第271話 思い出語り2
夏の日差しが降り注ぐ訓練場に、剣戟の音が響き渡る。中心にいるのは赤みかかった金髪を躍らせる少女、ロゼッタだ。
防具を身に着け、刃を潰しただけの剣を使った模擬戦闘。打ち所が悪ければ重症を負うような訓練で、ロゼッタは兵士5人を相手に立ち回っていた。
互いに真剣な表情。手加減はない。
12歳になったロゼッタは、領地の中でも有数の実力者へと成長していた。
手足は伸び、日々の修練により肉体はしなやかに成長した。そして何より魔力の上昇が顕著だった。早熟と言っていいほどに、ロゼッタの魔力量は貴族として完成しつつある。
魔力の量は膂力に直結する。小さく細い体でありながら、ロゼッタは力で他の兵士を圧倒していた。
「ふっ――」
兵士の剣を弾いてロゼッタは前に出る。狙いは包囲の一角。
「っ!?」
防御のために構えた兵士の剣へと、下段から掬い上げるように自らの剣をぶつけた。
そのまま地面を強く踏み込み、全身を使って兵士を後方に弾き飛ばす。
「おおお!?」
体が浮いた兵士が驚きの声を上げた。
ロゼッタは反転する。目の前には穴の空いた包囲網。あとは再び囲まれる前に叩くだけだった。
倒れる5人の兵士の前で、ロゼッタ一人だけが立って肩で息をしていた。
呼吸を整え、近くにいた兵士へと手を差し伸べる。
男の兵士は素直に手を取った。
「さすがお嬢様。お強くなられた」
「うむ。皆のおかげだな」
自分より背が高い兵士を立ち上がらせ、ロゼッタは明るく笑った。幼さが残る笑顔には、口調が少し不釣り合いだ。
他の兵士たちも起き上がる。
そこへ、模擬戦闘を観戦していたデミクロスが歩いてきた。
「うむ。良い戦いだった」
落ち着いた声のデミクロスの前に、ロゼッタと兵士5人は規律正しく並んだ。
デミクロスが全員の顔を見渡す。視線はロゼッタに止まった。
「ロゼッタ。力を生かすのは良い。だが、力に頼りすぎてはならぬ。今のままでは余計に体力を消耗しておる。力を抜くことを意識せよ」
「はい。お爺様」
「他の者は鍛錬が足らぬようだな。攻撃を止められぬなら受け流せ。重量のある魔物の攻撃はロゼッタより重いぞ。必要でない限り、正面から受けるのではない。よいな」
『はい!』
一糸乱れぬ声を聞き、デミクロスは満足そうに頷いた。
「うむ。では5人は走れ」
再度の返事。兵士たちは訓練場の端へと向かう。
「お爺様。私も走りに……」
「いや、ロゼッタは屋敷へと戻れ。メリーが迎えに来ておる」
ロゼッタは祖父の視線の先を追う。そこには訓練場の手前でロゼッタに向けて手を振るメリーの姿があった。
「これは、モリーに呼ばれましたか……」
つまり習い事の呼び出しだ。ロゼッタは残念そうに肩を落とした。
「うむ。剣を振るばかりが貴族の役割ではないからな。ロゼッタ。どちらも励むのだ」
「……はい。お爺様」
明らかなに不満なような様子のロゼッタの頭を、デミクロスは傷だらけの手で撫で回した。
ロゼッタの頭がグラグラと揺れる。デミクロスの撫で方は乱暴で、髪が乱れる上に硬い指先のせいで少し痛い。
それでもロゼッタは、祖父に撫でられるのが好きだった。
「頑張るのだぞ」
「はい。行ってきます」
少し上を向いた気持ちでロゼッタは笑う。デミクロスも目を細めて笑っていた。
礼儀正しくお辞儀をして、ロゼッタはメリーの下へと走り出す。訓練場の中央から外まで、ロゼッタの脚力ならあっという間だ。
すぐにメリーの前まで着いた。
「お嬢様! 御髪が大変なことになってますよ!?」
ロゼッタの前でメリーがあわあわと手を動かす。メリーはモリーの娘で家の使用人の一人だ。
だが、幼い頃から一緒にいる大切な友人でもあった。モリーと違い、少し隙が多いので親しみやすい。
「訓練の後だからな。これくらいは仕方ないものだ」
デミクロスに撫でられたことが一番大きい原因なのは明らかだが、何となく恥ずかしくてロゼッタはそう言った。
「もう、お嬢様。また先代様の口調の真似ですか。ダメですよ。可愛くありません!」
メリーが頬を膨らませる。そのままロゼッタの汗を拭き、髪を整え始めた。メリーは背が低いので爪先立ちだ。
ロゼッタはされるがままになる。
「……可愛いのは大事なのか?」
「大事です!! 良くお母さんも言ってますよ。男の人は自分より強く見える女には尻込みするって! このまま鍛えたらお嬢様は国で一番強くなっちゃいますよ。お嫁に行けませんよ? 売れ残りですよ!?」
手を止めないまま力説するメリーにロゼッタは苦笑する。
「最近、仕える家の娘にそこまで言うのはメリーくらいな気がしているぞ」
