第11話 凛、走る
土曜日、今日は私の運命が決まる日。
不安ばかりが募り余り眠れなかったけど、何時も私がベッドから起きてリビングに向かう時間にはお母さんは既に起きて、朝食を準備していた。
「…おはよう、お母さん。」
声をかけると、お母さんは私の方に視線を向けて、弱々しい笑顔を見せた。
「おはよう、凛。朝食、もうすぐ出来るからね。」
私に背を向けて、朝食作りを再開させたお母さんの隣に並び、手伝いをする。
もしかしたら、こうやって一緒に料理をするのは最後かもしれない。
「…凛、ありがとうね。」
そう言って笑うお母さんは、私のよく知っているお母さんだった。
二人で作った朝食を食べ終わり、私はお母さんと話し合おうと真っ直ぐにその目を見詰める。
私が口を開こうとするより前に、お母さんが口を開いた。
「凛、今日はお出かけしてきなさい。お小遣いもあげるから、今すぐに準備してきなさい。」
予想外の話に、私の思考が止まる。
これから話し合おうしていたのに、私を遠ざけるような事を言われ、口をパクパクとさせてしまう。
「もう、あんな事はしないでいいから、遊んで来なさい。この前一緒に来たお友達、彼女に連絡をしてみたら?」
「お母さん…?」
「それでね、お母さんもう凛と…」
お母さんの言葉が、部屋に鳴り響くチャイムで途切れた。
「…もう?随分と早いじゃない。」
来客は誰かというのがお母さんには、分かっているようで、焦りの見える表情とその反応を見て私も察した。
「凛、部屋に居なさい。外に出られる服装に着替えておくのよ?」
私を部屋に押し込んで、お母さんは玄関に向かった。
言われたように、私は着替える。
私服はスカートが多いけど、今日はパンツにした。
玄関が開き、話し声が聞こえてくる。
間違いない。
お母さんの彼氏だ。
今まで撮影の日にこんな早い時間に来る事はなくて、本当に予想外で震えた。
ベッドに座りスマホを握り締め、二人の会話に聞き耳を立てる。
「…はぁ?今更何言ってんだ?」
「だから、凛じゃなくてもいいじゃない。」
「バカか?仲間とはもう予定立ててるんだ。」
「お願い、私は何でもするから。」
「何でも?じゃあ、凛ちゃん連れて来いよ。」
「凛はもう知ってるわ。他にもいるでしょ?凛に拘らなくっても…」
「なんで知ってんだ?…あ〜もう、うるせぇ。」
ドスドスと廊下を歩いてくる足音が近づいてくる。
私自身、心の準備が出来ていなかった。
焦りと恐怖で思考がままならなくて、身動き一つ取れない。
私はお母さんと話をして、気持ちに決着と、お母さんとのお別れをしたかった。
それに、私も自分の人生を諦めたくなかったから、結月君がお母さんの事をそれ程酷く扱わないと言ってくれた時に、警察に逮捕させると言うのは選択肢から外していた。
結月君は私の気持ち次第だと言っていたけど、現状でお母さんが本当はどう思っているかなんて、判断をする為の話し合いが出来ない。
ただ、お母さんは私を逃がそうとしてくれたように思う。
お母さんは最後に分かってくれたんじゃないかと感じる程、今朝の態度は優しかった。
それならもう、結月君に助けを求めてもいい。
そう考え、結月君に連絡を入れようとスマホを立ち上げるのと同時に、部屋の扉が乱暴に開いた。
「おはよう凛ちゃん!迎えに来たよ…?」
部屋に入って来たお母さんの彼氏の歪んだ笑顔を見て息を飲む。
お母さんの彼氏は私が持っているスマホに気が付き、目を吊り上げる。
「何処に連絡してんだ?」
必死に隠そうと身体を丸め、スマホを懐に抱くようにするも、男の人に力で勝てる訳もなく、あっさりとスマホを奪われた。
「か、返して!」
取り戻そうと縋り着いたけど、突き飛ばされて床に倒れた。
「知っちゃったんだ?知らない方が良かったのにねぇ〜。」
ニヤニヤと笑いながら、床に倒れている私に手を伸ばした時、お母さんの彼氏は私の目の前で横に吹き飛んだ。
「凛!逃げて!」
お母さんが彼氏に体当たりして、動かないように必死でしがみついていた。
「お母さん!」
「ちっ!はなせや!今更てめぇも同罪だろうが!」
自分から引き離そうと彼氏はお母さんを何度も殴りつける。
「止めてよ!お母さんに酷い事しないで!」
お母さんが殴られる鈍い音が、私をパニックにさせる。
お母さんを殴らせないようにと彼氏の腕にしがみついたけど、振り払われてまた床に倒れる。
「そうよ、私も同罪。いえ、自分の娘を酷い目に合わせようとしたんだから、罪が大きい。だから償いたい。思い出したの!大事な娘の事を!」
「ウザってえぞ!お前らはもうカタにはめられてんだよ!逃げられる訳ねぇだろうが!」
「凛!逃げて!直ぐに警察に駆け込みなさい!」
瞼の上辺りを切ったお母さんは、顔中を血だらけにしながらも、彼氏を離さない。
「お母さん!」
「おい!警察になんか行ったらどうなるか分かってんのか!」
「もう、終わりよ!凛ごめんね、弱いお母さんで。行って!早く!」
嫌だ!
