五十九夜 その姿は巫女のように

 あおいは一人、門の外に立っていた。夜だというのに門は開かれ、地面に設置された陶器製の行灯あんどんが辺りを照らしていた。

 百合ゆりと話し合ってから三日後の夜。夜空には十三夜の月が浮かんでいる。葵たちは虎児とらじかつらの二人を会わせる日を、今夜と定めた。


 昨日から、深山しんざんの行う〝月の癒し〟を求めて外部から人がやってきている。教団施設内に部外者の姿があっても誤魔化せるということで〝月の癒し〟を行う期間を狙ったのだ。

 暗闇の中から、辺りを伺うようにして虎児が現れる。


「迷惑かけてすまんな、葵」


 虎児が申し訳なさそうに言う。


「まったくです。先輩には後でしっかり働いてもらいますから」


 葵はそれだけ言うと、敷地内に人の姿が見えないのを確認して中へと入った。虎児は黙ってその後ろをついていく。


「映像で見て知っとったつもりやけど、ホンマ広いねんな。向こうにあんのは蔵か?」


 十三夜の月明かりと敷地内の庭園灯のおかげで、薄暗い中にも建物の形が分かる程度には見える。二人は大きな庭木がいくつも植えられた場所へとやって来た。ちょっとした林になっており、ここなら多少なりとも人目をしのげる。

 葵と虎児の目指す先に、人影があった。立っていたのは百合と桂だった。


佳乃よしの……」


 桂の姿を見て、虎児が呟く。


たちばなさんに……その方は?」


 虎児の呟きに反応することなく、桂が葵に問うた。


「あなたに会って欲しい人よ。昔のあなたを知ってる人」


 横に立つ百合が答える。桂は驚いた表情を浮かべた。


「わたしが誰か、知っているのですか?」


 桂は虎児の方を向いて言う。虎児を見る表情は、見知らぬ誰かを見ている者のそれだ。

 視線を受けて一瞬、虎児の顔に辛そうな表情がよぎった。だがすぐに人懐っこい笑顔へと変わる。


「ああ。お前の名前は桂やない。染井そめい佳乃よしのや。そしてワイはお前の……幼なじみや」

「染井……佳乃」


 桂は自分に言い聞かせるように呟いた。

 そんな二人の様子を見ていた葵が、背を向けその場を去ろうとする。


「……葵?」


 虎児の呼びかけに葵は足を止めた。そして振り返ることなく言葉を返す。


「それほど時間はありません。引き際はちゃんと考えてください。あと、何かあったら宗弥そうや先輩をとおして連絡をください」


 そのまま葵は歩いていく。


「私もお邪魔のようね。大丈夫そう?」百合が桂に訊く。

「……はい。何かあってもこの月明かりなら」

「そう」


 桂の返事を聞いて、百合は葵の後を追った。

 葵は自分を追いかけ来る気配に足を止めることなく歩いていく。


「そばにいなくていいの?」


 百合が小走りで追いついてくる。二人は並んで歩き続けた。


「ああ見えて、先輩は女性を襲ったりはしません」

「そういうことを訊いてるんじゃないわ」


 穏やかに、優しい表情で百合は言う。葵は足を止めて百合を見る。そしてすぐに目をそらして俯いた。


「……邪魔を……したくないですから」


 何かを抑え込むように葵が言った。そんな彼女の姿を見て、百合が急に無表情になる。

 百合は確かに葵を見つめていた。しかしその目はどこか遠くを見つめているようだった。そしてその瞳は凪いだ湖面のように静寂で澄んでいた。


「?」 


 急に静かになった百合のことを不思議に思い、葵が顔を上げる。

 百合の瞳には葵が映っていた。それはまるで葵のすべてを映されているような。すべてを見透かされているような。そんな感覚を彼女にもたらす。

 葵の体に緊張が走った。これは虎児に会うために神社に行く前、百合と話していた時と同じだ。


「〝時読み〟」


 葵が呟いたと同時に、百合の顔に表情が戻ってきた。


「ごめんなさい。目の前に強い感情の揺らぎがあると勝手に反応してしまうことがあるの」


 百合が申し訳なさそうに言った。


「何かのですね?」

「……ええ」


 ためらいがちに百合は肯定する。

 ――他人の強い感情の揺れに反応して、その人の未来が視える。

 葵は百合の言った言葉を思い出す。百合のもつ〝月の贈り物ギフト〟のことを思い出す。

 ――強く望んだり、考えたことの未来が。

 ならば百合はいま何を視たのだろうか。葵の感情の揺れをつうじて、自分のどんな未来を視たのだろうか。


 訊きたい。葵は口を開きかけて、閉じた。そしてまた開こうとして、唇をかみしめるように閉じる。

 葵は訊くのが怖かった。自分の知りたいことが何なのか。百合の視た未来がなんなのか。それに心当たりがあったから。

 そんな葵の様子を見て、百合はため息を一つついた。


「勝手に視ておいて言うべきかどうか悩んだのだけど……」そこで一度、百合は言葉を止める。「さいごに一緒にいるのは間違いなくあなたよ、葵」


 そう言った百合の姿は、神託を告げる巫女のようだった。

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