第266話 知らせ
リーゼに封石のネックレスを渡すことができて、オレはようやく肩の荷が下りた気分になった。隣に座るロゼも、ほっとしたように体の力を抜いている。
これでリーゼが自分を傷付けてしまう心配もなくなったし、オレとロゼが一日中気を張る必要もなくなった。
緊張が解けたおかげで今日は久しぶりにぐっすりと眠れそうだ。初めて来たロゼの実家だけど、明日の朝は寝坊してしまうかもしれない。
と、そんな気楽なことを思っていたのだが……。
「コーサク君、ロゼッタ。少し大人だけで話しをしようか」
日当たりの良い明るい部屋の中、テーブルを挟んで正面に座るデュークさんが、影のある笑みでそう言った。
隣に座っていたロザリーさんが滑らかな動きで立ち上がる。
「リーゼちゃん、ちょっとばあばと遊びましょうか。お庭を見せてあげるわよ」
「あそぶ!」
ロゼの膝から無邪気に笑うリーゼを抱き上げ、ロザリーさんはオレとロゼに小さくウインクをした。
「お母様……?」
「大丈夫よ」
短く言って、ロザリーさんは部屋の扉へと歩いて行った。
部屋の隅で神妙に待機していたタローと、騒がないようにタローに抑えられていたアナがリーゼに反応する。
「タローとアナもいっしょ!」
「そうね。もちろん一緒よ」
「ぅわう!」
「ふふ、元気ね」
2人と2頭が賑やかに部屋の外へと出る。扉が閉まると一気に音が遠くなった。明るいリーゼがいなくなった分、室内の静寂が際立つようだ。
部屋に残ったのは大人4人。デュークさんとデリスさんがテーブルの向かいに座り、隣にはロゼがいる。
テーブルの上で手を組み、デュークさんが重々しく話し出した。
「本来であれば、今はリーゼの魔術を無事に封じられたことを祝いたいところなのだがね。……君たちには一つ、悪い知らせを伝えなくてはならない」
デュークさんの言葉に再び背筋を伸ばす。ロザリーさんがリーゼを連れ出したということは、リーゼに関係する内容のはずだ。魔術暴走の問題が解決したばかりなのに、いったい何があったというのだろうか。
「……どんな内容でしょうか」
不安を押し込めて言葉を絞り出す。隣ではロゼも身を固めていた。
「実は、封石を入手する際に、少し厄介な貴族に目を付けられてね」
「目を付けられた、ですか……?」
「ああ。手紙でも伝えてはいたけれど、封石というのは希少であるにもかかわらず、非常に限られた用途にしか使うことができないものだ」
「はい。それは聞いています」
魔力を散らす能力を持つが、力は弱く、魔力を意識的に操作できる大人には全く効果のない白い石。
使用されるのは、王族や貴族の子供が強力な魔力を持って産まれた場合のみ。
使い道が限定的過ぎる上に産出量が非常に少ないため、平民は存在を知る機会すらない。オレもリーゼの件がなければ知らないままだっただろう。
研究すれば他に使い道もありそうだけど、値段が高過ぎて軽々しく買えるものじゃない。
「希少で高価なものを買い求めるとなると、情報を隠しきれないのが貴族社会というものでね。私たちもなるべく目立たないように行動したのだが、残念ながら耳の良い貴族には知られてしまったようだ」
表情に苦さを滲ませるデュークさんの隣で、義兄のデリスさんが申し訳なさそうに眉を下げた。
「コーサク君、ロゼッタ。すまない。これは僕の力不足でもある。急ぐあまり、周囲への配慮が疎かになってしまった」
「いえ、それは……!」
反射的に否定の言葉を紡ぐ。恩のある義兄に謝ってもらうことはない。だいたい、デュークさんとデリスさんが急ぐことになったのは、オレたちが無理を言ったからだ。
「それは、急ぎのお願いを言ったオレとロゼッタの責任です。たとえその結果でよくないことを引き寄せたとしても、オレたちには感謝しかありません」
「お兄様。私もコウと同じ考えです。リーゼと私たちを救っていただけたことには深く感謝しています。謝罪など不要です。今は先の話をしましょう」
「――分かった。君たちがそう言うのなら」
デリスさんはオレとロゼを見て儚げに笑い、次期当主らしく再び顔を引き締めた。
その様子を横目で眺め、デュークさんが説明を再開する。
「それでは続きと行こう。封石を求めるということは、その家に強大な魔力を持った子が産まれた証に他ならない。この家もそのように他家からは思われたはずだ。――だが、この家には該当する子はいない」
次期当主のデリスさんは未婚だ。領地が帝国の端にある上に、魔境を抑える役割を担っていることもあり、なかなか結婚相手が見つからないらしい。
