第248話 マグロパーティー:前

「終わった。疲れたぁ~」


 燦々さんさんと降り注ぐ日光の下で、オレは全身の力を抜いてテーブルに突っ伏す。


 太陽の位置は真上をほんの少しズレたくらいだ。周囲からはマグロ料理を食べた子供達の、楽しそうな笑い声が聞こえてくる。


 マグロパーティー開催中である。


 いやあ、疲れた。オレ以外は海の魚に慣れていないと言うこともあって、料理をほとんど一人で作ったのだから当たり前か。

 手伝ってもらったのは盛り付けくらいだ。


 というかよく考えたら、オレは早朝からスパイの捕縛作戦でも働いていた。料理でテンションが上がっていたから疲労の実感もなかったが、そりゃ疲れているはずである。


「おいテメエ。ここで寝んな。食うのに邪魔なンだよ」


 そんな頑張ったオレに向けられた心無い言葉に、ヨロヨロと顔を上げる。


 目の前には刺身をはじめとした生のマグロ料理の数々と――こちらを見るガラの悪い男。


「……おい、スライ。もっと頑張ったオレを労われ。お前が食ってる料理を作ったのはオレだぞ……」


「あン? ああ、確かに良くやった。生の魚なんてどんなモンかと思っちゃいたが、けっこうイケるじゃねえか」


 オレの目の前で、スライは中トロの刺身を無造作に口に運んでいる。珍しく機嫌が良さそうに口元を曲げているので、本当に美味いと思っているのだろう。

 まあ、こいつはお世辞とか言わないから、料理の感想は基本的に本心だ。


 相手がスライとは言え、刺身を一緒に食べられる人間が増えたのは嬉しい。どんな美味しい料理も、一人で食べては味気ないのだ。


 そして、テーブルにいるもう一人。スライの他に刺身に手を出してくれた人物も、興味深そうに刺身の感想を言う。


「生の魚って、思ったより柔らかいのね。初めての味だわ。だけど美味しいわね。ショーユも良く合うわ」


「ありがとう。ケイトさんも遠慮せず食べてね」


 鋭い舌を持つケイトさんは、生魚への躊躇いよりも好奇心の方が強かったらしい。ケイトさんが言うならば、刺身の味はこっちの人にとっても美味しく感じるのだろう。


 つまり問題は文化と先入観だ。……デカい壁だな。やっぱり、すぐにどうにかするのは難しそうだ。

 まあ、余裕ができたら考えよう。


 さて、オレがいるテーブルに座っているのは、オレとスライとケイトさんの3人だけだ。ここはマグロの生食席。近寄って来る人は残念ながら少ない。ちょっとした隔離状態だ。


「美味しいのになあ」


 呟きながら、赤身部分の刺身へと手を伸ばし、醤油を少しだけ付けて口へと運ぶ。


「う~ん! 赤身!」


 マグロの柔らかな身を咀嚼すれば、舌の上へと濃い赤身の味が広がる。夏場故か、それとも熟成期間の短さ故か、オレの記憶にある赤身よりも若干あっさりしている気もするが、感じる香りはこちらの方が強い。


 なんにせよ、久しぶりに食べるマグロの刺身は、とても美味しく感じた。白いご飯が進む。


「これでワサビがあれば完璧だったなあ……」


「ワサビ? コーサクさんの故郷の調味料か何かかしら?」


「調味料って言うか、薬味? 辛みの強い植物で、すり下ろして刺身につけて食べるんだよ。元々は生ものが痛まないようにするためらしいけど、刺身の味を引き立てくれる気がするし、香りもいいんだよね。まあ、こっちだと見つかってないんだけど……」


 お米みたく、探せばどっかにあるかなー?


「そう、残念。見つかるといいわね。そのときには、私も食べてみたいわ」


「使えねえな。見つけておけよ『爆弾魔』」


 この態度の差よ……。


「簡単に見つかるんだったら、とっくに自分で育ててるっての。だいたい、最近は忙しくて昔みたいに簡単に遠出はできないんだよ」


「そういえばテメエ、近頃は土弄りにハマってんだったか。冒険者から職人になって農家になって……テメエはどこに向かってンだ?」


「職人と農家は兼業だ。とりあえずの目標は、お米の一般への普及だよ。そのためにやる事は山積みなんだ。超忙しいんだぞ?」


 ここ数日は久しぶりに余裕が出来た。それもスパイ対応で半分潰れたけど……。


「はあン。そんなに忙しいもンなのかよ」


 まったく興味がなさそうに、スライはマグロを口に運ぶ。今度は赤身のカルパッチョだ。


「忙しいもんだよ。ついこの間の長雨のときなんて、稲にカビが生えてきたから、水と風の適性持ちを搔き集めて、湿気を除去して風を送って乾燥させて、って大変だったんだぞ? それが終わったと思ったら、害虫対策用の鳥が魔物に襲われて、朝行ったら羽毛が飛び散る事件現場だったり、新しい鳥が来るまでの間、害虫が好き放題寄ってきたり――」


