第10話 依頼4




――知りたい


強く、そう思った。


何故ここまで気になってしまうのか、自分でも分からない。


あの瞳に――底なしの闇に呑まれてしまったのか


彼の美しい容貌に魅せられたのか


他とは隔絶された、彼の圧倒的な存在感に気圧されてしまったのか



明確な理由は分からない。それでも、彼が人を惹き付けてしまうことは確かで。だからこそ、ガディルも必要以上に彼に反発してしまうのだろう。


彼のような自尊心の高い人間は、人の上に立ちたがる。自分が常に優位に立っていないと気が済まないのだ。


――故に、アルに惹かれている自分が許せない。他人に、しかも、年端もいかぬ若造に気圧されてしまう――見とれてしまう自分が認められず、彼を否定することで、自分を盛りたてたかった。彼の圧倒的存在感には従わざるを得ない何かがあり、彼を必要以上に否定してまうのだろう。


ふ、と笑みを浮かべる。


――そうだ。理由なんてどうでもいい。


ただ、知りたいのだ。理由なんて、それで充分。



「それだけの金を惜しげもなく出すって事は、金に困ってる訳でもない。……自己顕示欲?――否、アンタはそんなもんに興味あるようには見えない……」


リュートは自問自答を繰り返しながら、挑むように、笑む。


その視線を受けても、アルは未だ表情を変えず。アルの無表情を眺めながら、リュートは続ける。


「ならば、考えられるのはひとつ……」


恐ろしくないわけではない。彼からは、他人を拒絶するオーラが出ていた。不用意に踏み込めば、容赦なく切り捨てるという鋭利な刃のような――



それでも、知りたかった。


彼を動かすものが何なのか。



「……正義感?人々を脅かすならず者は許せない――困っている人を放ってはおけないと?」


口にした後、リュートを激しい嫌悪感が襲う。彼に、そんな安っぽい正義感は似合わない。彼の口から、そんなクダラナイ台詞は聞きたくなかった。



――手前勝手な理想を押し付けてしまう程、彼に惹かれてしまっていることには気づかぬまま


どこか侮蔑を含んだ笑みを浮かべながら、アルの返答を待った。


――しかし、彼の口から発せられた台詞はリュートの予想の範疇を超えていて


驚愕に、目を見開く。


リュートの問いを受けたアルは、目を閉じ、何かを堪える様に苦しげな表情を見せた。しかしそれは一瞬のことで、彼の表情の変化を読み取れない人間には分からなかったかもしれない。


「……理由?そんなの 決まってる……」


緩やかに開かれた瞼から現れた暗闇に映るのは、激しい憎悪。その射抜くような鋭い視線を受け、リュートは恐怖で震える。今まで幾多もの修羅場を潜ってきたが、こんなにも何かを恐ろしいと思ったことはない。


そんなリュートの様子に気づいていないのか――アルはゆっくりと口を開き、苦々しげに吐き捨てた。


「……帝国が絡んでいるからに決まってる……」


その、思いもよらない単語に、リュートの思考力は奪われる。


「……帝国?」


聴き慣れた、単語だった。ここ数年で耳にしない日はない程に。しかし、まさかこの場で聞く羽目になろうとは思わなかった。


ちらりと視線を彷徨わせれば、同じ気持ちなのか、周りの男たちもざわめいていた。


「……どういうことだ?帝国が絡んでるって……」


口に出すことで、冷静さが戻ってくる。リュートの脳内を、高速で駆け巡る世界情勢。


ああ、そうか。


――帝国は


「成程ね……」


ぽつりと呟かれた一言。しかしその一言で、この軽薄な男が自分の言わんとしていることを理解したのだと悟ると、アルは僅かに唇の端を上げた。


勘は 鋭い。


洞察力 良。


知識も ある。


――昔、このような人間を知っていた。


深い知識、鋭い勘と洞察力。卓越した剣技。優秀だった彼は、軽薄という仮面の下に、その能力を隠した。


『ばっか。意外性があったほうが女の子にモテるんだよ。それに、アイツ意外とやるなって方が格好いいじゃん』


彼は、へらへらと笑いながら言った。何処までが冗談で、何処までが本気なのか。真実を、彼は決して見せはしなかった。仮面を外すことなく、被り続けた。決して本気を見せない。それが彼の矜持。


目の前の男からは、彼と同じ匂いがした。――だからだろうか。


あまり突き放す気になれないのは。


どこか親近感を持ってしまうのは。


「根拠は?」


リュートの言葉に我に返る。とたんに湧き上がる、憎しみ。僅かに温かみの宿った瞳に、再び闇が訪れる。


そっと目を伏せる。沈黙は一瞬。その形のよい唇が開かれた。




光が没して数年――


全国に帝国の支配が行き渡り、アドリアは絶望に彩られた。


人々に重くのしかかる、帝国の圧政。混乱に乗じて、各地に賊が蔓延った。軍の武装も限られているため、喩え要請が来ても、軍を動かせない。


天敵のいなくなったならず者たちは悪辣さを増し、ここ数年で、賊の数は増加の一途を辿る。しかし、一番の理由は他にあった。


帝国が、後押しをしたのだ。


帝国は賊を黙認し、尚且つ手を組むものまで現れた。その国の軍部を抑える代わりに、戦利品の幾らかを横流しさせる。若しくは、身を偽り、賊と共に略取を行う。


どちらにせよ、悪辣なことに変わりない。


各国の政府は、当然抗議をした。しかしながら、帝国側は知らぬ存ぜぬを貫き通した。そんなはずはないとしつこく食い下がっても、圧力をかけられるだけである。忍を切らし、強硬手段と軍を動かせば、叛意ありと攻め込まれる理由を与えるだけである。


