第78話熱き剣士――子宮の疼き
狭く、不気味な肉壁を抜けると、冷たい空気が肌を撫でた。
同時に甘い花の香りが鼻腔を責め立ててくる。
目の前には木のように高い、棘が何本も生えている。
不気味で奇怪なここは、大輪の花を咲かせるラフレシアの頂上。
そして――
「ロナ!」
クルスは下半身が蔓で覆われ、張り付けのように両腕を吊るされたロナへ叫んだ。
ロナは瞼を開けて、青い瞳を覗かせる。
「クルスさん……?」
「俺だ! クルスだ! 助けに来たぞ!」
「クルスさんっ!!」
クルスはロナへ向かって駆け出した。
しかし進んで幾ばくもなく、足を止める。
目前へ棘の鞭が鋭く打ち付けられたからだった。そして頭上から、音もなく花の令嬢が舞い降りてくる。
「フェアを倒したのね。さすがだわ」
ラフレシアのセシリーは、出会った頃のように瞳へ敵意を浮かべていた。
「フェアがどうなったか気にならないのか?」
「どうせ甘ちゃんなクルスのことだから止めなんて刺してないんでしょ? 気を失って、縛られている辺りかしらね?」
セシリーへ、フェアに使ったような"心の揺さぶり"は通用しないらしい。
ならば――
「セシリー、ことを穏便にすますことはできないのか。俺はロナさえ返してもらえればそれでいい。これまで君がしてきたことは水に流すし、一緒に皆へ謝罪する」
「……」
「お前と争いたくはない。本心だ! 頼む!」
「セシリー! クルスのいうことを聞くのだ! ねえ様を元に戻すのだ!」
ベラもまた前へ出て、セシリーへ言葉をぶつける。
セシリーはさらに表情を硬らせた。
「やっぱりベラはこっちへ来てくれないのね?」
「当たり前なのだ! 僕はねえ様のベラなのだ! ねえ様に危害を加える奴はみんな敵なのだ!」
「うるさいっ!」
セシリーは言葉をかき消すように、棘の鞭で床を打つ。
「頼まれたって聞いてやるもんですか! だって私は樹海の守護者。そしてロナは樹海を守るための要! みすみす外へなんて出してやるものですか!」
セシリーの周囲に生える数多くの刺が波打つように揺れ始める。
棘の先端が割れ、数え切れないほどの蔓となり、ロナの姿を覆い尽くしてゆく。
「取り戻したいのなら力づくで奪ってみなさい! あははは!!」
「クルスさんっ!」
「ロナぁぁぁ!!」
セシリーとロナの姿が蔓の壁の向こうへ消えてゆく。足元を広がった蔓の先が割れ、まるで"蛇"の頭のように変化する。
そして蔓が変化して現れた蛇は、目から怪しい輝きを放つ。
「わわっ!」
光を浴びたベラの左足が石化を始めた。動きを封じられたベラへ、別の蔓の蛇が迫る。
(やはりここでも石化睨みか!)
咄嗟にクルスが間へ入り、石化睨みの輝きを防いだ。間髪入れずに、短剣を抜き放ち、蛇の頭を切り落とす。
「今治します!」
ベラの石化を治すため、ビギナが駆け出す。
先端が異様に膨らんだ何本もの蔓が、彼女の頭上を覆い尽くす。
「上だ、ビギナ!」
クルスは注意を叫び、ビギナは立ち止まって視線を上げる。
刹那、蔓がはじけて、そこからセシリーが時折袖の間から放つ"棘のついた種"が、数え切れないほどばら撒かれた。
咄嗟に錫杖を突き上げ、高速詠唱を紡ぐ。しかしやや遅い。
「てやぁ!」
するとゼラがビギナの前へ飛び出て、大剣を大振りに薙いだ。
種は大剣で切り裂かれ、あるいは剣圧で軌道を狂わされ落ちてゆく。
そんなゼラの脇に蔓の蛇がにゅるりと現れて、石化睨みを放つ。
右腕を石化させられたゼラは大剣の重みと共に、地面へ引き寄せられ倒れた。
今度はビギナがゼラを庇うように立ち、アクアランスを発生させて、蔓の蛇を倒したのだった。
「モーラさん! お願いします」
「ええ!
