光の華 FOUR 前編

FOUR 私のスーパーマリオ



『バイトおつかれさま、友也くん』「ありがとう。美苗さん、今何してるの?」『塔の階段登ってるよ』「え。うちの家の? どうして?」『言ってなかったっけ? 私、ときどき登るんだよ』「そうなんだ。何のために?」『友也くんと出会ったときのこととか思い出すために。あと、いい運動になるし』「そっか」『勝手に入ってごめんね』「あ、別にいいよ。好きにすれば。僕の彼女なんだし」『そう。ありがと』「でも飛び降りちゃ駄目だよ。美苗さんにその気がなくても、高いところってふらっと間違えやすいし」『あはは、心配どうも。気を付けるね。ところで話変わるけど、猫林さんの話ってなんだったの?』「あー……えっと」『言えない感じ? 秘密?』「うぅん……まあ、とくにそう言われなかったからいい……かな? あのさ、香美に告られた」『やっぱりそうなんだ』「やっぱり?」『猫林さん、友也くんに結構好き好きオーラ出してたと思うよ? 友也くんスルーしてたけど』「え、そう?」『うん。で、どうやって断ったの?』「僕は美苗さんが好きだし、香美のことは友達だから、ごめんね。って」『へえ。なんだかスタイリッシュさが足りないね』「いや、急に友達に告られて咄嗟にスタイリッシュな断りかたできる高校生なんてそうそういないと思うけど……」『そりゃそっか。ともかくおつかれさま。ありがとね、ちゃんと断ってくれて』「受ける訳にはいかないしね」『うん。受けたら私、あの出窓から飛び降りるから』「シャレにならないなあ……いや、本気でやめてよ?」『やんないやんない。その世界線は回避されました』「ならいいんだけど……」『ねえ友也くん』「何、美苗さん」『私のこと好き?』「うん」『リテイク』「えっ」『ねえ友也くん、私のこと好き?』「好きだよ」『オッケー。私も友也くんのこと好きだよー』「ありがとう」


 就業時間を終えて、少し残業をしてからスタッフルームで制服を脱いでいると、武藤先輩が僕に話しかけてくる。

「吉津くん、大丈夫? 俺には何だか、いつもより疲れているように見えるけど」

「武藤先輩。まあその、最近ちょっと色々とあったもので」

「へえ。よかったら話してみなよ。相談に乗れるかもしれないし、乗れなくとも、吐き出すだけでストレス解消になるだろ」

「ありがとうございます」

 でも悪いですよ、と遠慮しようかと思った。けれど、たぶん武藤先輩は前に後輩の僕に吐露したことを気にしているのだろうから、素直に打ち明けたほうがお互いのためかもしれない。武藤先輩は、香美のことも美苗さんのことも知らない、礼を失すれば部外者とも言える立場の人なのだから、何を言ったところで問題はないだろう。僕はそれでも表現を脳内で選んでから、口を開く。

「実は、ずっと友達だと思っていた女の子に、今日の昼、告白されてしまって」

「それは複雑な話だ。返事はしたのか?」

「ええ……断りました。僕、最近彼女が出来たばかりですし」

「そうなんだ、おめでとう。どんな娘?」

「可愛くて楽しいけど、理解できる部分はあんまりない、みたいな? ってそっちは本筋じゃないんですけど」

「ああ、そうだね。それで、その友達とはこれからも友達やっていけそう?」

「いや、そこは僕もどうにか続けていけるように頑張りたいんですけど」

 そうしたいし、そうするべきなのは解っている。そのためにどうすればいいのかもなんとなく理解はできている。

 けれど、その前に。

「その……、僕はどういう感想を抱けばいいのか解らなくて」

「え?」と武藤先輩が目を丸くするので、僕は説明を加える。

「さっき武藤先輩は複雑な話って言ってくれましたけど本当にその通りで、すごく複雑な気持ちなんです。急に友達から告白されて、困惑はしましたけど、でも女の子から好かれるって言うのは、少し嬉しくもあって、でも僕は友達と思っていたのに向こうはそれ以上に見ていたっていう不一致感がショックでもあって。嫌だとか不快だとかじゃなくって悲しくて。だけど向こうにとっては告白してショックを与えてしまうのはそれこそショッキングだろうからそんな風に感じてしまうのはよくないと思ったんですが、だからといってプラスの感情だけっていうのは違和感があるし、何より僕の彼女に失礼じゃないですか。で、結局僕はその件に関して何を思えばいいのか? と考えても答えとかでなくて……どう思います?」

