六十七夜 〝月に捕らわれし者〟も〝月を喰らいし者〟も〝人〟も関係ない

「ちょっと! もうっ」


 紅葉くれはが慌てて二人を追いかける。

 紫雲しうんが近づく虎児とらじを狙って炎を放った。


「バカ猫、どいて!」


 紅葉の言葉に虎児が横に飛ぶ。すぐうしろを走っていた紅葉が、迫り来る炎の塊を斧槍ハルバートで一閃した。炎の塊が綺麗に二つに割れて消える。

 その隙にあおいが紫雲へと近づいた。一旦身を沈め、そこから伸びるように蒼黒の炎を纏った左足を蹴り上げる。それに気づいた紫雲が咄嗟に右手を差し出した。

 蒼黒の炎と紅蓮の炎がぶつかった。葵の足は紫雲の右手に止められる。同時に、紫雲の前腕を覆っていた炎が消えた。


「ナニ?」


 炎に覆われた紫雲の顔のあたりから驚いた声が漏れた。

 葵は蹴り上げた足を素早く降ろすと、炎の消えた紫雲の前腕を右手で掴んだ。そのまま紫雲が右側面を晒すように、自身のたいを入れ替えながら下に引き落とす。

 虚を突かれた紫雲は、腕を引かれることで頭を下げる。葵はその頭めがけて、蒼黒の炎を纏った左掌底を叩き込んだ。

 葵の掌底を受けて紫雲が揺らぐ。顔を覆う炎が消えた。


 口元を除く右半分に酷い火傷の跡を残した顔が現れる。ほぼ潰れた右目の中にある月長石ムーンストーンが光っていた。無事な方の目に宿るのは赤い色をした狂気の光。裂けんばかりに薄く開かれた口元に浮かぶのは酷薄な笑みか。


「ムゥ! 坊主メ!」


 紫雲が葵を睨んだ。だが見ているのは葵ではない。大事な者たちを奪った過去の幻影だ。

 葵は手を離し、紫雲から素早く距離をとる。

 入れ替わるように虎児が現れる。炎が消えた顔面に向かって正拳を放った。

 紫雲は顔を横にずらし、それを紙一重で躱す。そして炎を纏った左手を虎児の体の前に突き出した。


「!」


 手から炎が溢れ、虎児を飲み込もうとする。虎児は咄嗟に飛び退いた。しかしそれを追うように炎が伸びてくる。虎児は体を丸め、腕を交差させて前面を防御した。炎が体を覆う体毛を焦がし、一部は肌をも焦がす。

 紫雲の顔と右手が、再び炎に覆われる。


「回復が早いな」


 虎児が紫雲を睨みながら言う。


「バカ猫。なにあの。炎を炎で消したわよ」


 紅葉が虎児の横に来た。そして槍斧ハルバートを紫雲に向けて構えたまま言う。


「企業秘密や。まぁ、規格外なんは確かやな」

「もしかして、バカ猫より強いんじゃない?」

「…………そないなことあるかい」

「ちょっと考えたでしょ?」

「ち、ちゃうわ。あいつはワイの後輩や。後輩より先輩の方が強いんに決まっとる。それよりも紫雲あいつや。葵に炎を消してもろうても、トロトロしとったらすぐに復活させよる」

「そりゃこの月明かりだもの。あんたと違って今夜は思う存分、月の力が使える。どうするの?」


 虎児と紅葉は、視線を紫雲から外さない。紫雲の向こう、対角線上に葵の姿があった。

 葵が動く。飛んできた炎の塊を、蒼黒の炎で打ち消す。紫雲へと近づき、左回転で飛び上がる。蒼黒の炎を纏った左足を伸ばし空中で後回し蹴り。着地と同時に裏拳のような形で蒼黒の炎を纏った左拳ひだりこぶしを放つ。

