第285話 おもてなし

 カチヤさんに連れられて海岸まで来ると、砂浜にはズラリと魚を干す板が並べられていた。

 潮風に当てながら天日で干しているようだ。貿易都市では見られない光景なので、どんな魚があるだろうかとウキウキしながら足を進めたのだが……。


「おう、余所者が何の用だ」


 怖い顔をしたお兄さん方に囲まれた。恰好からして漁師っぽい。


 どうやらあまり歓迎されてはないらしい。困ったなあ、と内心で思っていると、隣にいたカチヤさんが一歩前へ出た。


「こら、お客さんを威嚇するんじゃないよ。この人は魚を買いに来ただけさ。――悪いねえ、コーサクさん。外からこの町に来る人間はロクなのがいなかったから、すっかり警戒しちゃってて」


「いえ、大丈夫ですよ」


 土地柄、外の人間とは仲良くしづらいだろうし、仕方ないだろう。


 オレは正面にいるリーダー格っぽい若い漁師と目を合わせた。


「海に来るのは久しぶりなので、少し魚を見繕いたいんです。お仕事の邪魔にはならないようにするので、並べてある魚を見せてもらってもいいですか?」


 若い漁師は探るようにオレを見つめ、それからニヤリと笑った。


「魚を選びたいんなら、まずは味を確かめるべきだろうな。今日獲れたヤツを食わせやるよ。ついて来い」


 とても親切な言葉だが、何故か回りの漁師たちはニヤニヤと笑っている。ふむ?


