二十六夜 勝手にムカついとれ
虎児は眼前に迫った独鈷杵を左手で外へ弾くと、右膝を風眼坊の腹部へと叩き込んだ。
まともに受けてしまった風眼坊の体が、横方向へと吹き飛ぶ。地面にぶつかる瞬間、体を丸めて何度か回転し衝撃を逃がすと、そのまま片膝立ちになった。
虎児はすかさず追い打ちを仕掛ける。間合いを詰め、右の前蹴りを風眼坊の顔にみまう。
片膝立ちになったばかりの風眼坊にはよけることはできない。
「
気合い一閃。風眼坊を中心に空気が爆ぜた。爆音と共に突風がおこり、虎児を吹き飛ばす。
「あの程度の圧力に負けてまうようじゃ、アカンな」
虎児は空中で器用に体勢を戻し、着地する。上体をかがめ、風眼坊の方を向いたまま頭を下げる。全身に力を込めて、虎児は肉食獣のような笑みを浮かべた。
変化は一瞬だった。いきなり虎児の体が膨張すると同時に全身を毛が覆った。服が裂け、頭は映画のワンシーンでも見ているようなモーフィングで虎そのものへと変化する。
先ほどまで虎児がいた場所には、二メートルはあろうかという、人型の虎が立っていた。
「今度は全開や!」
先ほどとは比べものにならないスピードで、虎児は風眼坊に迫る。そして坊主の体に向かって容赦なく何度も拳を叩き込んだ。最後に下からのすくい上げるような拳で風眼坊の体を
だが風眼坊の体はそのまま地面に落ちることなく、空中で止まった。うつぶせのまま体を折り曲げて浮かぶ風眼坊だったが、しばらくして体を垂直に起こした。
虎児は空中を睨む。
「力だけは、途方もないな。だが、あとは二流だ」
「抜かせ、クソ坊主」
腰を落とし、虎児は風眼坊めがけて飛び上がる。対する風眼坊は両手を重ね、手のひらを虎児に向けた。
風が、風眼坊の手のひらに生まれた。それは衝撃波となって虎児を襲う。
虎児は衝撃波を打ち抜くように、拳を突き出した。
爆音と突風が、再び境内に満ちる。虎児は地面に叩きつけられていた。獣人を中心に地面が陥没している。
「おじさん!」
突風から顔を庇った姿勢から戻り、美紀が叫んだ。
「おにいさんや、嬢ちゃん」
虎児はゆっくり立ち上がり風眼坊を睨む。
風眼坊と虎児には五メートルの高低差があった。飛び上がっても、先ほどのように打ち落とされるだけだ。虎児は牙を剥き、威嚇する。
突如、風眼坊の背後に光が生まれた。十三夜前日の月明かりより、なお明るい光の中に人影が見える。
背後に生まれた光に驚き、風眼坊は空中で姿勢を変え振り向いた。
そこには光の羽根を背中に携えた
気づくのが遅れた風眼坊は、紅葉に反応できない。虎児は跳躍すると、落下する風眼坊と高さを合わせた。右の拳を振り上げ、小指側から打ち下ろす。風眼坊が斜め下方向へと吹き飛んだ。
風眼坊は地面へと叩きつけられる前に、風を生み勢いを殺して着地する。
虎児と風眼坊、二人から等しい距離に紅葉は舞い降りた。背後の光は前に出した両手のひらに収束し、光でできた
赤い瞳と口には不敵な笑みを浮かべ、紅葉は
「仲間割れ?」
「そんなとこや」
「紅葉さん!」
美紀の呼ぶ声に、紅葉はそちらを向いた。
「美紀ちゃん、大丈夫?」
「はい。おじさんが助けてくれて」
「おじさん?」
紅葉は虎児を見る。その顔には、意地の悪い笑みが浮かんでいた。
「誰のことやろな」
見た目は虎そのものだが、紅葉には虎児がすっとぼけた表情を浮かべたように見えた。
「残念。あんたが約束を破ったわけじゃないみたいね、お・じ・さ・ん」
「いちいちムカツクやちゃな。お前一人か?」
「
「なんや、そない仲間がおったんかいな」
「お友達はただの〝人〟よ」
「はぁ!? アホかワレ」虎児が叫ぶ。「関係のない人間を、なんでわざわざ危ない所に連れてくんねん」
「しょうがないでしょ、成り行きなんだから。あんたの時と同じよ」
虎児はわざとらしいため息をついた。
「なにそれ、ムカツク」
「おう勝手にムカついとれ。佳乃が来たら、嬢ちゃん連れてみんなで逃げや。
「そうしたいのは山々だけど、簡単には逃がしてくれそうにないけど?」
そう言って、紅葉は風眼坊を睨んだ。
☆
美紀は少し離れた場所で成り行きを見守っていた。紅葉の言った言葉が気にかかる。ここに来たのは紅葉と佳乃だけではないらしい。それを聞いたとき、真っ先に思い浮かんだのは、少年の姿。
