第14話 賊退治へ
心地よいまどろみの中、衣擦れの音を聴いた。しゅっと勢いよく引かれるその音は迷いなど一切なく、どこか気が引き締まる気がした。
次いで耳に入るのは金属の擦れる音。しゅっ……かちゃかちゃ……。その聞き慣れた音が何であるかさえも思い出せず、未だまどろみの中をたゆたい続けた。
重たい瞼は前日の睡眠不足からか、全く開こうとしない。それでも何とか薄眼を開けてみると、美しい人が窓際に佇んでいた。凛とした、美しい佇まい。すっと通った鼻筋、形のよい唇。日の光を受け、白く輝く白磁の肌。そして何よりも印象的な、人を引き付けてやまない、魔性の瞳。
まるで女神が楽園に降り立ったような、神秘的な光景。
――ああ、綺麗だな……
呆とそんなことを思った。
未だ覚醒せぬ頭は考えることを拒絶し、ただ呆と目の前の光景に見入っていた。
どのくらいそうしていたのだろうか。ふと女神がこちらを向いた。眼があった瞬間、口の端を上げ、矢張り心地よく響く美しい声で語りかけてきた。
「……起きたか。そろそろ支度しろ」
その女神の様な美しい容姿と神秘的な雰囲気に似つかわしくない、低めの声と乱暴な口調。既視感を感じ、一気に意識が覚醒する。
「え……あれ……えっと……」
「そろそろ出かけるぞ」
「うあっ……えぅっ……ちょっ……ちょっと待って下さい!!」
がばりと勢いよく起き上がるが、足をもつれさせ寝台から転げ落ちた。そんなルファの様子を見て、形のよい唇が弧を描いた。
慌てて身支度をしながら、ちらりとアルに視線をやる。まだ日が昇り切っていないというのに、完璧に整えられていた。先程聞こえた音は、服を着替える音と剣帯を付ける音だったのだと漸く気付く。
――起こしてくれればいいのに。
熟睡していた自分が悪いのだが、少しばかり恨めしい気持ちが湧き上がってくる。
当のアルは、布地で出来た薄い籠手を嵌めながら、窓の外を見つめていた。
「アルさん!準備――」
言いながら駆け寄ったルファの言葉を片手で制止する。人差し指を口元にやり、視線だけで窓の外を示した。訝しげに思いながらも、そっと窓の外を覗き見る。
アルの視線の先にいたのは、人とはどこか違う雰囲気を纏った、厳つい男達。そしてそのほとんどに覚えがあった。
「……アルさん……」
小さく囁くと、アルは首肯し、皮肉気に嗤った。
「どうやらやっとで到着したらしいな。……あいつらはどう見たって素人じゃない。依頼人の説明を聞いていなかったらしい」
「……ですね」
流石のルファも呆れてしまった。
眼下を歩いていたのは、昨夜集まっていた傭兵の1部であった。彼等は揃って、剣を佩き籠手を嵌め、明らかに荒くれ者の様相をしていた。
余程自信があるのか、明け方で誰も見ていないと油断しているのか――それとも何も考えていないのか。どちらにせよ、随分と間抜けな話である。
ルファは大きく溜息をついた。
「行くぞ」
アルは、最後の1人が宿屋へ吸い込まれていったのを見届けると、踵を返し、扉へと歩みを進めた。
「あっ……はい!!」
ルファも慌てて後を追う。ぱたりと音を立てて、扉が閉まる。
それはまるで「後戻りは出来ない」と言われているようで、どこか不吉に響いた。
アルとルファが部屋を後にすると、階下から物音が聞こえてきた。
階段を下り扉を開くと、芳ばしい香りが鼻腔を擽る。
「ああ、早う御座います。昨夜はよく眠れましたか?」
穏やかに微笑む村長に「はい」と小さく返すと、それは良かったと優しく微笑んだ。
台所では夫人が忙しく動き回っている。
まだ日が昇り切っていないというのに、村長夫妻は既に起きていたのだ。
パタパタと軽やかな音を立てて、夫人が顔を出した。
「お早う御座います。
お食事はされて行かれますか?」
その言葉と胃を刺激する香りに、ルファの腹が主張し始める。
何か、得体の知れぬ小さな生物の鳴き声。
その小さな声を聞いた瞬間、夫人は笑って踵を返した。
「もう準備出来てますからね。直ぐ食事にしましょう。」
「うう……すみません……。」
羞恥から顔を真っ赤に染めて小さくなるルファを、肩を揺らしながらも穏やかな瞳で見つめる村長。
こわごわとアルを見上げると、その形のよい唇は弧を描いていた。
(は……恥ずかしいよぅ~!!)
