第27話 誰がためにサイレンは鳴る 1

「じゃあ、気をつけて帰ってくださいね」


 ユリウスは正午も過ぎたコンビニエンスストアの駐車場から、ぺこぺこと何度もお辞儀をしながら遠ざかる小柄な人影を見送っていた。

 その人影は、お世辞にも綺麗とは言えないよれよれのTシャツに、ハーフパンツ。そして、緑と灰色が混じったオリーブ色の肌に、ごつごつしたジャガイモのような頭、幾つも小さく突き出た角が、その人物を特徴づけている。細長い手に持つパンパンになったビニール袋に、汚れたサンダル、背を丸めてとぼとぼと陽炎の立つ真夏の国道を歩く姿は、何とも言えない哀愁を漂わせている。


 彼等は、真夏のコンビニエンスストアの駐車場で蹲っている人がいるとの現場に駆け付けていた。その人物はゴブリンであるという事と、救急車をひたすら拒否していると困惑した店員からの申報だった。

 彼は住所不定で、唯一の身分証である免許証は失効しており、他管内へ徒歩で移動していた。照会記録によれば、彼は15年前に既に帰化しており、日本での居住権が認められ職に就いていたが、5年前に業績の悪化から解雇を言い渡されて以来ずっとホームレスのままだという。

 症状は軽い熱中症であったが、救急車を拒否したのは所持金が無いという事と、医療費を払えないので迷惑をかけてしまうと恐れていたとの事であった。

 ユリウスが自腹で水とスポーツ飲料を購入し、彼に手渡してやった。彼は顔をくしゃくしゃにして感謝と謝罪をしきりに述べていたのが、何とも言えない気持ちになった。


「今日はどこに帰るのかねぇ」


 隣で何とも気の毒そうに、ワーウルフ族の犬飼巡査部長が溜息をついた。


「ちゃんと屋根がある場所で寝れると良いんですけど……」


 ユリウスはじりじりと鉄板のように熱くなったアスファルトから立ち上る陽炎の中で遠ざかってゆく背中を見ながら、心配そうに呟いた。


 ――――


「土井ちゃーん。今日は布団俺がやるって言ったじゃん。あと、悪いけど、ちょっと現場いい?」


 電話も少なく、静かな夜だった。刑事課鑑識係長であり、ドワーフ族の土井頭警部補が仮眠室に布団を敷き終えた丁度その時、当直長である黒柳刑事課長に声をかけられた。


「当直長に布団敷きなんかさせらんないでしょうが。いいですよ。どこ?」


 独特な太い嗄れ声で、土井頭が問うた。土井頭はドワーフ族特有の短躯であるが、捲り上げられた袖から見える、みっしりと付いた鋼のような筋肉は、背の低さなど微塵も感じさせない迫力がある。


「飯尾(イイオ)地内の国道○○の交差点。信号無し。轢き逃げだって」

「轢き逃げ?……交通は?」


 土井頭がふさふさとした口元の髭を撫でながら言った。


「白(シロ)ちゃんがもう行ってる。聞いたらゴブリン族の男性だって」


 白(シロ)ちゃんとは今日の当直員で、交通課事故捜査係の白川警部補であった。


「成程。白川班長が呼ぶんじゃ相当ですな。行ってきますわ」

「じゃ、頼むね。雨降ってきたみたいだから気をつけて」


 土井頭は蒼い作業着に同色の帽子を被り、銀色のジュラルミンケース、通称鑑識バッグを手に現場へ向かった。



 現場に着いた頃には、既に土砂降りと言っても良いほどであった。滝のような水がフロントガラスをとめどなく流れ落ちて、ワイパーがそれを拭いとる。

 交通整理など必要なさそうな、街灯がぽつぽつと等間隔に立つほぼ一本道の国道に、それに交わる県道の交差点。だが周りに人家も店もない。山と、田んぼだけだ。チカチカと青信号が黄色に変わり、赤に変わるのがアスファルトに溜まった水溜まりに映った。


「面倒だな」


 土井頭は丁度良い場所に車を停め、エンジンを切りながら顔を顰めた。雨は証拠を洗い流す。鑑識課員は雨でも雪でも地面を這いつくばってたった数ミリの証拠をかき集めなければならない。

 助手席に放った鑑識バッグを手に車を降りる。青い作業着の上に羽織った防水性のウィンドブレーカーが役に立たないほどの雨粒だ。


「おおい」


 10メートル程先には交通課の事故処理車と、黄色い外套を着た交通課員が懐中電灯を振っているのを見て、土井頭は小走りにそちらへ向かった。


「遅れて悪いね。白川班長」

「いいよ。こっちこそ悪ぃね」


 ヘルメットを被った白川が訛りの強い口調で言いながら手を振った。ドワーフ族である土井頭の方が年上だが、警察でのキャリアは白川の方が上であった。白川は交通経験30年以上、交通事故捜査のエキスパートで、幾度も表彰を受けている。酒好きで、土井頭とは気の合う飲み友達でもあった。


「マルガイは?」


 土井頭が聞くと、白川が首を振った。


「ダメ。即死だこれ。救急も帰っちまった」


 救急車は、遺体を乗せることが出来ない。現場で明らかに遺体だと分かれば、それは警察で搬送するしかないのだ。白川の視線の方に眼を向ける。鼠色のシートが道路に歪な形になって横たわっていた。

 二人は鼠色のシートへ向かって並んで歩く。雨は大粒に強くなってきていた。


「で、土井ちゃんにちょっと見て欲しいんだわ」


 雨音にかき消されまいと、白川が大声で言いながらシートを半分捲った。


「こりゃあ……」


 オリーブ色の肌の、いびつに歪んだ身体。ありえない方向に左腕と右脚が折れて、骨が露出している。頭部は顔も分からないくらいに滅茶苦茶であった。一目で即死であったろうことは見て取れた。


「おかしいんだ。これ」

「何がよ」


 白川が首をひねり、ライトでアスファルトを照らした。


「タイヤ痕がここにあんべ?」


 水で光ってよく見えないが、うっすらと黒いタイヤ痕が見て取れた。


「普通はよ。轢き逃げにしろ何にしろ、何かにぶつかったらタイヤ痕は乱れんだ。だけどこれは真っ直ぐだろ?で、また変なのはよ」


 白川がちょいちょいと手招きして、20メートルほど歩き出す。


「ここで急反転してんだ。な?同じタイヤに見えんだろ?」


 土井頭もマグライトでそれを照らす。幅や模様から明らかに先程のタイヤ痕と同じに見えた。


「でも、それが何の関係が?」

「それで、もう一回遺体(おろく)見てみろ?」


 もう一度遺体の方へ戻る。今度はもっと大きくシートをめくった。


「これだよ」


 壊れたマリオネットになったような腕の先、傷だらけの掌は固く閉じられているが、その拳の隙間から何かが覗いていた。

 バッグからピンセットを取り、それを採取する。


「こいつが持っていた何かを持ち去りやがったのか」


 黒い布の破片を見つめながら、土井頭が呟いた。

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