自分のことを〝ひつよう〟だと言ってくれた少年。いなくなった時は探してくれると言った少年――
「美紀!」
「めぐっちゃん!」
声の先に
歳月を重ね、姿は変わろうとも、そこにいるのはまぎれもなくあの時の少年だった。その後ろには
美紀と恵の視線が交差する。言いたいことがたくさんあるはずなのに、美紀の口からは言葉が出ない。走ればたどり着ける距離にいるのはずなのに、それを邪魔するように二人の間で風眼坊が虎児たちと戦っている。
もどかしい。美紀はすぐにでも駆け寄りたい気持ちを、なんとか抑えつけた。
☆
佳乃は素早く状況を読み取ると、懐から銀色をした広葉樹の葉を六枚取り出した。葉の表面にはなにやら紋様が書かれている。それを地面に投げつけた。
恵たちを囲うように刺さったそれは、互いが共鳴しあい柔らかな白色の光壁をつくりだした。
「あなたたちは、その中から出ないで」
虎児は佳乃を見た。佳乃も虎児を見る。二人の間に生まれた空気は、どこか懐かしむような優しい空気。
「佳乃、援護お願い!」
それを邪魔するように、紅葉が叫ぶ。
「あ、なにしとんねん!」
慌てて虎児も突っ込んだ。
二つの方向から向かってくる敵に、風眼坊は片方ずつ手のひらを向ける。風が生まれた。手のひらを中心に渦を巻いた風は、真空の刃となって虎児たちに迫る。
紅葉は担いだ
虎児は走りながら互い違いに重ねるようにして両手を打った。左手は上から、右手は下から。パンと弾ける音と共に、真空の刃が押しつぶされる。だが完全に防ぎきることはできない。腕や上半身の何カ所かが浅く切れ、
それを見た風眼坊は、空中へと逃れようと体を風で包んだ。そして浮かび上がろうとした瞬間、横から植物の蔓が襲ってきた。風眼坊は纏った風を半球状に膨らませ、蔓を風のドームに巻き付ける。
巻き付いた蔓の
風眼坊は風を弾けさせて巻き付いた蔓を引きちぎった。
佳乃の攻撃に気をとられた風眼坊の隙をついて、紅葉と虎児が近づく。
先についたのは紅葉。先ほど薙いだ
「ぐっ」
呻き、体勢を崩した風眼坊に向けて、虎児は掌底を突き出す。放たれた掌底は、鋭く伸びた爪ごと食い込ませるように、坊主の腹部に吸い込まれた。
衝撃を受けた風眼坊は、腰を中心に後ろへ引きずられるような格好で数メートル退いた。
「今宵のような月明かりで、しかも三対一はさすがに
腹部を押さえ、それでも倒れることなく風眼坊は言う。足元には腹部から出た血が流れ落ちている。致命傷ではないが決して浅いとは言えない傷を風眼坊は負っていた。
「だが刺し違えども、〝
隙なく周りを見回しながら、懐から
口を広げ袋ごと持ち上げる。開けられた袋の口から大量の月晶がこぼれた。風眼坊はまるで液体でも飲むように、月晶を口に注ぎ込む。
「あんクソ坊主、月晶を喰ろうて力を底上げする気やな」
「月晶って、あんたたちの使う怪しい薬のこと?」
「間違いやって言えへんのが悔しいが、そうや。まぁドーピングやな。せやけど、一度にあない大量に喰ろうたら、逆に月に喰われてまう」
虎児たちが見ている前で、風眼坊が膝をついて呻き始めた。
風眼坊の体は膨張と収縮をくり返し、全身が心臓のような脈動を開始する。膨張するたびに体は変形し、人としての形を失っていく。風眼坊はすぐに肉の塊へと変化した。
「……ねぇ、なんか自滅してるようにしか見えないんだけど。怪しいお薬で、頭までおかしくなっちゃった?」
そう言いながらも、紅葉は
「おんどれの意見に賛成するんはシャクやが、確かにクソ坊主は頭おかしいわ。〝
いまかて自滅ちゅうか、暴走狙いやな――くるで!」
虎児が叫んだと同時に、風眼坊だった肉の塊が弾けた。
その中から三メートルはあろうかという巨大な
「あのクソ坊主、風使いのなれの果てが
「あら、鎌鼬って、三匹で一組じゃなかった?」
「あないなもん三匹も出てきたら、たまったもんやないわ」
「その意見には同感ね。
「真似すなや」
「Gruuuu!」
鎌鼬となった風眼坊が叫んだ。高く尾を掲げ、勢いに任せて何度も振る。
尻尾の鎌から生み出された真空の刃は鋭い斬撃となって、境内にあるものすべてを切り裂きながら、全方位に飛んでいった。
「! まずい、嬢ちゃん!」
虎児は風眼坊に背を向け、美紀に向けて走っていった。
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