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 わたしと飛市は知り合いになりました。

 友達といっていいかどうかは微妙なところでした。

 苦楽を共にし成功や失敗を分かち合うのが友達なら、わたしたちは友達ではありません。休み時間や放課後の一時を一緒に過ごすのが友達なら、わたしたちは友達です。

 犬の轢き逃げ以降、飛市は度々わたしのクラスを訪ねてくるようになりました。先の通り、飛市には友達がいなく、わたしにも友達はいなく、お互い休み時間は暇でした。

 なのでわたしたちは頻繁に、犬の墓参りをしました。

 犬の墓は教師の許可をもらって、初めに埋めた場所に作られました。花壇のそばなので、園芸部からはたいそう嫌がられましたが、「じゃあ掘り返して移動してください」という飛市の一言で決着が付きました。

 犬の墓には、飛市が家から持ってきたかまぼこ板に「犬の墓」とマッキーで書かれたささやかな墓標が立てられました。飛市は家から線香とライターも持ってきましたが、火器類は危険なので教師に没収されました。そのため火のない線香をただ土に刺して立てました。

 「どうして犬の墓を作ったんだ?」

 わたしは尋ねました。

 「生き物が死んだら、墓を作るものでしょう」

 飛市は答えました。飛市は常に微笑んでいるような顔つきをしています。

 「お前の犬じゃないだろう」

 「うん、でも野良犬だとしても無縁墓っていうことで」

 「あの犬、首輪していたぞ」

 「へー、じゃあ持ち主に返さなきゃだめなのかな」

 飛市は墓を指差して「掘り起こす?」という目でわたしを見つめました。

 「きっと捨て犬だったんだよ」

 「どこからか逃げただけかもしれないだろ」

 「そうかもね」

 「お前、犬好きなのか」

 「普通」

 「じゃあどうして、わざわざ墓なんて」

 最初の質問に戻って、飛市は黙りました。わたしは飛市が答えたくないがゆえに黙っているものと思いました。なので「ならば根比べだ」という気持ちでじっとわたしも黙りました。

 しかし飛市はどう答えようか考えるために、黙るのです。飛市は答えたくないときはちゃんと「答えたくない」と言います。このとき飛市は本当に本気で、「どうして僕は犬を埋葬したのか」と考えていたのです。

 答えはこうでした。

 「ちょっと何か作りたくって」

 つまり飛市はちょっとアクティブな気分になっていたのでした。クリエイティブではありません。クリエイティブな気分になっていたのなら、もっと墓に花を添えるとか、石を積むとか、祠を作るとかやりようはいくらでもあったはずですから。

 飛市はかねてより、母親からこんなことを言われていたそうです。

 「あんた、中学生になったのに部活にも入らないで、毎日ユーチューブばっか見ていないで、ちょっとは何かしたらどうなの」

 飛市は飛市なりに母親の言葉を真剣に受け止めていました。

 飛市にはこれといって趣味もなく、勉強に打ち込むタイプでもなく、空気が読めず、躁気質の割には何にでも興味を持って突っ込んでいくわけでもありませんでした。

 周りが勉強や部活や青春のレールに乗っているのに、飛市は何もしていませんでした。飛市に焦りや劣等感は一切なかったようですが、母親に言われ、「確かに何かした方がいいかな」という気分に一時なっていたのです。

 そんな折に犬が轢かれました。積極性を出すいい機会でした。

 「要するにお前は墓を作る気分だったんだな」

 わたしは一応、そうまとめて無理やり納得することにしました。

 飛市はわたしの言葉に膝を打ちました。

 「そう!気分だよ、気分!いやー、いい言葉だよねえ、気分って」

 飛市は自分の心情を表す的確な言葉に出会えて、満足そうでした。

 「墓参りをしているのも気分か?」

 「うん、そうだね。気分だね。そうなのかな。他にすることもないし。習慣って大事じゃない。継続は力なりなんだから、一度やり始めたことはできるだけ最後までやり通さないと」

 「犬の死骸、気持ち悪くなかったのか?」

 「うーん、結構内臓って臭ったよねー」

 「そうじゃなくて、グロいなとか思わなかったのか?」

 「うん?まあ、グロいよね。だってほとんど真っ二つだったもんね」

 「怖くなかった?」

 「うん、別に」

 「もしかして好きなのか?」

 「何が?」

 「グロ系っていうか、そういうの」

 「グロ系、うーん」

 「スプラッタとか、そういうの」

 「ああ、すごく人死ぬ映画とか…」

 「そう、そういうの。そういう趣味の人?」

 飛市はまた黙りました。わたしは今度こそ飛市は答えたくないがゆえに黙っているのだと思いました。

 友達のいないわたしにも、スプラッタホラーやグロテスクな画像動画の視聴が一般的な趣味でないことを理解していました。現実の感性に持ち込むレベルの関心度合いならば、なおさら隠すのが普通でしょう。

 わたしは少し踏み込んだことを聞いてしまったかと後悔しました。

 わたしと飛市が友達かどうかは微妙なところでしたが、やはりわたしは気軽に口が利ける相手に飢えていたようで、もしもわたしの無神経さが仇となって飛市がわたしから離れてしまったらどうしよう、なんてことを恐れが頭を駆け巡ったのです。

 わたしの心配は杞憂でした。

 飛市はまず「うん」と頷いて、「刺激があるのは良いことだよね」とエクボを作って笑ったのでした。

 話が通じていないのか、通じていないフリをしているのか。どちらにせよ飛市は嘘を吐きません。誤魔化し煙に巻くことはあっても嘘は吐きません。

 飛市は確かに刺激が大好です。刺激とは総じて本能で、本能とは身を守るために機能します。スプラッタホラーやグロテスクな事物に身を竦ませ、目を背きたいと思うのは死から逃れようとするためです。

