第267話 封石の対価

 鮮やかに紅葉した木々な並ぶ屋敷の庭園で、爽やかな朝の空気を吸い込みながら伸びをする。


「ん~っ、体が軽い」


 昨晩は屋敷の料理人が気合を入れてくれた豪華な夕食を食べて、夢も見ずにぐっすりと眠った。

 ここしばらくは馬車の運転続きだったので、移動する必要がないだけで心が軽い。


 良い気分のまま綺麗に整えられた庭を観賞し、軽くストレッチを続ける。

 屋敷からは朝食の柔らかな香りが漂って来ていた。昨日の夕食の味からすると、きっと朝食も美味しいだろう。


 本職の料理人の腕はやはり違う。ぜひとも教えを乞いたいところだ。というか、そうでなくとも何か手伝いでもしたい。なんというか、朝起きてやることがないのは手持ち無沙汰なのだ。


「まあ、断られちゃったけどーっと」


 手伝う気でいたら、ロザリーさんお義母さんに「コーサクさんは偶にはゆっくりしなさい」と断られてしまった。今は上げ膳据え膳のお客様状態だ。

 気楽でいいけどちょっと落ち着かない。


 ちなみにロゼは「家の味くらいはちゃんと覚えなさい」とロザリーさんに連れて行かれた。すっかりアイドル的なポジションになったリーゼも一緒だ。きっと今頃は色んな人に構われているだろう。

 人見知りしない子だから、特に心配もしていないけど。


「ふう、体操終わり。まあ、夫婦で得意料理が違うのもいいかな」


 オレそろそろ本格的に和食の再現を進めていくつもりだったし。母方の家庭の味はロゼに任せようか。

 それに気になるなら、家に帰ってからロゼに作り方を教えてもらえばいい。


 うん、そうしよう。と思ったところで、背後から窓の開く音が聞こえた。

 振り返れば窓の向こうにはロザリーさんと、その腕に抱かれて満面の笑みを浮かべるリーゼの姿。


「パパ! ごはんー!」


 どうやら朝食に呼びに来てくれたらしい。


「うん。今行くよー」


 手を振って応える。色々と面倒事があるけど、とりあえずリーゼに良い思い出ができるならそれで満足だ。





 予想通りに美味しかった朝食後、リーゼは孫を可愛がるデュークさんとロザリーさんに連れられて出掛けることになった。裏山にある花畑でピクニックらしい。平和だ。


 残されたオレとロゼは、実質的に領地を管理しているデリスさんとお金の話をすることにした。

 リーゼに渡した封石の代金だ。


 デリスさんの執務室へと、持って来たお金と魔道具を運び込む。割合的には魔道具の方が多い。

 さすがに帝国の金貨への換金の手間などもあったので、全部を現金にすることはできなかった。そもそも、全部現金だとオレたちの貯金を全部合わせても足りないけど。


 魔道具を詰めた木箱が積み上げられていく様子を見て、デリスさんが若干乾いた笑みを浮かべる。


「これだけの金額のものを護衛も付けずに運ぶのはさすがだね……。万が一積み荷の中身を知られていたら、盗賊たちが血眼で襲ってくるところだよ」


 デリスさんの言葉に、まあ確かに、と内心で思う。


 稲作や他の事業に大金を投資しているせいか、オレの金銭感覚は当てにならないが、封石の代金だけで人ひとりくらいは遊んで暮らせそうな額だと思う。

 ……そう考えるとすごいな。改めて超大金だ。


「お兄様。盗賊ごときに遅れを取る私達ではありませんよ」


 デリスさんを安心させるような表情でロゼが言う。

 実際、ロゼは冒険者に復帰してから戦闘の勘も取り戻しているし、オレが年々装備に魔道具を組み込んで強化しているので、盗賊がいくら束になっても傷一つ付けられないだろう。


 というか、ロゼの装備を強化し過ぎて、もしオレが戦った場合には持久戦に持ち込まれると負ける。

 元々ロゼはオレよりも魔力が多い上に、丸二日間でも戦い続けられるっていう体力お化けだし。


 あと、もしロゼが戦えない場合でも、普通の人間に改造馬車はどうこうできない。


「デリスさん、うちの馬車は特級の魔物が相手でも戦えるように設計していますから、盗賊相手では心配する必要はないですよ」


 最悪の事態を想定して龍種からも逃げられるように造っているのだ。盗賊程度ならスピードを上げるだけで無視できる。


「そ、そうかい。特級の魔物にも……」


 改造馬車の安全性を伝えたつもりだったのだが、なぜだかデリスさんから距離を取られた気がする。なんでだ?


「……いや、さすがは龍殺しだね。世界は広いよ」


「はあ、どうも」


 褒められた、よな……?


「お兄様、これで全部ですよ。確認してください」


 デリスさんの複雑そうな表情に首を捻ったオレの隣で、ロゼが最後の木箱を置いた。


「ああ、分かった。2人ともありがとう」


 デリスさんは頷き、オレが渡した目録に目を通しながら、並んだ金貨と魔道具を突き合わせていく。親しい中だからこそ確認は大切だ。


「――うん。問題はないようだ。それでは封石の対価として、これらは受け取るよ」


「はい。どうもありがとうございました」


 ロゼと一緒に礼をする。これで封石の件については一段落だ。だいぶ懐は寂しくなってしまったけど、無事に終わってほっとした。


 軽く達成感を味わって――よし、次だ。


「デリスさん、リーゼの件でシェルブルス家との交渉もお願いすることになるので、その分は何かお仕事を手伝わせください」


 色々と迷惑をかけている分は働いて返そう。ロゼと2人なら、魔物の討伐、街道の警備、魔道具関連とできることは幅広い。


「ああ、ありがとう。2人に頼みたいことはいくつかある。けれど、今日くらいはゆっくりと過ごすといいよ。ロゼッタ。コーサク君に屋敷や町を案内してあげたらどうかな。ロゼッタも久しぶりの故郷は気になるだろう?」


