第73話黒髪の魔法学院四年生モーラ=テトラ
「まったく、こんな姿になってもあなたはしぶといわね……」
植物の蔓がまるで触手のように蠢く武不気味な広い空間。
そこでセシリーは上を見ながら、そう呟いていた。
「お嬢様、これでよろしかったのですか……?」
後ろに控えていたフェアが静かに聞いてくる。
ややあってセシリーは「これで良いのよ……」とポツリと呟いた。
「少なくともアルラウネはもう二度と樹海から出ることはできない。たとえどんな姿になろうとも、クルスはこの子の側にいるわ。だった私はそれで十分」
「お嬢様……」
「もうこれできっとクルスは誰も愛さないから。それでも、樹海(ここ)にずっといてくれれば、私はそれで十分……っ!!」
突然セシリーは踵を返し、同時に袖を振った。袖から種子が矢のように飛び出し、背後からセシリー達をじっと見つめていた"羽のついた不気味な眼球"を叩き潰す。
「覗き見なんて……きっとクルスに付き纏っていた魔法使いね。フェア、周囲の警戒を厳に! 眷属を総動員して!」
「承知しました……」
⚫️⚫️⚫️
「……」
クルスはソファーに座ったまま項垂れていた。
ソファーの柔らかさが、余計に腰を重くしている。涙も、心も枯れ果て、立ち上がる気力が湧かなかった。
第一、ビギナの転送魔法で退避したが、そもそもここが何処なのか分かってすらもいなかった。
「なぁ、クルス、これなんなのだ……?」
目の前の椅子に座るベラも、力なく聞いてくる。
「なぁ、ねえ様はどうなったのだ? なんでフェアはクルスの邪魔をしたのだ!? どうしてセシリーはあんなことしたのだ!?」
「……」
「わかんない……わかんないのだぁ……! ううっ……ひっく!」
「あ、あわわ! な、泣かないっす!」
ゼラは、慌ててベラへ駆け寄って頭を撫で始めた。
彼女が同じ部屋にずっといたことさえ、クルスは気が付いていなかった。
それほどロナの喪失は、クルスにとって衝撃的な出来事だった。
そしてセシリーがなぜ、あのような強行に及んだのか、クルスも知りたいところだった。
ロナは、セシリーの手によって、巨大で不気味な"ラフレシアの花"へ変貌させられた。
セシリーは仕切りにロナを樹海の「耳目」と叫んでいた。
ロナは樹海のあらゆるところへ根を張って、樹海の状況を把握し、危機に対処していた。
たしかにそんな彼女が樹海からいなくなるのは、守護者であるセシリーにとっては大きな問題なのかもしれない。
しかし、そうであったとしても――
(ロナをあんな姿にする必要はなったじゃないか……)
美しく、愛らしいロナは蔓と花に飲み込まれ、醜悪で巨大な"ラフレシアの花"に変貌させられた。
なぜそんなことをする必要があったのか?