「ああ、分かった、分かった。テメエが忙しいのは十分に分かったっての。今はそれよりも食いもンの話をしろよ」


 呆れたような表情で、スライがオレの話を遮る。むう。つい日頃の愚痴が出てしまったか。


「料理の話、ね。そうだ。2人にはネギトロ丼も出そうか」


 お米があってマグロが手に入ったなら、丼物はやるしかないだろう。ネギトロの他に赤身の漬け丼も準備中だ。


「また不思議な名前の料理ね。どんなものかしら」


「よく分かんねえけど、さっさと出せよ」


「スライ。お前はもう少しありがたがれ」


 いちおうスライの態度には物申しつつ、大き目の丼を3つ用意する。その中に軽く冷ました白米をよそって、ふわふわになるように叩いたマグロの身を贅沢にのせる。最後に刻んだネギを散らせば出来上がり。醤油はお好みで、だ。


 本来なら白米ではなく酢飯を使うのが正しいのだろうが、あいにく米酢はまだ開発中だ。酢飯は今のところ作れない。

 まあ、オレとしては白米と酢飯、どちらを使った丼でも美味しければいいと思う。


「はい、どうぞ」


 ケイトさんとスライにネギトロ丼を手渡し、オレも自分の分を持って席に着く。


「ネギトロドンって、炊いたオコメの上にマグロの身のペーストをのせたものなのね」


 ケイトさんは興味深そうに丼の中身を覗き込む、こっちの発音だと、ネギトロ丼が強そうに聞こえるな。ちょっと怪獣みたいだ。ネギトロドン。


 一方でスライは見た目や調理法なんかに興味がないらしく、さっそく食べ始めた。冒険者らしい行儀の悪さで、醤油をたっぷりかけたネギトロ丼を木匙で大きく口に放り込む。

 咀嚼のために口が動き、スライの眉がピクリと上がった。


「へええ」


 楽し気に呟いた後、カッカッカッ、とスライはネギトロ丼を掻き込んで行った。たった数十秒で丼の中が空っぽになる。

 丼を置いたスライは珍しい満面の笑みだ。


「はあっははは! けっこうウメエじゃねえか。魚の脂も悪くはねえな。これで血の味が強けりゃ言うことなしだったぜ」


「血の味が強かったらオレらが困るっての……まあ、満足そうでなりよりだよ」


 さて、スライには好評だったようだし、オレも食べるとするか。


「いただきます」


 醤油を軽く回し掛け、お米とネギトロをまとめて一口。


 ひと噛みすれば、それだけでマグロの脂が溶けていく。脂と一緒に広がるのは、マグロの強い旨味と香り。そこに醤油の塩気が混じり、最後にお米が全てをしっかり受け止める。組み合わせが最強すぎる。手が止まらない。


 こっちに来てから10年が見えて来た今日この頃。久しぶりに食べるネギトロ丼は暴力的な美味しさだ。軽く体が震える。


「お米を作って来て良かった……!」


 ありがとう、お米! 感謝の気持ちが溢れそうだ。そろそろオレの信仰心で、稲作を司る精霊が生まれてもおかしくないと思う。


「ふふっ。コーサクさんは相変わらず美味しそうに食べるわね。でも、大袈裟とは言えないかしら。本当に美味しいわ。この口の中で溶けていくような食感と香りの良さは、癖になってしまいそう」


 ケイトさんもネギトロ丼を気に入ってくれたらしい。良い舌を持つケイトさんから良い評価をもらえると、かなり嬉しいな。


「ケイトさんにも気に入ってもらえて嬉しいよ。それに、この席に来てくれたのも助かったよ。ケイトさんが来てくれなかったら、オレはコイツと二人きりになるところだったし」


 これだけの人数の中、男2人で黙々と刺身を食べるのは寂しい。


「ふふ。どういたして。でも、美味しいお料理にお礼を言うのはこちらの方よ。ありがとう、コーサクさん」


「はは。人に食べさせるのは、半分くらい趣味みたいなものだからね。気にしなくていいよ」


 繰り返しになるが、一人で食べるご飯は味気ないのだ。食べるなら、誰かと一緒がいい。


 そうケイトさんへ伝えたオレへと、スライは半眼で視線を送ってくる。


「そりゃ結構でけったいな趣味だがよお。俺と2人が嫌なら、テメエの嫁と娘でも呼べばいいだろうが。すぐそこにいるじゃねえか」


 スライの言う通り、ロゼもリーゼも少し離れた席に座っている。アリシアさんがいる場所だ。同じテーブルには、主に小さな子供が集められている。騒がしくも楽しそうな様子だ。


