第9話 依頼3
空を切る腕輪を、ただ呆然と見ていた。言葉を発する人間は、誰一人としていなかった。腕輪が机の上に着地した後も、まるで言葉を忘れてしまったかの様に静まり返っていた。そして、この場にいる人間全ての視線が一点に集中されている。
何度見直しても、変わることのない事実。その腕輪からは、6色の光が発せられていた。
基盤となる銀。
見習い――イーシャを示す水晶。
一人前と認められたレートを示すガーネット。
優秀さを買われた、この場にいる全員が持っているラピスラズリ。
先程見たばかりのアメジスト。
そして 腕輪の完成形――アドリア最硬といわれるコール石が示すのは、実在しないとまで言われた幻のレルヴァ。
未だかつて誰も目にしたことのないと言われた証が、今 目の前に2つもあるのだ。誰もが目を疑ってしまうのも無理はない。
漏れ聞こえてくる呻き声は、誰のものなのか。
「……嘘だろ……」
永遠にも等しい沈黙が過ぎた後、ぽつりと呟かれた言葉は、その場にいた全員の心を表していた。当然だ。滅多にお目にかかれない証が2つ。うち1つは、少女と見紛う様な少年なのだから。
もう1つの証の持ち主、ガディルでさえ驚愕に目を見開いていた。あり得ない、と。しかし、偽物である筈がないのだ。それは自分がよく知っている。
コール石はアドリア最硬と謳われ、高値で取引されている。腕輪に使われている量だけでも、売れば一生遊んでいける程の一財産が築ける。
一般人にはなかなか手が出せない値段である上に、殆ど流通していない。「複製不可能」であるが故に、レルヴァを示すに値するのだ。
それを偽物と断じるということは、己の証をも疑うということ。ガディルは、苛立ち混じりに声を荒げることすら出来なかった。
言いだしっぺであるはずのリュートも、零れ落ちんばかりに目を見開いていた。
確かに、彼がルガイである筈がないと確信があった。しかしまさかレルヴァであるなんて、誰が想像しただろう。
予想以上の結果に、思考がついていかない。
頭のどこかで、「今だ」と囁く声が聞こえる。しかし、何を言っていいのか分からない。一気にたたみかけるチャンスなのに、それに相応しい言葉が出てこない。
衝撃冷めやまぬ今、ただ阿呆のように目を見開き、口をパクパクと開閉させるしか出来なかった。
しかし、誰もが予想外だと驚く中、その事実を知っている人物もいた。
1人は当然ながら仲介人である。協会の人間である彼には、事前に個体情報は知らされている。
そしてもう1人は、意外というべきか。最年少の少年、ルファである。
彼は故あって、早くからカウンターに座り、イルティアを注文する人間を観察していた。そして、フードを被ったアルが、「ソテー」と口にするところも聞いてしまったのである。
幻のレルヴァを名乗る人間がいることに驚いた。しかし、先ほどアルがフードを外したとき、更なる衝撃がルファを襲った。レルヴァを名乗ったフードの男が、自分とさして年の変わらぬ少年であったから――
ルファは悩んでいた。ソテーを名乗れる人間なんている筈がないと。ただの聞き間違いだと思っていた。しかし、今目の前にある腕輪は、彼の空耳でなかったことを示している。
静まり返った室内。時の止まったその場で、口を開く人間はいなかった。
「で、どうするんだ?」
沈黙を破るは少年の声。
「俺の証は見せたぞ。これで見張り場所をひとつ増やしてもらえるんだろうな」
凛と響く美声は、思わず聞き惚れてしまうほどに美しく。
「何も、計画を変えろと言っているわけじゃない。人が2人抜けるだけだ。たいして支障はないだろう」
その言葉に、いち早く我に返ったリュートが尋ねる。
「ふ……2人……?」
しかし、完全に立ち直っていないのか、その声に力はなく、彼の顔からは軽薄さが抜け落ち、ただ呆然とアルの顔を見つめていた。
「ああ。俺と、あと1人連絡用に欲しい。……明らかに戦闘に向かない人間だ。これもまた、計画に支障はないはずだ。」
その言葉から、彼が相方に選んだ人間は既に決まっているようだった。無意識にそこまで考えると、脳を働かせた所為か、徐々に意識が覚醒してくる。
「へぇ……?その口ぶりからすると、もう相方は決めてあるようだね?」
リュートの口調に軽薄さが宿る。まだ僅かに声は硬いが、いつもの調子を取り戻しつつあった。それを感じたアルは、誰にも分らぬほど小さく、唇の端を上げる。
「ああ。本人の意志さえあれば……だがな」
そう言って、視線を1点に固定させる。その、視線の先にいたのは――
「え……ぼ、僕ですか?」
予期せぬ指名に、少年――ルファは驚きで目を見開いていた。
「いや……でも…あの……うぇっ……うぁ……」
当の本人は、最早単語にすらなっていない意味のなさぬ言葉を発しつつ、ただ狼狽してあたふたと動き回っている。リュートはその様子を眺めながら、呆れの混じった声で問いかける。
「本当にこれでいいのかい?頼りになる人間はもっといるだろうに、どうしてこの子なんだい?」
これはこれで面白いけど、と心の中で呟く。
「ああ。さっきも言ったが、戦闘力は関係ない。戦いになれば俺がやる。」
大事なのは、そんなことじゃない。アルの淡々とした声が室内に響く。別段大声を出している訳でもなく、呟くように小さな声で語っているにも拘らず、その声は朗々としていて、どこか心地よい。いつの間にか、その場にいる全ての人間が彼の言葉に耳を傾けていた。
「そいつは、天恵者だろう」