「主に苦言をていする? のが良い使用人の証らしいですよ!」
「それならモリーは使用人の鑑だな」
「そうですね! お母さんは誰に対しても怖いです!」
どう考えても褒めていない言葉にロゼッタは笑う。屋敷内で一番モリーに叱られているのはメリーなのだ。
「それで、私を呼んだのはそのモリーか?」
「はい! 今日のきょーよーのお勉強を始めるらしいですよ!」
「ふむ。教養だな」
ロゼッタは自然と難しい顔になる。だいたいの内容は想像できるが、どれも剣の修行よりもつまらないものだ。
そんなロゼッタの心情を見抜いたのか、メリーが慌ててロゼッタの腕を掴む。
「訓練に戻るのはダメですよ!? お嬢様を連れて帰らないと私が怒られます! 罰として夕食のおかずが一つ減らされちゃうんですからね!」
必死すぎるメリーの様子にロゼッタは力が抜けた。
「分かっている。ちゃんと受けるとも」
「それなら安心です。では行きましょー!」
ビシリ、とメリーが屋敷へ続く道を指差す。
調子の良い幼馴染に笑いながら、ロゼッタは夏の道を歩いた。
降りしきる大雨の中をロゼッタは走る。目指す先は領地の端。『国守の蒼壁』にある兵士の詰め所。
空は厚い雲に覆われ、昼間だというのに夜のように暗い。雨の冷たさが体を刺すようだった。
それでもロゼッタは全力で駆ける。全ての魔力を肉体の強化に回し、一心不乱に走った。
「お爺様!!」
蹴破る勢いで詰め所の扉を開ける。室内の視線が一斉にロゼッタに向いた。だが、ロゼッタの視線はただ一人に注がれる。
「……む……ロゼッタ、か……」
魔力の明かりが照らす、薬の匂いがする室内。ロゼッタの名を口にしたデミクロスは簡易なベッドの上に横たわっていた。
はだけられた上半身には、塞がったばかりに見える傷と滲んだ血の跡。深く、内臓まで届いたように見える爪痕に、ロゼッタは泣きそうになった。
起き上がることも出来ないような重体でありながら、デミクロスは気丈に笑う。
「今すぐに死ぬような、傷ではない……。ロゼッタよ、一人で来たのか?」
「はい……お爺様が大怪我を負ったと聞いて……」
濡れた髪から雫を落としながら、ロゼッタは目を伏せる。
魔境の大規模な掃討作戦だった。ここ数ヶ月で急激に不安定になった魔境を鎮めるための戦闘行動。
原因となっている特級の魔物を討つことが最終的な目標だった。
デミクロスは最前線で指揮を執り、見事に特級の魔物を討伐したのだ。ただし、二度と戦えなくなるほどの重傷と引き換えに。
「ふ、ふふ……特級を狩り、生きて帰ってきたのだ……上出来と言うべきだろう。……どの道、あと数年で引退だったのだ……これでよい。これで、あと10年は特級も現れまい……」
魔物が上級を超え、特級と呼ばれるようになるには長い年月が必要となる。長きに渡って生き残り、力を蓄えたものだけが、種の枠から外れた強さを持つようになるのだ。
今回の作戦で上級の魔物も数多く狩った以上、次に特級の魔物が出現するのはかなり先のこととなる。
それでも、兵士たちの精神的な支柱でもあったデミクロスが失われるのは痛かった。
そして何より、長年慕ってきた祖父の怪我はロゼッタにとって衝撃だった。
「私が、一緒に戦っていれば――」
後悔を口にしようとしたロゼッタをデミクロスが遮る。
「自惚れが過ぎるぞ。ロゼッタよ……」
デミクロスが無理やり体を起こす。治癒師の制止も押し退け、ロゼッタを強く見つめる。
「儂も兵たちも万全の状態で臨んだのだ。娘一人が加わろうが結果は変わらぬ。儂らが挑み、全力で勝ち取った戦果だ。勝手に背負うことは許さん。よいな」
射竦められたロゼッタは小さく頷いた。
「……はい」
「うむ、分かればよい……」
デミクロスは再びベッドへと横たわった。無理に動いたせいで傷が痛むのか顔色が悪い。
治癒師が慌てた様子で治癒術を使い始めた。
「ともかくロゼッタ……儂は無事だ。他の者も見舞ってやるとよい。……命を落とした者もいる……見送ってやれ」
ロゼッタは小さく息を飲んだ。当たり前のことに今さら気が付いたのだ。
デミクロスが重体でいる中で、他の兵が全員無事であるはずがなかった。
「は、い……そうします。……お爺様はゆっくり体を休めてください」
震える声で言い、ロゼッタはデミクロスに背を向ける。
「……ロゼッタ。悲しんではならぬ。死した者たちは最期まで立派に戦った」
「……はい。お爺様」
小さく返事をして、ロゼッタは部屋を出た。考えずとも足は動く。何度来たかも分からない場所だ。