「複雑な気持ちでいいんじゃない?」と武藤先輩は即答した。「別に、気持ちに正しいも何もないだろう。何かを思うのは反射的なものなんだから、そんなところで罪悪感持ってたら死ぬんじゃないか」

「……でも、姿勢として正しくないっていうのはあると思うんです。……的外れなことを言っているのは理解していますけど、なにぶん、こういう経験が全然ないもので」

「そう。取り敢えず俺から無責任に言えることは、正しいことをするのに正しい魂は必要ないってことかな。どれだけ薄汚れてた魂だろうと、表に出さなければ何の問題もない。結局、結果になるのは表に出されたものだけなんだ」

 まあ俺は裏に引っ込め続けるのは無理だったけど、と武藤先輩は笑った。僕はあまり笑えなかったが、付き合って一緒に笑った。

 表に出されるものと裏に引っ込められるもの。

 自分の魂を裏に引っ込め続けることと嘘をつくことはどう違うのだろうか?




 バイトから帰って、美苗さんとの通話も終えて、僕はやっと家に着く。親がご飯を作って待っていてくれる。僕が一番好きな味付けの肉じゃが。美苗さんは料理を作れるのだろうか? だとしたら、一度食べてみたいと思う。

 両親から恋人のことについて訊かれる。答えられる範囲で答える。プライバシーに関わることについては訊いてこないけれど訊きたそうな素振りは見せてくる。そういうのは全部無視する。今日の朝に撮った写真を見せると美人さんだと言われる。僕もそう思う、と答える。

 部屋に戻って、香美からメッセージでも来ていないか確認する。零件。胸を撫で下ろしつつ、少し不安に思いつつ。一瞬だけ、あれでよかったのだろうかという思考が過るけれど、断らなかったら二股になるんだから断ってよかったに決まっているだろ、と思い直す。きっとまだ混乱しているのだ。僕と香美の間には友情しかないのだと信じ切っていたから、香美の気持ちを聞いてそう思っていたのが僕だけだと知って、騙されたような……いやさ、裏切られたような気持ちになって、それが僕の思考を揺さぶっている。

 僕は間違っているのだろうか。

 僕は間違えているのだろうか。

 僕は間違えていたのだろうか。

 何を?

「……いや、冷静に考えて僕は何も悪くないだろう」

 というか、誰も悪くない。悪い人なんてどこにもいない。ただ、誰かのことが好きなだけなのだ。僕は美苗さんが好きで、香美は僕のことが好きだった。ただ香美の想いが僕と通わなかった、というだけの話でしかないのだ。残念ながら。誰にとって残念なのかは、はっきりさせたくないけれど。

 僕は美苗さんが好きだ。そして香美のことを恋人としては見られない。だから香美の想いに答えられない。

 僕ははっきりと――もしかしたら噛んでいたかもしれないけれど――香美にそう返事したのだ。

 香美はそのとき何と言った?

 うん。知ってる。

 辛そうだったけれど、笑顔で、そう言ってくれた。

 それでこの話はもう終わった。終わらせたんだ。

 でも香美との縁は終わらせたいとは思わない。僕は猫林香美に、いつまでも友達でいてほしい。それはエゴイズムかもしれない。でも、エゴの介在しない関係なんて薄っぺらいものでしかない。

 これからも僕と友達のままでいてくれる?

 僕はあのあと、香美に言った。酷いことを言っているような気がした。でもそう言っておかないと不安な気持ちで夏休みの残りを過ごさなければいけなくなりそうだと思った。まだ二週間ほど残っているのだし、すっきりとした気持ちで美苗さんと付き合っていたかった。

 だけれど、香美は首を縦に振らなかった。

 横にも振らなかった。

 ただ、俯いて。

 ごめん。わかんない。

 小さな声でそう言って、それから駅前で別れるまで無言だった。

 僕は香美と友達に戻れるのだろうか? 判らない。香美次第だと僕は思っているけれど、本当は僕次第なのかもしれない。誰かに相談したい。きっと美苗さんにはやめたほうがいいだろう。立場上、自分の彼氏と自分の彼氏のことが好きな女の子は遠ざかっていたほうがいいだろうし。……美苗さんが快く思わないと承知で、香美と疎遠になりたくないと思う僕は彼氏として正しくないのだろうか。恐らく良い振舞いではないだろう。けれど、僕は本当に、一番仲の好い友達を失いたくないだけなのだ。どうしてそれだけのことなのにこんなに悩まなければならないのだろう?

