第34話 神
友人が、由緒ある宗教の修行体験ができる、というネットの書き込みをどこかで見つけてきた。その修行を一週間行うと、神様が見えるようになるらしい。彼女はその手のスピリチュアル的なものが好きだが、一人が苦手なようで、それに加えて、私がブログをやっているのを知って、ネタにしたら、ということらしい。私は神様など信じていない。いたら、もう少しマシな生活をしているだろう。
彼女と私は修行体験ができるという山奥の修行所。こういうときの彼女の行動力はすごい。普通の人はネットの書き込みを見るだけで止める。というかスルーする。
出迎えてくれたのは優しそうな男性と女性。夫婦だろうか。
「いらっしゃいませ。連絡してくださった方ですね」
「はい。よろしくお願いします」
「では、こちらへ」
案内された修行所は古い小屋で、正直、入りたくない、と思った。まだ断れるぞ、という心の声がするが、彼女はやる気満々だ。
「雰囲気ありますね。パワーを感じると言うか。ね。」
「山の中だからじゃないの…」
案内してくれた男性がまじめな表情で私たちに言う。
「これは修行ですから、厳しいですよ。一週間、ここで、ずっとこのお経を唱えていただきます。止めていいのは、お手洗いのときだけです」
「え、寝る時間は…」
私の不安なつぶやきに表情を少しも変えずに答えた。
「寝るのは私たちが許可した場合のみです。もちろん、お風呂などもありません」
「大丈夫、一週間くらい何とかなるって」友人は、なんというか…能天気だ。
「また、この場所を出ることも認めません。中に入るともう出ることはできませんが、よいですか」
…帰りたい。
修行所に入ると、中は殺風景な部屋が一つあるだけだ。何もない。窓からは荒れた庭が見えるだけ。男性がどっかりと真ん中に座る。
「お手洗いはあちら。さて、その座布団のところに座ってください。これがお経です」
分厚い本を渡された。私は呆然とした気持ちで座る。友人は依然として楽しそうな顔をしている。理解不能だ。
「では、始めます」
「え、もうですか」
「大きな声で読んでください」
そこからはひたすらお経を読む。読む。読む。前にその男性がいるので、休むこともできず、休もうとすると、男性が怖い顔をして立ち上がり、ハリセンのようなもので背中を叩くのだ。
食事を持ってくるのは一日二回だが、ご飯と漬物だけ、そのほかのおかずはない。お手洗いに行く以外、ただ、お経を読む。音は外の風の音と鳥の鳴き声くらい、あとはお経。頭がおかしくなりそうな状態で、おそらく三日経った。監督の役は数時間ごとに男性と女性が入れ替わるので、隙がなかった。さらに、寝る時間もほとんどもらえず、眠い。目が乾いて涙が出てくる。隣の友人の顔もまともに見れなかった。
おそらく、これが四日目。朝日が窓から入ってくると、友人が叫んだ。
「うわー、えーっ!」
そして前にどんと倒れた。監督していた女性がはっと顔を変える。
「どうしました」
私はその声を聞いたところまでは記憶がある。
気が付くと、別の部屋で私たち二人は寝ていた。ここはどこだろうか。
「目覚めましたか」
女性が優しく声をかけてきた。緊張が切れたせいもあるのか、声がうまく出ない。
「ご友人の方も先ほど一度目を覚まされて、神様がお見えになった、と。あなたもご覧になったのでしょう」
私はぽかんとする。神様を見た?そんなものがいるわけない。
「あ、おはよう。神様、いたね」
友人が起きた。がらがらの声。私はとりあえず頷いた。そういうことにしておけば帰れると思ったから。
「修行体験は成功ということです。あなたたちは神様にお会いできた。お会いできない方も少なくないんですが、良い縁をお持ちなんだと思います。少し休まれて、修行の続きをされても良いですし、神様に会うのはエネルギーを消耗することですから、ここまでにしてご帰宅されてもかまいませんが、どうしますか」
「私はもう少し休んだら、戻ろうと思います」
友人は恐ろしいことを言う。目を見ると、本気らしいことが分かった。たぶん、本当に神様が見えたのだ。
「私は…休んでから考えたいです」
私は辛うじて声を出した。女性は頷いて、部屋を出ていった。
神様なんていない。私はそう思う。結局私は友人を置いてすぐに帰った。
極限の状態で、友人には何が見えていたのか、私にはわからない。ただ、彼女にとって、その体験は人生を変えることとなった。その後、彼女は一度こちらに帰ってきたが、そのまま出家してしまったと噂で聞いた。
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