どこで何が行われているかなど、言われなくても理解している。
治療を受けている兵士たちを見舞い、領主の娘として労いの言葉をかける。
もっとも、濡れ鼠のせいで逆に心配される始末だったが。
そして最後に足を向けたのは――死んだ兵たちのいる安置所だ。
付き添ってきた兵士が心配そうな顔をロゼッタに向ける。
「ロゼッタお嬢様。無理をなさらなくても……」
「いや、――会わせてくれ」
「分かりました……」
悲痛な顔の兵士に案内され、死んだ者たちの顔を見ていく。
瞼の閉じられた亡骸はどれも穏やかな顔で……どれも良く見知った顔だった。
よく訓練の相手をしてくれた者。柄の悪い蹴り技を教えてくれた者。たまにこっそりと焼き菓子を分けてくれた者。鎧の手入れの仕方を教えてくれた者――
「……っ」
唇を噛み締めた。祖父の言葉が甦る。『悲しんではならぬ』
そう。悲しんではいけない。いくら恋しくとも。もう一度話したくても。
生者に引き留められた死者は、意思なき者として地に縛られてしまうのだから。
だからロゼッタは無心で祈った。
死んだ者は魔力と共に世界に還り、いつか新しい命になる。
ならば、皆の次の生が良きものであるように。そう強く、強く祈った。
そして心の片隅で思う。やはり自分が戦いに出れば良かったと。
ロゼッタの強さは剣の腕だけでも兵士数人分。魔術まで含めればその数倍となる。
自分が戦場に出れば、その分の兵士が傷付かなくても済んだはずだと、ロゼッタはそう思った。
雨が止んでからロゼッタは屋敷に帰った。
いつもより少ないお小言をモリーからもらい、風呂で体を温め着替える。
それから、母親のロザリーに呼ばれて部屋に向かった。
「お母様。失礼いたします」
「いらっしゃい、ロゼッタちゃん」
ロゼッタに椅子を示し、ロザリーはお茶の準備を始めた。小さく鼻歌――のように聞こえる詠唱を行い、魔術でカップを温めている。
貴族の作法からは外れる行動だが、珍しいことではなかった。ロザリーは必要な場面以外ではかなり自由な言動を見せる。
これで必要なときには完璧な貴族夫人を装うので、モリーですら何も言わないのだ。
ロザリーは細かな魔術でお茶の作法をいくつか短縮し、淹れたお茶をロゼッタに渡した。
「ちょっとだけお酒入り、ね。長く雨に当たったのでしょう? 温まるわよ」
「……ありがとうございます」
ロゼッタは柔らかく湯気を立てるお茶を口に含む。微かに香る酒精。味わいはロゼッタの好みそのものだった。
香りまで飲み込んで、ほう、と息を吐く。
「美味しいです……」
「そう、良かったわ」
微笑むロザリーに、ロゼッタは何と言えばいいのか分からなかった。慰められているのは、きっと確かだ。
それでも素直に甘えられないのは、ロゼッタが今回の作戦に出ることを最も強く反対したのが、この母親だからだろう。
ロザリーの「駄目よ」の一言だけで、ロゼッタは戦いに出ることができなかった。
ただ、それに対する非難の言葉は口から出て来ない。心配されているのは、ロゼッタにも分かっている。
お礼も文句も言うことができなくて、ロゼッタは黙ってお茶を口にした。
ロザリーも何も言わない。2人ともカップを鳴らす音すら立てないので、部屋の中は誰もいないように静かだった。
お茶を飲み干したロゼッタがカップを置いたことで、ようやく小さな音が鳴る。
それを待っていたように、ロザリーが口を開いた。
「ロゼッタちゃん、ちょっと立ち上がってもらえるかしら」
「? はい」
疑問を覚えながらもロゼッタは立ち上がる。同時にロザリーが軽い動きで近づいてきた。
抱き締められる。
「お母様……?」
ロゼッタの頭がゆっくりと撫でられる。髪を梳くような優しい手付きだ。
耳元でロザリーが囁く。
「別にね。ロゼッタちゃんが将来戦う道を選んでも、私は反対しないのよ。でもね。今日ロゼッタちゃんが悲しんだように、いえ、それ以上に、ロゼッタちゃんが死んじゃったら私は悲しいわ」
珍しく真剣な母の声に、ロゼッタは身を震わせた。
「だからね。ただの憧れや、誰かの代わりに自分を犠牲にしよう、なんて考えている間は応援できないの。――誰よりも、ロゼッタちゃん自身の命を大切にできるようになってちょうだいね」
ロゼッタは少しだけ強く抱きしめられた。
「……はい。お母様」
自分に大切な者がいるように、自分を大切に想う者がいる。そんな当たり前のことを、12歳のロゼッタは母親の体温から学んだ。
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