第12話 それぞれの夜~或る少年の災難~

酒場という場所は、街中であれ田舎であれ、多少の差はあるものの、旅人や仕事終わりの人間が集い、賑わっているものである。


――しかし、ここは……



からりと音をさせ、杯を傾ける。口内に広がる冷たくて甘い液体。果実を煮詰め、更に蜜で甘味を加えたそれは、子供用に味付けされているため、随分と甘い。


しかし甘いながらも後味はさっぱりしている為、くどくなくて調度良い。程良い甘さは疲れた心を癒してくれる。


はぁ、と1つため息をつき、少年はこそりと視線を彷徨わせる。


酒場は喩え田舎であっても、仕事や家庭の苦労自慢を繰り広げている人たちでごった返している筈だ。そして自分のような旅人が現れた時は、珍しいからと周りに人が集まってきて、質問攻めにあうのが常だった。


しかしこの酒場は人が殆どいない。2、3人の親しい者が、店主と会話をするために来ているようなものだ。


ふと店主と目があった気がして、慌てて視線を逸らす。そして、再びぐいと杯をあおった。甘い果実水が喉を潤す。


グラスから口を離すと、再びため息をついた。もう、何度目の溜め息になるだろうか。食事を済ませてしまったにも関わらず、自分の連れ合いは戻ってこない。


手持ちぶさたになった少年は、グラスを揺らし、からからと氷のぶつかる音を聴きながら、グラスを見つめる。しかしやることのない少年は、再びグラスを口に付けるが、彼の小さな唇に冷たい氷は当たっても、一向に目当てのものは流れてこない。


盛大にため息をつくと、そのまま机に突っ伏した。



どうして、こんなことになってしまったのだろう――


少年――ルファは、己の不幸を呪いたくなってしまった。



事の起こりは数刻前、新たな依頼の説明を受けに行ったことから始まった。


自分はあまり剣が得意でなく、傭兵協会の認定試験にはかろうじて受かったものの、イーシャからレートへと昇格することはなかった。


しかし、自分はそれでもいいと思っていた。自分には、他の者よりも優れている、生まれ持った才があったから……。


それは、一般的に「天恵」と呼ばれているもので、一言でいえば、一芸に優れた者を差す。


喩えば人より聴覚の優れた者。喩えば人より視覚の優れた者。そう言った人間は、天より授けられし恵み――才を持つ者として、重宝されていた。


聴覚の優れた者ならば、近づく者の足音や息遣い、会話などを聴き取ることが出来るので、商隊の護衛などにとても役立つ。嗅覚の優れた者は匂いを追跡出来るので、人探しなどに効果的だ。


視覚の優れた者、知能の高い者――


他にも一芸に秀でた人間は、「天恵者」として、特別な位を授けられていた。本来の実力を示す腕輪の他に、天恵者としての位を示す証も戴いている。


そっと己の腕に視線を落とす。自分自身の位――イーシャの証である水晶が、酒場の灯りを受けて淡く煌めく。そして、細い水晶の腕輪に付けられた、小さなラピスラズリの環。


この小さな環は、天恵者の証である。人によって、腕輪に付ける者もいれば、指輪として利用している者もいる。ルファは前者であるが。


つまり彼は、自分自身は見習い――イーシャであるが、天恵者としての能力でいえば、ルガイに値する実力を持っていると認められ、相応の依頼を受けることが出来る、ということである。


ふうと溜息を洩らし、そっと小さなラピスラズリを撫でる。


今回の依頼は、大がかりな賊退治であった。自分の天恵は俊足――つまり、足が速いため、連絡係として同行することになっていた。


天恵者としての能力、つまり自分の足はルガイ相当であると評価されているが、ルファ自身はまだまだ見習い程度である。


今回は、危険な任務である為、同行者を伴うことで参加を許可された。ルガイ以上――今回の作戦参加者の誰かに護衛を頼まなければならなかった。連絡係としての仕事を全うするとき以外、つまり、戦闘時や道中警護の為の相方を見つけること。それが今回の参加資格であった。


