第79話華の令嬢の想い
逆手に持った短剣が蔓で編まれた最後の障壁を切り裂く。
朱色の強い夕日が差し込み、視界が一瞬奪われる。しかし目の前に佇んでいた影は、絶好の攻撃チャンスにもかかわらず、微動だにしない。
「ずいぶんと余裕だな、セシリー」
クルスは、夕日を背負うように立つセシリーへ言葉をぶつけた。
「不意打ちなんてしなくても、私の勝利は確定しているもの」
「……やる気はあるということだな?」
「無かったら、ここに居ないわ」
セシリーの背後には蔓で編まれた橋がかかっていた。
その先にいる宙吊り状態のロナは静かに状況を見守っていた。
「まさかあなたと争う日が来るとはね」
「全くだ」
「貴方へ私が獲得した"石化状態異常"は通じない」
「その通りだ」
「だからこれは私と貴方の純粋な力比べ」
セシリーとの闘争はもはや不可避。クルスは短剣を構え、腰を落とした。
「俺はロナに感謝をしている。俺が今こうしていられるのも全てロナのおかげだ。だからこそ決めた。俺は今も、そしてこれからも、何があろうとも、どんな相手が立ち塞がろうとも、彼女のために戦う! たとえ相手がセシリー、お前であっても!」
「ちっ……勝負よクルスっ! そんなに死にたいのなら殺してあげるわ!」
セシリーは棘の鞭をフルーレに変え、先手を仕掛けてきた。
クルスはセシリーの刺突を、短剣で受け流す。
瞬時に体勢を立て直したセシリーは再び、鋭く素早い刺突を繰り出す。
(なるほど、セシリーらしい真っすぐな剣筋だ)
狩猟用のクルスの短剣と、棘の鞭を硬化させたセシリーのフルーレ。
リーチの観点ではフルーレが圧倒的に優位である。
しかしフルーレの攻撃点は先端のみ。故に突きをいなし、懐へ飛び込めば形成させることはできる。
クルスは何度も、セシリーの懐へ入り込もうと、積極的に前へ出た。
そのたびにセシリーは軽やかなステップを踏んで僅かに後ろへ下がり、フルーレの先端をクルスへ向けてくる。
一歩近づけば相手が引き、相手の攻撃をいなせば、自分が下がってしまう。
一進一退の攻防が続き、延々と金音が夕日の中に鳴り響く。
「どうクルス、私の刺突剣技(フェンシング)は! 素晴らしいわよね? 素晴らしいはずよ! 素晴らしいって言いなさいよ!
あはは!!」
数多の戦いを潜り抜け、セシリーも確実に成長している。みごとな剣捌きである。この実力が仲間としてみられたならば、どれほど嬉しかったことか。しかし今のセシリーは退けるべき敵である。情に流され、油断しては、ロナを取り戻すことは叶わない。
クルスは心を鬼に代え、再びセシリーと向き合う。
「たいしたことは無いな。魔法使いのビギナの方がまだマシだ」
「減らず口を!」
「事実を言ったまでだ」
「やっぱり貴方は失礼な奴ね! そういうところ、昔と全然変わってない!」
「昔……?」
「覚えてないなんてショックだわ!」
素早い刺突が頬をかすめる。今少し、反応が遅れていたら、右目を持って行かれるところだった。
(もしやセシリーは、彼女自身の記憶を……?)
若い頃、クルスはカロッゾ家にて、幼い日のセシリーを一日だけ警護をしたことがあった。おそらくその時のことを言っていたのだろう。
加えて最近のセシリーの言動を思い起こしてみると、端々に"セシリー=カロッゾ"としての記憶があるように感じられていた。
ずっと病床に伏し、外の世界を知らない、文字通り箱入り娘だった令嬢。
プライドは高いが、少しのことで、すぐに怒り出す子供っぽいところがある彼女。
扱いずらいが、そういうところも含めて、セシリーの可愛いところでもある。
「今思い出したぞ。たしかあの時は花の話をしたな」
「そうよ! あの時、私は外の世界が広いと知った! もっと生きたいと思った! そして貴方がラフレシアを持ってくるのを心待ちにしていた! でも、貴方はもう二度と私のところへは来なかった!」
「待っていてくれたのか。それは申し訳ないことをした」
「全くよ!」
セシリーは鋭い攻撃を繰り出しつつ、笑みを浮かべた。邪悪な笑みではなく、まるで何かを喜んでいるかのような柔らかさ。
「あなたはいっつもそう! 私の心を乱したり、脅かせたり。そうしたと思えば喜ばせたり、幸せにしたり! でもあなたの心の中にはロナがいる! なら私はどうすれば良いのよ!? この気持ちにどう整理を付ければいいのよ!!」
クルスとて木の股から産まれたわけではない。更につい先ごろ、ビギナの想いを受け止めたばかりである。
多少なりとも乙女の気持ちがわかりつつあった。
だからこそ攻撃をしつつも、思い出に頬を緩めるセシリーを見て、予感が沸き起こる。
(もしやセシリーは俺のことを……?)
