第77話心の闇と、迷える騎士
クルスは涙を流し、震えていたビギナを強く抱きしめた。
「せ、先輩……?」
腕の中のビギナから震えが抜けてゆくのがわかった。
側にいる。怖くはない。もう二度と離したりはしない。そんな想いを込めて、クルスはより強くビギナを抱きしめる。
すると、彼女を苛んでいた体の震えが弱まった。
「大丈夫か?」
「……」
「ビギナ?」
「……ごめんなさい……」
胸の中でビギナは謝罪を口にし、涙と嗚咽を漏らし始める。
「私、ずっと先輩に謝りたくて……なんであの時……もしあの時、もっと勇気を出して、フォーミュラ達に……お金のことなんて考えなくて、それで……!」
「……」
「私が、私がもっとちゃんとしていれば……私に勇気があれば……! そしたら先輩が傷つかなくて……!」
「もう、良い分かった」
クルスはビギナの頭を抱えて黙らせた。
きっとビギナ自身もとても辛い目にあった筈だった。
しかしそれを差し置いてでも、彼女は彼への行いを強く後悔して涙を流している。
自分が傷つくよりも、人を傷つけたことへの後悔――きっとそれはビギナが心優しく、他人を労わることのできる、素晴らしい人間であるということの現れ。これから先も、ずっと、大切にして貰いた気持ち。
「ありがとう、俺のことで涙を流してくれて。俺は今も昔も、きちんと君の中に存在している。改めてそう強く感じた」
「先輩……」
「もう済んだことだ。もう十分だ。もう君が気に病むことではない。俺のことで、いつまでも苦しんでいるビギナをもう俺は見たくはない!」
「……」
「あの時勇気が出せなかったことを後悔しているのなら、だったらその勇気を今この場で振り絞ってほしい」
「…………」
「頼む、ビギナ。立ち上がってくれ! 君の力が必要なんだ! 頼むっ!」
胸の中のビギナがわずかに動いた。彼女はゆっくりと腕を上げる。
細い指先がクルスの背中に回された。
「ありがとうございます……先輩を好きになって本当に良かったです……!」
ビギナはクルスを強く抱きしめ返し、熱い声を上げた。
先輩と後輩、師匠と弟子――その関係を超え、新しい契りを結んだクルスとビギナは互いを抱きしめあったまま立ち上がる。
彼の胸から離れたビギナは袖で涙の跡を拭い去る。妖精の血を引いている証拠の赤い瞳は光輝き、目の前で暴れ回るフェアの操る植物魔人へ強い眼差しを送る。
「いけるな?」
「はい! ありがとうございました! ご心配をおかけしました! こんな時にアレなんですけど……」
「?」
「せ、先輩の口から、その……私をどう思っているか、もう一度聞かせてもらえませんか?」
“愛らしい後輩”から“愛すべき女性”へ変わったビギナは、耳の先までをも真っ赤に染めて、真紅の瞳にクルスを映し、期待の視線を注いでいる。
「……俺もビギナ、君のことを愛している。もう二度と君の手を離したりはしない。約束する」
「私も同じ気持ちです。愛してます、クルスさん……さぁて!」
ビギナは気合を入れるように錫杖で、床をついた。錫杖から勇気を沸き立たせる、澄んだ金音が鳴り響いた。
「私はどうすれば良いんですか?」
「ゼラから
「闇属性魔法ですか……わかりました! 任せてください! ならゼラと私の協力が必要です。時間稼ぎをお願いできますか?」
「了解した。では!」
駆け出したクルスの背中へ、ビギナの声に乗って彼の名前が響いた。
「気を付けてくださいね!」
「ビギナもな!」
互いに笑みを送りあい、二人はそれぞれの配置へ向かってゆく。
「フェア! 俺はこっちだ!」
クルスは矢を植物魔人の背中へ放った。矢は鋭く突き刺さるも、目立った効果は見られない。
「そこにいたか、愚かな人間」
植物魔人はゆっくりと踵を返し、胸に埋まったフェアは冷たい視線で彼を見下ろしている。
クルスは矢を番え、蔓を引き締め、鏃の鋭い先端をフェアへ定める。
「今一度問う! フェア、これはお前自身の意思か!」
「何度も同じことを言わせるな! セシリー様の意志私の意志! 私はセシリー様の手足であり、意志の代行者――マタンゴのフェア=チャイルド!」
植物魔人の拳が向かってくる。クルスは飛んで回避した。
「ベラ、モーラ! 手伝ってくれ」
「は、はい!」
「なのだぁー!」
クルスとベラを前衛に配し、後衛の要として魔法使いのモーラを定める三人専用の陣形の一つ――ウォールデルタ。
「フェア! お仕置きなのだ! どっせぇぇぇーいっ!!」
「――くっ!?」
ベラのバインドボイスが持つ音圧が、植物魔人へ襲い掛かった。
さすがに音圧のみで、巨大な魔人を圧殺することは不可能。
しかしその場には釘づけている。
その隙にクルスは植物魔人の脇へ回り込み、矢を射る。
狙いは植物魔人の胸に埋まった、騎士フェア=チャイルド。
「こんなもの!」
フェアは蔓を引きちぎりながらサーベルを抜き、クルスの矢を弾き飛ばす。
その時、フェアは気付いていなかった。
既に植物魔神ぼ足下でベラとモーラがそれぞれの武器を構えていたことに。
「どっせいっ!」
ベラの双剣が植物魔人の足首を激しく切り裂く。
「
次いでモーラが傷口へ向けて、聖なる光を放つ。
「ぐわっ!?」
足首を吹っ飛ばされた植物魔人は体勢を崩した。巨体がゆっくりと膝をつく。