 人間関係って面倒臭いな、と天井を見ながら思った。




 次の日、僕はバイトの時間まで何もしなかった。美苗さんとメールで会話しながら日中を潰した。夕方にバイト先に行って、帰って、美苗さんと少し電話して、それから眠った。

 そして夢を見た。夢の中で、僕は香美といた。僕達は並んで歩いていた。強い雨が降っていた。大きな傘を二人で使っていた。傘は香美が持っていた。象牙色の傘。どこに向かって歩いているのか、僕は知らなかった。でも香美は知っているみたいだった。香美の案内のままに右折や左折をしながら、誰もいない道をひたすらに歩いていた。誰もいない道。何もない道。知らない道。僕達は何も話していなかった。でも無言ではなかった。僕の口は動いていた。僕の舌は動いていた。香美の口は動いていた。香美の舌は動いていた。僕達の間には雑音が飛び交っていた。僕は車が通り過ぎる音や強い風で窓が震える音やアルミホイルで包んでハンバーグを焼く音を発していた。香美はキーボードを打鍵する音やポットの中の水が沸騰する音や電源が入った状態のマイクをテーブルに置いた音を発していた。とにかく意味のない音ばかりを交わしていた。とくに面白い組み合わせでもなかった。だが僕も香美も笑っていた。僕は別に面白いと思って笑っている訳ではなかった。笑ったほうがいいと思ったから笑っているだけだった。香美はどうなのだろう。判らない。僕は美苗さんのことだけではなくて香美のことすらも何も判らなくなっている。不意に香美が立ち止まる。僕も立ち止まる。僕達の目の前には崩落した塔がある。僕の祖父の遺した塔。僕はただただ悲しい気持ちになる。香美は傘を畳む。雨はよりいっそう強くなっているのに。香美は畳んだ長傘で僕の頭を叩く。僕の脳天に思い切り叩きこむ。視界が茫洋と広がる。世界の色が反転する。この世界は出来る限り一番気持ちのいい色で構成されている。だから反転してしまうと大抵恐ろしくて気味の悪い色味になる。現実が反転すると現実感も反転する。悪夢のような空間。悪夢。悪い夢。香美は僕の頭を何度も何度も打つ。傘の骨組みは痛い。色が反転している。暗黒色の傘。痛覚だけがどこまでもリアリティを保持し続けている。記念すべき十発目、僕は頭から大量の血液を噴射する。青い液体。僕の服を濡らす。地面を濡らす。傘を濡らす。香美だけは濡らさない。香美の口が開かれて、然しそこから出てくるのは雑音ではなく、香美の声でもなく、美苗さんの、全てを呪い尽すような寝言だった。友也くんなんて死ねばいいのに。香美は美苗さんの声で繰り返す。美苗さんは香美の姿で繰り返す。友也くんなんて死ねばいいのに。友也くんなんて死ねばいいのに。

 友也くんなんて死ねばいいのに。

 僕なんて死ねばいいのに。





 翌朝、美苗さんの家に上がらせてもらうことになる。これで二度目になる。『おばさん』は夕方まで帰ってこないそうだ。美苗さんは一人プレイ用のストーリーゲームしか持っていなかったから、僕の家から持ってきたマリオパーティを一緒にプレイする。

 勝手の判らない美苗さんにシステムを教えてゲームを始めて、取り敢えず最初は彼女に対して極力妨害をしないように努める。別に心の狭い人ではないと思うが、まあこのゲームに対しての第一印象がいいほうが楽しいだろう。

 三週目くらいから本気を出してみる。それくらいになると美苗さんも慣れてきて、結構盛り上がる。嫌がらせ合戦。彼女のゲームセンスは僕よりも高い。僕が二位になることが多くなるけれど、彼女が楽しそうだから微塵も悔しくない。パーティゲームに対して友情破壊ゲームと揶揄する向きがあるけれども、こういうのに重要なのは遊びと割り切ることは勿論、その『遊び』の解釈をいかに平和的にするかがあると思う。『一位を目指し、競い合う』ことを目標にすればスポーツと変わらないし、そうなるとスポーツの世界では規制されるような嫌がらせ要素をストレスに感じることも多くなる。だが、これを『一緒にプレイする人と終わりまで楽しみまくる』ことを目標にしたならば、妨害や抜け駆けも昼休みの悪ふざけと変わらない、冗談でしかないものになる。故に、ストレスとなることは少ない。僕はそのことをゲームの前に美苗さんに語った。彼女はそれに賛成し、そのうえでゲームを始めた。だから健全に楽しむことができた。

