光の華 FIVE 後編
Ⅵ
でも僕達はもう元の関係には戻れない。戻るにはちょっと色々とあり過ぎた。香美のことも含めて。無理矢理そうしようとしたって、どうしても違和感が生じるに決まっている。けれど取り敢えずは、僕は決別を選ぼうとは思わない。僕は誰かと別れるのが嫌いなのだ。それは欲張りかもしれないけれど、欲もかけない人生に何の意味があると言うのだろう?
「美苗さん」
「何だよ」
「好きだ」
「だから何だよ。私はそうでもない」
「じゃあ嫌いじゃないんだね」
と指摘すると美苗さんは黙る。きっと今の状態が美苗さんの正直だ。今までのが猫かぶりとか演技とか仮面とかそういうものだったとすれば、これが彼女の本当だ。そしてその『本当の美苗さん』は、僕のことをそれほど愛していないし、それほど好きでもない、なんて煮えない、濁すみたいな言葉で言うってことは。
美苗さんは別に、僕のことが嫌いだった訳ではないのだ。
僕はそのことが嬉しい。好きな人に嫌われていないという事実は僕を安心させる。好き合っていた、愛し合っていたと思っていた人から『そうでもなかった』と言われて、それはまあ哀しいし切ない。でも、大嫌いだった、正直吐きそうだったと言われないだけマシだ。まだこの現実は僕にとって最悪じゃない。
「ねえ美苗さん、友達になろうよ」
「は? 何で」
「だって美苗さん部活辞めて彼氏と別れて暇でしょ? 僕とずっとやりとりしてたしね。だったら僕の友達になってよ」
「……私は自分の人生が美しい物語であればそれでよかったんだ。そのためには努力を惜しまなかった。でも結局駄目だった。謎の死は遂げられなかったし、人生を助けてくれた男の子は私以外の女のために私を殴った。何より、ここでこうしてべらべら語っちゃってる時点で最悪だよね」美苗さんは僕の顔を見ずに言う。「こんなことになっちゃったから生き続けるのはしんどいし、かと言ってこのタイミングで死ぬのも潔いようで潔くない。もう何もかもやる気がない。だからそうだね、失踪辺りが無難だと思ってる」
「あはは、それは駄目だよ」と僕は笑ってみせる。「そしたら僕は君を全力で見つけ出すから。って言うと格好良いけど、国には頼るから、君は失踪者として警察の人に顔を覚えられて、やがて発見されると思う。笑いものだね」
「……じゃあどうしろって言うんだよ!」美苗さんは怒鳴る。「もう私の人生のどこにも美しさなんてないよ! 何にも上手くいかなかったし、夢も希望もないし、間違って捨てちゃったものばかりだし、何もかも引き摺っているし、誰にも理解されない! 時間を掛けて練ったプロットは頓挫して、それでも見出した活路は袋小路なんだ! 残ったのはこんな、こんな、こんな……こんな、夢見がちな性格だけで! 夢見がちな性格と、不安定な精神と、予定通りじゃないと苛々するような面倒臭い気性だけで! こんな状態でどう生きていけば恥ずかしくないんだって言うんだよ!」
「そんなの僕が知ってる訳ないじゃない」と僕は言う。「僕だって、自意識過剰で、何やっても手落ちだらけで、思考は中二病さながらの哲学気取りで。今だって友達が誰もいなくなるかどうかの瀬戸際で、愛していない好きじゃないって言われてるのにまだ彼氏気取りで、心が折れそうなぎりぎりだ。美苗さんより全然頭も悪ければ、運動もできない、体力もない、歌も巧くない、服のセンスも悪い、エッチなことだってへたくそもいいとこで、自分で言ってて嫌気がさすほど駄目駄目だ。滅茶苦茶に恥ずかしい。でも生きてる。何故だか生きてる。どうにか生きてる」
「……どうして生きていけるの」
「知らない。気にしなければ良いとか言えるほど気にしていない訳じゃないし、それでもそんな自分が好きなんだとか言ったら矛盾するよね。香美がいると楽しいけど香美のために生きてる訳じゃないし、美苗さんについてもそうだ。両親のことも好きだけど、死なない理由になるほどではないかな。じゃ、いったいどうして生きているんだろう……」
と僕は冗談ではなく真面目に考えだしてしまう。僕は何故、こんな人生を生き続けているのだろう。ずるずるだらだら引き延ばしてここまで来てしまっているのだろう。
人生だって別に動く歩道という訳じゃないのだし、切りのいいところで抜けてしまったって、倫理的にはさておき、よかった筈だ。僕は大学生になったら恋川のほうに引っ越すつもりだけれど、それは何か叶えたい夢があるからではなくて、ただずっと地元にいるのが嫌なだけだ。
僕には夢はない。やりたいこともやるべきこともない。なりたい大人は無くもないけれど、一生大人になれないと宣告されても別にいいと思うだろう。
どうして生きているんだろう。
恥の多い生涯を送っておいて懺悔もなしに、今までも今もこれからも生き続けるつもりの僕がいるのは何故なのだろう。そこに希望はあるのか?
