第272話 思い出語り3

 ロゼッタは15歳になった。背丈は少し伸び、強い意思の浮かぶ横顔には愛らしさより美しさが現れている。


 場所は自室。ロゼッタは片付けられた室内を見渡した。


「うむ。こんなものか」


 数年前より落ち着いた声。祖父を真似た口調も昔より馴染んでいる。


 ロゼッタは最低限必要なものを詰めた鞄を締め、開け放たれた窓の向こうを見た。


 季節は秋だ。数代前の当主が植えたという紅葉する木が、鮮やかに庭を染めている。

 紅葉の先に見える空は穏やかだ。旅路には相応しい天気だろう。


 ロゼッタは窓に寄り、眼下に見える庭園を見つめる。温かを感じる光景を目に焼き付けてから窓を閉じた。


 部屋を出る。

 向かったのは兄のところだ。今なら父の執務室にいるはず。


 屋敷を歩き執務室に入ると、思った通りに兄がいた。父は不在だ。


「お兄様、失礼いたします」


 デリスは執務机で報告書らしきものを読んでいた。次期当主として、既に領主の仕事の一部を担っているのだ。


「やあ、ロゼッタ。荷造りは終わりかい?」


「はい。元々、あまり物は持っていませんから」


 デリスが困ったように笑う。


「お母様もモリーも、ロゼッタが服や装飾品を欲しがらないってよく残念がっていたよ」


「……ドレスなど着ては、剣が振り難いではありませんか」


 ロゼッタは母とモリーが時折持って来る高価な服のことを思い出す。

 数ヶ月に一度の頻度で2人に着せ替え人形にされるのだ。たまにメリーも混ざる。ドレスの流行などの話にはついて行けないので苦手だ。


 そもそもロゼッタは服や宝石より、武具の手入れのために質の良い油が欲しい。高価で上質なものは中々手に入らないのだ。


「僕はロゼッタのドレス姿、似合うと思うよ。うちの妹は綺麗だと自慢したいくらいだ」


「私は外見より剣の腕を褒めてもらえる方が嬉しいです」


 そう本心から言うロゼッタ。デリスは悩むように唸った。


「う~ん……騎士団の人が全員そんな考えなら問題はないかもしれないけど……ロゼッタ、向こうに行ったら同性の騎士とは仲良くね?」


「? はい。もちろんです。一緒に戦う仲間なのですから」


 肩を並べて戦い、死の危機に際しては庇い合い、互いに競い合う相手だ。むしろ仲良くしない理由はない。ロゼッタは疑問を抱くことなくそう思う。


「……ロゼッタは純真に育ち過ぎた気がするよ。やっぱり僕としては、国に仕える騎士なんかにはならずこの領地にいて欲しいね」


「すみません、お兄様。もう決めたのです。――この手でより多くの者を守ると」


 ロゼッタの真っすぐな瞳に、デリスは降参するように両手を挙げた。


「その目をされたらもうどうしようもないよ。ロゼッタは意外と頑固だからね。兄としては、精一杯君の無事と活躍を祈らせてもらおう」


「ありがとうございます。私もお兄様と皆が健やかであることを祈っています」


「ああ、お互いに頑張ろう。……それにしても、ロゼッタの出発はもう明日か。早いものだね」


「……はい」


 数ヶ月前に開催された国仕える騎士となるための試験。ロゼッタはその試験に合格した。


 合格の知らせが来てから今日までは、過ぎてみればあっという間だった。

 ただ振り返ってみれば、待ち遠しさと名残惜しさが同居した日々でもあった。


「しばらくは忙しいかもしれないけど、落ち着いたら手紙でも出して欲しい。ロゼッタからの知らせはきっとみんな喜ぶよ」


「そうします」


 ロゼッタは頷き、デリスともう少しだけ言葉を交わして部屋を出た。


 次に父デュークに会うために外へと向かう。デュークは今日領内の視察に出ていたが、この時間なら帰ってくる最中だ。


 鍛錬用の剣だけを手に、ロゼッタは走る。


 ロゼッタの第二適性は風。得意な『風除け』の魔術を纏い、風すら追い抜いて駆けた。


 デュークが乗る馬車に出会うまでにそう時間はかからなかった。


「……お嬢様?」


 御者台で手綱を握っていたデュークの護衛、ウィンが少し驚いた顔でロゼッタを呼んだ。

 馬車に並走しながらロゼッタはウィンと会話する。


「少しお父様と話したいのだ。中に入る。ああ、止めなくてもいい」


「はあ……どうぞ」


 ロゼッタは頷き、軽く跳んで馬車の扉を開けた。そのまま中へ身を滑らせる。


「……いらっしゃい、ロゼッタ。モリーが見たら盛大に叱られそうな登場だね」


「申し訳ありません、お父様。時間が惜しかったのです」


 デュークは困ったように笑った。さっき見たデリスとよく似た表情だ。


「君の感じている寂しさに免じて今日は内緒にしておこう。お別れの挨拶かな?」


 デュークは自分の隣を手で示した。領主用の座り心地の良い席に、ロゼッタも腰掛ける。


「ありがとうございます。……はい。領地を出る前に、少しでも家族と話したくなりました」


「そうかい」


 デュークは頷く。

 ロゼッタは何かを話そうかと思ったが、いざこうして並ぶと言葉が出て来なかった。兄のように詩集でも読んでいれば良かったかと今更後悔する。


 馬車の車輪の音だけが響く中で、先に口を開いたのはデュークだった。


「貴族というのはね、ロゼッタ。元々はただ魔力の少し多い人間だったんだ」


 前を向いたまま、ロゼッタに視線を合わせずにデュークは語り始める。


「魔力が多い故に力が強く、魔術の威力も高かった。だから一番先頭で魔物と戦った。そして人が住む場所を拓くことができた。そうしている内に人々が集まり、集まった人をまとめるための長が必要となり……いつの間にか魔力が多いだけだった人間は貴族と呼ばれるようになった」