早くから酒場のカウンターに陣取って、イルティアを注文する客を見ていた。しかし条件がルガイ以上なだけあって、皆、筋骨隆々とした屈強な男が多かった。厳つい荒くれ者に声をかける勇気がなく、時間だけが無情にも過ぎてゆく。


――早く声をかけなければ


そう、気が急いてきた時だった。ルファの耳に信じられない単語が届いた。


「タティールのソテー 」彼はそう言った。


「ソテー」はレルヴァを示す単語である。レルヴァは存在しないとさえ言われている幻の階位。まさか、と思い驚いて顔を上げると、そこには一人の男が立っていた。


立派な体躯、厳つい顔、他者を屈服させる百戦錬磨のオーラ。彼は確かにレルヴァを名乗るにふさわしい容貌をしていた。その強面の顔に僅かに浮かべた誇らしげな表情には、彼のその位に対する自信と誇りを感じた。


呆然と彼が消えていくのを見送った。そして彼の後にも何人かがイルティアを注文し、吸い込まれるように奥へと消えてゆく。しかし、矢張りルファには声をかけることが出来なかった。


半ば諦めかけていた時だった。再び二度と聴くことのないと思っていた単語か耳を掠めた。


「ソテー」


――まさか、幻のレルヴァが2人も来るなんて思わなかった。しかも今回のレルヴァは、大柄ではない。


フードを被っていて顔も見えなかったが、今まで通って行った男たちの中で、一番ほっそりとしており、僅かに聞こえた声は、まだ少年のものであった。おそらくは自分と同じか少しだけ上であろう。


まさか、そんなはずはないと理性が彼の存在を否定する。今回の条件はルガイ以上。自分と同じくらいの若い人間が参加できるはずがない。自分は天恵という特例があるからこそこの場にいるのだ。


しかし現実は彼の存在を肯定していた。もし本当に彼が自分と変わらぬ歳であるなら、声をかけるべきであろう。こんなチャンスは二度と訪れない。


――しかし、頭の何所かで彼を恐れる自分がいた。


フードで顔が見えない、というのも一因であろうが、一種の得体の知れなさのようなものを感じていたのかもしれない。この場を通る、どんな屈強な戦士たちよりも恐ろしいとさえ思った。彼に比べれば、他の男たちの方が幾分かましである。


次に通った人間に声をかけよう――そう、決意した時だった。


――まさに、奇跡としか言いようがなかった。


次に入って来た男はまだ若く、20代前半程度。軽薄そうな笑みを顔に張り付かせ、ある種の親しみ易さのようなものを感じた。


ルファは迷わず彼に声をかけた。


彼が最後に到着した傭兵であり、もし彼に声をかけていなければ、自分はこの仕事に就けなかったのだから、矢張り奇跡であるとしか言いようがない。



再びグラスに唇を付け、中の液体を一気に流し込む。しかし氷が溶け切っており、中身は殆ど水であった。ほんの少しばかり味が付いている分、余計に不味い。これでは水の方がまだマシである。おもいきり眉を顰めると、吐き出しそうになるのを必死で堪え、一気に嚥下する。


はぁ、と盛大に溜息をつくと、空になったグラスを注視する。彼の連れ――アルという少年は、直ぐに戻ると言って出て行ったきり、戻ってこない。


彼を待っている間、食事をとり、デザートも食べ、更に時間を潰すために果実水をも頼んだが、氷が溶け切ってしまった今でも彼は戻ってくる気配すら見せない。


自分はどうしたらいいのだろうか。何度目になるか分からない考えが脳内を駆け巡る。


先に宿屋に行くか――?


――否。


まだ、今宵羽を休める宿屋を決めていない以上それは出来ない。合流が更に遅れてしまう。


アルを探しに行くか――?