モーラも錫杖を突き上げて、状態異常回復魔法である金色の粒を、体の一部が石化したゼラとベラへ降らせた。
しかし次の瞬間にはもう、別の蔓の蛇の集団が目から輝きを放ち、先端の膨らんだ蔓が棘の付いた種の発射を始める。
「ベラっち!」
「どっせーい!」
ゼラとベラは石化を恐れず、果敢に敵へ立ち向かった。
「アクアランス!」
「
ビギナは必死に水の大槍で種を蹴散らし、モーラは石化させられてしまう仲間たちのフォローで手一杯な様子だった。
「おおっ!!」
モーラでも対処し切れない石化睨みは、クルスがその場へ飛び込み、壁となって防ぐ。
そして守られた後方の誰かが攻撃を仕掛け倒す。実際のところ、これが一番効率の良い方法ではあった。
だが、一番効率が良い方法はあるものの、この状況を切り抜ける決定打ではなかった。
(さすがにまずいぞ……!)
蛇の数は無数。対するこちらはたったの五人。
加えて、別の蔓からは次々と鋭い棘の付いた種が、雨のように襲い掛かってくる始末。
たとえクルスが壁になろうとも、モーラが石化を回復させようとも、石化睨みと鋭い種の攻撃は止まず。
ただその場で翻弄され、いたずらに時間と魔力を消費するのみ。
ロナはすぐ目の前にいる。しかしそこへ向かうことが一向に叶わない。
そんな状況は焦りを募らせる一方だった。
(くそっ、どうしたら……!)
その時、視界の脇で蠢く蛇の集団が見えた。
蛇の視線の先には、ベラの石化を回復しているビギナの背中があった。
クルスはビギナの壁になるため駆け出す。しかし間に合いそうもない。
「ビギナ、避けろぉっ!」
「えっ……!?」
クルスの叫びも虚しく、無数の蔓の蛇が、ビギナへ向けて光を発した。
だが石化の輝きはキラリと突然“反射”をし、逆に光を放った蔓の蛇を明るく照らし出す。
「SYHA……!」
自らの石化睨みを浴びた蛇は石へ変わった。
「ベラっち! 今っす!」
「どせぇぇぇーい!!」
ベラのバインドボイスを浴びた"石化した蛇"は一瞬で砂塵に変わる。
しかし蛇の数は無数。また新たな蛇の集団が迫り、石化睨みを発する。
それでも石化睨みの中心に立つ、深紅の大鎧を身に着け、
「そぉーれっっす!」
ゼラは身体よりも遥かに大きな剣を軽々と振りまわし始めた。
彼女の動きに合わせて、大剣の刃がきらりと輝き、蔓の蛇が放つ石化睨みを"反射"する。
自らの石化睨みを受けた蔓の蛇は数瞬で、石の置物へ変えられる。
周辺すべての蛇の石化睨みを反射させたゼラは、八重歯を覗かせながら笑みを浮かべた。
「石化睨みの反射角、完全に見切ったっす! もうお前たちなんて、ウチの敵じゃないっす!」
ゼラの勇ましい宣言が絶望的な戦場へ響き渡った。
聖王国が建国される以前に、ヴァンガード島で繁栄していた戦闘民族ビムガン。
聖王キングジムが、人間よりも圧倒的に戦闘センスで優れるビムガンを恐れて、真先に友好関係を築いたというのは有名な話である。
戦いに特化した民族。武を振るうために生まれた獣の血を引く亜人。
敵であれば脅威。味方であればこの上ないほど頼もしい仲間。
そんなビムガンであるゼラの宣言は、絶望的な状況を払拭し、強い希望を抱かせた。
「僕も見切ったのだ! ゼラねえ様と一緒にお前たちを倒すのだ!」
ベラもまた、ゼラを真似て、双剣の刃で石化睨みを反射させていた。
「クルス先輩! 先輩はもう壁になってくれる必要ないっす! ウチらに構わず、ロナ姉さんのところへ行くっす!」
ゼラは飛び出し、剣で眼光を弾きつつ、蛇を切り裂く。さすがBランク、そして戦闘に特化した民族であるビムガン。
「今のクルス先輩がすべきことはここでみんなの盾になることじゃないっす! 先へ進んでロナ姉さんを救い出す……!」
ゼラへ蛇が迫る。彼女は眉間にしわを寄せて、大剣を構えた。瞬時に彼女に全身から赤い魔力の輝きが迸る。
「
重厚な赤い鎧が、真っ赤な魔力によって弾け飛んだ。激しく飛んだ鎧は、そのまま蔓の蛇を押しつぶす。
そして鎖帷子のみになったゼラは飛んだ。その様はまさに、炎の矢のように早く、そして熱く。
「
真っ赤に輝く大剣の柄が蛇の集団を殴打した。続けて刃が敵を切り裂く。その繰り返しが神速の速度で繰り返される。
蔓が燃えて、蛇が次々と灰へ変わってゆく。
それはまるで荒ぶり、怒る、虎の猛撃。これこそ――!