ある。
「僕は花火が好きなんだ」僕は窓の向こうに目を遣る。別に星も花火も見えない。月も角度の都合で目に入らない。あるのはただの、静かな夜空。深い闇。今は何時だろう。「だから僕は花火を見るために生きている」
「……意味解んねー」
「だよね。僕もそう思う。でもきっと、生きる理由なんてそれくらいでちょうどいいんだ」
なんて、これは酒も飲めない若造の、中身のない言葉である。
ゆめゆめ、どうか二十歳までに忘れてほしい。
Ⅶ
「話、終わった?」と、廊下の向こうから歩いてきた香美が僕達を見て言う。僕が頷くと、「じゃ、もう帰ろ。うかうかしてると午前になっちゃう」と言って、へたり込んだままの美苗さんに手を差し伸べる。「立てる? ってこれは友也の役目かな」
美苗さんは何も言わずに香美の手をとって、徐に立ち上がった。二人は向き合ったまま、まばたきもなく見つめ合った。アイコンタクト、女同士のテレパシー、だろうか。判らない。少なくとも男の僕には何も察せられない。
「香美ちゃん」美苗さんは言う。「私の友達になって」
え、と驚いているのは僕だけで、香美はあっさりと「いいよ」と承諾する。「じゃ……LINEやってる?」
「あ、メール派なんだよね。そっちでも大丈夫?」
「メールか。ま、確か無料だったから大丈夫」
そして美苗さんと香美のアドレス交換が起こる。僕は少し離れて二人を見ている。これは何だろう、と思う。解らない。きっと僕が疲れているかどうかは関係ない。
「あの、香美? 美苗さん?」
「何、友也」と香美は携帯を捜査しながら僕に目を向ける。「別に、もう色々と吹っ切れたし、いっそ仲好くしとくのもありかなって思っただけだよ」
「や、でもそんな簡単に……ええ?」
「というか一部始終、普通に聞いてたから。別れたんでしょ。人のこと、彼女いるから、って振ったそばからその彼女に振られてんの面白かったよ」
「…………ごめん」
「いや友也に謝る筋合いないでしょ。間違ったことはしていないんだから」
そう言われて僕は黙る。確かに僕は香美に謝るようなことはしていない。少なくとも香美に対しては。でも何だか理解しきれない。僕は美苗さんに、
「ねえ、美苗さん。僕とも友達になってくれるよね?」
と確認する。美苗さんは、
「……んー、保留で」
と首を横に振った。
友達になろうを保留されるなんて話を僕は聞いたことがなかったからとてもショックだった。
「私、どれだけ自分が悪かったとしても自分のこと殴った男と仲好くなれないからさ」
「だってさ、友也。ドンマイ。女の子は殴るものじゃないねえ」
全くだよ。本当に。
というか香美も初対面のとき殴っていた気がするのだが、そこは不問なのだろうか? 女の子だから?
僕達は縦並びになって階段を降りた。僕が先頭で、美苗さん、香美の順。僕の後ろで僕が振った女の子と僕が振られた女の子が和気藹々と話している。先月はこんな状況が現実になることがあるなんて思いもよらなかっただろうな、と思う。ならないでほしかったが。というかもう香美と美苗さんが友達になったのは良いけれど、僕と香美は友達に戻れるのだろうか? 美苗さんは諦めるにしても、香美までいなくなったら僕と仲の好い人が武藤先輩しかいなくなるのだけれど……バイト先の先輩しか仲好しがいない高校生活なんて、そんなの完全に孤独なほうがマシな気がする。武藤先輩には悪いが。
その辺を香美に確認してみると、
「え? あ、うん。別にいいよ」
という反応で、いや何でそんな素っ気ないんだって。
口元が歪んでいるのを見るに、たぶん普通にからかわれている。美苗さんも笑っているし。いったいさっきの見つめ合いでどれだけの意思を交換したというのだろう。
「あ、でもどうしよっかな。近いうちにタリーズとかで友也の愚痴大会して盛り上がるつもりだったのに。友達の愚痴で盛り上がるのそんなに好きじゃないんだよなあ」
「そんな予定があったの……?」
「じゃあ香美ちゃん、それを終わらせてから友達になったら?」
「あ、いいね。じゃあそんな感じで」
「そんな感じでじゃないよ! 余計最悪だよ! 誰が友達になるか!」
というかそんな予定は僕にだけは秘密にしておいてほしかった。
「じゃあ折衷案で今やる? 香美ちゃんからいいよ」
「オッケ。じゃ、その一。服のセンスがアレ」
