、撤退しましょう」
「おい燐、」
「綾人、撤退だ。これは戦略の一部だよ」
悠の指示が飛ぶ。
「……分かった」
全員を覆った立方体は、空高く舞い上がった。
殺人薔薇よ、月下に舞え かながわドミノ @KaNaGaWa_DoMiNo
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