その言葉に、ひゅうと口笛を吹く。
「へぇ……?どうしてそう思うんだい?」
「足さばきだ」
リュートの問いに、アルは迷うことなく淡々と語っていく。
「先程お前に駆け寄って行った時の踏み込み。……あれは、瞬歩だ」
リュートとルファの肩がピクリと動く。
「しかもあれは、流れるような無駄のない動きじゃない。溜めも構えもない、あれは修練を積んだ動きではない。息を吸うのに等しく自然な動きだった。……つまり、生まれつきのものであるということだ」
それに、そいつ自信が「条件付き」だと言っていたことだしな。淡々と語るアルの言葉を聞き、リュートの頬を汗が一筋伝い落ちる。
(おいおい。そんなとこまで見てたのかよ)
リュートの背筋に、冷たいものが奔った。あの一瞬でそこまで読み取った洞察力、照らし合わせる知識、そしてそれらを組み合わせた思考力。
確かに、その歳でレルヴァを名乗るくらいだ。人より優れているのは当然だ。
――しかし
リュートは確信した。
――同じなんかじゃない。
喩え位は同じでも、実力は、それこそイーシャとレルヴァ程にあるかも知れない。ガディルの実力は知らない。でも、これだけは言える。
アルは、ガディルの遥か上をいく実力者である――と。
言葉を失ってしまったリュートから視線を外し、アルは視線をひたと定める。吸いこまれそうな程深い宵闇の視線を向けられ、ガディルは居心地悪そうに身じろぎをする。その瞳は空虚で、何も移してはいなかった。
――感情さえも
しかしどこか澄んでいて、神秘的で。見つめられると、己の全てを見透かされているような居心地の悪さがある。そんなガディルの狼狽に気付いていないのか、アルは淡々と続ける。
「何も、俺に従えと言っている訳じゃない。使えない子供が二人ほど減るだけだ。そちら側には何の痛手にもならない筈だが?」
――それに、ただとは言わない。懐に手を入れると、薄汚れた革袋を出した。それはずしりと重量があり、見るからに重たいものが詰まっているとわかる。
「俺達の報酬はいらない。お前たちで分け合えばいい」
ざわりと揺れる室内。その中で、「ええっ」と甲高い声が小さく上がる。思わず巻き添えを食らってしまったルファは、しょぼんと項垂れる。
――が、次の言葉に思い切り頭を上げた。
「お前、幾らで雇われた?」
「え……」
顔を上げた瞬間、黒いものが自分めがけて飛んできた。慌てて受け止めるが、予想外の重さにとり落してしまう。
拾おうと思い床に視線を落とすと、ルファは瞠目して固まった。目的すら忘れ、ただそれに視線を定めたまま立ちすくんでいた。思考力を奪われてしまったルファは、しかし頭の何所かで冷静に状況を見ている自分がいることに気づく。
その物体が、先程アルが取り出した革袋であるとわかった。しかし床に落ちた振動で、中身が少しだけこぼれていた。
――その、中身とは――
「嘘だろおい……」
何処からか、呻くような声が聞こえてきた。アルが無造作に放ってよこした、薄汚れた革袋――その中に入っていたのは、今回の依頼料どころか、自分たちが一生かかってもお目にかかれないほど大量の金貨だった。
間違っても、無造作に放っていいものではない。それは本来なら、誰にも見せず、気付かれぬように必死に抱え込まなければならないもので。
ルファの思考力は戻らぬまま。周りの男たちも呆気にとられていた。
「その中から好きなだけ取れ」
アルの言葉に我に返る。
「――ふぇ?」
間の抜けた声が出てしまうのも無理はない。しかし、状況についていけていないルファを更に置き去りにして、アルは飽くまでも淡々と続ける。
「――なんなら、全部持っていっても構わない。今回の依頼キャンセル料と、俺からの依頼料、それらを含めた迷惑料――それだけあれば、釣りがくるだろう」
あっさりと告げたアルに、ルファは目を剥いた。
(お釣りどころか、一生分の依頼料の3倍はあるよ――!!)
拾おうともしないルファを無視して、ガディルに視線を戻す。
「分かったな。俺は依頼料はいらん。こいつの分も俺が出す。――だから、俺たちは行動を別にする。俺らの分の依頼料はお前らで山分けすればいい」
言葉を失うガディルに、尚もたたみ掛ける。
「お前が指揮官だろう。お前が是と言えばそれで済む話だ。――悪い話ではないはずだ。足手まといの子供を二人外せて、依頼料が増えるんだ。決してお前の仕事の邪魔はしない。但し――」
一度言葉を区切ると、全ての者を凍らせてしまうような、冷やかな声で 告げた。
「お前らも 俺の邪魔はするな――」
その場が一気に凍りつく。何かを口にしようにも、喉に張り付いて、声が出ない。
しんと静まり返る室内。静寂を打ち破ったのは、最早聞きなれてしまった 軽薄な声。
「――わっかんないねぇ?どうしてそこまでするんだい?」
ついと視線を滑らせる。リュートは軽薄な笑顔を張りつかせたまま。しかしその仮面は剥がれかけていた。顔は僅かに引き攣り、声は震えを帯びていた。
それでも止めないのは、彼の矜持と 好奇心――
リュートは、このアルという少年に、並々ならぬ興味を抱いてしまったのだ。恐ろしいもの見たさとでもいうのだろうか。彼を恐ろしいと思いながらも、それと比例するかのように、ふつふつと湧き上がる好奇心。
彼の瞳――その底なしの闇に、引きずりこまれてしまったのかもしれない。
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