第15話 予感
「――この依頼は失敗する」
アルは断言した。
「どうしてですか!?」
驚いて目を見開くルファに、アルは淡々と続ける。
「この世に絶対なんてものはない。喩え絶対的に見えていたとしても、それは只のまやかしに過ぎない。絶対、確実、完璧。――そんな幻想に囚われていては、物事の本質を見失ってしまう。
完璧に見えていても、必ずどこかに綻びがあるはずだ」
アルは足を止める事もしない。
「今回、確実に依頼を成功させる為に、協会のジジイたちはルガイ以上の傭兵を集めた。――だが、そこが既に誤りだったんだ」
「何故です?足手まといを減らし、優秀な人間ばかりを集めれば、簡単にカタがつくはずです」
「――普通は、な」
アルは冷笑を洩らした。
「酒場の連中を見ただろう。――アレを見て、どう思った?」
「――どうって……」
「肉体的な強さであれ、権力的な強さであれ、力を持った人間ってのは、異様なまでに矜持が高くなる傾向にある」
その言葉に、昨夜の様子を思い出す。
「ルガイってのは、ある程度選抜された人間だ。己の実力を認められ、他者よりも優れていることを認められた人間――つまり、普段は尊敬と畏怖の視線を受け、他者を見下してきた人間だ。
なのに、己と同等、若しくはそれ以上の人間ばかりが集められた。自分だけが優れているわけではない。……どうなると思う?」
「――己の優位を示そうとする……ですか?」
「正解だ。この場にいるのは、自分と同等、若しくはそれ以上の実力の持ち主。つまり、常に須く受け続けてきた畏敬の視線を自分に向けるものはなく、代わりにいつも他者に向けていた視線を、今度は自分が受けるかもしれない。――それは、随分と屈辱的だろうな?」
ルファの脳裏に、昨夜の様子が浮かび上がる。
俺が。俺が。俺が。
己を主張することしかしない人間。常に自分が優位に立たなければ気が済まず、他者を見下す材料を探し続けていた。
「奴等に協力なんて言葉は存在しない。常に命令を下す立場にいたんだからな。如何に他の奴等を動かすか。頭にあるのはそれだろう。――意見を受け入れるということは、敗北を認める様なものだ」
――結果、奴等はお互いに潰し合う。
アルの淡々とした言葉が、ルファの背筋を走りぬけた。
――ああ、きっと彼等はそうするだろう。
「それに、己の実力を過大評価している人間に限って、隙が多いんだ」
今朝の光景を思いだす。
――あれは、喩え見つかったとしても自分なら返り討ちに出来るという自信の表れ。寧ろ、実力を見せつける機会を設ける為に、わざと見つかろうとしていた節がある。
「――まあ、後はあのおっさんの腕次第だな。」
「――そうですね。ガディルさんは、貴方を除けば唯一のレルヴァ。どれほど自分に自信があろうとも、幻のレルヴァ相手に張り合おうなんて考えないでしょうし……」
――そうだ、彼らの中にはガディルがいるのだ。幻といわれる、最高位であるレルヴァの称号を頂く傭兵が。
ならば、何の心配もいらない筈だ。きっと彼なら、あの荒くれ者たちをまとめてくれるだろう。そう結論付け、視線を前に戻した。
もう一人の、幻のレルヴァへと――
「――そんなことよりあの……アルさん」
ためらいがちに声をかける。先程からずっと考えないようにしていたのだが、矢張りこの違和感は拭えない。
「1つだけ、聞いても宜しいでしょうか……」
「何だ?」
「――それ、何ですか?」
そこで初めてルファを振りかえった。ルファの指を目で追い、彼が何を指しているのかに気付く。
「――籠だが。……他に何に見える?」
当然のように答えられ、ルファの頬がぴくぴくと痙攣した。
「――否、それは分かっているのですが、何でそんなものを持ち歩いているんですか?」
アルの背中には、木で編まれた籠が背負われていた。村人が薬草や山菜を採る際に使う様な、小ぶりな籠。山を歩く格好としては別段おかしくはないのかもしれないが、アルが背負うと物凄く違和感がある。そして自分達は今、賊退治に行く最中なのだ。そんなもの、邪魔にしかならない。
ルファの疑問が分かったのか、アルは淡々と続ける。
「只の擬態だ。もし賊に見つかったとしても、村人が山菜とりに入ったと思わせる事が出来るだろう」
「……それは……そうですが……」
「何より、入れ物がないと薬草を持ち帰れない。」
「――は?」
「村長の依頼で、幾つかの薬草を摘んで帰らなければならないからな」
「――またお仕事ですか?!」
驚いて声を荒げるルファに煩そうな視線を向けた。
「擬態ついでに2つ程用事を頼まれただけだ。」
「ふ……2つもですか!?」
只のカモフラージュの為に依頼を受けるなんて。