ふと困惑する思考を、ほんの少し和らげる香ばしい茶葉の香りがやってきた。
「暖かいうちにどうぞ」
クルスの脇には、黒髪で赤い淵のメガネをかけ、魔法学院の制服を着た女がいた。
彼女は四年生の証である赤いマントを揺らしながら、今度はベラとゼラの前にもティーカップを置く。
「ありがとうございます"モーラさん"。助かります……」
後ろからビギナの声が聞こえた。黒髪の"モーラ"という魔法学院の学生は笑みを返した。
「左手はどうですか?」
「まだ少し痺れてますけど石化は解除されました。ありがとうございました」
「無理はしないでくださいね。まだ完全に解除されていません。無理をすると左手が崩れてしまいますので気をつけてくださいね」
ビギナはモーラへ深々と頭を下げた。そしてクルスの隣へ座る。
「先輩……」
「……」
ビギナは包帯が巻かれた痛々しい左手を、クルスの手へ添えてきた。
言葉はない。しかし彼女の労りの気持ちが自然と伝わってきて、涙腺が崩壊する。
もう二度とビギナに情けない姿を見せたくはなかった。それでも涙は止まらず、嗚咽が延々と漏れ出してくる。
男として情けないと思った。そんな彼の手を、ビギナはより強く握りしめてくる。
今はそうしてもらうだけで、多少でも、冷え切った心が温まるような気がした。
「あっ! ビギナさん、戻ってきましたよ!」
モーラは声を弾ませて、窓を開けた。
曇天の向こうから、フラフラ"羽を持った眼球"が飛来してくる。
傷だらけの目玉の怪物は窓から部屋へ入り、机の上へ集まる。そして事切れるように目蓋を閉じるのだった。
「お帰りなさい。お疲れ様です。よく頑張りましたね。ありがとうございます」
モーラは目玉の怪物を撫でながら、そう声をかけていた。
「その気持ち悪いのはなんっすか?」
「これはアインザックといって、テトラ家が作った偵察用の使魔です。無事に戻ってきてくれたので、きっとこの子達は樹海で何かを掴んできてくれているはずです」
モーラの唇が高速詠唱を紡ぎ出す。机上の目玉の化け物は塵となって舞い上がり、代わりに奥から桃色の結晶が現れる。
それは強い光を放って、何もない空間へ額縁のような正方形の像を結んでゆく。
そこにはまるで、飛龍の上から見ているかのような風景が映し出される。その中心には、周囲の木々よりも高く、まるで塔のように成長した"ラフレシアの花"があった。
ロナが変貌させれた巨大な花ーーそれを見ただけで、クルスの胸は押しつぶされそうな苦しみに苛まれる。
「ずいぶんと大きくなりました……ん?」
モーラは宙に浮かぶ像を凝視する。指で触れ、何かを広げるように指を開く。
すると枠の中一杯に、ラフレシアの花が映し出される。
「これは人? ビギナさん、みてもらえますか?」
ビギナは像へ向かい、モーラが指差した点を凝視する。そして絶句した。
「先輩! こっちへ来てください!」
「………」
「ゼラ、先輩を連れてきて!」
「う、ういっす!」
左手が不自由なビギナの代わりにゼラは駆けて行き、クルスの手を取った。彼はビムガンの膂力に抗うことはできず、そのまま像の下へ引きづられた。
そして像を見て、我が目を疑った。
ラフレシアの花の中央にある紫のトゲだらけの空洞。そこに一箇所だけが異様に長く、緑色に染まっている。
色は緑だけではない。モザイクパターンのように不明瞭だが、肌色と毒々しいラフレシアの色合いとは違う"赤
"が確認できた。
「別のアインザックの記録も投影します!」
モーラは別の石を輝かせ、宙へもう一つ像を結ぶ。
そこに映し出されたのは、何かを見上げてるラフレシアのセシリー。そして、
「ロナっ!!」
クルスは像を見て、思わず声を弾ませた。
フレアスカートのような茎からは不気味な蔓が生えていた。しかし上半身は美しい彼女のまま。
彼女は瞳を閉じ、蔓によって腕を拘束され、罪人のように吊し上げられている。
「ねえ様! おい、クルス! これはなんなのだ!? ねえ様がここにいるのはどういうことなのだ!?」
いつのまにか隣にいたベラは、クルスと同じ像を喰い入るようにみつめていた。
困惑と興奮が感じ取れれたが、わずかに興奮の方が明かに勝っていた。
「これはビギナさんの依頼で放ったアインザックが樹海の巨大ラフレシアの上から記憶してきた今の状況です。時間もさほど経っていないので、今もこの状態だと思われます」
モーラの説明を聞き胸がざわついた。冷え切っていた心に再び火が灯る感覚を得る。
アレでおしまい――ロナがラフレシアに飲み込まれた時で、全てが終わってしまったのだと思っていた。もう二度と、ロナに逢えないと思っていた。
しかし、彼女は巨大ラフレシアの中で、未だ生きていた。
微かだが希望があった。ロナに再び巡り合う可能性が目の前に示されていた。
ならば、当然――!
