第16話 焦燥
恐怖でガタガタと震える。
頭が真っ白になって、何も考えられない。
自分が今どうしているのかも、どこにいるのかも。
「奔れ!!」
その言葉に脳が揺さぶられる。
それは反射だった。
前のめりになり、立つ間もなくそのままの勢いで走りだした。
足がもつれ、何度も転びそうになる。
それでも止まることなく、ただ足を動かし続けた。
――そうだ。あれはアルの声だった。
自分を動かした、あの 声は。
漸く思考がはっきりしてきた頃、聞き覚えのない声が耳に届く。
「あっ……!!もう一匹いやがった。」
「逃がすかよ!!」
びくりと肩を揺らす。
――見つかってしまった。
――捕まってしまう。
絶望がずしりと覆い被さってくる。
――しかし
「ここは通さねぇよ?」
凛とした声。
(アルさん?!)
驚いて振り返りそうになる。
『俺が注意をひく。その隙に走れ。』
彼は本当に、1人で残るつもりなのだろうか?
1人で抑えると?
――それとも、死を覚悟しているのだろうか?
「っだとぉ~?!」
「生意気な糞餓鬼が!!」
「ぶっ殺してやんよ!!」
殺気立つ男達の声が聞こえてくる。
――駄目だ。
――殺されてしまう!!
ルファの足が止まりかける。
そしてルファが振り向こうとした瞬間――
『いいか、振り返らずに奔れ。』
彼の言葉が脳裏を過ぎる。
凛とした横顔。
迷いの無い 声。
ルファはしっかりと前を見据えた。
『お前がいても足手まといだ。――そうだろう?』
――そうだ。自分は戦えない。
自分がいたところで、何の助けにもならないどころか、下手をすれば彼の足手まといになってしまう。
『それよりは、早く助っ人を呼んできてくれた方が有り難い。』
「――はい。……はい……アルさん……。」
自然と言葉が漏れる。
そうだ。自分は戦えない。
自分がすべきことはこの場に残ることではなく、一刻も早く助っ人を呼んでくること。
――それだけしか、出来ないのだ。
――なんて無力。
ルファの視界が涙で滲む。
自分は、親の顔も知らない。
物心ついた頃から、ずっと誰かに使われていた。
「奴隷」とまではいかなくとも、それと大差ない扱いだったように思える。
力もなく、賢くもない自分が生きてこられたのは、この足のお陰だった。
小さいころから、逃げ足が速かった。
虐められそうになった時も、屋敷が戦火に焼かれた時も。
自分はこの足1つで生き延びてきたのだ。
それが「瞬歩」と呼ばれるものであると知ったのは、つい最近の事。
独特の足遣いで、人の何倍もの距離を縮められると。
そして自分は、どんなに努力をしても滅多に達する事の出来ない域に、最初からいることを。
その能力を発揮できるのは、こんな場所じゃない。
そう言って勧められた傭兵業。
いい気に なっていたのかもしれない。
自分を 認められたから。
優れた人材の集うこの場でも、自分より早い者なんて いなかったから――
――けれども
――それでも
もっと早く走れればと思う。
どうして自分はもっと早く走れないのかと。
自分の足を遅いと――もどかしいと思ったのは、初めてだった。
情けなくて、涙が出て来る。
――止まらない。
――それでも――
ルファの瞳に力が宿る。
それでも、走らなければ ならないのだ。
――これは、自分にしか 出来ないのだから。
地図は頭に入っている。
何処に見張りの者がいるのかも。
目指すはただ1つだけだった。
今 最も近くにいる 彼――。
どれほど走ったのだろうか。
視線の先に、小さな人影が見えた。
それを視界に納めた瞬間、ルファの顔に歓喜が浮かんだ。
見紛うはずのない、色。
甘い、蜂蜜色の――
ルファの視界が一気に歪む。
そして彼の名を 呼んだ。
屈強な男達が、40はいるだろう。
しかしアルは不思議な程冷静だった。
男達が何かを喚いているが、全く耳に入らない。
不思議な程静まり返っていた。
――聞こえてくるのは、ただ 1つの 声。
『――そう、思わないか――?』
懐かしい 何よりも 大切な――
アルはそっと 目を 伏せた。
『君と僕の力があれば、何だって出来る。』
アルは一歩踏み出す。
『――そう、思わないか?』
「――いいや、思わない……。」
ぽつりと呟いた。
――何も、出来なかった。
ゆっくりと歩き出す。
剣も握らず、ただ手をだらりと弛緩させ、ゆっくりと賊に歩み寄る。
「な……何だ?」
「諦めたのか。この餓鬼が。」
「さっきまでの威勢はどうした?」
賊は訝しんで動きを止める。
しかしアルは歩みを止めない。
走ることも、急くこともなく、ただ ゆっくりと。
『行こう――アル。』
「――ああ……シリル……。」
アルが2人の賊の間を通り抜けるが、賊2人は動かない。
アルが通り抜けた後、彼等はゆっくりと 倒れこんだ。
アルは突然倒れこんだ男達に見向きもせず、ただゆっくりと歩き続ける。
「な……なんだぁ!?」
「何をしやがった!!あの餓鬼!!」
色めき立つ賊達。
にわかに殺気立つ賊達の様子を見ても、アルの表情は変わらなかった。
「ぶっ殺せぇ!!」
男達がアルに襲いかかる。
迸る熱気と殺気と怒声。
その中でアルは 妖艶に 嗤った。
『君、強いね。
名前は何て言うの?』
アルは動きを止めた。
『――泥鼠?
