第265話 封石の首飾り
どこかぎこちない父と娘の再会が終わり、オレたちはようやく屋敷の中へと入った。
デュークさんに先導されて、広いエントランスを横切る。
その途中、デュークさんが緊張と興奮を混ぜたような表情で振り返った。
「ああ~、ロゼッタ……その子を抱いてもいいかい?」
その子、が示すのは当然リーゼだ。
話題に上がったリーゼは、デュークさんのことを、口を半開きにした不思議そうな顔で見つめていた。
幼い視線が集中しているのはデュークさんの目元。ロゼとそっくりな空色の目を、じっと見ている。
ロゼはそんな娘の様子を確認し、リーゼの耳元で囁いた。
「リーゼ。この人はリーゼのお爺様――じいじだ。挨拶をしよう」
ひょい、とリーゼが頭を上げ、母と娘の視線が合う。リーゼは無言で、何かを確かめるように母親の目を見つめていた。
ロゼは微笑みながら、デュークさんへ一歩踏み出す。
「はい。お父様。娘のリーゼロッタです。見た目よりも重いので、しっかりと抱いてください」
「あ、ああ……」
リーゼの小さな体が、ロゼからデュークさんへと渡る。恐る恐る伸ばされたデュークさんの腕の中に、リーゼはすっぽりと収まった。
祖父と孫が至近距離で見つめ合う。
そっとデュークさんが声を出した。
「やあ、私が誰だか分かるかな……?」
「………………じいじ?」
見えていた疲れも吹き飛ぶように、デュークさんが破顔した。深い笑みの浮かぶ目元には、年相応の皺が見える。
「そうだ。私が君のじいじだとも。よろしく。小さなお嬢様」
祖父の自己紹介に、リーゼはたどたどしくも真剣に言葉を紡いだ。
「リーゼですっ、よろしくおねがいしますっ」
幼い顔に花の咲いたような笑顔が浮かぶ。至近距離で笑顔を浴びたデュークさんの顔が、完全に孫を溺愛する祖父のものへと変化した。
デュークさんから威厳やら何やらが消えた気がする。
……我が家のアイドル恐るべし。
リーゼの将来が心配だなあ、と思っていると、デュークさんが笑みに顔を崩したままこちらを向いた。
「さて、2人とも待たせてすまないね。それでは行こうか。たぶんロザリーが焦れている頃だ」
軽い足取りでデュークさんが歩き出す。もちろんリーゼを抱いたまま。
その後ろにオレたちも続く。隣ではロゼが、初孫にデレる父親の姿におかしそうに笑っていた。
穏やかな家族愛に満ちた光景。みんなが笑っている姿に、オレも心が軽い。
……ただ、何だかオレの影が薄い気がする。凄い空気感だ。奥さんの実家だと、こんなものだろうか。オレ、屋敷に到着してから、ほとんど喋ってないんだけど。
若干の疎外感を覚えたオレの足元に、タローがそっと並んでくれた。
屋敷を進み、広い部屋へと案内された。明るく品の良い部屋だ。中には2人の人物。
久しぶりに会う義母のロザリーさんと、初対面だが、どこか見覚えのある男性。
柔和な微笑みを浮かべた顔は、デュークさんと良く似ていた。
……たぶんロゼのお兄さんだ。オレの義兄に当たる、この家の次期当主。
話したこともないので、どんな人なのか気になる。……が、義兄の様子を観察する前に、ロザリーさんが小走りで寄って来た。
「リーゼちゃん、久しぶりねー!」
夫のデュークさんの前まで走って来たロザリーさんが、滑らかな動きでひょい、とリーゼを奪い取る。
「ばあば!」
「あら! もうちゃんと喋れるようになったのね。偉いわよ~!」
リーゼを抱いて、ロザリーさんは喜びを露に身を揺らす。抱き締められたリーゼも、嬉しそうに笑い声を上げていた。
その一歩後ろで、リーゼを盗られたデュークさんは寂しそうな表情で固まっていた。重みのなくなった両腕が宙に揺れ、諦めたようにぱたりと下りた。
お義父さん……! 頑張って……!
