三十九夜 先輩と後輩とあたし

 寒空の中、あおいはひとり墓の前に立っていた。よく整備された霊園の一角。葵を引き取った叔父夫婦所有の墓地の中に、 彼女の両親の墓は建てられていた。

 小さな墓だが、叔父たちが気を遣って建ててくれた墓だ。こまめに掃除されているらしく墓石は綺麗だった。


 葵はブラウンのコーデュロイパンツに、上はフロントに大きなポケットの付いたホワイトブルゾンといった出で立ちだ。

 今はボブまで伸ばした髪が、冬の風で微かに揺れる。

 両親のお墓を見つめるその表情は穏やかだった。


「あたしね、月夜が怖くなくなったよ」


 両親を失ってから四年。そして虎児とらじとの出会いから五ヶ月。冬休みを利用しての墓参りは、舞ノ浦町へ引っ越す前に来て以来だった。

 かずらを退け、両親の魂が解放された夜から、葵は月夜が怖くなくなっていた。


「今日はね、二人に報告に来ました。あたし、決めたよ――」


 両親へと告げた言葉は、風のなかへと紛れた。


        ☆


 メイン通りを少し外れた路地に立つ雑居ビル。その三階にある鉄製のドアの前に、虎児は立っていた。

 虎児は革ジャンにTシャツにジーンズといったラフな格好をしている。


 扉には『筑紫つくし総合探偵社』と書かれている。虎児は扉を開けると、そのまま中へ入っていった。

 部屋は五メートル四方の正方形だろうか。通りに面した壁には大きな窓があり、開け放たれている。部屋はパーティションで区切られた区画がいくつかあった。すぐ目に付くのは、事務机が並ぶ区画と、応接セットの置かれた区画だ。他の部屋へと続く扉もいくつか見える。


「あ、虎児さん。社長、お待ちですよ」


 扉が開く音が聞こえたのか、パーティションの奥からスーツ姿の女性が一人出てきた。黒髪をアップに纏め、メガネをかけている。理知的な顔立ちをした女性だ。


「あれ、静流しずるさんだけなんか?」


 虎児は静流が出てきたパーティションの奥を見る。事務机がいくつも並んでいるが、誰も座っていない。


「ええ。そろそろ緊急事態宣言がでるかもってことで、みなさん色々と準備を」

「なんやけったいな世の中になったな。社長、入るで」


 虎児は奥の扉を開けて中に入った。


「ああ、虎児君。わざわざすまないね」


 部屋の壁はスチール製の本棚で埋まっていた。本棚には色とりどりのファイルが並んでいる。

 大きな窓を背景に、事務机に座った中年男性が虎児を見る。


 男は仕立てのいい濃いグレーのスーツを着て、ブルーのシャツにワインレッドのネクタイをしていた。

 七三分けのオールバックにした髪には少し白いものが混ざっている。彫りの深い顔だちだが、目は下がり気味の細目。そのせいか柔らかな印象を与えてくる。年齢は五十前後だろうか。

 筑紫総合探偵社の社長をしている筑紫つくし俊次郎しゅんじろうだ。


「キツネ目のタヌキ……いや、垂れさがっとるからタヌキ目のキツネ」

「何か言いいましたか?」


 思わず呟いた虎児の言葉を、俊次郎が聞きとがめる。


「なんでもありまへん。それより社長、今日はなんですの?」

「なにかと動きにくい世の中になりましたよね」

「……はぁ」


 確かにいまは新型感染症の流行を受け、世の中は外出自粛の方向へと替わりつつあった。だが虎児は俊次郎の言葉の意味を計りかね、間の抜けた返答をする。


「〝月を喰らいし者エクリプス〟としても動きが取りづらくなってね」


 そう言って、俊次郎はため息をつく。

 〝月を喰らいし者エクリプス〟はいくつかの部門を要する組織だ。筑紫総合探偵社は主に〝月に捕らわれし者ルナティック〟関連の調査を行う、調査部門の一つだった。そういった部署は全国にいくつかあり、表向きは探偵社や興信所といった形で一般の依頼を受けながら活動しているところが多い。