思い返せば、ここ最近のセシリーの言動から、”好意”のような感情を感じることはあった。
もしかすると今回の強行は、これが原因なのか。
想いは馳せているが、相手にはすでに決まった相手がいる。しかもその相手が、使命を持ったセシリーにとっては必要不可欠な存在。それでも彼女の心が、彼を強く欲している。悩んだ挙句の結果が、今の状況なのかもしれない。
また誰かが自分を欲してくれた。必要と想ってくれていた。とても嬉しいことだとクルスは思った。
そして気は引けるものの、セシリーの気持ちこそが、この状況を打破するための"きっかけ"であるとも考えた。
「セシリー!」
「なによ!?」
「俺を欲してくれて感謝する! 君の気持ちはわかったつもりだ!」
クルスはそう叫びつつ、フルーレを弾き、
「なっ――!!」
セシリーの顔が真っ赤に染まり、フルーレの軌道が僅かにそれた。
クルスは短剣を大きく振り上げ、フルーレを弾いて、セシリーの体勢を崩させる。
しかし彼女はもう一歩踏み混むことで立て直した。
「嘘つくな! 私の気持ちなんてわかってたまるかぁー!」」
「くっ……!」
鋭いフルーレの先端が脇腹に突き刺さった。更にフルーレは貫通せずにへし折れる。
「なっ……!?」
折れたフルーレをみてセシリーも絶句した。
理由はよくわからないが構っている場合ではない。
クルスは短剣を手放し、セシリーへ手を伸ばす。
そしてセシリーを自分の胸へ引き込んだ。
「えっ……ええーっ!? なによ!? これなんなんなのよ!? は、離しなさいよ!!」
胸に抱かれたセシリーは、素っ頓狂な声をあげつつ、身をよじっている。
明らかに動揺していた。そして隙だらけであった。
「セシリー」
「ああ、もう! 離し……!」
「……すまない」
「えっ……あ、ちょ、ちょっと!? きゃっ!?」
クルスは躊躇うことなくセシリーの首筋へ噛みついた。
「ちょ、ちょ、これぇ……気持ち……んっ! あっ、やっ……!」
なるべく痛みを感じさせないよう、首の皮膚を吸う。
そしてうっ血しただろう首筋へ前歯を僅かに突き立て、白い皮膚を喰い破る。
ややあって、首筋の噛みついたところから"石化"が始まってゆく。石化はどんどん進行し、フルーレを持った右腕を石に変えてゆく。
離せばセシリーは石化した腕の重みで、床へ倒れ込んだ。
「ま、まさか、こんな方法で、石化させられるだなんて……」
「君の想いには感謝する。しかし、君の想いはもっと違った形で知りたかった。それだけが残念だ」
「……だって、分かんなかったから……どうしたら良いのか、私……」
切なげなセシリーの声を振り切って、クルスはロナへ駆けて行った。
ロナの下半身を覆う蔓をよじ登る。そしてようやくロナと顔を合わせることが叶った。
「待たせたな、ロナ」
「お待ちしてましたクルスさん。怪我のお加減は?」
「この程度問題無い。君の方は?」
「私も特に。セシリーは優しい子ですから」
「そうか」
ロナは何か言いたげに、青い瞳にクルスを写す。
「まずは蔓を切ってもらえませんか」
「ああ」
クルスはロナの腕を拘束する蔓を切り裂いた。支えを失い、長く伸びた茎ごと、ロナの上半身が降下を始める。
クルスは彼女に掴まって、再び床の上へ戻った。
「セシリーを連れてきてください」
「うっ、ひっぐ、えっぐ……ひっく!」
クルスは床に附したまま、子供のように泣きじゃくるセシリーを抱き上げる。
石化の影響でかなりの重さだったが、なんとかロナの前まで運ぶことができた。
「セシリー」
「ひっく、うっ……うっ! クルスなんて、バカクルスなんてぇ……!」
ロナはクルスが託したセシリーを抱きしめる。
そしてまるで子供をあやすように頭を撫で始めた。
「セシリーもビギナさんと同じようにずっと我慢していたんですね。クルスさんへの気持ちを……」
