第3話 はなれられない友だちさ
「さやかはねえ。そうですね、たしかにバカではありましたよ」
仕事先である「メリーベル33」の近くにあるファミリーレストランで、寺本遥は自分の言葉に自分で笑った。
彼女の歳は、加藤彩と同じ二十九歳。親友という加藤が、世間では常に美人扱いを受けていたのに比べ、彼女は全体に丸っこく、マスクからのぞく目鼻も柔和だが特徴はない。ファッション雑貨店勤務の割に服装も凝ってはおらず、学生バイトのように見える。ただ、声は低く受け答えも慎重で、思慮深い印象を受けた。
彼女は、加藤が病院に搬送され、真っ先に呼ばれた人物だった。
「あいつ、顔だけはきれいでした。もう知ってますよね」
「実は包帯を巻いた寝顔を、ICUのガラス越しにちらっと見ただけ、あとは免許証の写真しか知らないの。こんな時期だから病室に入るのは遠慮したし。それに、勤め先のホームページには小さくしか掲載されてなくて」みずるは弁解した。
「ああ、そうですか」投げ出すような返事をした寺本だったが、機嫌を損ねたわけではなく、「あの店って綺麗な人は多いし、主役はあくまで車だし」と言いながら、すぐに持ってきたバッグからスマートフォンを取り出し、加藤の写真を次つぎ見せてくれた。
「こうしてみると、あいつ気取ってる。くせがついてるんでしょうね。ゲーム中のひどい写真、撮っておけばよかった」
寺本とふたり、もしくは他の友人たちと笑顔で写ったものばかりだが、背景はホテルのブッフェだったりお寺だったり、さまざまだった。
ただ、隣で写っている寺本が時折、ほぼノーメイクと思われる顔を見せているのに対し、加藤彩はたしかに、どこでも気を抜いていないように思えた。
それよりみずるには、保母さんを思わせる、大きなポケットつきトレーナー姿が似合う寺本が、不釣り合いなブランドバッグを持ち歩いていることの方が奇異に感じられた。決してフォーマルなものではないが、それでも迫力が違う。
やっぱりアパレル勤務って違うのだろうか、と思ったりした。バックはなにげなく上着と一緒に隣席に置かれてあるが、
(こりゃ軽く三、四十万円はするだろうなあ)と、つい視線を送ってしまう。
「なるほど、すてきな方ですね」画像を見た宇藤木がすまし声で言った。
「ね。いかにも高級車を売る女って感じ。でも中身はね」と、また笑った。
「だって、どうしようもないゲーム好き、マンガ好きで、話題だって子供っぽい。お客さんのお子さんとばっかり意気投合しちゃうぐらいだから」
「そうなんですか」
「ええ。語る内容にも深みはないから、顔だけの安物女に見られがちなのも無理ないかもしれない。例えば、本当に優等生だった人からすればイラつくかも。だから、落っことされたのかな」
いかにも真面目そうな自分を想定して言ったのだろうと理解し、みずるはとりあえず、首だけを横にふった。
「普段から見た目よりドジだし、自爆したと私は思い込んでいました。突き落とされたなんてね。けど、性格はそんなに悪くもないのよ。あいつ。少なくとも、私にとってはいいやつだった」
ふたりの顔を見ずにテーブルに目線を落として、寺本は呟くように言った。
宇藤木が聞いた。「お写真を拝見したところでは、あなたとは特に心を許しあっているようにお見受けします。おふたりはかなり以前、たとえば故郷にいたころからの友人なのかな。高校とか、中学とか」
「もう調べたの?」
「いいえ、なんとなく。緊急連絡先でもありますし」
「勘がいいんですね。さっすが刑事の勘」といわれて、宇藤木は正規の刑事でないことも含め、肯定も否定もしなかった。
寺本によると二人は同郷であり、中学校からの友人同士だった。
「地元にいたら息が詰まってしかたなくて」高校卒業と同時に故郷を出た。
加藤は短大、寺本は専門学校と進路は違ったが、その後も交流は続き、結局はお互い近い場所で働くことになった。住んでいる場所もごく近いという。
