第17話 死の世界

慌てて走り寄ってくるルファ。どうしたのかと振り返るが、ふとからかってやりたい衝動に駆られる。彼はどうも加虐心をそそってしまうようだ。


 どう、からかってやろう。軽薄な笑みを浮かべ、唇を開こうとする。


 ――しかし。


 彼が近付くにつれ、リュートの顔から軽薄さが消えてゆく。


 ルファは、その大きな瞳いっぱいに涙を湛え、真っ青になった顔には焦燥を浮かべていた。


 鬼気迫る、とでもいうのだろうか。普段の気弱でおどおどした様子は欠片もなく。一度開きかけた唇を閉じ、強く噛み締めた。




 ――ルファは、アルと共に行動していた筈だ。


 その彼がここに来た、ということは、彼の予想が的中した――若しくは、彼の身に何かがあった、ということだろう。


 そして恐らくは後者。


 もしアルの予想が的中したのであれば、あのように慌てる必要はない。それを予想して別行動をしていたのだから。 


 瞬く間に近づいてくるルファ。流石は天恵者、と感心しつつ口を開く。余計なことなど一切ない、簡潔な一言。


「――何が、あった?」


 それだけで、充分だった。




「実はっ……!!」




 その瞬間、リュートは走りだした。


「少年、君は他の奴等に伝えに行け!!」


 走りながらも叫ぶ。


「……リュートさ……っ!!」


「……場所は、覚えているな?」


「……はい」


 立ち止まり、ルファの顔を見つめる。恐慌状態にあったルファだったが、その真摯な瞳を見、理性が戻ってくる


「俺はアルのもとへ向かう。少年は、出来る限り急いで他の奴等に知らせろ。――これは、君にしか出来ないことだ。やれるな?」


「はい」


 その決意に満ちた表情を見て、リュートはふと柔らかく微笑んだ。


「頼んだぞ――ルファ。」


「――っ!!はい!!」


 ルファは初めて彼に名前を呼ばれ、思わず顔が綻ぶ。まるで、自分が初めて認められた様で嬉しかったのだ。


 しかし、その余韻に浸っている余裕はない。表情を引き締めると、急いで駆け出した。


 地図を頭の中に描く。己の記憶が正しいことを信じて。


 わき目もふらず走る。1番近くにいる筈の人のもとへ――。






 それと同時にリュートも駆け出した。彼の表情からは、いつもの軽薄さが剥がれ落ちていた。


 ルファからもたらされた情報には、流石のリュートも驚きを隠せない。呼吸が乱れ、混乱していたルファの説明は要領を得なかった。しかし彼もプロだ。直ぐに呼吸を整えると、簡潔に状況を説明してくれた。


 ――しかしそれは、最悪と言える状況で。




 アルの予感が的中した。そして、50人近い賊を、アル1人で足止めしていると。


 どうして自分が行かなかったのかと、自責の念が湧きあがる。自分がいれば、彼の背後くらいは守れた筈だ。


 後ろを気にするのとしないのとでは、雲泥の差がある。背後を気にしなくても良いのであれば、前の敵だけに集中できる。集中力を分散しなくても良い――それだけでも、随分と楽になるのだから。




 ――それも、彼が素直に後ろを守らせてくれるかにもよるのだが。


 彼の手助けが出来るかは分からないが、少なくとも足手まといにならない自信はあった。しかし、それならば50人近い賊を2人で倒さなければならなくなる。


 流石にそれは厳しい。矢張り、俊足の天恵を持つルファを飛ばし、なるべく多くの増援を集めたほうがいいのだろう。


 急いた心に追いつかず、足が縺れそうになる。リュートは全力で走っていた。戦いの為に余力を残すこともせずに。




 ――間に合え!!


 ただそれだけを想って。




 自分が着いたとき、アルが既にこの世にいない可能性だってあるのだ。何とか1対1に持ち込めれば、持ちこたえられるかもしれない。


 しかしその可能性は随分と低い。なのに、彼が――アルが死んでいるとはどうしても思えないのだ。




 間に合え




 間に合え!




 間に合え!!






 彼が目的地に着いたとき、そこはしんと静まり返っていた。




 ――間に合わなかったのか?