「ほんで?」

「このご時世だ、しばらくは自由に動き回ることは難しくなるでしょう。それは多分、〝月に捕らわれし者ルナティック〟の連中も同じです。感染症の件が落ち着くまではね。

 そこで、今のうちに筑紫総合探偵社うちも人員の増強をしようと思ってます。舞ノ浦の一件のように、今後は調査だけでなくこちらですぐに対処できるようにね」


 〝月を喰らいし者エクリプス〟には他にも調査部門の情報を元に対象の排除を行う実働部門。情報に関係なく全国を回りながら対処を行う遊撃部門などが存在する。

 虎児は以前、遊撃部門に所属していたが、ある一件を機に配置を外された。その後、知り合いだった俊次郎に拾われた経緯がある。


「他から人を回してもらうんでっか? 対処する言うたら適合者やないとあきまへんけど、そないな人材の余裕はありまへんやろ」


 人はみな、大なり小なり月の影響を受けて生活している。その中でも月の歌を聴くことができるのが〝月に捕らわれし者ルナティック〟であり、そういった者はみな〝月の贈り物ギフト〟を与えられる。

 そして虎児が〝月の贈り物ギフト〟を持つ〝月に捕らわれし者ルナティック〟に対抗できるのは、〝月晶〟と呼ばれる結晶体を定期的に体内に取り込むことで、月の力を借りるからだ。まるで〝月に捕らわれし者ルナティック〟が月の歌を聴くように。

 しかし月晶は誰でも体内に取り込めるわけではない。月の歌を聴けない者が無理矢理その力を取り入れるために、月晶には強い月の力が込められている。それに耐えられた者を〝月を喰らいし者エクリプス〟では〝適合者〟と呼んでいた。