大きな瞳いっぱいに涙を浮かべるルファの様子に、堪え切れなくなったのか、村長は豪快に笑い始めた。
「そう言えば、他の方々も到着されたようですね。」
食事をとる2人を見ながら、村長が口を開いた。
当然ながらピトはまだ目覚めてはおらず、夫妻はピトと共に朝食をとるのだと言って、食事ではなくお茶を口にしていた。
「ああ。さっき窓から見た。」
答えながらパンを口に運ぶ。
それを横目で見ながら、そう言えばアルが食事をする姿を初めて見ると思った。昨日は結局1人で食事をとったのだし。
すると、ふと素朴な疑問が浮かんだ。
「あの……アルさんは、昨日いつ食事をされたのですか?」
質問の意味が分からなかったのか、アルは不思議そうに見つめ返した。
「……昨日……?」
「はい。あ……あの、昨日僕が食事をしている間、アルさんはここに来ていたんですよね?
……だったらいつ食事をされたのかと思って……。」
酒場から直接村に向かい、ルファを残してアルは仕事をしていたのだ。
食事をする暇があったとは思えない。
するとアルは、予想通りの返答をした。
「そう言えば、食ってないな……。」
「え……じゃあ、昨日のお昼から何も食べてないんですか?」
「否……昨日は食べてないな。」
「え……じゃあ最後に食べたのはいつ……。」
予想以上の返答に呆気にとられていると、アルは更なる爆弾を落とした。
「一昨日……の、昼?」
思わず言葉を失う。
その返答を聞いていた夫妻も目を見開いていた。
「え……え……ええぇぇぇ!!」
ルファの絶叫が響いた。
ピトを起こしてしまうかも、という考えは頭になかった。
ただただ呆然とアルを見つめる。
彼は、ほぼ丸二日何も食べていないことになる。
その上多くの依頼をこなし、人より動いている筈である。
昨日とて、かなり飛ばして村まで来たのだ。
人よりも多くの栄養を欲している筈の彼は矢張り平然としており、空腹で目を回すような事もなく。
そして、ルファは昨夜彼が眠る姿を見てはいない。
「あっ……アルさん!!人は食べないと死んじゃうんですよ!!」
慌てて諭すが、アルは何を当り前な、という顔でルファを見つめた。
「それは人に限ったことではないと思うが。」
「だったら食べましょう!!
っていうか、何で食べないんですか!?お腹空かないんですか!?」
「今食べているだろう。」
「今の話じゃないんです!!」
何故ルファがそこまでむきになるのか理解できず、首を傾げる。
「単に忘れていただけだ。俺は空腹を感じたことはないし、感じない。
だから、思いださなければ、2・3日何も口にしないこともよくある。」
だからお前が気にすることではない、と言って再びパンを口に運ぶ。
「現にこうして思いだしたら食っているだろう。」
そう口にしながらふと手元を見た。
何故か、食事の量が増えている気がする。
アルの話を聞いた夫人が慌てて追加したのだが、、細かいことを全く気にしないアルは、特に考えることもなく、食事をとり続ける。
その、あまりにも適当すぎるアルの返答に、呆然とするルファ。
村長も目を丸くしていた。
(……これは、大雑把、と形容してもいいのだろうか……。)
アルに対する印象が、再び変わってしまったルファだった。
黙々と食べるアルに、ルファは呆れた様な、感心した様な視線を向けた。
「……良く食べますね。」
先程の話を聞いた所為か、夫人はせっせとアルの器へ盛り続けている。
アルはそれを淡々と食べ続けているのだ。
「別に。俺は空腹を感じない。同じく満腹も感じない。
ただ出された物を食べるだけだ。」
顔も上げずに応えるが、なんとも言えない顔をするルファが視界に入り、アルはルファに向き直った。
「別に、体が重くなる程食うわけじゃない。任務に支障はきたさないから心配するな。」
