第17話「宿屋でゆったり過ごして食事を楽しみ歯を磨くのも冒険者の仕事」
「あ、ここの宿屋にしよっか♪」
リイナは「白うさぎ亭」という看板のかかった規模の大きい新しめの宿屋の前で立ちどまった。
なお、宿屋街は城下の南西エリアにある。
泰平の時代でも行商人や王都への観光客がいるので、これまで経営が成り立ってきたのだ。
なお、冒険者たちはまだほとんどおらずどこの宿屋でも選び放題といった感じだ。
「うむ、我はどこでもよいぞ」
「それじゃ、けってーい♪」
こうして、この夜の宿は決まった。
ふたりは装備を解き、宿屋から貸してもらった水桶と、清潔性と切れ味を保つための薬液を受け取り、布巾を使って武器や防具についた汚れや血を拭き取っていく。
冒険者たるもの、防具の手入れは必須だ。
そして、そのあとはお風呂の時間だ。
宿屋の一階には大浴場があり、もちろん男湯と女湯に別れている。
「それじゃ、ルーファ一時間後に部屋ね♪」
「うむ」
ルーファとリイナはそれぞれの風呂に向かった。
なお、村の宿屋には露天風呂が設置されていた。
宿泊客だけじゃなくて村人にも入ってもらいたいというアーグルの心意気で作りあげたものだ。天涯孤独となったルーファが宿に引き取られてから最初の仕事が家族や村人が協力しての露天風呂製作だったので思い出深い。
王都は敷地が狭いし高い建物からは丸見えになってしまうので露天風呂というわけにはいかないが、石造りの清潔感ある浴場はなかなかどうしてよいものだった。
「うむ……やはり風呂というものはいいな……」
体を洗ったルーファは、のんびりと湯船に浸かる。
魔王時代は風呂に入るという習慣がなかった。
それは魔王に限らず、魔族も魔物も風呂には入らない。
魔王や魔族は常に闇のオーラをまとっているので汚れが身体に付着することはない。汗すらかかない。だから、湯に浸かる必要などなかった。
だが、こうして人間に転生して風呂を知ってからは大のお風呂好きになった元魔王なのであった。
湯から上がった魔王は就寝用の服に着替えて、部屋へ戻る。ちなみに汗で汚れた服は宿で洗濯をしてくれる。火の魔道具で乾かしてくれて、翌朝には受け取れるという仕組みだ。
部屋には、これまた就寝用の服を着たリイナがいた。『冒険者たるもの、休めるときはしっかりと休むことが大事だぞ』とアーグルからよく話されていたので宿屋では戦闘用の動きやすい服は着ない。
オンオフの切り替えが大事なのだ。
場合によっては冒険中、何日も野宿が続くことだってある。
だからこそ、宿で休めるときはしっかり休むのも冒険者の仕事なのだ。
「それじゃ、ご飯食べよっか♪」
そして、睡眠と同じぐらい大切なのは食事だ。
よくルナリイも『美味しいものを食べることで元気が出て明日への活力も生まれるんですよ~♪』と、食事の大切さを説いていた。
なお、冒険で様々な場所を訪れたルミリアの料理のレパートリーは幅広く、美味しい料理もアーグルの宿の名物だ。
冒険者にとって料理スキルがある仲間がいるというのも大事なことだ。偏った食生活をしていたら冒険の途中で体調を崩してしまう。
だから、一パーティに一人は料理スキルを持つ仲間がいることが望ましい。そういう理由もあって、元冒険者の中には料理屋を開いているものも多い。
でも、いまは宿屋。
宿によっては自炊できるところもあるが、今回は食事つきだ。
ルーファとリイナは一緒に食堂へ向かう。
食堂と聞くと野暮ったい感じだが――それ単体でレストランとして通用しそうなほど内装も凝ったものだった。
それもそのはず――泰平の時代には宿屋の客は限られる。そんなときはレストラン経営を主力にする宿屋が多いのだ。 なので、客層は冒険者よりも一般市民のほうが多い。
ふたりはテーブルにつくと、メニューをそれぞれ選ぶ。
リイナはキノコと野菜とベーコンのパスタ、ポタージュ、そして、サラダ。
ルーファは王都近郊で飼育されているブランド牛のステーキと、パン、野菜スープ、サラダだ。
冒険者は野菜が不足がちになるので『とれるときは野菜を意識的にとれよ!』というのがアーグルの口癖だった。
野宿しているときなどは獣を狩って焼いて食べればいいが、そこらへんで栽培されている野菜を盗んで食べるわけにもいかない。
山間部を歩くときはキノコや山菜をとればいいが(食べられるキノコを見分けるスキルも冒険者には必須だ)、草原などではそうはいかない。