お母さんが!
私では助けられない。
私には何も出来ない。
誰か!
「待ってて、お母さん!」
私は家を飛び出した。
マンションの出口前には、何時も撮影する場所に行く時に乗せられる黒いワンボックスカーが止まっていて、中に居る人が私を驚いた表情で見ていた。
スマホを取り上げられていて、連絡が出来ない。
私は結月君に案内されて出来た、この街の知っている場所迄走る。
ダメだと思ったらレストに駆け込めという結月君の言葉が頭を過り、必死に走り続ける。
私を見た時には何があったのか分からなかったであろう、ワンボックスカーの中に居る人達も、お母さんの彼氏と連絡が取れたのか、もう少しでレストに着くという所で追いつかれた。
丁度レストの前辺りに車を停め、金髪と銀髪の二人の男が出て来る。
通りには余り人が居なかったけど、それでもゼロではなく、何事かと遠巻きで見ている。
「バカな事すんな。警察になんか行けば、お前もお前の母親もタダじゃすまねえ事分かってるだろ?」
余裕の表情で、金髪が私の腕を掴んだ時、男の背後から声が聞こえた。
「あなた達!今警察に連絡したからね!」
そう叫んだのは、箒を持ってこちらに来る雪乃さんだった。
ダメ!
また私のせいで傷付いてしまう人が増える。
「へっ?おいおい、その箒でどうすんだ?」
銀髪が、雪乃さんを見て吹き出した。
私もそんな姿の雪乃さんを見て、この男二人相手にはどうにも出来ないだろうと焦りばかりが募る。
誰か助けて!
雪乃さんを、お母さんを助けて!
涙が溢れる。
自分はなんて無力なんだと。
「笑ってる場合じゃねえぞ!急がねえとマジで警察が来ちまう!」
私の腕を強く引っ張り、金髪は私を引き摺って行きながら銀髪の男に叫ぶ。
銀髪の男はこちらを振り返り、思い出したように頷いた。
銀髪の男が近づいて来ようとして、私は焦った。
二人の男に捕まると、あっという間に車に連れ込まれる。
助けて!助けてよ!
「助けて!結月君!」
私が叫ぶと同時に、雪乃さんは動いた。
私の方に向かってきていた銀髪の男は、雪乃さんには背中を見せている。
箒を使い膝の辺りに突きを入れ、銀髪は膝から地面に倒れた。
驚く金髪に素早く近づくと、私を掴んでいる腕に突きを入れる。
「ぐっぅ!」
いきなりの事に驚き、腕の痛みに呻き声を上げ私を離した。
雪乃さんは私を背に庇うように立ち、男達に向かい合った。
「クソ女がぁ…」
銀髪は立ち上がり、金髪も腕を抑えながら雪乃さんを睨みつける。
雪乃さんは私を庇いながら、ジリジリと後ろに下がってくる。
その時、男達の背後から声が聞こえた。
「よぉし、凛。助けてやる。」
「結月君!!」
私は結月君の姿を見て、嬉しさが込み上げる。
でも、その表情は私が見たことも無いもので、背筋に寒気が走った。
薄らと笑みを浮かべ、何を考えているのか分からない瞳は、恐怖を覚えるのと同時に、美しいと思ってしまった。
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