 絶望が押し寄せる。


 漂う血臭に眉根を寄せ、気配を消すことも忘れ、ふらふらと近付いた。




 そこで、彼が見たものは――




 「嘘だろ、おい……」


 ぽつりと言葉が零れ落ちる。




 辺り一面に広がる血の海。




 転がる褐色の首




 山のように積み重なる人だったモノ




 彼の目の前に現れた光景。




 それは




 地獄だった――。






突如現れた死の世界。そのあまりの凄惨さに、思わず後ずさる。




 真紅に染まる視界。咽返る程の血の臭い。辺りに転がる、元は身体の一部だったもの。生命の息吹を欠片程も感じない。辺りを支配するのは、不気味なまでのしじま。


 風ひとつ吹かぬその世界では木々さえも静寂を保ち、動くものなど何一つなかった。




――アルは 何処だ。




何処かに身を顰めているのだろうか。




それとも、この「人だったモノ」の中に混じっているのだろうか。




呆然と立ち尽くすリュートの視界で、何かがピクリと動いた。




慌てて見渡すが、矢張り世界は止まったまま。




気の所為 だろうか。




再び辺りを一望する。




この凄惨な光景を造り出したのは、一体誰なのか。




アルか、賊か。




きっと、この二択しかない筈だ。




同士討ちなんてあり得ない。ならば、大半はアルがやったに違いない。




――これを、1人で?




背筋に冷たいものが走る。




あり得ない――しかし。




ぴくり。




再びリュートの視界で何かが動いた。




慌ててその正体を探る。




――そして




リュートは凍りついた。




喉がからからに乾いて、声が上手く出せない。




「……っあ……」




リュートが見た光景――それは




真紅に染まった剣を握り、呆と立ち尽くすアルの姿だった。






「……あ……る……。」




呆然と呟く。




両の手をだらりと弛緩させ、虚空を見つめるアル。




瞳は虚ろで、何も映してはいなかった。




その美しい顔には感情というものが何一つなく。




まるで人形のように静止したまま、ただ抜き身の刀身だけが不気味に光った。






呆然とアルを見つめながら、何かの違和感を感じた。




そしてその違和感に気付いた瞬間、リュートの全身に戦慄が奔った。




「あ……あ……。」




足ががくがくと震え、2・3歩後ずさる。




――何てことだろう。




アルは、この真紅に染まった世界でただ一人だけ、血の洗礼を受けてはいなかったのだ。




まるで血が彼を避けたかの様に、彼だけは美しいまま。




それが何を意味するのか、分からないリュートではない。




アルの剣は真紅に染まっている。




そこから導き出される答えはただ1つ。






――アルは、返り血を浴びる間もなく、この賊全てを切り伏せたのだ。




この死の世界を作り上げたのは、アルだ。






「……化け物……。」




口から勝手に言葉が零れる。




しかし、それを訂正する気にもなれない。




彼は――あれは、化け物以外の何物でもないのだから……。






リュートの視界の中、アルの唇がゆっくりと弧を描き、そして 妖艶に 笑 ん だ 。




何処か遠くで、がやがやと人の声と足音が聞こえてくる。




聞き覚えのあるその喧騒にも反応することが出来ない。




がさがさと大きな音を立てて誰かが飛び出してくるが、そちらを振り向くことすら出来ない。




ただ、アルから目を逸らせずにいた。






ひっと息をのむ音。




呆然と呟く声。




「嘘だろ……。」




「まじかよ……。」




「……化け物……。」




遅ればせながら到着した傭兵たちは、目の前の光景に声を失い立ち尽くす。




「アルさん!!リュートさん!!無事で……」




慌てて飛び込んできたルファは、最後まで言い終える事が出来なかった。




視界の端で、腰を抜かす男を捕らえた。




後ずさる男も。




誰もが呆然と立ち尽くす中、リュートの耳に信じられない声が届く。




「……ううっ……」




男の呻き声。




ばっと声のした方を振り向くと、そこには、自由にならない身体を必死に動かす男の姿が映った。






――生きて いる?




足元を確認すると、首と離れた胴体が。




少し視線を滑らせると、誰のものか分からない腕が。




無数の首、穴の空いた胴体。




これで生きている筈がない。




――しかし、その隣には――




「ううっ……。」




呻く男。ピクリと身体の動いている者もいる。




数名は、生存者がいるらしい。




――全員を、殺した訳ではないのか?




