第32話 死後も

病室で彼女は別れてくれ、と何度も僕に言った。新しい人を早く見つけて幸せになって、と。僕は彼女を失って幸せになるつもりなんてなかった。だが、彼女を苦しめたくなかった。僕は病室を去った。

葬式に参列して良いのか、そんな資格はないのではないか、正直迷ったが、彼女のご両親は来てくれと言ってくれた。

葬式が終わり、何年かあとのこと。彼女のお母さんは僕に話がある、と呼んでくれた。

「あれからお父さんと別れてね…」

やつれた姿は痛々しい。娘を亡くし、気落ちしているところもあるのだろう。

「あの子は最期にあんなことを言ったけれど、あなたはどう思っているの」

「もちろん、まだ彼女を、あおいさんを愛しています。これからも変わらない」

「そうよね、そうよね。だから、あなたを選んだに違いないものね」

涙ながらにうんうん、とうなずく。そして後ろから、婚姻届けと何やら儀式で使うような道具を取り出してきた。

「死後婚という儀式があるの。あの子の魂のためにも、結婚してあげてほしいんです」

彼女のお母さんのため、彼女と自分のためにも、断る理由なんてなかった。

その儀式は古い神社で行われた。彼女のお母さんの実家が近くにあるのだそうだ。この地域で伝わる方法、そう言われた。彼女のお母さんと神主はその場で何か呪文のようなものを唱えだし、婚姻届に火をつけた。まがまがしい雰囲気の中、儀式は終わった。あまりにシュールな出来事に、夢でも見ていたようなそんな気分だった。ただ、儀式の趣旨とは違うかもしれないが、彼女の死に一区切りつけられるような、そんな気がした。

少しして、彼女のお母さんが自殺したと聞いた。やはり精神を病んでいたのだ。精神を病む中で行われたあの儀式のことは、正直忘れたいと思った。


時が経ち、職場の同僚といい関係になっていた。いつまでも彼女の死を引きずっていても、それはそれで幸せを願ってくれた彼女に申し訳ないだろう、と周りにも説得された。自分の心も、少しずつ回復していた。

もう結婚まで秒読み、というところで、僕は体調を崩し、倒れてしまった。意識がもうろうとする中、夢に彼女が出てきた。彼女は泣いていた。

「僕のことを恨んでいるのか」

「そんなわけない」彼女は泣いた。

「私に縛り付けてしまって申し訳ない…お母さんのせいで」

後ろから彼女のお母さんが現れた。ただ、表情はもはや人のものではなかった。恐ろしい表情でこちらをにらむ。

「あの時の誓いを忘れたのか」

「誓い?」

「死後婚のとき立てた誓いだよ。私は忘れない。私はこの誓いを守るために自らこちらに来たんだ」

もうわけがわからない。

「ごめんなさい、こうなってしまっては、私にはどうしようもない…」

「どうすればいいんだ」

「お前だけ幸せに生きていいわけがないだろ、お前もこちらで永遠に過ごすんだよ」


死後婚という儀式はある種の呪いでもあったのだ。

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