 紫雲はその連撃を退いて避ける。葵の動きが止まった。そこを紫雲の炎が襲う。

 葵は蒼黒の炎で打ち消しつつ、跳んで距離をとった。


「単調なんがバレとるな」


 葵と紫雲の攻防を見て、虎児が言う。


「そう言えばあの、なんで左側でしか攻撃しないの?」

「黒いんは左でしか出せへん。右は白い炎や。せやけど白い炎やと打ち消されへんねや。葵がダメージを受ける。

 あいつは葵が左しか使こうとらんことに気づいたんやろな。気づけば単調な分、避けるのは簡単や」

「ふーん。で、どうするの?」

「お前ら満月やったら、多少は無茶できるんやな?」

「内容によるけど、まぁ……多少はね」

「せやったらこないなことできるか?」


 虎児が紅葉に耳打ちする。紅葉はそれを聞いて顔をしかめた。


「できるけど……当てる自信はないわよ?」

「当たることは期待しとらん。思いっきりばらまいてくれたら、それでええ」

「期待されてないのも癪だけど、いいわ。思いっきり上に飛ばして」


 紅葉の言葉に応えるように、虎児は手のひらを上にして体の前で両手を重ねる。

 紅葉が虎児の手に片足を乗せた。槍斧ハルバートを月白の光に戻し、自らの左手に留める。


「いくで、紅葉! 葵、一旦退け!」


 虎児が力の限り重ねた両手を跳ね上げる。紅葉は虎児の力に自分の脚力を足すようにして跳んだ。

 紅葉の体が空高く舞い上がる。満月の月を背景に彼女の体が浮かび上がった。

 紅葉は空中で右手を頭上に上げて、月の光を集める。無数の小さな光の球が紅葉の頭上に現れた。月白の輝きが満月の月明かりを越えて辺りを照らす。


「これもおまけよ!」


 左手も頭上に上げて、留めておいた光を月光の集団に加える。

 放物線の頂点へ辿り着くと、紅葉は振り上げた両手を、地上の紫雲へと向かって振り下ろした。

 月光を集めた無数の球体が地上へと降り注ぐ。光の球体は線となり、その姿を変えていく。いつしか夜空からは、無数の光の剣が迫って来た。


 それを見て紫雲が炎を帯状に放つ。炎は光の剣を打ち落とすが、その数は僅か。光の剣は紫雲を中心にして地面に降り注いだ。

 衝撃が空気を震わせる。それが収まった後には無数の光の剣が地面に刺さっていた。

 紫雲はその中に立っている。体の一部を降ってきた剣に裂かれたようだが、致命傷は負っていない。紫雲の体は相変わらず炎に覆われていた。


 紫雲から大幅に距離をとった葵と、虎児の視線が交差する。刹那、ほぼ同時に二人は紫雲に向かって駆けだした。

 虎児が途中、地面に刺さった剣を一本引き抜いた。流れるような動作で紫雲に向かって投擲する。紫雲はそれを横に動いて躱す。

 剣は紫雲をすり抜け、迫っていた葵に向かった。葵は体を捻って剣を避ける。剣とすれ違う瞬間、右手で剣の柄を掴んだ。


 葵はそのまま紫雲に走り寄る。紫雲の前で右脚を軸に左回転。蒼黒の炎を纏った左足で後ろ回し蹴りを放つ。紫雲はそれを避けようとする。だが、葵の左足が紫雲に向かって伸びることはなかった。

 葵の足先は紫雲に向かうことなく、地面へと落ちる。そして左半身ひだりはんみになった状態から上半身じょうはんしんを回転させ、右手に握られた剣を突き出した。剣は紫雲の胴体を掠める。炎を越えて体を切り裂いた感触が葵の手に伝わった。


「これでしまいや!」


 紫雲の背後から虎児が迫る。上から打ち降ろすように右拳みぎこぶしを放った。咄嗟に振り向き、紫雲は両腕を交差させてそれを防御する。

 虎児の拳が炎に包まれた両腕にぶつかり、拳の表面を焦がす。重い衝撃に紫雲が思わず膝をついた。そこへすかさず虎児が左膝を突き上げる。膝は炎に包まれた紫雲の顎を捕らえ、彼の体を宙に浮かせた。


 地面に刺さった光の剣の一つを踏んで、葵が跳んだ。空中で一回転して蒼黒の炎を纏った左足を、踵側から紫雲の顔に叩き込む。

 その瞬間、ネガポジを反転したような閃光が辺りを覆った。紫雲の右目に嵌められた月長石ムーンストーンに亀裂が入り、砕ける。

 閃光が収まったあと、紫雲が仰向けに倒れていた。体を纏っていた炎は消え、生身の紫雲が横たわっている。

 その回りは、葵と虎児、そして紅葉が立っていた。


「コろせ」紫雲が左目を閉じて言う。「娘ヤ妻のヨウニ、コの命を奪ッテみせろ!」

「せやな」


 虎児が拳を振り上げる。そして紫雲の顔面へと振り下ろした。衝撃で地面から粉塵が上がる。


「……ナぜダ」


 だが、虎児の拳は紫雲の顔面ではなく、横の地面に打ち降ろされていた。

 紫雲が目を開けて虎児を睨む。虎児は拳を地面に打ち降ろしたまま、紫雲へと顔を近づけた。

 威嚇するときのように牙をむいた虎の顔が紫雲の目の前に迫る。


「教祖のオッサンにおんどれの命だけは獲らんとってくれって頼まれたんや」

深山しんざん……サまガ」

「ワイはおんどれを許したわけやない。せやから一度きりや。また〝人〟に手ぇを出しよったら、そんときは問答無用で〝狩る〟」

「……後悔スるゾ。私モオマエたちを許スことハなイ」

「別に許す必要なんぞないわ。家族を殺されれば誰かて悔しい。相手をにくぅ思うんは当たり前や。それは〝月に捕らわれし者ルナティック〟も〝月を喰らいし者エクリプス〟も〝人〟も関係ない。ただ――」


 そこで虎児は体を起こし、紫雲から離れる、


「一つだけ教えといたる。おんどれの仇やいうた風眼坊ふうがんぼうな、あいつはワイが倒した」

「な……ニ?」


 紫雲の左目が大きく開かれ、虎児を凝視する。


「あのクソ坊主は任務の途中で自ら暴走しよった。そこの女狐を殺そうとしたときに、その場におった〝人〟を巻き込もうとしたんや。せやからワイが倒した」

「風眼坊って八年前の?」紅葉が言った。「あれ、あんた一人で倒したわけじゃないでしょ」

「とどめを刺したんはワイやろ」


 虎児と紅葉の会話を聞いて、紫雲が呆然とした表情を浮かべる。


「おんどれの気ィがこれで晴れるとは思わへんけどな。一応、教えといたるわ」

「ああ……華蓮かれん美代子みよこ。私は……」


 紫雲の左目から涙がこぼれ落ちた。

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