「モーラ、ベラ、来るぞ! 待避だ!」
左右に"青と赤の輝き"の発生を確認したクルスは指示を出す。
三人は膝をついた植物魔人から全力で離れてゆく。
「時に厄災を、時に叡智を授けし偉大なる炎の力! 我の力を贄に、鍵たる言葉を持って力を貸してたもうっす!」
淀みないゼラの詠唱が、炎の精霊の力を呼び起こした。
大剣の先端が赤い輝きを放つ。
「いくっすよぉ! ファイヤーダート! 乱れ撃ちっす!!」
大剣の先端に宿った赤がより一層の輝きを放つ。それ小さな
「時に荒ぶり、時に恵をもたらす壮大なる水の力! 我が声に乗りし、鍵たる言葉を贄として、その力を授けたもう! 望むは荒ぶる禊の力! 清流の奇跡! 偉大なる水の力!! ――アクアショットランス!」
ビギナは錫杖をリンと鳴らしながら突き出した。彼女を覆う激しい蒼白色の輝きが形を成し、これまで見たこともないような巨大な水の
そして相反する2つの魔力は植物魔人の頭上でぶつかり、爆ぜた。反属性の力は、一瞬互いの存在を否定して姿を消す。しかし力が消滅したわけでは無かった。衝突した力は暗黒点という新たな力となって顕現する。
反属性のぶつかり合いよって生ずる四元素由来では無い魔法の力――これを聖王国では【闇属性魔法】と呼ぶ。
術式で制御を掛けていない混沌の闇属性の力は激しく渦を巻く。魔人を形作る蔓が解け、あるいは引きちぎられ、渦巻く暗黒の空間へ吸い込まれて、押しつぶされてゆく。
さすがのフェアも危機を感じたらしく、サーベルで必死に周囲の蔓を切り裂いていた。
動揺が激しいのか、フェアはサーベルがボロボロと刃こぼれしてゆくのも厭わず、必死に蔓を切り裂いている。
そして間一髪のところで植物魔人から脱出を果たし、床へ転げ落ちた。
「お、おのれ、人間めぇぇぇ――!」
フェアは刃こぼれだらけのサーベルを握り、獣のように叫びながら、クルスへ突っ込む。
クルスはフェアの大振りな斬撃を短剣であっさりと受け止めた。
「相変わらず動揺すると動きが素人になるな、フェア」
「う、うるさい!」
「もう諦めろ。お前に俺たちを止める力はない」
「黙れ! 私は主の、セシリー様の代行者! この命は――!」
「この堅物がっ!」
クルスはサーベルの刃こぼれへ短剣を押し込んだ。
脆くなった鋼の刃があっさりと折れた。クルスは反動でのけ反ったフェアの腕をとる。
「おおっ!」
気合の籠もった声と共に、フェアを背後へ背負い投げる。
フェアは床へ背中から叩きつけられて、嗚咽を吐く。
クルスは踵を返し、咽びこむフェアを見下ろした。
「立て! お前はその程度か!」
「くっ……私を侮るなぁ!」
クルスはフェアの拳をあっさりと避けた。再び腕を掴み、今度は横へ叩き伏せる。
「うくっ……!」
「もっと本気で来い! 素手になろうとも、それで俺を殺す気で来ないか!」
「っ……うわぁぁぁ!!」
フェアは遮二無二、拳を放つ。しかしその度に拳を取られて転がされ、あるいは投げ飛ばされる。
「ぬわぁぁぁー!!」
フェア鉄面皮を叫んで崩し、拳を放つ。
気合も勢いも良し。しかし隙だらけ。
クルスは半歩下がってかわすと、フェアの腕を取った。
「昨日、襲いかかってきた時、お前は俺へ"すまない"と謝った。何故だ!?」
「っ……!?」
「あの謝罪こそがお前の本当の気持ちではないのか!? どうなんだ!」
「それは……!」
「お前はセシリーの人形でも無ければ、奴隷でもない! フェア=チャイルドというちゃんと、わがままなお嬢様のことを諫め、時に叱る、家族なんだ!」
「私が、家族……? この私が、セシリー様の……?」
フェアの頬から力が抜け、瞳から涙が零れ落ちる。
スッと拳から力が抜けた。
「しっかりと自分を持て! そして少し頭を冷やせ、フェア=チャイルド!」
「ぐわっ――!?」
クルスは思いきりフェアの腕を掴んだ。渾身の力を込めれば、細身の体が宙で綺麗な弧を描く。
フェアは背中から地面へ叩きつけられる。彼女は口から泡を吹き、意識を失うのだった。
「クルス先輩って女性相手でも、敵じゃ容赦ないっすね……」
ゼラはクルスとフェアの様子を見て顔色を青くし、
「言うこと聞かないフェアが悪いのだ!」
ベラはすっきりした顔でそう言い放つ。
「モーラさん! お願いします!」
「え? ああ、わかりました」
ビギナに促され、モーラは気絶したフェアへ駆け寄ってゆく。
そして顔へ耳を近づけたり、脈をとったりし、首を傾げた。
「あ、あの、脈はないんですけど、呼吸は感じられるのですが……」
「フェアはマタンゴといって人の死骸に取り憑く魔物だ。脈がなくても、呼吸をしているのなら問題ない」
「は、はぁ……止めは、その、刺しますか?」
「いや、その必要はない。もしも後ろから襲ってきてもなんとかする。ベラ、フェアを縛り上げてくれ!」
「りょうかいなのだ!」
ベラは背中から蔓を生やし、気絶したフェアを簀巻きにした。
これで暫く、動くことは叶わないだろう。
「さぁ、行くぞ! あと少しだ!」
クルスは駆け出し、先に見えた穴へ飛び込んでゆく。
皆もまた続く。
クルスは良く知った甘い花の香りを感じ取る。
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