なので、冒険者が宿泊する場所には野菜の需要があるので農家は市場ではなくて宿屋と直接取引をして野菜を持ってくることが多い。
つまり、世界が乱れると一般家庭に野菜が行き届きにくくなるし、値段も高騰する。逆に、農家にとっては稼ぎ時ともなるわけだ。
(……なかなか人間の世もうまくできているものであるな……)
食事をしなくても生きていける魔族や魔物にとっては、こういう人間社会の仕組みも面白く感じる。もっとも、栄養をとるためでなく香りや味を楽しむために魔族も葡萄酒や紅茶をたしなむことはある。
だが、それは魔王や高級魔族に限られており、中級から下級は食事をとらない。人間を襲うのは闘争本能によるものであり、食欲を満たすためではない。
そこが獣と魔物、人間と魔族の最も根本的な違いでもある。
(だからこそ、世界を食いつぶすだけの存在である人間はこれ以上増やしてはならぬ、という思想が魔族にあるわけだな)
そういう意味では、魔族もただの凶暴で凶悪な存在というわけでもない。
王都の学者の中には、増えすぎた人間を抑制するために魔王が復活し魔族や魔物が人間を襲って人口を減らしている、つまりこれは、神の意志なのだ――という説を唱えるものもいた。……その過激な説を唱えた学者は裁判にかけられて有罪に処されたらしいが。
(その説、あながち間違っておらぬのかもしれぬな……)
元魔王であるが、なぜ自分が復活したのかという理由はわからなかった。
ただ、人間は滅ぼさねばならぬという使命感にも似た感情はあった。
それは魔族たちにも共通している。魔物たち(つまり低級な魔物)となると、ただ人間を襲うという本能だけで動いているものも多いが、
(やはり、この世界には神がいるのだろうな……魔王よりも、そして、勇者よりも上位の存在の、神が――)
そして、その神が今回のような魔王と勇者があべこべに転生するようなイタズラをしているのだろう。
(一度会って、神の話を聞いてみたいものだ)
と、冒険における食事の大切さから経済、神の領域にまで思考を巡らせていると――。
「むーっ……ルーファ、もっとおしゃべりしながら食べようようっ! 食事は楽しくって、いつもおとーさんとおかーさんも言ってたでしょ!」
「む、すまぬ、つい世界や神についての思索をめぐらせてしまった」
「もーっ、ルーファはいつも小難しいことばかり考えてるんだからぁ! そんなこと考えながら食べてると消化に悪いよっ! おいしい料理を食べられることに感謝しながら、料理を楽しまないと!」
「うむ、そうだな。この宿の料理、なかなか美味であるな」
「うんっ♪ おかーさんの料理もおいしいけど、都会の料理はなんか複雑な味がして美味しいよねっ!」
「うむ、王都にはさまざまな食材が集まるからな。調味料も種類が豊富なのだろう。我は母上の料理の素朴な味も好きだが」
会話をかわしながらもステーキを切って、口に運ぶ。
さすがブランド牛だけあって柔らかくて味がよい。野菜も鮮度がよく、ドレッシングも洗練された都会の味だ。
「ね、明日はどうする? レベルもけっこう上がったし、もう洞窟に挑んでも大丈夫なんじゃないかなぁ?」
「そうだな……これだけレベルが上がればいけるだろう」
「うんっ、明日は洞窟攻略して次の村へ行ってみよーっ!」
「うむ」
お風呂と食事で英気を養ったルーファとリイナは、そのあとちゃんと歯磨きをしてから、ベッドに就いた。
この歯磨きというののも大事だと、アーグルはよく語っていた。
冒険者の中には歯磨きを疎かにするあまり虫歯になるものが多い。
そうなると、当然、戦闘に支障が出るようになる。格闘家は歯を食いしばって力を入れられなくなり、魔法使いも精神集中に影響が出る。
だから、砂漠を歩いているときとかでない限りは野宿のときも川や泉から水を汲み、煮沸により殺菌してから、そのお湯を使って歯を磨くのだ。
冒険に出るにあたって、ルーファとリイナはルナリイから歯磨き粉を持たされていた。
もちろん、夜更かしはしない。
体調管理が冒険者にとって何よりも大事なことだ。
翌日に備えて、ルーファとリイナはそれぞれのベッドに横になり、レベリングの疲れもあって、すぐに眠りに落ちていった――。
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