随分と似合わない名前をしているんだね。』
ゆっくりと柄に手をかける。
『じゃあ、僕が付けてあげるよ。』
ざり、と音をさせて足を開く。
『君にはもっと君に似合う名前がある筈だよ。
強くて 気品があって――
そう 例えるなら――』
柄を握る手に力を入れ、静かな瞳で前を見据える。
『――黒豹』
ゆっくりと剣を引き抜き 薙いだ。
※
大きな木に寄りかかり、くあ、と大きな欠伸をする。
どうやら彼は、それをかみ殺すつもりもないらしい。
「あ~あ……。
ったく、割に合わねぇよな~。」
ぶつぶつと文句を言いながら、再び大きな欠伸をする。
まあそれも、仕方がないと言えば仕方がないのだが。
何せ昨夜はあまり眠れていないのだ。
甘い蜂蜜色の髪の毛に手を埋め、そのままがしがしと掻きまわす。
「ったく、人使いが荒いんだよ。あのおっさん……。」
苦々しげに呟くと、盛大な溜息を吐いた。
事の起こりは数日前、傭兵協会本部に呼び出されたことから始まった。
「という訳で、行って来い。」
「……は?」
呼び出した本人に会うや否や、挨拶の一言もなく突然依頼の説明をされた。
その上、受けるかどうかの確認もなく、「行って来い」と命令されてしまったのだ。
「……待てよおっさん。誰も受けるとは言ってねーぞ。
しかもなんだそりゃ。つまりあれか?仕事のついでに賊退治もして来いってか?」
「ああ。一石二鳥だろう。」
悪びれなくにかっと笑われ、思わず脱力仕掛ける。
しかし気力を振り絞り反論を試みる。
ここで折れてしまってはいけないと、今までの経験上、嫌という程思い知らされているのだ。
「おいっ!!賊退治ってのは普通依頼として受けるものだぞ!!
それをついでだからやってこいってどういう了見だよ?!
しかも今回のは相当厄介な類いの奴じゃねぇか!!」
最もな意見なのだが、彼は全く動じずに答える。
「まぁ、相当厄介な仕事であることは認めよう。
――しかし、その件はお前が気にすることはない――最終兵器を投入したからな……。」
意味深な台詞を吐いて、男はにかっと笑った。
「……最終兵器ぃ~?」
胡散臭そうに問いかける顔馴染みの青年を見て、にやりと笑った。
「ああ。奴に任せておけば、何の問題もない。後は殆どが人数合わせだ。
――案ずるな。ちゃんと賊退治分の依頼料も払ってやる。」
現金なもので、そう言われてしまえば最早反論出来ないのだ。
「――俺は、賊退治の方には手を出さなくてもいいんだな?」
「ああ。参加するふりだけで構わん。お前は万一の時の保険だ。
――だが、彼が本気になったのなら、先ずお前の出番はないだろうな。
――安心して依頼に励め。」
自分が断ることなどはなから頭にないらしい。最早彼の中では決定事項なのだ。
はぁ、と1つ諦めの溜息を着くと、しぶしぶ踵を返した。
「――お前も、いい勉強になるだろう。」
扉を開けた瞬間呟かれた意味深な台詞に首を傾げるも、聞いたところでまともに応えない事は分かっていた。
厭な予感がしつつも、そのまま黙って扉を閉めた。
――今思えば、あの男の言っていた「最終兵器」とやらは、彼の事だったのだろう。
彼――昨夜会ったばかりの、年下の少年。
そして欠伸の原因でもある。
随分と、謎の多い少年だった。
彼を見た瞬間、直ぐに解かった。彼がかなりの実力者であることを。
そして彼は、あの年頃ではあり得ぬ威圧感を醸し出していた。
どれだけの修羅場を掻い潜ってきたのか。――それとも天性のものか。
――どちらにせよ、あの年でレルヴァというのは異常だ。
自分のウェール昇格も随分と騒がれたものだが、彼は軽くその上をいく。
最早「優秀」を通り越して「異常」だ。
「……化け物かよ……。」
ぽつりと呟く。
青年――リュートはしばらく呆としていたが、再びがしがしと頭を掻いて、思考を切り替える。
現在の状況を素早く整理する。
懐から地図を取り出し、現在地を確認する。
自分のいる場所――そして、他の人間の位置も――。
「――あの男は、ここ、か――。」
じいと地図を見つめる。
昨夜の様子を思い出す。
酒場に入った瞬間から、探りの目を入れていた。
そして気になる男が1人。
確信はない。殆ど己の勘だけなのだ。
――しかし彼の豊富な経験が、男の些細な不信を見逃さなかったのだ。
昨夜散開した後から、数回男の様子を見に行った。
――彼だけではない。数名に絞り、ある程度の行動を把握していたのだ。
――それが、自分の仕事だから――。
――昨夜といえば。
あの少年――アルともう1人、気になる少年がいた。
アルよりも更に年下で、間違いなく今回集まった傭兵の中で最年少だ。
可哀想に、あの少年はずっとアルと行動を共にしなければならないのだ。
くっと笑いが込み上げてくる。
随分とアルに脅えきっていたが、大丈夫だろうか。
少年の顔を思い浮かべた瞬間――
「リュートさん!!」
本人の声が耳に届いた。
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