第15話 暮らす

大学生になり、初めての一人暮らし。当然、安いアパートしか借りることはできない。しかし、大学との距離や住みやすさを考えると、あまりにも不便なところは困る。そのような贅沢を言っていたこと、正直後悔している。

物件自体は見つかった。古いし汚いし、というアパートだが、駅から比較的近いし、23区内であると考えれば破格の値段だった。ただ、不動産の担当者からは大きな心配事があると言われた。

「大変申し上げにくいのですが、前の人が借金で自殺しまして」

「あ、だから安かったんですね。でも、気にしないんで」

というのも、ぼくは医学部の学生で、実家も医者。命に対しては、その重さは十分に理解したうえで、生死というのが意外と当たり前の出来事であることも知っていた。それは、たとえ自殺であったとしても同じことなのだ。だから、前の住人が自殺したとしても、幽霊が出るとかふざけて騒ぐのはよろしくない。

そのときはぼくはそう思っていたのだ。


新しい大学生活で、最初は気疲れも結構あった。入学して一週間ほどだったが、手続きやらサークルの歓迎会やらで金曜日が終わるころにはだいぶぐったりしていた。

その夜。疲れているのになかなか眠れない。気が付くと、部屋の隅に黒い影が見える。見間違いかと思ったが、やはりある。電気をつけてみた。・・・何もない。

と思ってまた電気を消すと、そこだけ暗い。おかしいと思った。部屋の造りの問題か、外からの光が原因だろうか。よく見ると、はっ、驚きと恐怖で息が止まりそうになる。こういうときはテレビなどでは叫ぶ場面だろうが、声も出なかった。

首吊り死体なのだ。その生気のない顔と目が合ってしまった。まるで焼き魚の目のようにこっちを向いていた。


布団の中で一睡もできないまま、朝を迎えた。朝日の中では、もう黒い影は見えない。夜も電気をつけていればよいのだが、ぼくは明るい中では眠れないタイプなのだ。引っ越しだって急にはできない。どうしたものか。いや、疲れたせいで悪夢を見たんじゃないか。昨日死体があった場所を調べてみる。何もない。


寝不足もあり、疲労は抜けない。夜になるとばたりと倒れて眠れる、と思ったが、昨夜の恐怖が思い出された。明るいと眠れないが…、電気を消し、暗くすると、

また現れた。死体が吊り下がっていた。

恐怖で息ができない。ただ、昨日よりは冷静だった。部屋を飛び出し、まだ出会ったばかりの友人の家に泊めてもらうことにした。


死体の話を一生懸命話した。その友人は冷静に答えた。

「そんなこともあるかもしれないね」

「いや、怖いですよ。実際に見ちゃうと。医者になろうとしている人がそんなびびりでよいのかと思うかもしれないですけど」

「でも、何もしないんだよね、そいつ。で、君は電気を消さないと眠れない、と。引っ越しもできないよね。お金ないもんね」

「まあ、はい」

「なら、一緒に暮らすしかないんじゃないか」

他人事だからそんなことが言える。怒りたかったが、その意見ももっともかもしれない。何もしてこないなら。テレビで見るような襲ってくるやつではない。呪いでもなさそうだ。不気味な感じはするが、悪意は感じなかったような…


次の日。電気を消すとまだ死体は吊り下がったままだ。何も動かないし、何も起きない。悪意は感じない。むしろ、悲しい感じがする。死後もこうして置き去りにされてしまった姿が悲しい。体はもうとっくに焼かれて墓の中にあるのだろう。魂というのも、もし存在するのなら、ここではなく、もっと他の場所にあるに違いない。だが、死んだ姿を写しとったように、ここに置き去りにされた何か。死とはこんなに悲しいことなんだろうか。


結局、ぼくは今もこの部屋に住んでいる。夜に電気を消すと、まだ、それはある。


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