オレの心の応援が届いたのかどうかは不明だが、デュークさんは気を取り直すように頷いた。表情も、余裕のある家長のものへと戻る。
「さて、この部屋のいるのは家族だけだ。完全に私的な場だから、コーサク君もロゼッタも気を使わなくていいよ」
「ええ。余計な建前なんて忘れてちょうだいね? ふふ、本当に良く来たわ2人とも。リーゼちゃんも元気に成長しているし、ちゃんと頑張ったのね」
微笑むロザリーさんに、オレは軽く頭を下げた。
「ありがとうございます。あと、お久しぶりです、ロザリーさん」
「ええ、お久しぶり。また元気な顔を見ることができて嬉しいわ。ロゼッタもね」
「はい。私も会えて嬉しいです。お母様もお変わりないようで安心しました」
ロゼの言葉通り、ロザリーさんの姿は変わりない。相変わらず、孫がいるとは思えないくらいの若々しさだ。
それから久しぶりに会うとは思えないほど、リーゼと仲が良い。
ロザリーさんの隣に立つデュークさんは、妻と娘と孫娘、3人が並ぶ様子を嬉しそうに見つめてから、残る1人に腕を伸ばした。示す先はお義兄さん。
「コーサク君が会うのは初めてだね。こっちが私の息子のデリスだ。次期当主として、実質的にこの領地を管理している。仲良くしてやってくれ」
デリスさんは周囲を包み込むような、穏やかな雰囲気のイケメンだ。オレとロゼより少し年上。昔から頭が良く優しい兄だったと、ロゼからは聞いている。
代わりに、剣の腕は酷いレベルだったらしいけど。
紹介されたデリスさんが前に出た。
「はじめまして、コーサク君。会えて嬉しいよ。ロゼッタを連れて帰って来てくれてありがとう。君がいなかったら、頑固なロゼッタがここに戻って来ることはなかっただろう。可愛らしい姪の顔も見ることができた。君にはとても感謝している」
後光が差すような優しい微笑みで言われた。うわあ、性格良さそう。
「こちらこそ会えて嬉しいです。リーゼの封石を入手するために、デリスさんも動いてくれたと聞いています。どうもありがとうございました」
これはいくら礼を言っても足りないくらいだ。リーゼの魔術暴走に対して、オレとロゼだけではどうしようもなかったのだ。恩を返すために、オレはこの先何があろうとも、この家の味方をするつもりでいる。
「大切な家族のためなら当然だよ。コーサク君もあまり気にしないでくれ」
だが、何でもないことのように、デリスさんはふわりと笑ってそう言った。
お、おおう、すごいな……。
手紙のやり取りだけでも、封石の入手にはかなり手間がかかったと聞いている。その苦労をさらりと流されるとは思わなかった。
性格もイケメンだな、お義兄さん。
「ありがとうございます。そう言ってくれると助かります。ただ、封石の対価はオレたちでしっかりと払います」
ロゼの実家に動いてもらった分、お金や魔道具など、オレとロゼが出せる対価は持ってきた。娘の生活に必要なものだ。親であるオレたちが払う必要がある。
かなりの額の貯金が吹き飛ぶことになるが、それでもリーゼを背負うのはオレたち夫婦だ。
オレの言葉に、デリスさんは笑みを濃くした。
「ああ。分かった。必要な対価は受け取るよ。――ロゼッタ。君は良い人を選んだようだね」
「はい。優しく強い、私が愛する夫です」
……ちょっと恥ずかしいから止めて欲しい。
「はは、ロゼッタは綺麗に、そしてさらに強くなったみたいだね。また会えて嬉しいよ」
「お兄様は立派になりましたね。私も誇らしいです」
微笑み会う兄妹の間には、とても温かな空気が満ちていた。
再会を喜ぶ会話も一段落つき、オレたちは全員テーブルへと着いた。リーゼはロゼの膝の上に座って隣にいる。
これから、ここに来た最も大切な目的を果たさなければならない。
「では、コーサク君、ロゼッタ。これが魔術を封じるための“封石”だ」
デュークさんが小さな宝石箱を取り出し、テーブルの上で開けて見せる。中に入っていたのはネックレスだ。透き通るように白い宝石に、柔らかそうな革紐が繋がっている。
「……手に取ってもいいですか?」
「ああ、もちろん。魔力を意識的に操れる我々にとっては、何の意味もない物だよ」
デュークさんの許可をもらい。慎重に封石を取り上げた。掌に載せ、魔力の流れを集中して観察する。
……確かに、集めた魔力を拡散させるような、奇妙な働きをしているようだ。
本能的に魔術を使っているリーゼならば、魔力が精霊に届く前に霧散することになるだろう。
事前に聞いていた通り、感情に呼応して魔力が動いても、魔術自体は発動しなくなるはずだ。
「効果は問題ないみたいですね。首飾りなのは、何か理由があるんですか?」
「ああ、基本的には体に近くにさえあれば良いのだが、やはり魔核に近い場所に置いた方が効果は高くてね。リーゼロッタの魔力はとても多いと聞いていたから、この形にさせてもらったよ。……先ほど抱いたときに確かめたが、本当にこの歳では考えられないほどの魔力量だ。なるべく、常に首にかけているべきだろう」
魔核があるのは心臓のすぐ横だ。それなら確かに、ネックレスが一番適切か。
「そうですか……。分かりました。念のためにもう一度確認しますが、副作用などはないんですよね?」
「それは問題ないよ。封石は体内の魔力ではなく、外へ出た魔力に干渉する物だ。帝国の歴史の中でも、身に付けて異常が出たという話はない」
「分かりました。どうもありがとうございます。早速使わせていただきます」
デュークさんたちに深く頭を下げる。
そして、封石のネックレスを手に、隣にいるリーゼに体を向けた。リーゼはみんなが真剣な顔をしている理由が分からないのか、キョトンとした表情だ。
それで構わない。自分が守られていると理解するのは、もう少し大きくなってからでもいい。
オレは意識して笑顔を作った。
「リーゼ。これはお爺ちゃんとお祖母ちゃん、それに伯父さんがプレゼントしてくれた、リーゼの“御守り”だよ」
ロゼが首にかけ易いようにリーゼを抱き上げてくれた。まだ体に比べて大きな頭を通し、封石のネックレスをリーゼの首にかける。
「これはリーゼを守ってくれるんだ。大事にしようね」
「? ん~、うん」
曖昧な返事をするリーゼの頭を撫でて、オレは封石をリーゼの服の内側へと仕舞い込んだ。
これで最優先の目的は達成だ。
リーゼが起こす魔術の暴走から、リーゼ自身を守るための首飾り。
特別な君が大きくなるまでは、せめて平穏に過ごせますように。
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