「先輩、行きましょう。ロナさんのところへ。きっとあの人は先輩のことを待っているはずです!」
まるでビギナはクルスの想いを代弁するかのように声をあげている。
ビギナもまたロナを想い、行動を起こすと宣言してくれている。
感謝しかなかった。
「ビギナ…… ありがとう、助かる。よろしく頼む!」
「ねえ様に会いにゆくのか!? だったら僕も連れてくのだ!」
元気を取り戻したベラも声を上げる。
「ありがとうベラ。ロナの元へ行こう!」
「おうなのだ! セシリーがなんでこんなことしたかわかんないが、ねえ様をこんな目に合わせたアイツにお仕置きしてやるのだぁ!」
「ありゃま、クルス先輩にちびっ子ちゃん、さっきから一転、元気百倍っすね! あはは!」
ゼラは盛大に笑い声を上げる。
「まっ、この状況で一人だけ行かないなんて空気っぶようなことは言わんっす。ウチも協力するっすよ、クルス先輩!」
「ゼラ……ありがとう。頼りにしている」
「ういっす!」
「ならば私も協力しましょう。私を含めれば、これで5人。パーティーとしては最も生存率が高い人数となります」
そして最後に、黒髪の魔法学院の学生、モーラが名乗り出てくれた。
「良いんですか……?」
ビギナが申し訳なさそうに聞くと、モーラは赤淵メガネの奥で、目を細めた。
「ビギナさんが慌てて駆け込んできた時から、もしも困っているなら協力しようと思っていたんです。今更遠慮する間柄ではないでしょ? ビギナ先輩!」
「せ、先輩って! だからそれはやめてくださいって学生時代から言ってるじゃないですかぁ!!」
「ふふ、ビギナさんは相変わらず、からかい甲斐がありますね」
「もう……でも、ありがとうございます、モーラさん!」
「あの、間に入って申し訳ないのだが……」
クルスが言葉を挟むと、モーラや嫌な顔一つせず、穏やかに振り返ってくる。
ここまで自然と話が進んでいたのですっかり失念していたが、ここがどこで、目の前のモーラというのが何者なのか、クルスは全くわかっていなかったのである。
「挨拶が遅くなって申し訳ありません。自分はクルス、弓使いの冒険者です。この度は突然押しかけた上に、方々世話を焼いてくれてありがとうございます。感謝しています」
「御丁寧にありがとうございます。お気になさらないください。私は【モーラ=テトラ】 魔法学院の四年生で、在学時はビギナさんと寝食を共にしておりました。どうぞよろしくお願いいたします」
モーラは綺麗なお辞儀をしてみせた。家柄にふさわしい丁寧な所作だった。
テトラ家ーー聖王国随一の魔法使いの家名だった。特にサポートや治癒に特化した"白呪術"の名手で、薬学や植物にも詳しい。
正直なところ樹海が戦場で、石化状態異常能力を獲得したセシリーが敵である以上、モーラの応援はとてもありがたかった。
「ありがとうございます、モーラさん。助かります」
「こちらこそよろしくお願いいたします」
「ところで失礼でしたら申し訳ないのですが、モーラさんが後輩で、ビギナが先輩ということでよろしいのですよね……?」
「そのことですか。はい、間違いありません。ただ歳は私の方が二つほど上です。実は私はテトラ家の養子で、皆様とは少し遅れて魔法学院へ入学いたしました」
「そうでしたか。どうりでビギナよりもしっかりしてらっしゃると思いました。御丁寧にお教えいただいてありがとうございました」
そう会話するクルスとモーラの脇で、ビギナはぷっくり頬を膨らませている。
そのことをクルスが知るのは、ほんの少し先のことである。
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