仕事とは何よりも優先される事柄であって、ついでにやる様な事ではない。ルファは思わず呆れてしまった。
ルファはおずおずと問いかけた。
「あ……あの。今は賊退治の依頼中でしたよね?」
「ああ。心配しなくても依頼料は半分やる」
付き合わせてしまったからな。矢張り淡々と続ける。
「……否、そういうことじゃなくて……」
自分が言いたかったのは、賊退治という大仕事を抱えているのだからそれに集中した方が良いのでは、という事であって、依頼料について言っている訳ではない。
ふうと溜息をついて、アルの端正な横顔を見つめた。ずっと働き詰めだったはずなのに、彼の顔には疲労の色が見えない。
昨夜ルファが食事をしている間も彼は仕事をしており、ルファが眠りにつくまでにアルは戻ってこなかった。
考えてみたら、アルが休んでいる姿を見てはいない。
「……そんなに働いてどうするんですか?」
ふと疑問に思い問いかけると、アルは虚空を見つめて答えた。
「別に。ただやることがないから仕事をしているだけだ」
ぞくりと背筋が冷えた。
アルの瞳は闇に染まり、光を映してはいない。
突然の変貌。しかしそれは「変化」というよりは「戻る」と言った方が正しいように思えた。
ピトのように深い絶望を味わい闇色に染まったのではなく、初めから闇そのものであったかのように、とても自然に闇色に染まってゆくのだ。
「……何かをしていれば、気が紛れるからな……」
アルは虚ろな瞳で虚空を見つめていた。
ルファの体が震える。
「あ……。」
何かを言わなければと思うのに、言葉が浮かばない。
ぐうぅぅぅ。
気まずい沈黙を破ったのは小さな鳴き声。ルファが頬を赤く染め慌てて腹を押さえると、上から息の漏れる音がした。
そおっと見上げると、アルが相変わらずの無表情でルファを見下ろしていた。
「……昼飯にするか?」
「………はい………」
ルファは俯いて、蚊の鳴くような小さな声で答えた。
「勘は当たっていたようだな」
「え……?」
座って食事をとっていると、アルがふと呟いた。
「どうやらあっちに何かがあるらしい。」
顎をしゃくって森の奥を指す。
「え……どうしてです?」
不思議そうに問いかけると、アルは指で反対方向を指した。
「あっちに誰かの通った跡があった。……まだ新しい、しかも数人のな」
「……それはつまり……」
「何かの団体が山を下り麓の方へ向かった、ということだな」
「団体ってまさか……」
「賊の蔓延る物騒な山を呑気に歩き回る村人がいるとも思えない。となれば賊本人だろうな。」
そう言って夫人の持たせてくれたパンを齧った。
口内に甘味が広がる。アルの希望通り、あまり臭いの出ないようにと味付けを殆どしていないそれは、通常のパンより味が劣る。しかし店で買う携食よりは甘く芳ばしい。
もくもくとパンを食べるアルを、目を丸くして見つめた。ただ草を採っているようにしか見えなかったのに、いつの間にそんなものを見つけていたのだろうか。
するとアルはルファの目の前で紙を取り出し、何かを書き始めた。
「……何をしているんですか?」
「ああ。この辺に生えてる薬草の種類をな。賊に踏み荒らされて駄目になってないか調べてこいと言われたんだ。」
「……まさかそれもお仕事……」
「ああ、これも依頼料を半分……」
「いらないですから!!」
どこかずれた会話に頭が痛くなってくる。
ただ歩いているようにしか見えなかったのに、いつの間に調べたのだろうか。その優秀さを尊敬すればいいのか、呆れればいいのか。
「飯を食ったら奥へ進むぞ。張り番はいるだろうが、恐らく殆どが出払っている筈だからな」
その言葉に、急に現実に引き戻された。
「……はい」
戦えない自分は、足手まといにならぬように頑張るだけだ。そして出番がくれば、自分の仕事を全うする。
その為に今すべきことは、その時の為に腹ごなしすること。
ルファは気合いを入れ、思い切りパンを齧り、勢いよく租借し始めた。
気配を殺して歩く。その慣れない動作に、ルファの速度が落ちて来る。
自分は主に連絡要員である為、求められるのは速度のみ、だ。このように気配を殺して歩くことなど滅多にない。
しかし隣を歩くアルは速度を落とすことなく。寧ろルファの前を歩いている。それはとても信じ難いことで。
自分の瞬歩は天性のもので、喩え修練を積んだとしても、そこまで到達出来る者は少ないと言われた。
しかしアルは、息1つ乱さず自分と違わぬ速さで歩き、その上完璧に気配を消し、周りに目を配っている。
優秀、というにも程がある。
――まるで化け物だ。
喩え彼が修練を積んでいたとして、自分と大して歳の変わらぬ彼が自分と同レベルに達する事が出来るのだろうか?
――それとも彼も、天性の才を持っていたのだろうか?