「長く互いを知りすぎていると、かえって鼻につくことってあります。お二人はそうでなかった?」宇藤木の問いに、
「干渉とか説教のない気楽な間柄だし、彩はベタっとしないタイプだったし」と寺本は答えた。いまもほぼ毎週のように会って、二人で食事をしていたという。
「ぶっちゃけると」息を吸い込んでから、寺本は言った。「わたし施設にいたんです、子供んとき。たいしたことないっちゃ、ないけど」
さんざん揉めて離婚し、彼女の親権を得た母親がネグレクトとなった。足掛け二年ばかり施設にいたあと、遠方にいた祖父母に引き取られた。そこの中学校で加藤と知り合い、同じ高校に進学した。
二人の育ったのは、狭くて人間関係の密接な地域だった。どこで耳にしたのか寺本の身の上について、当人の責任のように陰口を叩く同級生もいたが、
「彩は、そんなのぜーんぜん、まるっきり無視してくれた。楽だった。うん、力んだ励ましとかはなくても、互いに気楽でいられる関係よね」
「それは、最高ですね」
「ね、そう思うでしょ。他の子から陰口聞かされても、あっそうへえーって感じ。怒ったりかばったり、世話を焼いたりってのとはまた違う。なんかブレないんですよ、あいつ」
しかし、宇藤木が、「加藤さんについて我々は調べていますが、事故および例の『体当たり魔』による犯行との二つの見方については、別班が追っています。我々はそれ以外の可能性を探る担当です。彼女が誰かに恨まれるような心当たりはありませんか」と聞くと、話は友情物語から元の友人をからかう論調に戻った。
「あいつ、バカだったから。かっこいい店にいて、同僚だってそんなに悪いひとたちじゃないし、お客も変な人はごく一部って言ってたのに」
「客の中に心当たりでも?」寺本は身を乗り出したみずるを見て、
「捜査に必要なんでしょ。あなたたち信頼できそうだから、先にしゃべります。いえ、お客さんじゃないの。つまり、元カレたち。前はいろいろといたんです」と、勤務先にも知られていない加藤の素行について明かした。
「売春や援交ではなくて」と、寺本は語りはじめた。20代も前半の頃の加藤は、仕事を終えてから主に男性客を相手にするラウンジにおいて深夜バイトをしていた。もちろん、本来の職場には内緒である。
まだ若く体力があったのと、商売に行き詰まった彼女の父親から、ときどき金銭的な援助を求められたためだと寺本は説明した。むろん、好奇心もあった。
そのバイトを通じて、人あしらいが巧みで容姿にも優れた加藤は、複数の男性と並行して付き合ったりした。しかし、そこまで言って寺本は、顔の前で手を合わせた。
「ごめんわたし、具体的な名前は知らないの。やつ、詳しく話さなかったし、こっちも聞かなかった。あっちだってわたしの男友達について詮索しないし。嘘とか隠すとかじゃなくて、わざとそうしてた。具体名を知ったら、つい言わなくてもいい一言、出ちゃうじゃないですか。だからです。これは高校の時の経験から」
「そうですか」
「ただね、男にもらったプレゼントとかを、ぽいっと私にくれたりした。財布とか、アクセとか。それでああ、別れたんだなあって、なんとなく測っていました。それに彩、もらったプレゼントを自分で質屋とかネットに売ったりはしなかった。そう、お金のためにバイトしてたくせにケチじゃなかった。それは褒めてやってもいい。あと、本業はずっと同じところのままですからね。わたしはもう3回、お店を変わったのに」
「ふむ」宇藤木はマスクのままうなずいた。「しかし、そのバイトからはすでに離れていた?」
「はい。男のひとを熱心にからかったりしたのは、正味3年、4年いくかいかないか。お父さんが死んだせいもあるけど、本人が飽きたんだろうとわたしは思う。だんだん惰性でやるようになって、ある日突然、『なんか、くたびれちゃった』って言って、それからぱったりやめた」
