第23話 餌やり
食虫植物にトカゲか何かの遺伝子を組み込んだ、と聞いた。知人の研究者からもらった食虫植物は、もらったときはごく小さな植物だったのに、気付けばどんどん大きくなり、温室に何とか入るサイズとなってしまった。花から甘い匂いが漂い、寄ってくる虫を消化液の溜まっている部分に誘い込む。虫は何も知らず、溶かされてしまう。本来はそうやって栄養を得る植物だったそうだが、このサイズでは蝶や蝿では当然足りるわけがない。業者から冷凍のゴキブリやらネズミを取り寄せて、大きな餌やり台から投げ込む。餌やり台では強烈な甘い匂いに酔いそうになるが、それはこいつが早くご飯を、と言っている声なのだろうと思う。
何もこんなサイズになるまで育てなくても良かったはずだ。その通り。何か理由があるとすれば、こいつへの愛情としか言いようがない。仕事を失ったばかりで孤独な男にとって、甘い匂いを漂わせながら、どんどん大きくなる植物がペット、いや、それ以上のものになっていったのだった。
植物の世話をしていると、温室に子供が入り込んでいるのが見えた。
「おい、危ないだろ、勝手に入るな」
本気で怒る。万が一、花に落ちたら、あのネズミのようになってしまう。たぶん、男はここにはいられなくなる。そんな危険なものを育てるなと言われるだろうから。知人の研究者が許可の類はすべて整えているはずだが、そうは言っても周囲の目はいつも冷たいものだった。
「ご、ごめんなさい」
謝る男の子をどこかで見たことがあった気がする。かつて働いていた工場の社長室。そこに飾ってあった写真の子供だ。社長が溺愛していた息子。
「前からここで何育てているのかなと思っていて、ずっと気になっていて」
焦って必死に言い訳しているが、そういう問題ではない。
あの社長に顔が似ている気がした。賢くて、自信に満ちた感じ。まだ子供、小学校高学年くらいに見えるが、頭は良さそうだ。正直、苦手なタイプだな、と男は思う。
「お父さんに何か言われなかったか」
「絶対に近づくなって」
そう言われると絶対行きたくなるのが人間だ。開けっ放しにしていたこともあるが、この子がいたタイミングというのが悪い。…いや、タイミングが良かったのか。花をちらりと見てみる。甘い匂いが何かを男にささやいている。
「…餌やりするから来い」
「いいの」
男の子は驚きながらも嬉しそうな顔を見せる。頷いて冷凍庫からネズミの入った箱を取り出して渡す。冷凍のネズミは凍って動かない。
「ネズミをあげるの」
男は返事をしない。餌やり台の階段を上る。男の子もついていく。
男は凍ったネズミを箱から取って消化液の溜まる部分へ投げた。甘い匂いでよろめきそうになった。頭痛がする。男の子は興奮した様子で花と溶けていくネズミを覗いている。
箱のネズミをすべて投げ入れた。
「こんなに大きいのに、食事はもう終わりなの」男の子は花に夢中でこちらを見ない。
甘い匂いは続く。いや、強くなってきているようにも感じる。
「そうか…まだ足りないか」
男は男の子の背中を蹴り飛ばした。ぼちゃん、という大きな音がして、すぐ静かになった。甘い匂いはまだ続いていた。
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