考え事をしていたが故に、反応に遅れてしまった。ふと気がついたときにはアルの手が目の前にあり、歩く勢いそのままにぶつかってしまった。
「ぶっ……」
ルファが間抜けな声を上げて止まると、アルは小さな声で呟いた。
「見つけた……」
何がだろうとアルの視線を追うと、そこは2人の男が立っていた。腰に券を佩き、厳つい顔をしているその男達はどう見ても堅気のものではない。
「……まさか……」
ルファの呟きにアルは僅かに口端を上げ、答えた。
「……その、まさかだな」
洞窟の入口に陣取る男達は、見るからに見張りの者だ。つまり、中には見られてはならないものがあるということ。
アジトだろうか?宝物庫だろうか?
アルの勘は当たったのだ。
ごくりと生唾を飲み込む。
「しばらく様子を見るぞ。」
アルの冷静な一言に、ルファは驚いて反論する。
「ほ……他の人に知らせないんですか!?」
「ああ。連中が戻ってくるかもしれん。下手に動けばはち合わせる。……ある程度人数が揃ったら、近場の奴に知らせに行け。俺は奴らを見張る」
「わ……分かりました」
「気配を消せ。絶対に感付かれるな」
「……はい」
ルファは口を手で覆い、出来るだけ息を殺して縮こまった。
どれくらいそうしていたのだろうか?
永遠にも等しいその刻はいつ終わるかも分からず、緊張のあまり張りつめられていたルファの神経は、決壊ぎりぎりまで追い込まれていた。
「どうやら御帰還のようだな……。」
突然頭上より降ってきた言葉に、思わずアルを見上げる。
その視線は固定されたまま。アルの視線を追うと、大きな影が見えた。
それは徐々に大きくなって行き、その大きな影が人の集まりである事が分かった。
聞こえる数多の足音。飛び交う話し声。
それらがルファの耳にも届き始めた頃、彼等は既に目と鼻の先まで来ていた。
「あ……アルさんっ!!」
「ああ……連中が中に入ったら、そっと抜け出せ。ここから離れたら、全力で走れ。……いいな?」
「は……はい……」
緊張と恐怖で上擦る声。今目の前を通り過ぎて行く男達は、50はいるかもしれない。
筋骨隆々とした男達。もし見つかってしまったら、子供2人で勝てる筈がないのだ。
恐怖に支配されるルファ。そしてそれを煽るかのように呟かれた言葉。
「内通者がいるかもしれないな……」
「……え……?」
「今奴等の会話を聴いた。へんな連中がいる、アジトの場所がばれた……そんな話をしていた」
「ど……して……」
「わからん。村人か、傭兵か……。或いは連中を何処かで見たのかもしれない。どちらにしても、情報が漏れている事は確かだ。……一旦引くぞ」
「……はい」
ルファが身じろぎをした瞬間――
ぱき。
小さな音が響いた。ともすれば聞き逃してしまいそうなその小さな音を、完全に聞き取った人間がいた。
「そこにいるのは誰だ!!」
ルファは真っ青になった。焦るあまり注意力が散漫になり、足元にあった小枝に気付かなかったのだ。
なんて失態。
だが、焦るルファとは対照的に、アルは冷静そのもので。
「俺が注意をひく。その隙に奔れ」
「で……ですがアルさんっ!!」
「誰だと訊いている!!」
反論を、大声がかき消した。
「お前がいても足手まといだ。――そうだろう?」
はっきりと言われ、ルファはぐっと詰まった。
「それよりは、早く助っ人を呼んできてくれた方が有り難い」
話す間にも、賊はどんどんこちらに近付いてくる。
「いいか、振り返らずに奔れ」
アルは言うと同時に立ち上がり、茂みから姿を現す。
「なんだぁ?子供じゃねぇか。」
「ほぉ~?随分とお綺麗な顔してんじゃねぇの。こりゃあ、高く売れるぞ」
賊の目がアルに集まると、アルはゆっくりと前へ進み出た。
「おい。こいつ、生意気にも剣なんか持ってんぞ。」
「……何なら、試してみるか?」
「なにぃ~?」
笑みさえ浮かべるアルに怪訝な顔をして、賊の動きが止まる。
「奔れ!!」
その一瞬の隙を逃さず、アルは叫んだ。
ルファは弾かれたように立ち上がり、一目散に駆け出した。
「あっ……!!もう一匹いやがった。!!」
「逃がすかよ!!」
追いすがろうとする賊の前に立ちはだかるアル。
「ここは通さない」
その様子に、一瞬だけ動きが止まった。
少女のように細く美目麗しい少年が、多くの賊を目の前に脅えるでもなく、寧ろ余裕の笑みさえ浮かべているのだ。
面食らった賊達であったが、直ぐに我を取り戻す。
「っだとぉ~?!」
「生意気な糞餓鬼が!!」
「ぶっ殺してやんよ!!」
殺気立つ男達。
ちらりと後ろに視線を滑らせると、ルファの姿は見えなくなっていた。それを確かめ、視線を前に戻す。
騒ぎを聞きつけたらしい。洞窟の中に入っていた男達も続々と出てきて、人数は倍以上に増えていた。
だが彼は臆することなく。素早く男達に視線を滑らせると、アルの唇が弧を描いた。
殺気立つ数十の男達を目の前に、彼はゆっくりと、妖艶に笑んだ。
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