夜のアルバイトをきっぱりやめ、そこで知り合い交際していた男たちとも切れたのだという。「それが一年半、いえ二年ぐらい前かな。その後は夜も会社が終わったらすぐ家に帰ったのはうそじゃないと思う。ゲームが楽しすぎるとか言ってたし。それに、週に一度はウチの店にきて、終わるまで待っていてくれて、帰りに一緒にご飯を食べました。お互い、これじゃだめ、もっと頑張っていい男を探さなくちゃねーっていいながら。楽しかったなあ。昨日まで、ずっと続くと思っていました。そんな暮らしが」
宇藤木とみずるは、黙ってうなずいた。
「いまさら、彩が軽くないとか清純派だったと主張はしないけれど、どろどろの不倫とかもなかったはず。あいつも両親の仲が良くなくて、男女の関係に醒めたところがあったから。あるレベルを超えると面倒くさくなって、マンガやゲームの世界に戻りたくなるんですって」
寺本の把握した範囲では、社会人になってから真剣に付き合った人数は、複数同時進行の時期も含めておそらく計五人を出ない。バイトをやめて以降は軽い付き合いしかないはずだと言う。
「真剣だった人について、ご存知のことはありませんか。特にあとの人たち」
宇藤木の問いに寺本は、顔も本名も知らないと前置きしつつ、副業をやめる少し前ぐらいに、「はるかはどっちがましと思う」と、タイプの違う二人の男について繰り返し相談された時期があったと答えた。しかしある日、どちらとも縁を切ったと聞かされた。
「それぞれを音楽君と真面目君って呼んでいました。音楽君は生活力がなかったからフェードアウトで、最後はかなり真面目君に傾いていたかな。真面目君はちょい年上、仕事も稼ぎもきちんとしていたそうです。三男だから親との同居も気にしないですむし、実家の場所だってあたしたちの故郷と全然違うところなの、とか言い出して。ありゃ、このまま行くのかなって思ってたら、やらかしたのよ」
「ほう」
「彩じゃなくて、あっちがね」
決定的に関係が悪化したのは、外出した際に入った店の従業員に、男が極めて高圧的な態度を示して以来だった。
「店員さんに偉そうにする人間は地雷って言うでしょ。それもね、私の店みたいなセレクト系のショップで店員を泣かしたんですって。冷凍室に入ったみたいにさあっと熱が冷めたって言ってたな。それで、その店員があたしに体型が似ていたのが、熱冷めを加速したって。なんかひどくないですか、その言いかた」
その後は夜のバイトをやめ、軽い遊び相手の男たちとも切れ、それ以降はずっと女友達とばかり遊んでいたようだと寺本は言った。「同性愛でもないし、女同士の揉め事はなかったと思います。私以外の女とはここまで打ち明ける関係ではなかっただろうし。それと」寺本は声を潜めた。「私なら彩をもっと簡単に殺せたと思う。隙だらけだった」
「なるほど」宇藤木がうれしそうに微笑んだ。
「でも、どの男と揉めてたかは知りませんが、早くても一年半は前の出来事になるじゃないですか。どうしていまごろになって襲ったりするのかな」
すると宇藤木は、「これは私の師匠の言葉なんですが」と語りはじめた。
(師匠なんて、いるの?)みずるは戸惑った。またいつものでまかせだろうか。
「怨みというのは、コメと同じ。いわば人の主食だ、と。あるいはブドウに例えたこともありました。とれてすぐに食べる、すなわち恨みをすぐに晴らせたら、フレッシュで美味しい。しかしこれを置いて発酵させて熟成したら、別の美味しさを持った酒へと変化する。保存が悪く、アルコール分の抜けた状態になることもありますよね。そして彩さんの相手は、一年以上の熟成を経て、恨みをいっそう募らせていた可能性は高い。実際に受けた恨み以上にね。相手は酔っていますから、例えば次の彼女と別れたとか、お見合いに失敗したとか、すべて彩さんのせいになっているかもしれませんよ」
寺本は苦笑した。「なんとなく、納得しちゃいましたよ」「ありがとう」
「元カレの名前とかは、やっぱり、わかりませんよねえ」みずるが聞いた。