――否。


何処に行ったのか見当もつかない以上、やみくもに探しまわっても逆効果だ。すれ違い、下手をすれば二度と会えなくなってしまう。


ならば矢張りここで待つしかない。


何度も何度も考えた。しかし、何度考えようとも常に同じ結論に達するのだ。


それでも、分かっていても、考えずにはいられない。他に、することがないから。不安に、押しつぶされてしまいそうだから。



再び杯を傾けるが、果実水どころか、氷や水さえも残ってはいない。当然だ、今し方飲み干してしまったばかりなのだから。


仕方がない。もう一杯果実水を注文しようか。そう思った瞬間だった。


からんからん。軽やかな音をさせ、入口のドアが開いた。先程から話しこんでいた店主と客も、話を中断させ、入口に視線をやる。


そこに立っていたのは、怪しげな人影だった。大きな古ぼけた外套に身を包み、フードを目深に被っているため、顔が見えない。男か女かさえも判別がつきにくい。


しかしルファは、その人影の正体に気付いていた。喩え外套に身を包みフードで顔を隠そうとも、彼の放つ独特の雰囲気は隠すことが出来ない。


漸く求め続けてきた待ち人が来たことにより、ルファの顔に笑みが浮かぶ。その旅人もルファに視線を固定すると、わき目もふらずルファに向かって歩みを進める。つかつかと足早に歩いてきた彼は、ルファの目の前で足を止めた。


その彼を見上げると、泣き笑いの様な表情を浮かべ、声をかける。


「――遅かったですね。何処に行かれてたんですか?――アルさん……」


ルファを見下ろす様に立っていたアルは、ぽつりと呟くように言葉を紡いだ。


「……悪かったな。別の仕事を片付けていたんだ」


「……え……別の……?」


「……ああ……」


間抜け面で目を瞬かせるルファに肯定の言葉を贈ると同時に、アルはフードに手をやり、ぱさりと後ろへ落す。ふる、と軽く頭を振り、目にかかっていた前髪を揺らす。


稲穂のカーテンから現れた、強い瞳。


視線を、逸らせなくなる。


まるでその深淵の闇に吸い込まれるかのように、呆然と、そして陶然と見つめる。


ざわり。ルファの声でもアルの声でもない、別の声で我に返る。


ちらりと控えめに視線を滑らせると、店主と愉快な仲間たちが、呼吸さえも忘れたかのようにこちらを見つめていた。呆然と目を見開き、しかし僅かに熱を帯びたような陶然とした瞳で一点を見つめる男たち。しばし思考を奪われていた自覚のあるルファは、自分もあんな顔をしていたのだろうかと冷静に思った。


アルの美貌は凶器だと思う。


アルくらい美しい人間はそうそういないが、皆無ではない。しかし、彼と同等の美貌を持った人間が全て、こうも人を引き付けてしまうのかといえば、否と断言できる。


では何故こうも人の思考力を奪ってしまうのだろうか。


美貌……確かにそれが真っ先に目のいく場所だろう。現在は大きな外套で体をすっぽりと包みこんでいるため、体型が分からない。因って、女性にも見えなくはない。中性的でどちらか分からない。それも、理由の一つかもしれない。


そして、彼の纏う独特の雰囲気もその一つかもしれない。「カリスマ」とでもいうのだろうか。

彼に従わなければならないような気にさせる、王の風格を纏っている。


そして何よりも、その、瞳。


闇く、まるで焦点があっていないかの様だ。しかしどこか澄んでいて、強い意志を宿している。


恐らく、それら一つ一つが人を魅了する彼の魅力であり、全てが合わさることで思考力を奪ってしまう程に人を引き付けてしまうのだろう。


(――なんか、本人自覚なさそうだけど……。)