「あー、アレだよね。オシャレとかダサいとかじゃなくて、着てるだけみたいな。服なんて着られればいいでしょ感が滲み出過ぎてる。正直、そういう格好でデート来られるのが個人的に一番嫌だった」
「めっちゃわかる。友也って靴もノートもそんな感じなんだよね。好きな色がある訳でもないから統一感も見えないしさ……有体に言ってやる気が感じられない」
「本人の前で始めないで……」
お父さんお母さん。僕は今、女子二人に虐められています。
ふと思い出して携帯を見ると、親からの着信が結構入っている。愛されているなあ、とか気楽に考えていられるほど無神経じゃない。
早く帰らないと。
Ⅷ
一階の窓から塔の外に出て、一先ず美苗さんを送ることにする。家の前まで送ろうとしたけれど、美苗さんはいつもの街灯でいい、と言う。僕はもう美苗さんの彼氏ではないのだと、このときにやっと実感する。僕は美苗さんの彼氏でもなければ友達にもなれない。彼氏であるには美苗さんの理想から外れ過ぎたし、友達であるには僕の愛情が強すぎる。
夏の夜中はもったりと重たい静けさに満ちている。あれだけかいたのにまだ汗が出てくる。こんなに水分を摂ったっけ、と僕は思う。もしかしたら家に帰る頃には脱水症状を起こしているかもしれない。それならそれでいいかもしれない、と一瞬考えるけれど、これ以上親に心配も迷惑もかけたくないのでそんな思考はかき消す。
塔の外に出たときから、僕も香美も美苗さんも口数がぐんと減る。気まずいのではない。僕達はもう話すべきことは殆ど話したのだし、それに疲れているのだ。さっさと家に帰ってシャワーでも浴びて寝て朝を迎えたい。みんなそう思っている。
僕達はこれからどうなるんだろう。きっとこの調子なら僕と香美は友達としてやっていけるだろうし、香美と美苗さんも仲好くしてくれるのなら別に文句も問題もない。僕と美苗さんはもうお終いでいい。永遠に続く関係なんてない。それはきっと僕達、僕と香美と美苗さんの三人についてもそうだろう。これから何があるのだろう? 何でもいい。でもどうせ何かが起こると言うのなら、それは幸福なことであるといい。少し寂しくもなるけれど笑顔で受け入れられるような。大丈夫。暗いことばかり起こるような、暗いことしか起こらないような世界じゃない。どこにだって救いはある。
街灯の下に着く。美苗さんは笑顔で手を振って、僕達も振り返して、美苗さんと香美でまたねを言い合って、それで別れる。
踵を返して、坂を降り始める。僕と香美で並んで。さりげなく、僕のほうが車道側に居てみたりして。
月が大きい夜だった。満月ではなかった。中学の理科の教科書を思い出しながら目測して、十二夜くらいの満ち欠けのように見えた。星がないぶん、その月光はどこか威厳のある、存在感に満ちた光だった。
闇夜の中の救い。
「友也」
香美は僕の名前を呼んだ。
「おつかれ」
どうして僕は泣いているんだろう? 全部丸く収まったはずなのに。全部丸く収まったからこそ、香美の言葉が嬉しいのだろうか。それとも――それとも? 僕は悲しいのだろうか。何が悲しいのだろう。僕はこの結果に満足とは言わないまでも、後悔はないはずなのに。美苗さんも香美も僕も、これから平穏に生きていけるのに。これはハッピーエンドのはずなのに。香美は無事だったし、美苗さんの自殺を止めることが出来たし、僕は、僕は?
僕は美苗さんのことが好きだった。大好きだった。愛していた。心から、誰よりもそうだった。だから悲しい。だからこの結末に、僕は泣かずにはいられない。折角丸く収まったのに、こんな風に、さめざめと泣いてしまって何だかぶち壊しな気がして後ろめたいと思う。
でも許してほしい。だって僕は失恋したのだから。
「もっと泣いていいよ。友也だけ泣かないなんて許さない」
と言って香美は僕の頭を撫でる。だからと言う訳じゃないが、僕は蹲って泣き出してしまう。下り坂の真ん中で。僕の友達は、何も言わずにそんな僕の隣にいてくれる。
Ⅸ
そのとき僕の携帯にメールが送られてくる。美苗さんから。
内容はこうだ。
『帰ったらおばさんが自殺してる。どうしよう』
Ⅹ
それから六年の歳月が経つ。
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