「ごめんなさい。そうなの。恨みを買ってたとか思わなかったし、なにも残してないはずです。彩のいまのスマホだって、わたしとショップに行って前のを下取りに出して、番号まで変更しちゃったんです。警察って、スマホからデータ吸い取ったりするのかな。もうやった?でも、ゲームばっかりだったでしょう」
「警察にもいろいろおりまして。我々はあまりハイテクは扱いません」
「そうなんだ。会社支給のは別にあるからって言って、自分もちのスマホについては、機種変のときにデータ転送しないで消しちゃったんです。あんたと二、三の連絡先さえわかれば十分、とか言って。その時は、思い切った奴だなあと感心しただけだったけど、わたしにも言わなかったこと一杯あったのかな。あ、そうだ」
寺本はかたわらのブランドバッグを二人の前に差し出した。細い肩紐のついた、革製のバックである。
「これ、元は真面目くんから。ほら、本業のお客さんがいいのを持った方ばかりだから、彩もちゃんとしたのを買うべきかずっと悩んでたら、プレゼントしてくれたそうです。でもこれで別れが決定的になった。そう、怪しいといえば彼ね」
「なにか、よからぬ代償を要求されたとか」
「すごい恩に着せられて、細かい干渉もはじまって、言い返したら暴言吐かれた。バックを叩き返そうと思ったけど暴力振るわれそうになって、そのまま逃げてきたそうです。怖かったって。それで、むかつくバックは捨てるっていうから、正体がわかって良かった、厄払いにわたしがリサイクルしてやろうって、貰ったんです。ここから探るのは難しいかな。出所はわからない。正規品かどうかも」
「ふむ」宇藤木はかすかに面倒くさそうな顔をした。地道な捜査を嫌う男だ。
寺本は、バッグを譲られた際、ただでは悪いといくばくかの金を礼がわりに渡した。すると、
「それに足して彩は、デザインが似ていて価格の安いのを買ったんです。路線変更が激しすぎると、お客さんだってびっくりするよって、わたしが適当に言ったのを真に受けて。そしたら思ったより安っぽくないし、こっちが軽くていい、か細い私にはぴったりよってぬかしてました」
昨晩知らせを受けてから、なぜだかバッグが気になって仕方ないのだと彼女は続けた。
「体当たり魔が犯人だったら、あれを見て反発したのかなあと思ったんです。わざわざ力の抜けた安いのにしたのに、あいつが持つと立派に見えたのかな。知りもしないのに妙に女の持ち物にこだわる男っていますよね、自分は似合わないパネライとかロレックスしてるくせに」
宇藤木は肩をすくめた。彼は腕時計すらしていない。
「知らずに反発買っていたのかなあって。中途半端なもの勧めなきゃ、よかったのかなあって」
ついに寺本は、両手で顔を覆って泣き出した。
そして鼻をすすると、マスクをとって、ハンカチで拭いて、また付け直した。
「けどね、病院に行ったらあのバック、雨除けカバー代わりの百均の袋にいれて置いてあった。根が田舎者のあいつらしい。ダサくて笑っちゃった」
今度は三人一緒になって笑った。落ち着いてから、みずるが聞いた。
「それはそうと、そのマスク、可愛いですね。お店の売り物?」
すると寺本は、アッという顔になった。「これ、これ。彩の手製なのよ。いいでしょ」
「そうなんだ。すごくおしゃれだし、よくできてる」
グリーンの生地に、縁かがりがしてあり、紐も縞があって可愛い。
「生地は速乾性、内側はちゃんと消毒したガーゼを付け替えられるの。わたし、店でハンクラ製品売ってるくせに……」
裁縫は下手とまではいかずとも上手でもないのだ、と寺本は説明した。それに仕事で手作り品に囲まれていると、家に帰ってまで裁縫をする気力が起こらない。マスク装着が必須になってから、それを加藤に愚痴ったところ、
「ケラケラ笑って」作ってくれたそうだった。加藤は、服飾系の学課にいただけあって裁縫がうまく、家に自分用のミシンも持っていた。