 カチヤさんが漁師たちを睨み付ける。


「あんたたち、変なことをしたら承知しないよ」


「心配すんなよカチヤ。ただ魚を食わせてやるだけだ。――おい、そっちの。もちろん来るよな?」


 そっちの、とは適当な呼び方だが、味見させてくれると言うなら断る理由はない。


「ぜひ、よろしくお願いします」


 ありがたく提案に乗る。

 さて、ここはどんな魚が獲れるのだろうか。楽しみだ。


 ワクワクしながら漁師たちについて行くと、案内されたのは船着き場だった。木で組んだ粗末な足場の近くには、手漕ぎの小型船がいくつも並んでいる。


 帆がある船の数は少ない。鮫の魔物のせいで沖まで出ることがないからだろうか。確かに陸に近い場所だけで漁をするなら、手漕ぎの方が動きやすいかもしれない。

 魔力で肉体を強化すれば、小さな船など軽いものだろう。


 オレがキョロキョロと周囲を観察している間に、若い漁師たちが準備を始めてくれた。

 大きな平べったい石を海水で洗い、その上でいつの間にか持ってきた魚を捌いていく。本業だけあって見本にしたいくらいの手捌きだ。

 名も知らない魚が綺麗に3枚に下ろされる。


 そして、オレの前には大きな空のタルが置かれた。机代わりか。どうやら、このまま外で食えと言うことらしい。

 気取った食事をする訳でもないし十分だな。


 のんびりと潮風を浴びながら待っていると、何やら周囲に人が増え始めた。ジロジロと見られる。


「やっぱり外から来る人間は珍しいですかね?」


 隣にいるカチヤさんに尋ねてみた。


「珍しいけど……誰かが広めたね、これは。コーサクさん、ちょっと行って来るよ」


 カチヤさんは少し怒った表情で町の人が固まっている一角へと向かった。


 ふむ……若い漁師からちょっぴり感じる悪意。見晴らしの良い場所に案内されたオレ。集められた町の人間。魚の味見……。


 さて、若い漁師たちの狙いはなんだろう。


 考えを巡らせている間に、さっきのリーダー格っぽい漁師がやって来た。


「おい、できたぜ。食ってみろよ」


 タルの上にドンと荒っぽく木の板が置かれる。板の上には3枚に下ろした後にぶつ切りにされた――生の魚が載っていた。


「ちょっと、あんたたち……!」


 離れた場所でカチヤさんの声がした。目の前にいる漁師が笑う。


「どうした。食わないのか? まあ、陸の人間には無理――」


「おお! 美味しそうですね! ありがとうございます!」


 生の魚のぶつ切り、つまり刺身だ。貿易都市は立地から出回るのは川魚ばかり。海の魚を刺身で食える機会なんて皆無と言っていいくらいだ。

 オレも前にもらったマグロ以来口にしていない。刺身は好物だから、ここで出してもらえたのはとても嬉しい。


 板の上をよく見れば、隅に褐色の粉が載せられていた。……藻塩か? 藻塩だな。これを付けて食べろと言うことらしい。

 すげえな。藻塩も余ってるなら買わせてもらお。


 でも、まずはありがたく、


「いただきます」


 食器の類は用意されなかったので、刺身を指で摘まんで藻塩をちょんと付けて口に運んだ。


 舌に乗せた瞬間から、魚の良質な脂が溶けて広がった。噛み締めると思った以上に弾力がある。

 獲れたばかりのためか旨味はまだ少ないように感じるが、海を凝縮したような藻塩の豊かな味がそれを補っていた。


 総評すると美味い。誰か馬車からお米持って来てくれないかなー。白いご飯が欲しい。山盛りで。


 今すぐお米を取りに行きたい気持ちをぐっと堪え、何故か驚いた顔の漁師を見る。


「美味しいですね」


 そう言うと若い漁師は眉を寄せ、難しい顔をして走り去り――すぐに戻ってきた。手には石のような……貝かな、あれ。


 若い漁師は無言で貝をこじ開け、またもやドン、とタルの上に置いた。近くで見ると掌より大きな貝だ。殻の内側は太陽の光を反射して白く輝いている。


「どうだ、こいつを食えるなら食ってみ――」


「おお!! こんなに大きな貝も獲れるんですね! いただきます!」


 貝の見た目は牡蠣にそっくりだ。


 念のために毒見の魔道具を発動し、問題ないことを確認して貝を持ち上げた。手にずっしりとくる重さ。こっちには藻塩もいらないな。


 いやあ、生で貝を食べるのなんて、何年ぶりかも分からないくらいに久しぶりだ。いただきます!


 ちょっと悩んだ末に、思い切って一口で頬張った。歯を立てた瞬間に、磯の香りが爆発したように口の中に広がる。食感はぷりぷりだ。ん~、美味い!


 お酒好きのロゼが気に入りそうな味だ。頑張ればお土産に……できるかなあ。海水ごと積んでく?


 ……いやその前に、牡蠣っぽい貝があるならオイスターソースも作れるのでは? というか作ってたりしない?


「美味しかったです。ところで、この貝で調味料とか作ってたりしません?」


「くっ……!」


 オレの質問を無視して、若い漁師は再びどこかに走っていく。戻ってくると、今度は木の桶を持っていた。桶の中ではちゃぷんと水が揺れている。なんだろうか。


「ちょっと待ってろ!」


 そう言って、漁師は桶を地面に置いて膝をついた。よく見えるようになった桶の中には……黒いトゲトゲの物体が、ってウニだー!


 いるんだウニ、と驚くオレの前で、若い漁師は細いナイフを巧みに使い、ウニの殻を割り開けた。

 それからドロリとした内臓を手早く落とし、桶の海水でざぶりと洗う。


「おら、これならどうだ!!」


 綺麗に黄色い身が見えるウニが目の前に置かれた。仕事が丁寧だなこの人。


「いただきます」


 下手をすると10年ぶりくらいのウニだ。というかこの世界で初めて。もうどんな味なのかも忘れたなあ、と思いながら口に運んだ。


「ん!」


 貝とはまだ違う磯の味。身はほんのりと甘くて、溶けるように舌の上で消えていった。

 おお、すげえ! 美味っ!


