第3話 荒くれ者たち
薄暗い森の中、足早に進む人影があった。それは、早歩きというよりは競歩に近いものではあったが。
その人影は、古びた長い外套を巻きつけており、肩から足元までをすっぽりと覆い隠していた。旅装から、旅人であることは分かるのだが、フードを目深に被っているため、目鼻立ちどころか性別さえも判別できない。
旅人は少しも速度を落とすことなく、わき目も振らずに歩いていた。
時折、森に根を張る小動物たちが興味深そうに覗いていたが、旅人は一瞥もせず歩き続ける。喩え、木漏れ日が旅人を優しく包み込もうとも、鳥が飛び立つ羽音が不気味に響こうとも、旅人は気にせず歩き続ける。
別に、それらに気が付いていないわけではない。旅人は、己を遠巻きに観察している小動物にも、飛び立つ鳥の存在にも気付いていた。常に辺りの気配を探っており、どんな些細な変化すらも見落としてはいなかった。しかし、旅人にとってはそれらの変化は些事であり、目を向けるほどの関心がないだけなのだ。
辺りを見回す余裕もない程、何をそんなに急いでいるのかと思うかもしれないが、旅人は別段急いでいるわけではない。それが旅人の常であるのだ。
旅人は、まだ日の昇らぬうちから荷物をまとめており、宿屋の主が起き出すのを待ってから部屋を引き払った。何故こんな朝早くからと主人も眼を丸くしていたが、大した意味はない。ただ呆と座っていたくなかっただけなのだ。
それからずっと、速度を落とさず歩き続けている。休憩どころか足を止めることすらしていないのだから、大した体力である。
木の葉が生い茂り、日の光を隠してしまっているため正確な時刻は分からぬが、おそらくは昼の食事を終えるような時間だろうか。しかし旅人は食事をとる様子もなく、ただひたすら歩き続けた。
そして日が沈む頃、漸く小さな町に着いた。
あれから、食事もとらずにひたすら歩き続けた。まだ薄暗いうちから宿を出たというのに、全く速度が衰えず、立ち止まることなく歩き続けたのだから驚異的と言える。おかげで、大の大人が3日かかる距離を1日で踏破してしまった。
初めて訪れる町だというのに、旅人は足も止めずに歩き続ける。そして、その鋭い瞳がある店を捉えたとき、今朝方宿屋を出てからずっと止まることなく動き続けていた足が、漸く止まる。
店の名前を確認すると、旅人は躊躇うことなく扉に手を伸ばした。
※
扉を潜った瞬間、きつい酒の臭いと酒場の喧騒が耳に飛び込んでくる。まだ早い時間であるのに、既に呂律の回っていない者もいるようだ。
小競り合いをする男たち。食事をとっていた善良な人々は、目立たぬように小さくなっていた。絡まれないうちにと、こそこそと席を立つ人もいる。
そんな周りの様子に気付いていないのか、酒に酔った男たちは怒鳴るように大声で話していた。しかし旅人は、それらに気を取られることもなく、真っ直ぐにカウンターへと向かう。
「いらっしゃいませ。お食事ですか?」
カウンターでカップを磨いていた男が、笑顔で語りかけてくる。旅人は、メニューを見ることもなく注文をした。
「赤い水を。イルティアの10年ものをくれ……」
その言葉を聞いた瞬間、男の顔が僅かに鋭さを増す。しかしそれは一瞬のことで、直ぐに笑顔に戻った。
「肴はいかがですか?」
「タティールのソテーを」
「承りました。少々お待ち下さい」
そう言うと、手招きをし他の店員を呼ぶ。何事かを耳打ちしていたが、旅人に向き直ると、新たに来た男が深々と頭を下げ旅人を促す。
「おまたせ致しました。どうぞこちらで御座います」
男の先導で店の奥に入って行く。無言で歩いていた2人だったが、先導していた男は扉の前で立ち止まり、漸く旅人を振り返り重々しく口を開いた。
「証を……」
とても短い言葉であったが、旅人には意味が通じたらしい。懐から腕輪を取り出す。問いかけるように旅人に視線をやると、首肯することで無言の許可を示した。
男は恭しく腕輪を受け取ると、まるで品定めするかの様に手の中で転がした。
「大変失礼致しました。確認出来ましたので、どうぞ中へ」
そう言って腕輪を旅人に返すと、扉を開ける。旅人は腕輪を受取り再び懐にしまい、躊躇うことなく部屋に入った。
※
部屋には既に先客がいた。髪や瞳の色、体格も年齢も様々な男たちが十数名、どこかぎらぎらとした雰囲気を醸し出していた。
騒ついた空気が一瞬で静まり返り、新たに入ってきた客に視線が集中する。嘲るような視線。不快感を隠そうともしない視線。それらは全て好意とは程遠いもので。
険悪な雰囲気が漂う。再びざわめきが戻ってき始めた頃、1人の男が近寄って来た。猛者と呼ぶに相応しい、筋骨隆々とした立派な体躯。その顔に不快を張りつかせ、「新入り」に近づいてくる。
「……おい……」
男が何かを言いかけた時、再び扉が開いた。
「おんやぁ~?皆さんお揃いで。……ひょっとして俺らが最後かぁ?なぁ、少年」