幾分か冷静さが戻ってきたリュートは、改めて現場を検分する。




何かが 引っかかるのだ。




似たような服装をしている男達。




胴体から離れた褐色の首。褐色の腕。服から覗く褐色の――




はっと目を見開いた。






――まさか。




驚いて息のある男に走り寄るリュート。




彼の肌は、日に焼けてはいるものの、白い。




近くにいる、息のある男もまた――




「う……そ……だろ……。」




なんてことだろう。




死んでいる者の肌の色は全て褐色。




黒髪褐色の肌は、帝国人の特徴である。




アルが殺したのは、全て帝国人だったのだ。






――確かに、情報を引き出す為に何人かは生かしたまま政府へ引き渡さなければならない。




そして、帝国人を捕らえたとなると問題が発生する。




ならば死人に口なし。証拠隠滅とばかりに帝国人は殺さなければならない。




――しかし、可能なのだろうか。




これだけの人数を倒すだけでも一苦労なのに、一瞬で肌の色を見分け、帝国人だけを殺すことが。




直ぐに起きて来ぬように、殺さぬ程度に相手を昏倒させることが。






――1人で――






『最終兵器を投入したから』




『アイツに任せておけばいい』




ふと思い出されるのは、数日前の会話。




確かに、自分は何もしなくて良かった。




依頼はアル1人で事足りた。




――しかし……




「化け物……。」




再び呟く。




最早彼は人間ではない。




化け物。悪魔。




そんな言葉しか思い浮かばなかった。






『俺は 帝国を 絶対に 許さない。』






不気味な静寂が支配する死の世界で、ただアルの言葉だけが反芻される。






何度も 何度も。






剣を一薙ぎするたび、男達が倒れ伏す。




舞い散る血飛沫にも目もくれず、淡々と剣を振るうアル。




『君、凄く強いんだね。』




向かってくる男達を、ただ淡々と切り伏せてゆく。




「ふざけるなぁ!!」




「囲め囲め!!」




「ぶっ殺せぇ!!」




男達の野太い声も、耳に入らない。




彼の脳裏に響くのは、ただ1つの 声。




『少しだけ、話をしようよ』




温かく、優しく、懐かしい。




『君と友達になりたいんだ』




それはただ一つだけの光――






ざくりと男を切り伏せる。




――面倒だが、賊は生かしておかなければならない。




『お前向きの仕事だろう――?』




褐色の肌が目に入った瞬間、依頼を受けた時の言葉が思い出された。




――ああ、そうだな。




矢張りここには帝国人が巣食っていた。




『ねぇ、むかつくでしょう?


――だからさ、追い出しちゃおうよ。帝国兵。』




あまりにもあっさりと言われた言葉。




『僕と君の力を併せたら、出来ないことなんてないと思わない?』




――いいや。




いいや。思わない。




だって、護れなかった。




帝国人共を追い払うどころか、目の前のお前の命1つすら。




白。白。黒。白。白。




頭はどこか冷静で、視界に入る肌色を一瞬で見分け、剣を振るう。




――否、冷静では ないのかもしれない。




白。白。黒。黒。




目の前の白い男の足を剣で突き刺し動きを奪う。




背後から襲ってきた攻撃を屈んでかわし、そのまま剣の柄で強かに打つ。




振り向きざま、褐色の男を斜めから切り上げる。




白。黒。黒。黒。




剣が肉に食い込む感触や骨を断つ感触にも、アルは顔色1つ変えず。




『泥鼠?随分と似合わない名前をしているんだね』




黒黒黒黒黒黒黒黒。




『じゃあ、僕が君にぴったりの名前を付けてあげるよ。』




くろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろ。






――お前を――光を奪った 帝国の――




血飛沫が舞う中、アルは淡々と剣を振るう。




咽返る程の血臭にも眉ひとつ動かさず。喩え辺りが真紅に染まろうとも、表情を変えることはなかった。






――何も、感じない。




喩え誰かの命を奪おうとも。




恐怖も、悦楽も 何 1つ。






――別に、復讐なんて高尚な目的がある訳ではなかった。




喩え帝国人を皆殺しにしたとて、親友が還って来る訳ではない。






 そんなのは わかっている。






――ただ、赦せなかった。






お前を殺した帝国の連中が、お前のいない世界をのうのうと生きている事が――






これは復讐じゃない。








――ただの 八つ当たりだ。








ただ無心に剣を振るう。






気を紛らわそうと仕事を詰め込んでも。




考える間もなく動き続けても。




思い出されるのはお前の事で。




光のない世界で、俺は 進むべき道も 足元さえも 見えなくて――




戦っている時だけは、この底知れぬ闇から――虚無から解放されるのだ。






死と隣り合わせにあるこの瞬間――帝国の連中を狩る時だけが、生きている事を実感できる。




ただ無心に剣を振るう。




直ぐ傍で命が零れ落ちてゆこうとも、何かを感じることはなく。




ただ戦いの中に身を委ねる。






――そして 少しの昂揚。






死の支配するその世界で 少年は 妖艶に 嗤 っ た 。

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