 例えば目の前に仲間の凄惨な死体があれば、近くに脅威が潜んでいると考え警戒し即座にその場から逃れようとします。

 けれどもわたしたちは平和な国に住んでいて、スプラッタも娯楽として好んで享受するものなので、本能的恐怖もコントロール可能なスリルとして昇華します。グロテスクな虚構が終われば平和で安心で退屈な現実が待っていると確信しているからです。

 現実と虚構の区別が曖昧な人は虚構を現実に持っていこうとします。漫画やゲームを真似て現実で罪を犯す人です。

 もしくは現実への観念が極端に薄い人も虚構を現実へ持ち込もうとします。そういう人たちにとっては虚構こそが自分のレートを多く占める現実なのです。

 ところが飛市には虚構の世界を楽しむ趣味もありませんでした。

 小さい頃から漫画や読書が趣味なわたしには信じられないことなのですが、飛市は漫画や読書はおろか、アニメもドラマも見ません。

 辛うじてテレビで放送されている映画を時々目にしたり、CMなどで知識を得る程度です。ゲームはパズルゲームなど、ストーリー性のないものばかりを嗜みます。

 虚構の趣味のない人に現実と虚構の区別もクソもないのですが、飛市は虚構と現実を混合する異常者のように、現実への観念がとても薄いようです。

 家庭、両親、兄弟、学校、先生、友達、授業、部活動、趣味、多くの人たちが真心を傾け、絆を結ぶ現実の象徴的なそれらに、飛市は気まぐれにしか興味を持ちません。

 飛市は頭が悪いわけではないのです。成績は普通でした。ただ関心が薄いのです。成績が悪くて怒られることも、心配されることも、将来に影響が出ることも、飛市は気にしていません。

 飛市はいつでも「今」を生きています。「今」「この瞬間」の快不快が飛市にとって一番大事なことです。

 投げやりな生き方とも言えるでしょう。露骨に悪い表現をするなら、非人間的とも言えます。未来を予測し、備え対策するのが人間として正しい生き方なら、その場のノリを優先する飛市は極めて動物的です。

 しかしながら、わたしは飛市を羨ましくも思いました。


 「君は何か趣味はないの?日頃何して過ごしているの?」

 飛市に問われ、わたしは考え込みました。

 わたしもまた勉強を頑張るタイプでもなく、部活動にも入っておらず、夢中になっているものもありませんでした。

 強いていうなら、父を殺す妄想に明け暮れることでしたが、出会って間もない同級生にそれを言うのはいかがなものか…とわたしは悩みました。かなり悩みました。

 「ずっと殺したいと思っているやつがいるんだ」

 とわたしはひとまず、そう曖昧な言葉で濁しました。「あいつ死ね」「こいつ殺したい」程度の会話ならば教室でも普通に飛び交っているので、許容範囲と判断しました。

 「ふーん誰」

 飛市は相変わらず呑気でした。わたしは「父親」と答えるのにやや緊張しました。飛市はやはり相変わらず呑気そうでした。「へー」と。

 それからわたしは飛市が「なんで?」と聞いてくると待ち構えていました。わたしは家庭環境を話すつもりでした。

 できるだけ冗談めかして、バイオレンスな夜の生活をできるだけ興味をそそるように面白おかしく話す準備をしていました。飛市は絶対、食いつくと思っていたからです。

 けれども飛市の発言はやはり斜め上でした。

 「いつやるの?」

 わたしは責められている心地がしました。殺すなんてそんな勇気ないくせに。部屋から出て父に立ち向かえもしないくせに。妄想ばかりしているくせに。明日明日って言い続けて、どうせ永遠にやらないんでしょう。

 わたしの内なる言葉は飛市の言葉で再生されました。

 もちろん、いえおそらく飛市はそんなこと考えてはいなかったでしょう。

 飛市の心は単純なので、「やりたいことがあるなら、当然やるよね?いつやるの?」と何気なく思いついた結果の発言なのでしょう。

 飛市のまっすぐな瞳は、わたしの混じりけのない純粋な殺意を映し出しました。

 勇気がないとか、怖いとか、逮捕されるとか、親を殺すなんてとか、余計な思考を取っ払ったわたしの本心です。あいつが憎い、嫌い、死ねばいい。そう、わたしはただ父に死んでほしいだけなのです。だけど父は放っておいても死にません。

 だから殺さなければならないのです。

 だけどわたしには勇気がありませんでした。

 どのような理屈や常識を取り付けても、わたしが父を殺さない理由はその一点に尽きます。わたしは普通の人間です。稀代の殺人鬼や現代の闇の少年犯罪者や飛市のように頭の中のものをそうそう現実に持っていけません。

 だからわたしには理屈や常識が必要でした。そこでわたしは飛市にこんな提案をしました。

 「人が死ぬところ見たくないか?」

 「うん?」

 「きっと物凄い刺激になるぞ。犬の轢死体やスプラッタホラーなんて比べ物にならないぐらい」

 飛市は唇を噛んで黙りました。わたしは飛市の返事を待ちました。

 「見たい、かな。うん、見たいな」

 そこで、わたしは言いました。「父親を殺すところを見届けてくれないか」と。

 わたしはキョトンとする飛市に家庭環境を捲し立て、父を殺したい理由をできるだけ理屈っぽく分かりやすく伝えたつもりでした。伝わったかどうかは怪しいところでしたが、飛市は「うん、分かった」と頷きました。

 そういうわけでわたしは、父を殺すことになりました。父に死んでほしいために、そして飛市に人を殺すところを見せたいがために。

 約束を破るわけにはいきませんでした。なぜなら飛市はわたしに初めてできた友達なのですから。

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木野春雪 @kinoharuyuki

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