その場にそぐわぬ軽薄な声が響き、一人の青年が部屋を覗き込む。最後の一言を部屋の外に向けて発していたので、彼の他に誰かがいるのだろう。
彼は険悪な雰囲気に気付いていないのか、躊躇うことなく入ってくる。色素の薄い蜂蜜色の髪を揺らし、軽やかな足取りで歩く。その甘い顔立ちには、軽薄な表情を浮かべていた。
「ま……待って下さいよ!リュートさぁん!!」
その後を、慌てて追いかける小さな影。転がり込む、と言った方が正しいかもしれない。はっしと青年の服を掴むと、泣き出しそうな表情を浮かべ、懇願する。
「お……置いて行かないで下さいよぉ~……」
「なんて顔をしているんだ少年。ここに来れたということは、君も一応“ルガイ”だろう。堂々としていろよ」
「条件付きなこと、知っているじゃないですかぁ~……」
今にも泣き出しそうな顔で懇願する少年を見て、楽しそうに笑う。そこだけほのぼのとした空気が流れるが、一緒になって笑ってくれるような人間はこの場にはいない。
標的を変更した男が、蜂蜜色の髪をした青年に話しかける。
「おい、兄ちゃん。来る場所を間違えてないかい?」
それは過分に嘲りを含み、好意的とは程遠い態度で。
「ここは兄ちゃんみたいな色男が来る場所じゃねぇんだよ!!」
その言葉を皮切りに、周りに嘲笑が広がる。少年は怯えた表情を浮かべ、青年の裾を握りしめていた。しかし青年は顔色一つ変えず、飄々とした態度を崩さない。
「色男って言ってくれるのは嬉しいんだけどさ、どうせなら、ヤローじゃなくて綺麗なお姉ちゃんに言って貰いたかったなぁ……」
本気で嘆くように言われ、男の額に青筋が浮かぶ。
しかしそんな表情に気づいていないのか、青年は更に続ける。
「っつ~かさ、この部屋ってたまたま迷い込めるほど簡単に来れるわけ?」
「何だとぉ~?!」
その言葉にプライドを刺激され、完全に標的を変えた男は、青年に殴りかかろうとする。が、再び邪魔が入った。コンコンと小さい音をさせ、新たな人物が部屋に入ってきたのだ。
「お待たせ致しました。全員揃った様ですので、依頼の話に移りましょうか……」
このまま、はいそうですかとは引き下がれない。しかし、ここで問題を起こすわけにもいかない。長い間かけて築き上げてきた自分の信頼が地に堕ちてしまう。
ぎり、と青年を締め上げる手に思いきり力を込めると、突き飛ばすようにして手を放した。青年は衝撃で二三歩たたらを踏んだが、倒れ込む様なこともなかった。それは青年が、見た目に反して卓越した脚力、バランス感覚を持っているという事である。
男は、己の予想に反して持ちこたえた青年を見てちっと舌打ちをすると、溜飲の下がらぬまま鬼の形相で睨みつけていた。
「あ~怖い怖い」
そう言いながら、乱された襟元を直す。
「もうっ!!自業自得じゃないですかっ!!心臓が止まるかと思いましたよ!!」
まだ幼さの残る少年が、青年に駆け寄った。
殺伐とした室内で、その騒ぎを冷静に見つめている人影があった。青年の前に入室してきた旅人である。
旅人は、フードの奥から目の前の優男を凝視していた。その実力を測るかの如く。
ただの日常と化したその小競り合いに潜む情報を、ひとつ残らず焼きつけ、分析する。青年の身のこなし、体の捌き方、重心の移動、体のばね。それら全てを思い通りに動かせるだけの筋力。
彼に駆け寄った少年の動き。突っかかってきた男の動き。そして、野次馬と化した十数名の男たち。
その中でも反応は様々だった。目の前の見世物に夢中になる男。ちょっとした殺気に反応した男。力の方向を計算し、僅かに体をずらした男。周りが騒ぐ中、そのフードの奥に隠された鋭い瞳はただ冷静に状況を見極め、観察していた。
この場に集まった人間は、ある程度篩にかけられた人間だ。しかし、やはりある程度でしかない。
此処には大した使い手はいない。唯一まともといえば――
ぱんと乾いた音が響く。
「……宜しいですかな?」
最後に入ってきた男は、丸めた大きな紙を小脇に抱え、手を鳴らした。それを合図に、男たちは静まり返る。
屈強な男たちの視線をものともせず、男はつかつかと部屋の中心に歩みを進め、机の前で足を止めた。
「大変お待たせ致しました。随分と退屈しておられたようですし、早く依頼の話を致しましょうか」
そう言うと、机の上に紙を広げた。
「さて、皆様もご存知の通り、今回の条件はルガイ以上の位を持つ者……つまり、ここにいらっしゃる皆様は全員が最低でもルガイという強者ばかり。それを18名も集めたとても大がかりな作戦となります。で、あるが故に、絶対に失敗は許されません」
男はにこやかに微笑む。まぁ、内容は仲介所で聞いてますよね。そう言うと、すうと目を細めた。
「今回の依頼の内容は、山賊の討伐です」
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