「
そんなゼラの背中へ目掛けて、数えきれないほどの棘の付いた種が降り注ぐ。
しかしその全ては、ゼラの背後へ飛び込んできた“傘を被った騎士”のサーベルによって全て切り裂かれた。
「もうお目覚めっすか。早いっすね」
「フッ、人間に投げ飛ばされた程度、どうということはない」
「しっかし、どういうつもりっすか? なんでウチを助けたっすか?」
ゼラは背後に突然現れた“マタンゴのフェア”へ聞く。
「これが今の私がすべきことと判断しただけだ。貴様を助けた訳ではない」
「ふぅーん。まぁ、良いっす。じゃあ今は敵じゃないってことで良いっすね?」
「一応そういうことにはなるな!」
ゼラとフェアは共に飛び出し、蛇のせん滅に取り掛かる。
フェアはわずかにクルスへ視線を向けた。
「クルス殿! おかげで目が覚めました! 私は私の意思でここへ来ました! だから頼みます! お嬢様を、セシリー様をまずはあなたから叱ってください! このような諍いは何の益もないと! わがままも大概にせよと!」
フェアの願いがクルスの胸を打った。
「フェアの言う通りなのだ! くだらない喧嘩はもう終わりにしろってセシリーを怒るのだ! ねえ様も頼むのだ!」
ベラもゼラとフェアに負けじと、刃を振り続ける。
彼女の脇を無数の水属性・光属性魔法が過る。全ての種が撃ち落された。
「先輩、私からもお願いします! ロナさんを頼みます! モーラさん!」
「わかったわ! ビギナ!」
魔法を放ち終えたビギナとモーラは錫杖から刺突剣を抜いた。
「「
錫杖から抜いた刺突剣が白色の輝きを帯び、石化睨みを吸収する。
二人の魔法使いは演舞を披露するように刺突剣で、敵を切り裂き、道を切り開く。
「クルス殿、先へ進まれよ!」
「先輩! 早く!」
「ここは私たちにお任せください!」
「早く行くのだ!」
四人は必死に蛇へ食らいつく。クルスの周囲から次々と蛇が消えてゆく。
「猛虎剣奥義!
真っ赤に燃えるゼラの大剣が、クルスの目前を切り開く。
その先に敵の姿は無し。まっすぐと道が開かれている。
「行くっす! クルス先輩!」
道は開かれた。クルスは迷わず、つま先に力を込めた。
「ありがとうみんな! 頼んだぞ! しかし死ぬんじゃないぞ!」
短剣を抜き、そしてロナを隠す蔓を切り裂いた。
「ぬおぉぉぉ! ロナ! 今行くぞぉぉぉ!」
クルスは蔓を切り裂き、道を開いて進んでゆく。
やがて彼の背中は蔓の中へ消えてゆく。
そんなクルスの背中を見て、ゼラは頬を緩めた。
「熱いっすね。いい感じっす。ビギッちがご執心なのも納得っす……」
「も、もう! こんなときに何!?」
たまたま脇に居たビギナは素っ頓狂な声を上げた。
「しっかし、参ったなぁ、こりゃ……子宮の疼きが止まらんっすよ……ウチをこんなにしてどうしてくれんっすかね、クルス先輩は……」
「えっ? それって……?」
ゼラは両手でパチンと頬を叩いて気合を入れ直した。
「お話ここまでっす! 行くっすよ! ビギッち!」
「ちょ、ちょっとゼラぁ!?」
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