 デュークがロゼッタを見る。2人の目は同じ色だ。ロゼッタがデュークから継いだのは空色の瞳と地の適性。


「元々、貴族というのは戦う者だ。強い魔力を使って戦い、民を守ったのが貴族の始まりだった。だから私は、ロゼッタがその魔力を戦いに使うことに反対はしない。……それでも、とても寂しくはあるけれどね」


「お父様も、寂しいのですか……?」


 デュークは優しく笑う。


「もちろん寂しいとも。君は私の愛しい娘だ。今のように、会いたいときに会えないのは寂しいよ。ただ、それでも君の背を押そう。君が産まれたときから、いつか君を送り出す覚悟は決めていたのだから」


 デュークがロゼッタの手を取った。ロゼッタとは違う、長年ペンを握り続けた跡がある大きな手だ。


「まあ、それは嫁入りのためだと思っていたのだけれどね。これは少し予想外だったよ」


「……私は、お父様の期待に沿えなかったのでしょうか」


「ははは、そんな心配をしていたのかい? 僕の期待はロゼッタが笑って生きることだけだよ」


 他の領地ならともかく、ここは政略結婚とかする必要もないからね。とデュークは笑った。


 ロゼッタは笑っていいのか微妙な気分だった。デュークはたまに妙な冗談を言う。


「好きに生きるといいよ、ロゼッタ。どこにいても、私は君を愛している」


「はい、お父様。私も同じです……」


 ロゼッタは父の手を握り返した。



 屋敷に戻ったロゼッタは、家族と共に領地での最後の一日を過ごした。






「――と、いうことでね。ロゼッタが出発するときは、みんな泣いたり応援したりで大賑わいだったよ」


 デリスさんが長い話を語り終わった。オレは長く息を吐く。


「愛されてますね、ロゼは」


「そうだね。不器用過ぎるくらいに真っすぐなロゼッタを、みんなが可愛がっていたよ」


 実の妹のことをデリスはとても嬉しそうに話す。


 今の話はデリスさんがロゼ本人から直接聞いたり、周りの人達から聞いたものらしい。

 仲の良かった兵士が死んだ辺りでオレ、泣きかけたんだけど。色々あるなあ、ロゼも。


 オレの知らないロゼの話は新鮮で、もっと昔から会いたかったような、少し不思議な気持ちになった。

 まあ、ロゼが若い頃には、オレはそもそもこの世界にいないんだけど。結果的に無事に夫婦になれたので、今が一番良かったのかもしれない。


「コーサク君には感謝しているよ」


 唐突にデリスさんが言う。


「ロゼッタが今、幸せそうに笑っているのは君のおかげだ。ありがとう」


「……いえ、お礼を言われるようなことはないですよ。オレもロゼのおかげで幸せなので」


 一緒に暮らして、リーゼが産まれて、この世界にオレの帰る家ができて、幸せなのはオレの方だった。


 オレの言葉にデリスさんが、うんうんと頷く。


「互いに愛があるのは良いことだね。……ただ、コーサク君には少し、僕が独り身であることを思い出して欲しいところだよ……」


 デリスさんが精神的にダメージを負っているような表情をした。あ、やべ。


「す、すみません……」


 デリスさんは領地が辺境すぎて結婚相手が見つかっていないのだ。


「ふ、ふふ。冗談だよ。……半分くらいはね」


 半分本気ですね。


 義兄になんと声をかければよいのか迷っていると、リーゼの魔力を微かに感じた。義父母の魔力もある。

 ピクニックから帰ってきたようだ。3人とも魔力が多いので分かり易い。


「と、デュークさんとロザリーさんが帰ってきたみたいですね」


「……よく分かったね?」


 デリスさんは不思議そうに首を傾けている。部屋の中からでは音も聞こえないだろう。


「ええ、人より少し感覚が鋭いので。すみませんデリスさん、リーゼを出迎えに行ってきます」


「ああ、行ってくるといいよ」


 デリスさんに一礼して部屋を出る。


 正面玄関へ向けて歩いていると、ちょうど3人が屋敷に入ってくるところだった。


 ご機嫌な顔のリーゼと目が合う。


「パパ!」


 走って来たリーゼを抱き上げた。服からは濃い外の匂いがする。きっと思う存分走り回ってきたのだろう。


「おかえり、リーゼ。楽しかった?」


「うん! いっぱいおはなししたの!」


 満面の笑みでリーゼが報告してくれた。デュークさんとロザリーさんに軽く頭を下げる。


「デュークさん、ロザリーさん、どうもありがとうございました」


「気にしなくてもいいよ。私たちも孫と遊ぶことができて楽しかった」


「ええ。時間が足りないくらいだったわね」


 義父母は良い笑顔だ。こちらはこちらで楽しんだらしい。


「パパー、ママは?」


 腕の中でリーゼがきょろきょろと視線を巡らせる。一緒にロゼがいないことに不思議そうだ。


「ママは今お料理中だよ。夕ご飯に美味しいものを作ってくれるんだって」


「ほんと? やった!」


 嬉しそうに笑うリーゼを抱き締める。


 オレは改めて、ロゼと出会えたことに感謝した。

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