第30話 誰がためにサイレンは鳴る 4

「ニシオカさん、大丈夫ですか? 銀行まであと少しですから」


 大分傾いてきたが厳しい日差しが照り返す路上で、ユリウスは傍らでゆっくりと高齢者用のシルバーカーを押すニシオカを見やった。足腰も弱っているのだろう。かなり遅い速度でシルバーカーを押す姿はかなり危なっかしく、ハラハラするものだった。

 通帳に記帳されてない以上、犯人はキャッシュカードを使って現金を下ろしたのだろう。だがそれを調べるためには、ニシオカ本人がいなければ通帳に記帳は出来ないし、口座凍結も現金が引き出されてしまえば意味もなさない。特殊詐欺は初動捜査の迅速さが重要だった。


「ごめんなさいねぇ」


 ニシオカは白髪頭をちょこんと下げる。ユリウスは慌てて「おばあちゃんのせいじゃないよ」と言った。


「アンタはいつも来てくれてねぇ。ホント、ありがとうねぇ。目がダメになってから、とんと外にも出られなかったからねぇ」


 部屋の中には新聞が大量にあった。恐らく、ニシオカの視力は後天的に悪化したのだろう。しかし、ユリウスは別の事が気になっていた。


「おばあちゃん……お金とか誰かに渡した?」


 ニシオカはキョトンとして斜め上を見上げてから、歯のない口を開けて笑った。


「アンタにこの前あげたよ。しょうがないねぇ。困ってたら、お互い様だよ。アタシは、もう永くないからいいんだよ」


 どうやらユリウスを誰かと間違えているようだが、それよりもニシオカの言葉に衝撃を受けていた。


「この前って? いつ? 誰が来たの?」

「アンタが来たんじゃないか。可笑しいねぇ」


 その間違えている【誰か】が、犯人に違いない。ユリウスは直ぐに本署へ電話をかけた。


 ―――――――


「……コインロッカーかねぇ」


 解剖から帰署した土井頭は、死亡したゴブリン族の男性の中から見つかった遺留品をデスク上の大量の決裁箱を前に唸っていた黒柳刑事課長に差し出した。

 彼は額に掛けていた老眼用のメガネをずり降ろして眉をひそめた。


「恐らく。型からして、そう新しいもんじゃないでしょうな」


 黄色い楕円形のプレートには【310】と書かれたテープが張られており、鍵自体もそう大きなものではない。

 土井頭が解剖の結果と監察医の見解を黒柳に説明すると、黒柳の眉間の皴がより一層深くなった。


「だよなぁ。腹からこんなもん出ちまったんじゃあなぁ。取り敢えず、交通と副署長と協議して捜査方針決めねぇとなあ……はぁ~」

「お疲れでのようで」

「見てよこれ! 今日の決裁だけで10箱もあるんだよ! 他もやる事山積み! まだ飯も食ってねぇのに……」


 決裁書類の入った箱は、まだ数箱しか処理されていないようだ。時計を見たら既に3時を回っていた。そう言えば、自分も黒柳も夜勤明けなのを思い出した。今日はまだまだ帰れそうにないだろう。

 昨夜の制服姿のまま着替えられずにいる黒柳が流石に気の毒になり、土井頭は鍵の入った袋を手に取った。


「課長、鑑識で鍵の特定しますんで。ウチの管内、コインロッカーなんてそうそうないでしょうから」

「そうね。あんがと。悪いねえ」

「課長の忙しさに比べたら何てことねぇですがね」

「くそ~。絶対終わったらゴルフ行くんだ……」


 悔しそうに黒柳が新しい決裁箱の蓋を開けた時、卓上の電話が鳴った。ディスプレイには【副署長】とあった。

 心底嫌そうな顔で、黒柳が受話器を取った。


「……黒柳です……え、いやいや。忙しくないですよ。ええそれで……は?」


 受話器を持った黒柳が、土井頭を見た。こういう時はたいてい良くないことが起こるのだと経験上分かっていた。


「振り込めの予兆?……じゃない。は?」

「こりゃあ、今日も泊りだな」


 土井頭は豊かな髭を撫でながら、諦めたようにため息を吐いた。


 ―――――――


 銀行で記帳した時には、既にニシオカは何も喋らなくなっていた。ニコニコと笑みを浮かべるだけで、こちらの問いかけには一切答えようとしなかった。


「ニシオカさん、誰とここに来たか、覚えてますか?」


 新しく記載された通帳にはカードで引き出された旨と、金額。引き出された金額は8桁に近かった。

 あまりにも異様な雰囲気に、戸惑いながら声をかけて来た支店長に事情を話すと、彼は蒼い顔をして店内にすっ飛んでいった。


「困ったなぁ……」


 あまり長い間此処にいるわけにもいかない。他の客の好奇の眼が痛かった。

 ユリウスは受付に眼を向け、従業員の女性に声をかけた。


「あの、すみません。この方、この日に誰と来たか覚えてますか?」


 通帳の日付を差しながら、若い女性行員に問いかけると、彼女は少し考えてから頷いた。


「確か、ATMでのご利用でした。小学生か、中学生くらいの子供さんと一緒に……」

「声はかけましたか?」


 すると、隣の窓口にいた年嵩の女性行員が思い出したように言った。


「そちらの方が『自分の孫だから大丈夫だ』って。ずっとそう言うから、てっきり……」


 意気消沈する女性行員に慌ててフォローしようとすると、入り口の自動ドアから見慣れた人影が入ってくるのが見えた。


「どうも、境島署の刑事課です。……って、おう。ユリウスか」

「あ、土井頭係長」


 ずんぐりとした逞しい体躯に青い作業着と帽子姿のドワーフ族の鑑識係長は、片手を上げて挨拶をした。


「証拠品持ち出したとか聞いて何があったかと思ったじゃねぇか」


 咎めるような口調に、ユリウスは身体を縮こませながら、頭を下げた。


「すみません。被害者の方の認知症が進んでまして、なかなか話してくれなくて……」

「成程な。だが、次からは前もって刑事に聞け。銀行に口座の調査依頼もできんだから。……監視カメラの確認は?」

「あ、まだです」

「じゃあ、やるぞ」


 ぶっきらぼうだが、優しさのある言葉にユリウスは気持ちを切り替えて「はい!」と答えた。




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