「いや、スライ。独身のお前は知らないかもしれないけど、小さな子は食べられないものが色々とあるんだぞ? うちの子に生魚はまだ早い」


「食わせなきゃいいだけだろ」


「オレが美味しそうに食べてたら興味を持っちゃうんだよ」


 リーゼは好奇心が旺盛で、小さいながらに食べるのも好きだ。ああ、ほんの少し前、タローが美味しそうに食べる生肉を見て、自分も食べたいと泣くリーゼに、食べられないことを教えるのがどれだけ大変だったか……。


「確かに、リーゼちゃんの行動力はすごいものね。可愛い娘におねだりされたら、コーサクさんも大変でしょう」


 うちに数ヶ月滞在していたケイトさんは、当時を思い出したのか、納得したように頷いた。


 だが、独り身のスライは上手く想像できなかったらしい。刺身を口に運びながら軽く呟く。


「そんなもんか」


「そんなもんだよ。子育ては大変だよ。食べ物にも気を遣うし」


 リーゼは段々と普通の料理が食べられるようになって来ているが、それでもまだ無理なものは多い。

 刺身関係は、元々リーゼが大きくなるまで諦めていたところだ。酢飯だって、小さな子には味が濃すぎるからな。塩も砂糖も入っているし。


 まあ、海産物系の食材は、リーゼが大きくなるまでにちょっとずつ進めるとしよう。海苔くらいは先に手を付けたいけど。そろそろ海苔を巻いたお握りが食べたい。


 海藻は今のところオレにしか需要がないから、金にならなくてリューリック商会にも頼めないんだよなあ……。


 今年の冬はロゼの実家とルヴィの村に行く予定だから、海に行くにしても来年以降だ。まだまだ先だな。今考えても仕方がないか。


「そういえば、スライ。子供と言えば、弟子の援護はしなくていいのか?」


「ああン? アイツの何を援護するって?」


「……恋愛?」


 オレの言葉に、スライは一瞬ポカンとした表情をして、それから口を大きく開けた。


「ぶっはははッ!!」


 大笑いだ。ツボに入ったらしい。


 それにしても、こいつも丸くなったな。昔だったら、ストームが弟子だって認めもしなかったのに。


「ああ。アリス店長とストーム君のお話ね?」


「うん。まだまだ諦めるつもりはないらしいし」


 スライの弟子、ストーム。オレが出会ったのは氷龍飛来の前だったか。そのストームは少年と呼ばれる年頃のときに、ケイトさんの勤め先の店長であるアリスさんへと、ちょっとしたストーキングを経て告白したのだ。


 結果は惨敗だったけど。まあそれでも諦めずに、時期を見てはアリスさんへとアタックしているらしい。


「実際、アリスさんの気持ちってどんなもんなんですかね? 店員のケイトさん」


 オレ的にはストームの味方をしたいところなんだけど。


「そうねえ……店長も迷惑がってはいない、とだけ言っておきましょうか。それ以外は内緒」


「ええー……」


 気になるなあ……。


 ちなみに、その気になる2人はといえば、少し離れたテーブルに仲良く座っている。声は聞こえないが、楽しそうに話しているようだ。

 うむ……頑張れストーム。笑い続けている師匠と違って、オレは君の味方だ。


「というか、スライはそろそろ落ち着けよ。笑い過ぎだろ」


「かははは! そりゃテメエ。俺がアイツの色恋沙汰の役に立つ訳ねえだろ。後ろで助言でもしろってか。くははっ! ドン引きされるな!」


 ……いやまあ、そりゃスライが後ろで立ってたら、アリスさんもドン引きだとは思うけど……ストームの相談に乗ってやるとか……無理か。無理だな。

 確かに、スライは邪魔しないのが一番いい対応かもしれない。


「まあいいや。ケイトさん。刺身だけだとあれだから、ちょっと他の料理も取ってくるよ」


「手伝いましょうか?」


「いや、いいよ。なら足りてるし。ちょっとそこの笑い過ぎな奴の面倒でも見てて」


「分かったわ。美味しい物をお願いね」


 魔力アームを呼び出して手を振らせながら、料理の載ったテーブルへと移動する。


 その途中で、皿を片手に料理を選ぶエルとルカを見つけた。孤児院の子と一緒だ。子供同士、さっそく仲良くなったらしい。良いことだ。


 料理を取るついでに、ちょっと話してみるか。

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