「それで、これは仕入れ先の人とかと会う時につかう業務用。こっちは」
と、トレーナーのポケットから取り出したのは、可愛いフリルのついたマスクだった。やりすぎ感はなく、小洒落ている。「こっちが店頭用」
「あらっ、可愛い」みずるが本気で目を輝かせると、「ね、これもいいでしょ。あいつが元気だったら、刑事さんにも新しいのを作らせるのだけど。あたしがいま持ってるのは、みんな中古だから」
「ほんとうに、はやく意識が回復して、元気になられるといいですね」
「でもね、病院の先生からは、目が覚めても障害の残る可能性はあるって言われたんです。かわいそうに。手先の器用さが戻ればいいな。自分でも言ってたのよ、見た目が残念になってきたら、あとはこの指先頼みだって」
「ぜひ無事に元気になってもらって、わたしも作ってもらいたい。このマスク悪評でして」
宇藤木が真面目くさった口調で言い、女性二人も思わず破顔した。
「最初から気になってましたが、その、個性的マスクはなんなんですか」寺本が宇藤木の顔を指差して言った。
「これは咳エチケット用というより、本来は顔を砂塵とか爆風から守るためのものです。通販で買いました」
「やっぱり、警察の人だからそんなのがいるんですか」
「いいえ、ただ単にこの人物が変なだけ。紳士ぶった雰囲気に騙されちゃダメよ、一部で有名な奇人なの」と、みずるが説明すると、寺本は楽しそうに声をあげて笑った。
残りいくつかの確認をしてから、そろそろ礼を言って別れようとしていると、
「わたしからひとつお願いしていいですか」と、寺本は切り出した。
「なんでしょう」
「刑事さん、背もすごい高くて、目も眉毛もかっこいい。でも顔の下が想像と違ったらと、ずっと思ってた。ごめんね、失礼なのはわかってるの、でも」
マスクのため宇藤木の顔は鼻梁より上しか外に出ていない。しかし、下半分の顔が気になって仕方がなかったのだと、寺本は正直に言った。
「あ、そういえば、さっきの真面目くんもね、がっかり二枚目だったらしい。いま思い出しました」
「ほう、そうですか」
「付き合い始めた時は、けっこう馬鹿にしていたの。マスクして会ったら騙されるタイプだって」
「それはどういうこと?歯並びが悪いとか」
「歯並びっていうか鼻の下が長い。歯も出てたらしいし、とどめに髭が濃かったんだって。整ってるのは目元だけ、どこが良かったのかね。なお音楽くんは顔はマシでも、背が小ちゃかったそうです。彩よりも、かなり」
「真面目くんは、犬っぽい顔ってことかしら」
「どうだろ。写真見せろって迫ったら、無いって。相手にも撮らせなかったみたい。そのあたりは慎重っていうか、簡単に心を許さないっていうか。知り合ったきっかけがあんなとこだし。でもね、最初はけっこう顔の悪口言って笑ってたのに、あとで言わなくなった。そこそこ真剣ではあったのね」
「でも、別れちゃった」
「うん。気が小さいくせに根性悪い、とかあの当時はすごく怒ってた。ただ、別れてからも顔について悪口は言わなかったのよ。真面目君が自分の口元を気にしていたのを、知ってたから。彩のそんなけなげなところ、わからなかったのかなあ。どうなんだろう」
「なるほど」宇藤木はめずらしく、寺本の言葉にとても満足したように見えた。
「では。残念と思われるかもしれませんが」彼はマスクに指をかけ、
「こんな顔です」と取って見せた。ついでにみずるも、横から宇藤木の顔に手を差し出し、こんなのです、とフォローした。
「え」寺本の小さめの目が丸く見開かれた。しばらくして彼女は、感に堪えないように言った。
「ぜったい彩、元気にならなくちゃ。あいつ自分では面食いじゃないとか言ってたけど、ここまでだったらね。いつかその顔、見せてやってくださいね。いっぺんに良くなりそう」
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