第20話 日常

同棲していた恋人と連絡が取れなくなって、3か月ほど経った。ぼくが嫌いになって出ていっただけなのかもしれないが、そんな素振り一度もなかったと思う。本当に突然いなくなった。事故か事件に巻き込まれたのではないか、という心配ばかりが募っていた。彼女とその家族は折り合いが悪く、何年もまともに連絡を取っていないとかで、実家に戻ったとは考えられない。ぼくが知っている彼女の友達も当たれるだけ当たったが、誰も知らない。時間ばかりが過ぎ、焦りとあきらめが深まっていた。

早朝、ドアのチャイムが鳴る。こんな時間に誰だ、と思ったら、彼女だった。

彼女はゾンビになっていた。黒々とした肌に、顔は崩れかけ、美しかった生前の面影はない。腐臭を漂わせ、ドアの前にいるのに中まで夏のごみ置き場のようなひどい臭いがしている。だが、彼女なのだ。声は辛うじて生前の面影のある控えめで優しい声だ。

「ごめんね、しばらく連絡できなくて」

申し訳なさそうに彼女が言った。なんて答えればよいかわからないが、ゾンビが部屋の前にいるこの状況も外の人に見られたらパニックになるから、とりあえず中に入れた。というか、どうやってここまで来たのだろう。この姿で歩いて来たのか?

「なんか…ちょっと見ないうちに雰囲気変わったね」「そうかな」

顔をうつむかせる彼女を直視できない。ぼくにはそれ以上のことは聞けなかった。この3週間、どこで何をしていたのか。何が起きたのか。殺されたのか、事故か、変な実験に巻き込まれたとか、もしくは宇宙人に連れ去られたのか…生きているのか、死んでいるのか。君は本当に君なのか。いや、何から聞けばよいのか。まずは。

「朝ご飯は?」「お腹すいたわ」

とりあえず食パンと目玉焼きを準備する。彼女の臭いがきついと思ったが、人というのはすごい生き物で、時間とともに慣れてきた。野菜ジュースをくむ。彼女がいなくなる3週間前と同じように。

「いただきます」

食事するときは人の素が出る、と何かで聞いたことがある。しっかりと手をそろえて食べ始めるのは彼女のままだ。崩れかけた顔であっても、顔に食べ物を持っていくそのしぐさは、生前の上品な感じを残している。どのような姿になっても、彼女なのだ。そう思えると、極めて普通なことの延長のような気がしてきた。


「ごめん、仕事に行くから」「うん、いってらっしゃい」

3週間前と何も変わらない日々が戻ってきたのだ。彼女は手を振りながら、優しい表情を浮かべている、気がした。



***

ここまでお付き合いくださったみなさま、ありがとうございます。

20本目のろうそくが消えたところで、少し休憩とさせていただきたいと思います。

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