第11話 それぞれの夜~或る青年の独白~

旅人で賑わう大きな街は、静寂とは無縁である。現に今も、夜の帳が下りたというのに店の明かりは絶えることなく、酒気を帯びた人々の声が聞こえてくる。


その喧騒を耳にしながら、リュートはからりと音をさせ杯を傾けた。


明朝早くに出発しなければならない。だからそろそろ就寝しなければならないと頭では分かっているのに、心がそれを拒絶する。


グラスを揺らし、からからと氷のぶつかる音を聴きながら、リュートはグラスを見つめる。


正確にいえば、彼の視線はここにはない。意識は過去へと向けられていた。


つい数刻前、彼の記憶に鮮烈に刻みこまれてしまった少年へと――



再び酒を煽るが、彼の形のよい唇に冷たい氷は当たっても、一向に酒は流れてこない。小さく苦笑を漏らすと、瓶を手に取り、グラスに酒をなみなみと満たす。


こんな時は、自分の体質に感謝したくなる。どれほど呑もうと、翌日まで酒気は残らない。酔わない体質なのか、酒精を長く留めない体質なのかは自分でもよくわからない。


けれども、喩え明け方まで飲み明かしても、翌日の仕事に支障をきたしたことはない。


だからと言ってこんな時間に酒を呑むのは宜しくないと分かっている。明日は大仕事が待っているのだ。早々に就寝して、万全の体調で挑まなければならない。


分かっている。――分かっては、いるのだが……。


しかし、呑まずにはいられない気分なのだ。


布団に潜り込んだとしても、眠れないであろうことは安易に想像がつく。矢張り、酒の力を借りるほかないのだ。




――あの後、件の少年――アルは、仲介人と少し話をした後、ルファを伴って部屋を出て行った。


彼が退室した後も会話などあろうはずがなく、男たちはしばらく茫然としていた。


なんとか自身を取り戻した後も彼等はどこかぎこちなく、今までの威勢は何処へ行ったのやら、随分と大人しくしていたものだ。


彼等の顔色は青く、その巨体は小刻みに揺れていた。


――当然だ。あれほどの恐怖を味わったのだから。


自分も、ある程度腕には自信があるし、この歳でウェールを名乗るくらいだ。それなりに修羅場を潜ってきたという自負もある。仕事によっては、怖気づく下位の連中の先陣を切って戦うことだって何度もあった。


何度も命のやり取りをしてきた。


――しかし、今日ほど恐怖を、命の危機を切実に感じたことはない。


『親友』


彼の戦う理由はそれだと言っていた。彼にそこまで想われる人とは、一体どんな人物なのか――



再び杯を傾け、口内に透明な液体を流し込む。しかしその薄さに眉を顰める。氷が溶け切り、グラスの中の殆どが水へと形を変えていた。どれほど長い時間考え込んでいたのかと、自嘲の笑みが零れる。


再び瓶を手に取るが、中身は残っていなかった。もう何度目になるのか分からない苦笑を漏らすと、瓶を机に戻し、寝台へと歩み寄る。


そろそろ、本当に眠らなければならない。


しかし眠れないであろうことは、彼自身が一番良く理解していた。


「君も大変だね、少年」


小さく呟くと、もう一人の少年――ルファに同情にも似た感情を含ませ、思いを馳せる。


――今、何をしているのかねぇ?


柔らかい布団に身を包み、彼はそっと目を伏せた。


――眠れないと、分かってはいても。


「長い夜になりそうだ……」


彼の呟きは街の喧騒にかき消され、誰にも届くことはなかった。


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