だから、封石がデリスさんの子供のために用意されたものでないことは、調べれば簡単に分かるはずだ。
「不思議なことが見えると、より詳しく調べたくなってしまうのが人の
「そうですか……。私も顔を隠してはいませんから、きっと探すのは難しくはなかったでしょう」
「見つかった原因は、オレが目立っていたせいかもしれないよ」
困ったように言ったロゼの手を握る。ロゼは変装もしていなし偽名も使っていないが、それでも普通に暮らしていたなら簡単に見つかる可能性は低かったと思う。
だけどオレは色々と
そんな考えを抱いたオレの手を握り返しながら、ロゼは仕方のなさそうに微笑んだ。
「ふふ、それでは悪いのは私たち2人ともだな」
「……そうだね」
口から出かけた謝罪の言葉を飲み込んだ。
重みを背負うのは2人一緒だと、とっくの昔に決めている。さっきのロゼの言葉の通り、今は未来の話をするべきだ。
オレの心を読んだように、ロゼがデュークさんへと質問する。
「お父様。リーゼのことが他家に漏れたにしても、コウの情報まで調べたなら手を出そうとする家は少ないと思います。あまりよい予感はしませんが、目を付けられた『厄介な貴族』とはどこの家のことでしょうか」
「……ロゼッタは覚えていると思うけどシェルブルス家だよ」
「……なるほど、そういうことですか」
ロゼが珍しく、とても珍しく嫌そうな顔をした。オレは聞いたことのない貴族の名前だけど、なにか因縁でもあるのだろうか。
話についていけないオレに、デリスさんが解説してくれた。
「コーサク君。シェルブルス領というのはこの領地の隣にある貴族領だ。領地の一部が海に面していて、塩の生産と海運を産業にしている。帝国貴族の中では若い家だけど、資金面で言えばかなり上だろうね」
「塩と海運ですか。塩は生きるために必要ですからね。でも、海運って大丈夫なんですか? 海ってかなり危ないと思いますけど……」
数年前の船旅が脳裏に浮かぶ。巨大海獣が気軽に湧いてくるのがこの世界の海だ。ウェイブ商会でさえ海での航海には未だに苦労している。
「コーサク君の言う通り海は危険だから、陸地沿いに船を行き来させて品物を運んでいるんだ。沖まで出なければ大きな魔物は襲ってこないからね。座礁の心配があるから速度はあまり出せないようだけど、それでも山を越えて荷物を運ぶより速いらしい」
「なるほど。ありがとうございます。……それだけ聞くと、なんだかいい領地に思えますけど、ロゼの顔を見るに何か問題があるんですよね?」
オレの質問にデュークさんが苦笑する。
「デリスの言葉通り、シェルブルス家は新興ながらとても栄えている領地なのだが、現在の地位に就くまでにかなり乱暴な手を使ってきたのだよ。自分達の利益を守るために、競争相手の商会を盗賊に扮して襲うくらいは優しい方だ」
うわあ、やりたい放題。悪徳貴族の見本かよ。
「こちらの領地に手を出して来ることもあってね。小競り合いから兵を出す事態まで、前々から緊張が続いている相手だよ。はっきり言ってしまえば、仲は良くない」
「た、大変ですね……」
ガラの悪い迷惑なお隣さんか……貴族になるとご近所トラブルもスケールがデカいな……。
「本当に、人相手に兵を動かすとなれば魔物への備えが薄くなる。私たちの本分を考えれば頭が痛くなる相手だよ」
「――お父様。シェルブルス家にリーゼが知られてしまったとして、何か具体的な動きがあったのですか?」
溜息を吐くデュークさんに、ロゼが気が急くように問いただした。
「……ああ、あったよ」
一瞬だけ視線を遠くしてデュークさんがオレを見る。
「コーサク君。シェルブルス家は褒められた手段でないにしても膨大な金を稼ぎ、力を増してきた。私から見れば既に十分過ぎるくらいなのだが、彼らはまだ力を欲しているようだ。――シェルブルス家は、血の重みを求めている」
「血の重み、ですか?」
「ああ。シェルブルス家がいくら力を持とうと、貴族社会の中では新興の家は軽んじられてしまうものなのだ。血脈の古さ、皇族との血縁というものは、やはり発言力に関係する。その点、私たちの家は歴史だけは古いからね。それこそ建国時から続いているし、過去に皇族の血が入ったこともある」
「そうなんですか……」
成り上がりの横暴で若い貴族と、小さいが自らの役割を果たし続ける古い貴族。確かに相性はよくないだろう。
それはそれとして、ロゼの家が皇族と血縁関係にあるとか初めて聞いた――あれ?