結果、政府は手を拱いて見ていることしか出来ない。


――そこで重宝されたのが、傭兵だった。


護衛は古来より重宝されてきた自衛手段。要人であれば私兵を用い、貧しいものは腕の立つ知人に恃み、そうして今日まで継がれてきた。傭兵という専門家が現れてもそれは変わらない。


傭兵は個人によって雇われる。個人の護衛然り、商隊の護衛然り。


よって、政府に圧力をかけようとも意味は成さない。特に、商人などには欠かせない存在であるが故に、帝国側も容認している。



「ここまで大がかりな掃討作戦は滅多にない」


アルの感情の読めない、淡々とした声が響く。


「賊の殲滅――まぁ、ないことはない。実際俺も何度か参加した。だが、依頼の条件にもあっただろう?絶対に失敗は許されないと……」


室内の男たち全ての視線が集中する。誰も、彼の言を妨げるものはいない。


「これだけの戦力を養えるだけの資産を持った奴は、限られている。喩えならず者とはいえ、あまり一点に戦力を集中しすぎると、帝国に目を付けられる。だから、気付かれる前に早急に片づけたいという気持ちはわかる。――だが……」


そこで言葉を区切ると、問うような視線を向けた。


「賊の討伐……それだけで、ここまで大がかりなことをするか?ルガイ以上の者という条件、依頼に入る前の念入りな少数行動――何より、失敗は許されないというのはおかしい。仕事である以上、それは当然のことだ。今更念を押すようなことじゃない」


ごくりと生唾を飲み込む音がする。誰もが、黙って彼の次の言葉を待つ。痛いくらいの視線の嵐を浴び、アルはゆっくりと口を開く。


「そこから導き出される答えは、ある程度限られる。その賊が帝国と関わり合いがある、ということだ」


その続きを、リュートが引き継いだ。


「成程ねぇ?奴らに帝国との関わりがあるのなら、その行動は全て筒抜け。私財を投じて戦力をかき集めたことが知られてしまえば、我が身が危ないってことかい」


「ああ。だから感付かれる前に叩く。今回の念入りな作戦はそのためなのだと思えば、全て得心がいく」


ちらりと視線を滑らせれば、驚愕に目を見開いた仲介人の姿が映った。その狼狽した顔を見れば、アルの推測が正しいことが分かる。


(――まいったねぇ、こりゃ……)


彼は、とんでもない爆弾を落してくれた。


男たちの顔に動揺が奔る。只の自己顕示欲を満たす為にのこのことやってきたら、猛獣の住処だった。


――驚かない筈がない。


視線をアルに戻すと、騒然とした室内の様子を気にも留めず、相変わらずの無表情を貫いている。


(――成程ね……。)



『帝国が関わっているから』


彼は、そう言った。ならば、理由は限られてくる。


彼の「動機」が見えた気がした。


「アンタも帝国に奪われたクチかい?」


リュートは、僅かにアルの肩が揺れたのを見逃さなかった。


「……まぁ、このご時世、帝国に恨みを持たない人間の方が少ないけどねぇ……」


 復 讐


彼の動機はそのようなものだろう。誰かを殺され、何かを奪われ、そうして帝国に一矢報いてやろうとこの依頼を受けた。


そう考えると、非常にしっくりする。


――彼の陰惨な瞳には、安っぽい正義感なんて似合わない。


大義を掲げ、光のなかを歩くよりも、私怨で帝国に噛み付き、闇の奥の、更に奥底を歩いている方が、らしい、と思うのだ。


「恋人、親、家族、物……一体アンタを動かすのはどれなのかねぇ……」


彼は、あまり何かに執着する人間には見えない。その彼を突き動かすものが何なのか、非常に興味があった。


僅かに滲んだ苦悶の表情。それを押し殺すかのように、アルはそっと目を伏せた。



色あせない、記憶。


目を閉じれば、鮮明に描かれる彼の姿。


温かい笑顔、優しい声。


克明に刻まれた、彼の思い出――



『君と友達になりたいんだ』



アルの唇が、ゆっくりと開かれる。


「友……だ……」


押し出すかのように紡がれる言葉。


「唯一無二の……親友……」



『行こう!』


差し伸ばされた手


「……そして、何より……俺にとっては光そのものだった……」


今でも色鮮やかに甦る思い出


――そして、行きつく先は、いつも1つ。



彼の 鮮やかな笑顔。


『君は生きるんだ。』


残酷な 言葉。



「……あいつを殺した奴を……絶対に……許さない……」


地の底を這ような、低い声。その場にいた全ての人間が、恐怖に震えた。リュートも、そして、ガディルさえも。


この場にいる全ての人間が、揃って同じ体験をすることとなる。こんな仕事をしていれば、少しでも腕に自信があり、ある程度の修羅場を潜っていれば、なかなか出来なくなってしまう体験――恐怖で体が動かなくなる、という経験を。


アルから迸る怒り、殺気は、彼らの体の自由を奪った。そして、全ての者を射抜く鋭い瞳で、それにも負けない鋭利な声で、告げた。



「俺は帝国を、絶対に許さない」


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