アルと視線が合ってしまい、慌てて話しかける。


「しっ……仕事って、あの……今回の、だけじゃなくて、ですか?」


賊退治、とは言えない。周りに人がいる上に、この村は敵の根城となっている山の目と鼻の先。流石のルファも、そこまで迂闊ではない。


アルは、気のない答えを返す。


「ああ。アルゴに向かうなら届け物の依頼があるからついでに持っていけっておっさんが……」


仲介人をおっさん呼ばわりするアルに呆れつつも、ルファは引っかかりを覚えて問いかける。


「……あれ……?出発前にも何か渡していませんでしたか?」


仲介人に何か紙を渡していた姿を思い出す。


「ああ……あれはさっきの村に行く途中の山の生態調査だな……」


ルファの目が点になる。


「え……それって、お仕事……ですか?」


ルファの呆然とした問いかけに、アルはなんでもない事であるかのように応えた。


「ああ……。指定の動物の有無と、おおよその生物の種と数。適当に山を一周して地図に書き込む……とかなんとか……」


面倒くさそうに応えるアルを驚愕の瞳で見つめた。


「ち……ちょっと待って下さい!!一体幾つの仕事をこなしたんですか!?」


今聞いただけでも、届け物に生態調査、そして今から行う賊退治……。確実に3つはある。


アルはくるりと振り返り、不思議そうにルファを見る。


「幾つ……って、どこからだ?依頼を受けてからか?」


「……っそうです!」


どこから、ってどこから仕事していたのだろう。なんだか聞くのが怖くなってきた。


唇に手を当て、思い出すように目を伏せた。


「……4……?否あれを入れれば5……その後だから6……か?」


ルファの顎が落ちそうになった。


(――6?!こんな大仕事を抱えているにも拘わらず?!)



――この人、いつ寝てるんだろう……。


ルファは目の前の美貌の男を呆然と見つめた。


成程、あれだけの大金をぽんと軽く出せる筈だ。妙に納得してしまう。


レルヴァは他の位よりも当然給金は高い。貴族御用達といっても過言ではない程に、庶民の手の届かないところにいる人たちなのだ。そんな人が寝る間を惜しんで次から次へと依頼をこなせば、一財産を築ける。


金に執心しているようには見えない彼が、そこまでがむしゃらに依頼をこなす理由は分からないが――


「飯は食ったのか?」


アルの台詞でふと我に返る。しかし衝撃から完全に抜け切れていないルファは、反応が遅れてしまう。


「――え……あ、はい。一応……」


食べた後、すっごく待ちました。とは言えないが。


しかしそんなルファの心中を察することなく、アルは、「そうか」と呟くと踵を返した。


「行くぞ。」


ぽつりと呟くと、そのまま歩きだす。


「え……え……あれ?!」


置いて行かれたルファは、慌ててアルの後を追う。


「ど……何処に行くんですかぁ~?」


振り向きもしないアルの背中に半泣きになりながら問いかける。


「依頼人のところだ」


「いっ……依頼人~?」


ルファを気遣う様子もなくすたすたと歩き続けるアルと、それを慌てて追うルファ。2人は足を止めることなく問答を続ける。


「そうだ。先程言った届け主。そいつが今夜の宿が決まっていないなら家へ来いと言ってな」


だから迎えに来た。そう締めくくったアルの背中を懸命に追う。


「そこで地図も確認出来そうだしな」


その呟きに、先程の論争を思い出す。そう言えば、あの恐ろしい怒鳴り合いは――怒鳴っていたのはガディルだけだが――それが発端だった気がする。


――秘密基地、見張り台、保管庫……。


そんなものが、本当にあるのだろうか。


そもそも地図を見ただけで分かるのだろうか……。



考え込んでいたルファは、再度アルの背中を見つめる。


「~~~~~っ!!」


しかしアルの背中が小さくなっていることに気付き、その遠い背中を必死で追いかける。


「まっ……待って下さいよぉ~!!」


夜の帳が下り、街の明かりさえも眠りにつき始める頃。小さな山村に少年の悲壮な叫びがこだました。

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