「美味しいですね!」


「ぐ、ぐ……」


 何故か歯を噛み締め、若い漁師はばっと音が出そうな勢いで背後を振り返った。


「おい! 今日獲れた“あれ”持って来い!」


 今度は何を食べさせてくれるんだろうか。ホヤとか来るのかな。


 期待しながら待っていると、最初に会った漁師の一人が大きな壺を抱えてやって来た。


 目の前にいる若い漁師は勝ち誇った顔でその壺の中へと手を突っ込む。

 そして壺から手が引き抜かれると、そこには――デロン、と立派なタコの姿が。すげえっ、まだ生きてる!


 若い漁師はナイフを手に持ち、うねうねと足を動かすタコの眉間を素早く刺した。

 それから垂れたタコ足の一本をぶつりと切り、ナイフと指で器用に吸盤ごと皮を剥いてしまう。


 タコの綺麗な白い身が、オレの前にある木の板の上へと載せられた。


「おら――」


 す、とタコ足が薄くスライスされる。


「“悪魔の右手”、食えるもんなら――」


「ありがとうございます! いただきます!」


 生のタコ刺し! それも目の前で丁寧に捌いてくれるとか!


 感謝をしながら口に放り込む。うん、気持ちいい歯応え。タコの味もいい。美味いな。

 ……こっそり醤油かけても大丈夫かな。小瓶で持ち歩いてるんだけど。


「なんでだよ!!」


 突っ込みが入った。うおっ、なんだ?


「え? ポン酢派ですか?」


「知らねえよ! 陸の奴らは魚なんて生で食わねえだろ!」


 怒っているのか混乱しているのか分からない顔で若い漁師が叫ぶ。


 そういえば今更だけど、帝国で魚の生食は一般的じゃなかったな。オレも冒険者時代に、寿司が食べたいってロゼに言ったら不思議そうな顔をされた記憶がある。


 なんだろ。この人は外から来た商人に、魚介類の生食をバカにされでもしたのかな?

 美味しいんだから気にしなくてもいいのに。


「確かに魚の生食は一般的じゃないですけど、オレは好きですよ?」


「なっ……!」


 若い漁師が固まる。それと同時に、横から豪快な笑い声が聞こえた。


「かっはっははは! 兄さん、いい食いっぷりじゃねえか」


「げ、親父……!?」


 逃げようとした若い漁師の首に、素早く太い腕が回される。


「ぐえっ!」


「すまねえなあ、兄さん。うちの馬鹿の遊びに付き合ってもらったみてえでよう」


「いえ、むしろありがとうございます。とても美味しかったです」


 日に焼けた赤黒い顔に浮かぶ目が、じっとオレを見る。


「くふ、はっはっは! 気に入ったぜ兄さん! まあだ腹は残ってるか? 他の魚も食わせてやるよ」


「いいんですか? ありがとうございます!」


 やった! 地元民のおすすめ食材!


「おう、少し待ってな」


 父親の漁師は息子を引き摺りながら豪快に笑って歩いて行った。

 入れ替わりにカチヤさんが戻ってくる。


「コーサクさんは見た目より肝が座ってるねえ。驚いて思わず見入ってたよ」


「カチヤさんお帰りなさい。ところで……“悪魔の右手”って何ですか?」


「名前も知らないのに食べたのかい? この町に伝わる昔話が由来なんだけどね――」


 話し出したカチヤさんの後ろに、見覚えのある人物が見えた。デリスさんとその部下だ。目立たない服に着替えている。


 目が合うと、デリスさんたちはこちらに歩いて来た。カチヤさんもオレの視線を追って振り返る。


「ああ、オレの――」


 雇い主、と言おうとしたが、お忍びのようなので止めておいた。


「オレの義兄と部下の方ですよ。ちょっと別行動をしていたんです」


「あらら、コーサクさんは結婚してたのかい。それは残念」


「はは、可愛い娘もいますよ」


 冗談を交わしているとデリスさんたちがやって来た。


「なんだか盛り上がっていると思ったら、コーサク君が中心にいて驚いたよ」


「魚とか貝とか味見させてもらってました。やっぱりいいですね、海。美味しかったです。あ、デリ――お義兄さんも食べます?」


「ははは……」


 デリスさんは力なく足を広げるタコを見て、曖昧に笑って誤魔化した。

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