 そして適合できる者は決して多くはなく、適合できてもその後に命を落とす者も多い。月の力を借りることは、常にその力に飲まれてしまう危険もはらむからだ。

 それが、〝月を喰らいし者エクリプス〟が組織として行動しているにも関わらず、個々の存在でしかない〝月に捕らわれし者〟を殲滅できていない理由の一つだった。


「いや、今回はイチからうちで人材を育てようと思っています。その新人の教育係を君に頼みたい」

「は?」


 ――コンコン。

 扉が叩かれる音。次いで静流の声が聞こえてきた。


「社長、お見えになりました」

「ちょうどいい。入ってもらってください」

「失礼します」


 扉を開けて、リクルートスーツ姿の女性が入って来た。大きめの丸目は二重。小作りな鼻と口。髪はボブまで伸びているが、虎児はその女性の顔に見覚えがあった。


「なんで葵がここにおんねん!」


 虎児の言葉に、葵は一瞬、嬉しそうな顔をする。そして真面目な表情に戻すと俊次郎に向かって一礼した。


「こんな時期に申し訳ない。ウチはリモート入社というわけにはいかないんです」


 俊次郎が葵に声をかける。そして今度は虎児に向かって話す。


向日むかいあおいくんです。今日から入社してもらう……と言っても、虎児君はよく知ってますよね?」


「入社て……エイプリルフールや言うても冗談キツイで」

「冗談ではないですよ」

「なんでそうなんねん! 葵は〝人〟や言うて報告したやないか。関係のない〝人〟を巻き込むんはあんさんかて反対しとったやろ?」


 俊次郎に対する虎児の口調がだんだん雑になっていく。虎児は俊次郎の机へと詰め寄った。


「あんさん、またなんかやりよったな」

「それは言いがかりです。彼女の方から、ぜひうちに入社したいと連絡がありましてね」

「せや言うたかて――」

「虎児君。君、私に隠し事をしてましたよね?」


 俊次郎が虎児の言葉を遮って言う。その顔には一見して屈託なく見える笑顔が浮かんでいた。それを見た虎児は、思わず顔を引きつらせる。

 俊次郎が「一見して屈託なく見える」などという、ややこしい笑顔をした時は逆らわないに限る。これは決して短くない俊次郎との付き合いで虎児が得た、貴重な教訓だった。


「彼女の力のこと、隠してましたよね? 君が上層部うえを嫌っているのは知ってます。でも、私にまでこんな大事なことを隠していたというのは、ショックですねぇ」

「あ、う。それはやな。力の発現も安定しとらんかったみたいやし……すんまへん」


 うな垂れた虎児を見て、俊次郎は満足そうに頷いた。そして葵の方へと視線を向ける。彼女はそんな虎児の姿を初めてみるのか、目を丸くしていた。


「彼女の〝月の力を打ち消す〟能力というのは強力です。対〝月に捕らわれし者ルナティック〟の切り札になる」


 俊次郎に見つめられ、葵の表情が真剣なものになる。


「おまけに彼女は特殊事例です。〝月の贈り物ギフト〟ではなく、我々のように月晶に頼った力でもない。そんなものは、いままで聞いたことがありません」

「せやから、誰にも知られとうなかったんや。知られたら上のモンがほっとかん」

「そうですね。ですから彼女には私の元で〝月を喰らいし者エクリプス〟の一員として働いてもらいます」

「!」


 虎児が弾かれたように顔を上げた。その表情は厳しい。虎児の両手は強く握りしめられていた。


「そんな顔しないでくさい。君の言いたいことも分かります。でも彼女の能力が今後バレないとも限りません。

 〝月を喰らいし者エクリプス〟はもちろん〝月に捕らわれし者ルナティック〟にもね」


 そこで俊次郎は一度言葉を切った。


「なら、近くに居てくれた方がいざという時に守れるんじゃないですか?」

「あんさん……」虎児がハッとしたように俊次郎を見る。

「そしてこれは判断です」


 その言葉を聞いて、虎児の体から緊張が抜けた。


「……わかった。あんさんに任せる。ホンマあんさんには敵わんわ」

「なに。上層部うえには適合者として報告すればすむことです。能力についてはいずれバレるでしょうが、うちの所属にしてしまえば手は出させません」

「せやな。狐と狸の掛け合わせには誰も勝たらへん」

「……ですが、力を思うように使えないのは事実ですね?」


 俊次郎が葵に問う。


「積極的に使おうとしたことはないですが……。でも、満月の夜ですら体に異変はありませんでした」

「ということで、虎児君」俊次郎が虎児を見る。「私の方でも色々手を打ちますが、君は彼女に〝この世界での生き方〟を教えてあげてください」


 この世界での生き方。俊次郎の言葉に、虎児と葵――二人の体に緊張が走った。それは葵に〝人〟以外の生き方をしろということだ。


に来るのなら綺麗事だけではやって行けません。その覚悟があるから、連絡してきたのでしょう?」

「はい」俊次郎の言葉に、葵は即答する。「あれからずっと考えて、悩んで……そうしてあたし自身が出した答えです」

「……だそうですよ?」


 俊次郎が虎児を見る。虎児は葵に目を向けた。葵も真っ直ぐに虎児を見返してくる。


「……わかった。ワイが責任もって、この世界で生きるための方法を教えたる」

「そうそう。責任とってね、猫オジ」


 葵が笑顔を浮かべ言う。彼女の浮かべた笑顔は幼さを残しながらも、確実に大人へと成長を始めた者の笑顔だった。

 虎児はそれを眩しそうに見つめる。


「猫オジ?」


 聞き慣れない呼び名に、俊次郎が反応した。


「あ、〝猫好きオジサン〟だから〝猫オジ〟です」


 その答えに、俊次郎が笑う。


「なるほど。虎児君にはピッタリですね。みんなにも教えてあげましょう」

「みんなに言うて……さすがに堪忍してほしいわ」

りんさんやらんさんあたりは、喜んで言いそうですね」

「うわ、いっちゃん聞かれたないヤツやんか。なぁ葵、いいかげん猫オジちゅうのはやめてくれへんか?」


 虎児は両手を合わして拝みながら葵を見ている。


「えーでも他に何かある?」

「お兄さんでええで」

「いや、さすがに無理あるでしょ。どうみても三十過ぎのオジサンじゃん」

「これでも心は若いねんで?」

「うーん。あ、じゃあ〝お父さん〟」

「ぐはっ。それキッツイわぁ。いくらなんでも葵みたいな歳の娘がおるようには見えへんやろ。それになんかこう……心がえぐられる。お父さんはやめてくれ」


 虎児が胸を押さえている。葵は葵で視線は上に向けて、なにやら想像しているようだった。


「うーん。あたしも猫オジがお父さんってやだな」

「いや、ジブンが言うたねんで?」

「そうだ! 先輩にしよう。先輩!」

「先輩ぃ?」

「だってあたし、入社したての新人でしょ」

「うーん。まぁそれならええか。よし、後輩! なんか飲みのも買って来い」

「うわー。いきなりパワハラ? やっぱ〝お父さん〟にしようかな」

「すんまへん。調子に乗りました。先輩でお願いします」

「よし、先輩! なんか飲みのも買って来い」

「いつものヤツでええですか……って、なんでやねん!」


 扉に向かいかけた虎児が、振り返って葵に言う。右手を葵の方向け、はたくように振った。


「うわ。そういうのホントにやるんだ」


 葵はやや引き気味に、虎児を見て言った。手を振ったままのポーズで、虎児の動きが止まる。そしてすぐに手を下ろして叫んだ。


「フリとちゃうんかい!」


 葵と虎児が楽しそうに話している。

 俊次郎はそんな二人を、ただ黙って笑顔で見ていた。


『葵と虎児』 了

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