「……ねえロゼ、もしかして
「ふむ……尊い血筋の娘を『姫』とするのならば……まあ、お姫様といっても間違いではないかもしれないな」
「…………聞いてないよ?」
「む、言ってなかったか……? ふむ。そう言えばコウに伝えた記憶はないか……。だが、特に珍しい話ではないのだぞ? 古い家ならば皇族の血が入っているのは良くあることだ。それに言ってしまえば帝国の貴族というのは、ほとんどが血縁同士だ。貴族の結婚相手は基本的に貴族なのだからな」
「な、るほど……?」
確かに、帝国の長い歴史の中で交わって来たのなら、皇族の血が入っているのも、他の貴族と血縁関係にあるのも普通なのか。
オレには馴染みのない感覚だな……。
「ロゼッタの言う通り、皇族の血を引く家は少なくはない。だけど、“皇族の血筋で封石が必要な程に強大な魔力を持つ女児”という存在は歴史を遡っても稀なのだよ。――さて、前提の情報が出揃ったところで、後回しにしていた本題に入ろうか」
デュークさんが感情を抑え込むように息を吸った。
「シェルブルス家の現当主はデリスよりも少し年上の男なのだが……息子の妾にしてやるから、リーゼロッタをよこせと言ってきている」
「――――――は?」
思った以上に低い声が出た後に、部屋の中が耳に痛いほどに静まった。
なるほど……なるほどなるほど。血筋と魔力の量こそが貴族の貴族たる所以と言ってもいい。親の魔力量は基本的に子供に遺伝するから、新興の成り上がり貴族にしてみれば、リーゼは両方を兼ね備えた都合のいい相手な訳だ。
へえぇ――なるほどな。
「ええと――とりあえず、そのナントカっていう領主の館を更地にして来ますね」
うちの大事な娘を、可愛いリーゼを、よりにもよって“妾にしてやる”とはよく言った。
潰すぞ――
「コウ。気持ちは分かる。気持ちは分かるが落ち着いてくれ。それはさすがに不味い」
ロゼがかなり焦った顔でオレの腕を引いている。
「…………もちろん。当然。ただの冗談だよ。いくらリーゼが絡んでも、そこまで短絡的なことはしないよ」
「冗談の顔ではなかったぞ?」
オレの言葉にほっとしたような顔をしながら、ロゼがオレの顔に手を伸ばしてきた。そんなにヤバい顔をしていたのだろうか。
「やれやれ、龍殺しの殺気は堪えるね。コーサク君、向こうからの申し入れについては当然だけど断っている。できる範囲で釘も刺しておいた」
「――ありがとうございます」
「私も可愛い孫娘を望まない相手に渡すつもりはない。貴族間の交渉については私とデリスに任せて欲しい。ただ、向こうが後ろ暗い手を使う可能性はある。2人は貿易都市に帰ってからも気を抜かないでくれ」
デュークさんは真剣な目だ。後ろ暗い手。考えられるとすれば誘拐か。なんなら親しい人間を人質にとってくる可能性すらある。全体的にセキュリティのレベルアップが必要だ。
「分かりました。身の回りには十分に気を付けます。相手との交渉については、何か手伝えることがあれば言ってください。封石のお礼と併せて、大抵の無茶なら通します」
「ありがとう。コーサク君の手が借りられるなら助かるよ」
デュークさんが安堵したように笑みを浮かべる。……それくらいシェルブルス家は大きいのか。
「デュークさん。リーゼの件を蹴ったことで、シェルブルス家が戦いを仕掛けてくる可能性はありますか?」
「絶対にないとは言わないが、可能性は低いと考えているよ」
「そうなんですか?」
若干拍子抜けした気分だ。今までの話から、もっと好戦的な相手だと思ったんだけど……。
「シェルブルス家は自領のために手段を選ばずに行動してきたが、今の皇帝陛下からは厳重注意を受けていてね。それ以降は比較的大人しくしているのだよ。最近では領地の成長も緩やかになっているようだ。こちらに表立って手を出して来ることはないだろう」
「……それは、裏から嫌がらせをして来る可能性はあるってことですよね?」
「ははは、その通りだとも」
オレの言葉にデュークさんは苦笑する。
「とはいえ、シェルブルス家が打てる手はそう多くはないよ。かなり前からシェルブルス家との取引や行き来は止めているからね。――たぶん、盗賊をわざとこちらに通すくらいはやると思うが」
完全な敵対行為では……? でも、盗賊を素通りさせるくらいだと、いくらでも言い逃れができるか……。
「ええと、盗賊の捕縛くらいなら手伝うので、いつでも言ってください。他にも何でもやりますよ」
「ありがとう。コーサク君の力が借りられるなら心強い。有事の際は頼むよ――さて、現状の話はこれくらいだ。今のところはシェルブルス家の動きもない。コーサク君、ロゼッタ。長旅で疲れただろう。しばらくはゆっくりと過ごすといい」
優しい顔のデュークさんの言葉で、“悪い知らせ”の話は終わった。
魔術の暴走は解決したが、新しい問題が噴出した。きっと能力に恵まれた分、リーゼの将来には障害が多い。考えることも、やることも山積みだ。
それでも今日くらいは、義父の言葉に甘えて家族一緒にゆっくりと眠らせてもらおう。
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