2、
ゲリラ。大洪水を催すような雨だった。
私の肩に、ツムジに、叩きつけるように水が打ち付け、私の肩にかかる髪は水の重さで下を向く。視界も夜と水とで訳が分からなくなっていく。気づけば体は冷えていて、白色の半袖は冷たい温度で私の二の腕をジットリ冷やす。
水は、下に流れていくものだ。水は、くぼみに溜まっていくものである。
私がいる
そんなにも酒がうまいのか、大人に至らない私にはわからない。
そのまま水はくぼみを埋める。彼らが雨水に溺れるのに時間はかからなかった。
ふくらはぎに水が来た頃にやっと焦りを覚え、彼らはつま先立ちになるころにやっと泳ぎ始めた。水面が上がるほうがずっと早い。彼らは遅い。
泳いで浮いて水面に達するより先に、息が尽きてしまったようだ。
私のつま先の手前で水面は上るのを止めた。雨が止んだ。
「洪水だと手間がかかる」
そう言ったのは夜空から舞い降りてきた鳩だった。
オリーブの葉を捨てた鳩。
鳩は私の濡れた肩に乗る。鳩の爪の先が私の皮膚にゆるく食い込んでいく。
「それに、オレ達も巻き込まれてしまう。ずっと飛んでいられるわけではないからな。そうだろ?」
鳩の言う『オレ達』に、私は含まれていない。
「オレ達は被害者だ。ヒトのせいでオレ達も大半を殺されちまうのはナンセンスだ。いなくなるのはヒトだけでいい。そうだろ?」
どこにでもいる鳩だった。首のあたりは何かを反射しているかのように色鮮やかで、全身は灰色。口を開ければ流暢にしゃべる。
「確かにね。洪水じゃくぼみにいた猫も巻き添えになる」
私はくぼみにある建物の中から何匹もの犬や猫が、人を横目に逃げおおせるのを
見た。それでも少数は溺れたのだろう。
「だから、表面だけをなぞるように。ヒトだけを掬い取ればいい。神様が種をまくようにばら撒き始めた。現にヒトは今、どんどん淘汰されているだろう?」
そう、他国が埋もれていく様をみて、私たちもそれに気づいた。
「それを見て始めはヒトも恐怖するんだ。でも、ヒトは恐怖に慣れてしまった。だからあのくぼみに集まった。あんたもその一人で、あいつらと大して変わらないよな?」
そうだ。私は三月の頃、怯えていた。でも、今はこうして夜の。外の空気を吸っている。
「でも、これは神の裁きなんかじゃないよ」私が言う。
「は?」鳩が言う。
「これを地球の汚点であるヒトを消すため。だなんて喚くのもあなたの言うヒトだよ。善に酔った人々のたわごとでしかない。
これは、出来事としか言い表せない」
当然な話だ。オリーブを咥えていた頃の鳩だって、ヒトの想像でしかない。それなら、今、ヒトがウィルスに肺をやられて倒れていくのは、出来事でしかない。
「あなたはヒトの作り物だよ」
結局は、欲も善もヒトが言葉にした。
目の前にいる鳩も同じだ。ヒトが時たま駆られる罪悪感を、報いを受けて薄めようとしているだけ。
「じゃあ、オレは誰なんだ?」
鳩は私の一部だ。曇る空の下ずぶ濡れの私も、私の一部でしかない。
「あなたは自問」
私は自答。
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私は籠る空気の中で目を開いた。
ベッドの横の壁にかかるカレンダーは桜の色をしている。そろそろ、パジャマは半袖にしてもよさそうだ。寒い日は上着を羽織ればいい。
私は寝ぼけた顔をぐりぐり擦る。こうも学校がないとベッドの上で意味もないことをする時間が増える。
浅いあくびを一つ。
なんだか現実味を帯びた妄想だった。
その現実味にこじつけが混じっているのかはわからない。
ただ、心残りだったのは、あの8月が『いつ』だったのか確かめなかった。ということだ。
「あれが2020年の8月なら。まだマシなのかな」
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