「そうよ……! でも、クルスにはロナがいるし! ロナは守護者の私には必要だし! だけど戦っても勝てるわけないし!」
「だから今回のようなことをしたんですね? クルスさんを想うばかりに……」
セシリーはロナの腕の中で、涙や鼻水で顔を汚しながら泣きじゃくている。
「我慢しなくても良いんですよ?」
ロナはセシリーを更に強く抱き、耳もとでそう囁いた。
「私が居たって、それがなんなのですか? セシリーの気持ちはそれで良いんですか?」
「良くないけど……でも!」
「私は構いません。クルスさんが誰かに欲されるのはとても嬉しいことです。現に私は、もう一人、クルスさんを大事に思ってくれる方を受け入れました。これからは二人でクルスさんを支えてゆこうと決めました。だから、セシリーも一緒にいかがですか?」
「私も……?」
「そうです。これからはビギナさんと、私と、セシリー、貴方との三人でクルスさんを支えませんか?」
「良いの、ロナはそれで……?」
ロナは優しげな笑みを浮かべながら「勿論ですよ」と答えた。
「ロナは勝手だな。俺の気持ちの整理は無視なのか?」
「整理する必要なんてあるんですか? だって、こんなに可愛らしい方が、もう一人、貴方を欲してくれてるんですよ? 私は全然大丈夫です。あとはクルスさん次第なんですよ?」
「う、むぅ……」
全くもってロナには叶わないと改めて思った。
かつての自分では考えられない状況だった。こんな状況は金持ちか、高名な勇者ぐらいだと思っていた。
夢ではないか、とさえ思った。だけども、これは紛れもない現実である。
クルスはかがみ込み、涙に濡れたセシリーの顔を見た。
良く見てみれば、綺麗にはなったが、幼い頃の天真爛漫な面影が残っている。
この美しく、可憐な少女が、自分のことを欲してくれている。
ロナやビギナには少々申し訳ないと思いつつも、セシリーの魅力を再確認し、引き込まれる自分が確かにいると、クルスは感じていた。
「セシリー、正直に伝える。やはり君は、なんだ、その……随分と美しい女性に成長したと思う。魅力的だとも感じる。」
「……」
「だがあまりに突然のことで、気持ちの整理がつかないのも確かだ。どう接して良いのか、よくわからない。だから……」
「…………」
「また一からやり直さないか? 君は俺の大事な仲間だ。まずはまたそこから、君との時間を紡いで行きたいと思う。申し訳ないが、今はこれぐらいしか言えん」
「……許してくれるの?」
きっと今の言葉は"ここまで自分がしでかしたこと"に関してなのだろう。
「そうだな。それが先だな。ならさっき言った通り、まずは皆へ謝ろう。酷いことをたくさんしてごめんなさい、と。その後に、今後のことを考えよう。良いな?」
「そしたら……」
「?」
「そしたらクルスは、もっと、私のこと……す、好きになってくれる……?」
セシリーは肩を震わせながら、まるで幼子のように聞いてくる。
クルスはセシリーの頭をそっと撫でた。
「ああ、勿論だ。もっと好きになる。必ず」
「さっ、セシリー。まずは言ってみてください。貴方の胸の中にある、素直な気持ちを言葉に代えて」
「……ごめんなさい、二人とも。私のわがままでこんな……うっ、ひっく……ごめんなさい、たくさんわがまま言って、傷つけて、ごめんなさい……! うわぁーん!!」
それからセシリーはロナの腕の中で何度も「ごめんなさい」繰り返しながら泣きじゃくる。
(この子のことも守り続けよう。わがままだけど、根は純粋なセシリーのことも)
クルスはそう、もう一つ誓いを立てた。
夕日は山の向こうへ沈み、代わりに浮かんだ満月が、三人を照らし出す。
月光の下クルスとロナは、セシリーが泣き止むまで、見守り続けるのだった。
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