「――否、そういう意味じゃ……。」
何かずれていると思いながらも、取り敢えず考えることを放棄した。
既に満腹で動けなくなる程食べている気がするが、アルが大丈夫だというのなら、自分が気にすることではないのだろう。
ルファが1人で納得していると、ふっと息の漏れる音がした。
音の方へ顔を向けると、村長が思わず、といった様子で笑っていた。
穏やかに微笑む村長を見て、ふと疑問を抱く。
昨夜、アルはピトに随分な仕打ちをしていた筈だ。
そしてあの威圧感。
どうしてこうも友好的な態度で接してくれるのかが分からない。
その思いが顔に出ていたのだろう。
村長は困ったように微笑むと、ゆっくりと口を開いた。
「――ピトは、あの日からろくに眠っていません。
目の前で大勢が殺され、姉を連れ去られたという忌々しい記憶があの子を苛んでいるのです。」
普段は塞ぎこみろくに話すこともせず、夜は寝台に潜り込んでも悪夢にうなされ続け、浅い眠りを繰り返しているらしい。
食事ものどを通らず、ピトは日に日に衰弱し続けていたと。
「しかし昨夜、ピトは悪夢に蝕まれることなく眠っていました。」
その寝顔はとても安らかなものであったと。
「ピトは内に秘めていた感情を一気に吐きだし、楽になったのでしょう。
その上、姉が戻ってくるかもしれぬという希望を持つことも出来た……。
……やり方はどうであれ、アルさんには感謝しております。」
穏やかに微笑む村長。隣の夫人も、深々と頭を下げていた。
――確かに、昨夜のアルの行動はとても荒々しくて、決して褒められた行いではなかった。
しかし、結果彼の行動は1人の少年を救ったのだ。
言い表せない思いを抱きアルを見ると、彼は気にした様子もなく食事を続けていた。
きっと、彼にとっては何でもない行動だったのだろう。
感謝されるようなことでも、誇るようなものでもなく。
ルファは、初めて会った時から抱き続けていた、アルに対する恐怖が消えていることに気がついた。
それは皆無ではない。
しかし、以前のように恐れを感じなくなったのも事実だった。
「お昼は如何致しますか?
宜しければ携食をお作り致しますよ。」
その夫人の申し出を、有り難く受けることにした。
「森へ行くんだ。極力臭いのないものがいい。」
アルはそう言って注文をしていたが、夫人は厭な顔1つ見せずに快く引き受けてくれた。
夫人から受け取り外へ出ると、ルファは疑問をぶつけてみた。
「何で臭いのないものなんですか?」
「臭いに釣られて動物が集まってきたら見つかってしまうだろう。」
ああそうかと納得するルファに、前触れなく何かの粉を振りかけた。
「えっ……ぶはっ!!な、何……。」
げほげほとせき込むルファに、矢張り淡々と返す。
「臭い消しだ。俺達の臭いは森の中では異質だ。
草や土の臭いで上書きしないと、森の住人達に警戒される。」
「だったら一言断ってくれても……。」
ぶちぶちと文句を言いながらアルに恨めしげな視線を向けると、アルは何故か上を向いていた。
つられてアルの視線を追うと、その先にはピトがいた。窓辺に立って、熱心にアルを見つめるピト。
その顔にははっきりと、姉を助けてほしい、と書いてあった。
アルは唇に弧を描くと、ゆっくりと腕を上げた。
――まかせろ。
まるでそう言っているようだった。
それはピトにも伝わったらしい。
ピトはぼろぼろと涙を流しながら、ひたすら頷いていた。
「――行くぞ。」
名残を惜しむわけでもなく、ピトに語りかけるでもなく。アルはあっさりと村長宅を後にした。
ルファは慌ててその後を追う。
遠ざかる2人の姿を、ピトはいつまでも見つめ続けていた。
その姿が小さくなり、消えてしまった後もずっと――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます