第284話 荒節

 カツオ節。


 日本の出汁の代表格。だけどこっちでは何年探しても見つからなかった食材だ。


 そもそも、この世界では長期保存を目的とした加工食品の種類が少ない。原因はたぶん魔術だ。


 適性にもよるが、魔力さえあれば水も氷も出せる。この世界は最初から人力で使える冷蔵庫が普及しているようなものだ。そりゃ、保存食の発明も減るって。


 そんな文化だからカツオ節は今まで見つからなかったし、もう自分で作る覚悟すら決めていたんだけど……まさか、こんなところで見つかるとは!!


「うおおおお……! えんの精霊、ありがとう!」


 適当に周囲に魔力を振り撒いておく。ありがとう縁の精霊。ついでに海苔と昆布も欲しいです。あとオイスターソースとかも。


 縁の精霊の実在と能力は不明だけど、まあ、祈る分には魔力が減るだけだ。効果があれば儲けもの。


「さて、カツオ節なら何を作るか……。とりあえず帰ったら本格的に糠漬けを始めるとして……やっぱり出汁とって煮物? いや、まずは炊き込みご飯か……具はなんにしよう――」


「おい、エレ坊、この人だれだよ」


 ふいに背後から若い女の人の声がした。


「このさかながほしいんだって」


 振り向けば、あからさまに警戒した顔の女性と目が合った。

 姐さんと呼ばれるのが似合いそうな雰囲気の人だ。


 今まで海に行っていたのか、手足が出た格好をしている。海女さんかな?


「こんな辺鄙なところまで来るとは暇な商人だね。一本、銀貨一枚なら売ったげるよ」


 ふむ……ゴソゴソゴソ、と。


「とりあえず10本ください」


 銀貨を10枚差し出すと、本気かよコイツ、みたいな目をされた。


「……アンタ本気かい……?」


 というか言われた。


 たぶん吹っ掛けられてるけど、それでもいいんで売ってください。





 カツオ節を作っているこの女性はチカヤさんと言うらしい。ついでにカツオ節はこっちの言葉だと“堅干し”と呼ぶとのこと。そのまんまだな。


「あっはっは! ごめんねえ、まあた業突張りの商人でも来たかと思ったもんだから。よく考えたらこんなのほほんと・・・・・した人が商人なわけないか!」


 褒められてはないけど、カチヤさんが気持ちよく笑うので悪い気はしなかった。


「良い商人はあんまり来ないんですか?」


 カチヤさんの家の中で、出されたお茶を飲みながら聞く。お茶というか白湯だけど。

 エレ坊と呼ばれた男の子はすぐにどこかに行ってしまった。


「来るはずないじゃないか。この町に来たって仕入れる物なんてありゃしないんだから。麦やら布やら持って来て、アタシらから金を巻き上げていくだけさ」


 商人が来ても仕入れはして行かない……?


「隣で干してる堅干しは売れないんですか?」


「むか~し、聞いたみたけど、『こんな木みたいな魚はいらない』って鼻で笑われたね。代わりに塩なげてやったよ」


 マジかよ、買っていけよ商人。


「オレはとても欲しいんですけど……確かに、他の地域じゃ見ない食べ物ですよね」


 あったらオレは苦労しなかったなあ。


「それはあれだろうね。この町じゃ長く魚が獲れない時期が多いせいさ。獲れるときに獲って、長く食えるように工夫しないと飢えちまう。漁の成果はフカ様の機嫌しだいだからね。仕方のないことさ」


 なるほど……。この周囲では野菜も育ちにくいし、植物が少ないせいで魔物もあまりいない。

 不漁が多く、漁で獲れた魚で長く食い繋ぐ必要があったからこそ、干した魚が主流になってカツオ節も生まれたということらしい。

 先人の苦労と知恵に感謝だな。


 それはそれとして、


「フカ様とは……?」


「ん? 知らないでこの町に来たのかい? ここらの海にいる鮫の魔物だよ。ほら、家に入り口に“歯”が飾ってあるだろう?」


 チカヤさんの指差す方向を見る。


 ……何か白くて三角のデカい、変わった工芸品みたいなのがあるなあ、とは思ってたけど、もしやあれが“鮫の歯”なんだろうか。


 ええ……オレの頭くらいあるんだけど……。


 鮫の歯って普通、指の爪くらいの大きさじゃ……? 特級の鮫の魔物がいるとは聞いていたけど、いったい何メートルくらいなんだろうか……。


「ええと……確かにあんな歯の持ち主がいたら、海には出られませんね」


「そうだねえ。近くまで来れば、フカ様の立派な“背ビレ”が家の前からでも見えるくらいさ」


 船が一隻もない荒れた海に、浮かぶ巨大な黒い背ビレ……。


「いや、こわ……」


「あっはっは! そうだろう? だから悪い風も怖がって家に入らないようにって、そこに飾ってあるのさ。昔からのまじないいだよ」


「なるほど、魔除けなんですね」


 ただの迷信だ、とは言えないだろう。願いを聞く精霊たちはどこにでもいる。簡単でも適当でも、少しくらいはご利益があるかもしれない。


「で、コーサクさんだっけ? 銀貨一枚くれるなら、それこそ10本くらい持ってっても構わないよ。しかし、変わった物を欲しがるもんだね。銀貨10枚ポンと出せるなら、もっといい物が食えるだろうに」


「オレの故郷にも似たような物があったんですよ。故郷にはもう帰れないので、ずっと探していたんです。……ちなみに堅干しってどうやって作ってるんですか?」


「別に難しくはないよ。獲れた魚を捌いたら塩で煮て、干して燻してまた干して。打ち合わせてカンカン音が鳴るまで外で並べとくだけさ」


 カチヤさんは簡単に言うけど、意外と大変そうな……、……? あれ……?


「あの、カビ付けとかは……?」


「あん? カビなんて生えたら食えないだろ?」


「まあ、確かに……?」


 いや、「まあ、確かに」じゃないよオレ。


 カビが生えたら食えないっていう一般的な常識につい頷いたけど、あれ? カツオ節ってカビを利用して内側の水分まできっちり抜くとか、そんな感じじゃなかったっけ。


 あっれー?


「……ちなみに、これってどうやって食べます?」


「石で砕いて小さくして、鍋にでも焼き物にでも入れちまうよ。――なんだい、故郷のとは違ったかい?」


「いや、たぶん限りなく近いものだと思うんですけど……」


 削って使う訳じゃないのかー、と混乱中。まあそうか。ここの環境を考えれば出汁を取るんじゃなくて、食うためのもんだし。


 というか、砕いて使うって聞くと、カツオ節味のフリカケみたいなイメージになるんだけど。……たぶん、そんなソフトじゃ食感じゃないよなー。

 どうなんだろ。


「悩む暇があるなら、ちょっと齧っちまばいいだろ」


 カチヤさんがポンとカツオ節を投げてきた。慌ててキャッチする。持った感じはかなり硬い。身のつまった硬さだ。


「小刀くらいは持ってるだろ? 自分で削って味見しな」


「あ、ありがとうございます」


 礼を言って自分のナイフを取り出す。……薄く削れるか?


 目指すのは懐かしのカンナで削ったような薄さだ。それを目指してナイフを動かして……。


 ……。


 いや、ちょっと無理だ。さすがにナイフで透けるくらいに薄く削るのは難易度が高すぎる……。


 ちくしょう……! オレはなんでカンナを持ち歩いていないんだ……!!


 自分の想定の甘さを後悔しつつ、厚く削られたカツオ節を口に入れた。


「うおっ……!?」


 口に入れた瞬間、ガッツリと燻製の匂いが鼻に抜けた。そして強い味が舌にくる。


 塩味も強いが、魚の味も負けないくらい凝縮されている。旨味が濃い。かなり荒々しいけど美味いと思う


 これは……上品な出汁を取るには向いていないと思うけど、これはこれで使い道が色々ある気がする。


 なんというか、薄く削って温かいご飯に乗せて、マヨネーズをひと回しして豪快に掻き込みたいような味?


 塩分が濃いから醤油もいらないと思う。マヨネーズと混ざって少しマイルドになったカツオ節の濃い味を、白いご飯が優しく受け止めてくれるはず!


 ……ハラ減ってきたな。改造馬車にお米は詰んであるし、ちょっと戻ってお米炊こうかな。


 好きなときに白いご飯が食べられる生活を、幸せと呼ぶんだと思います。

 娘がいて、奥さんがいて、美味しいお米があるので、今のオレは幸せです。


「コロコロ顔が変わるねえ、コーサクさんは」


 ちょっと呆れたようにチカヤさんは笑っていた。


「堅干し美味しいかったです。追加で10本くらい買わせてもらってもいいですか?」


 これは試してみたいことがいっぱいだ。


「金さえくれるならいくらでも持ってっていいよ。肉と野菜が買えるから、アタシもそっちのが助かる。これ・・ばっかりじゃ飽きるからねえ」


「んー、それじゃあもう少し追加しようかな……」


「へえ」


 カチヤさんの目がキラリと光った。


「そうだコーサクさん、海んとこまで案内してあげるよ」


「? 急にどうしました?」


 早く立て、とばかりに腕を掴まれる。


「なあに、懐に余裕がある人の好い兄さんに、もう少しこの町の良いところを見て欲しってだけさ。それじゃあ行こうか。食べたい物があったら遠慮なく言っとくれ」


 カチヤさんはいい笑顔だ。


 つまり、金に余裕があるならもっと落としていけ、ということらしい。カモに見られたわけだけど、まあ、地元民の案内があるなら楽だ。


 せいぜい金を使い過ぎないようにだけ気をつけて、海産食材を探してみよう。


 この調子で海苔とか作ってないかなー。

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