「ええ、それは私も気になってはいますが……よろしいのですかお兄様?」


「構わないよ。シェルブルス家との交渉と言っても、礼儀のない一方的な要求をされている現状では、交渉に席に着くことすらできないからね」


 次期当主としての顔でデリスさんは力強く笑う。


「それに、この家は初代から魔境を抑える盾となることが役割だ。代々の当主は外部からの補給がなくても領地が回るように開発を進めてきたし、日常的に上級の魔物を相手にする兵士たちは高い練度を誇っている。多少揺さぶりをかけられたところで揺れることはないよ」


 先祖への信頼と、土地への愛着、役割への誇り、自身と領民の力への自負……色々なものが混じった表情でデリスさんは言った。


 ……単純な戦闘力でいえばオレの圧勝だろうけど、それ以外だときっと勝てないな。


 オレが今背負えるのは自分の家族だけだ。歴史ある土地と使命を継ぎ、領民全ての生活を背負いながら微笑むデリスさんは力強い。


 たぶん、これが本来の貴族の在り方なのだろう。……オレが出会ってきた貴族が外れ過ぎる……。


「だから、現状だとあまり急いでやって欲しいことはないんだ。気にせずに散歩でもしてくるといいよ」


「……分かりました。お言葉に甘えて今日は散策でもさせてもらいます。デリスさん、どうもありがとうございます」


「ああ。見て回って、ここを気に入ってもらえたら嬉しいよ」


 デリスさんがそう言って笑ったところで、執務室の扉がノックされた。デリスさんが許可を出すと、入ってきたのは使用人のモリーさんだ。ロザリーさんと同年代で屋敷の家事全般を管理しているらしい。


「皆様、お茶をお持ちしました。少し休憩してはいかがですか?」


 モリーさんはにこやかに笑いながら手際よく人数分のお茶を淹れていく。

 ありがたくいただくと、お茶は少し癖があるけど心が落ち着くような味をしたハーブティーだった。


 ロゼがいるのが嬉しいのか、にこにこと笑っていたモリーさんが、お茶を飲み終わったロゼに話しかける。


「ロゼッタお嬢様。このあとはお暇ですか?」


「だから、私はもうお嬢様という齢ではないというのに……。これから少し出ようと思っていたが、どうかしたか?」


「ええ、実はわたくし。奥様からロゼッタお嬢様に試験を出すように命じられております」


 ロゼの動きが止まった。冷静な顔をしているが、少し焦ったような気配がする。


「……試験、とは?」


「ロゼッタお嬢様の家事技能に関する試験でございます」


 モリーさんが大きく息を吸う。なんだか迫力が増した気がするな。


「その昔、お嬢様はお嫁に出るための習い事よりも、剣を振るうのに夢中でございました。お料理もできず、刺繍も覚えず、話し方すら亡き先代様の真似をし、上達するのは剣の腕と武具の手入れのみ……。家を出たお嬢様がどう暮らしているのかと、わたくしが心配しない日はございませんでした」


「モ、モリー、あまり昔の話は……」


「そんなお嬢様が結婚なされたと聞き! 私がどれだけ嬉しく、そして奥様としての振る舞いをお教えできていないことを後悔したか!」


 モリーさんは悲しみに暮れ、涙を拭う動作をした。うん、動きだけ。別に泣いてはいない。


 すげえな。モリーさんの独り舞台だ。この場で一番偉いデリスさんも言葉を挟む余裕がないよ。


「あの、分かったから落ち着いてくれ……」


「ええ、ええ、もちろん落ち着いておりますとも。お嬢様にはまず今現在の腕を示していただき、ここでの滞在中はこのモリーが家事全般を鍛えて差し上げます。どうぞお覚悟を」


 家事の練習でお覚悟って初めて聞いたなあ。


 急激な話題の変化に観客気分で見ていたオレの前で、モリーさんがロゼの腕を取る。


「さあ、お嬢様! 旦那様とリーゼロッタお嬢様のために、より腕を磨くのです!」


「む、う……」


 ロゼの視線がモリーさんとオレの間を行き来する。さっきの案内の件で迷っているらしい。オレは構わないので「行ってもいいよ」と頷いた。


「すまない、コウ。行って来る……!」


「行ってらっしゃい。頑張ってね」


 部屋から連れ去られていくロゼに手を振る。やっていなかった花嫁修業の補習ってところか。

 前にロザリーさんが家にいたときにも刺繍とか習ってたけど、途中で帰っちゃったもんな。


 ……それにしてもロゼはやけに気合が入っていたけど、貴族の花嫁修業はそんなに厳しいんだろうか。ちょっと気になる。


「あー、コーサク君。町の散策はどうしようか。僕が案内してもいいけど」


 デリスさんが困った顔で笑いながら提案してくれた。ふむ……。


「すみませんが、色々と見て回るのはロゼが落ち着いてからにしようと思います」


 やっぱり、どうせならロゼと一緒に行きたいし。


「ええと、それで時間できちゃったんで、何かお仕事があればやりますよ」


「そうかい。それなら、家にある魔道具の修理でも頼もうかな」


「お安い御用です」


 久しぶりにロゼと2人きりで歩けるかと思ったけど、少しお預けだな。

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