 ゲーム開始から三時間経って、そろそろ止めることにした。僕達はコントローラーを置いてテレビジョンの電源を落とし、居間の床に並んで寝転んだ。

「楽しかったー。友也くんってこういうのよくやるの?」

「マリオパーティはよくやってたよ、友達と。他のパーティゲームはやってない。楽しいよね」

「うん。私は全然やってなかったけど」

「美苗さんはどういうゲームが好きなの?」

「あのへんの」美苗さんはテレビ台の収納スペースに並べられた、きちんとケースに仕舞われた状態のゲームを指差す。「RPGばかりやってる。最近は部活辞めて暇な時間も増えたしね。ストーリーがあるのが好きなの」

「そうなんだ」

「マリオも、スーパーマリオブラザーズのほうならやるよ。そう言えば友也くん」

「何?」

「マリオシリーズで何度も何度もピーチ姫が攫われることについて危機管理能力が低いとかわざとやってるとか無粋な突っ込みを入れる人っているけど、友也くんはどう思う?」

「うぅん」どう、と言われても、僕は逆にパーティゲーム系のほうしかやっていない派なのだが。「まあ、二度あることは三度あるとか言うし、癖になっているんじゃないかな。ピーチ姫の因果というか。怪我しやすい人、物を失くしやすい人っていうのと同じように……、攫われる隙がどうしてもできやすい人なのかもね」

 一国の要人としては致命的だが。

「ほうほう、何だか現実的だね」

「そりゃあゲームでもなんでも、御都合展開に理由付けしようとすれば大抵は現実的か狂気的かのどちらかに振るでしょ。美苗さんは、どう考えているの?」

「私は、そっちのほうが美しいからだと思う」と美苗さんは即答する。「だってそうでしょ? ひとりの美しい姫君を見初めた軍事国家の王が、彼女を自分の城に誘拐する。そして助けを呼ぶ声を聞いて、ひとりの男が立ち上がり、幾多の困難も数多の妨害も攻略し、野を越え山を越え森を越え、砂漠を踏破し大海を越えて豪雪をものともせず、雲上にさえ至り、最後には巨体の王と対峙し打ち勝ち、姫君を国に連れ帰り幸せに暮らす。そんな美しいストーリーを繰り返すために、ピーチ姫は攫われるの」

「……でも、それだと結局、ピーチ姫が攫われる理由にはならなくない? いや、流れが美しければ細かい理由なんていらないってことなのかもしれないけれど」

「違うよ、友也くん」美苗さんは首を横に振る。「私が言いたいのは、美しいストーリーはそれが生まれるとき、整合性だとか現実感だとか積み重ねだとか、そういうものよりも何よりも、その誕生が優先されるものなんだと思うってこと。それは運命なんだよ。マリオがピーチ姫をクッパ大魔王に奪われるべきであって、クッパ大魔王はピーチ姫をマリオに奪還されるべきなの。そういう風に動き出してしまったものはしょうがなくて、ピーチ城にクッパ大魔王が向かった時点で動き出しているから、ピーチ姫は攫われないという選択をすることができない」

「詰まり、ピーチ姫もマリオもクッパ大魔王も、運命に動かされているだけだと言うこと?」

「虚しい言い方をすればそうかな。でも楽しい言い方をするなら、その美しさに流されることができて、彼女達は幸せなんだとも取れると思う。マリオワールドは実に幸せな世界だね」

「そうだね」

 と僕は首肯するけれど、あまり話を理解できている訳ではなかった。でも何となく、美苗さんの思考の方向性は掴めてきた。彼女はきっと美しいものが好きなのだ。美しい物語を好み、愛している。恐らく僕が想像するよりもずっと深いところで。

「ねえ、友也くん」

「何、美苗さん」

「私のスーパーマリオになってね」

「美苗さんが僕のピーチ姫になってくれるなら、喜んで」

 理解できていなくても、こういうやりとりは楽しい。


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