第249話 マグロパーティー:後

 マグロ料理は誰でも好きに取れるように、中庭の中央にテーブルを置いて並べてある。


 ちなみにテーブルの中心部に置かれているのは、こんがりと焼けたマグロの兜焼きだ。焼き目が付いた巨大マグロのお頭が、虚ろな目で口先を空に向けている。中々の迫力だ。

 数人の子供達が怖さ半分、好奇心半分といった様子で、その顔の身を突いていた。人気ではあるらしい。


 その他の料理の減り具合も観察しつつ、料理を選ぶのに夢中なエルとルカに近付く。


 姉弟と孤児院の子供達がいるのは、マグロのステーキやハンバーグがあるテーブルの前だ。

 姉のエルはハンバーグを前にして悩んでいるらしい。近づくことで声が聞こえて来た。


「う~。色んな種類があって悩んじゃう……。全部食べたらお腹いっぱいになって、他のお料理が食べられなくなっちゃうし……。ねえ、ルカはどれが美味しそうだと思う?」


「……全部?」


「そうだけど!」


 楽しそうな姉弟の会話だ。その平和なやり取りに笑みが浮かんだところで、姉弟と一緒にいた子がオレに気付く。


「あっ、コーサクだ!」

「ホントだ! お料理おいしいよ!」

「ありがとう、コーサク!」


 元気が良さそうで何より。


「おかわりを作る余裕もあるから、遠慮せずに食べていいよ。あと、そろそろオレの名前に『さん』を付けてもいいんだぞ?」


「? なんで?」

「コーサクはコーサクじゃん」

「言いにくいー」


「そうか……」


 駄目か。ロゼのことはちゃんと呼ぶのになあ。まあ、今更直すのは難しいか。仕方ない。親しまれているのだと思おう。


 さて、オレの呼び方は置いておいて、と。こちらを見る姉弟へと向き直る。


「エルもルカもちゃんと食べてるか?」


「はいっ! コーサクさん、ありがとうございます。どれもすごく美味しくてびっくりしてます!」


「うん。美味しい……」


「なら良かった。食べる機会はそうそうない魚だから、満足するまで食べるといいよ。ちなみに、2人はどの料理が好き?」


 エルは一瞬悩むような顔を見せる。


「ええと……全部美味しいですけど、私はこのハンバーグが一番好きです。とっても美味しくて、どれを選ぶか迷っちゃいます」


 エルはハンバーグ好き、と。


 マグロの量が多かったので、ハンバーグも色々な部位を使って作ってある。部位ごとに味が違う上に、ソースも複数用意した。その結果、ハンバーグだけでもけっこうな品数になっている。

 エルが悩んでいるのはそのせいだ。一個一個はそれほど大きくないが、12歳の女の子が全ての種類を食べるのは、ちょっと厳しいかもしれない。


 とはいえ、全種類を味わう方法はあるだろう。


「全部のハンバーグを食べてみたいなら、他の子達と分け合って食べるといいよ。ちょっとずつなら色々食べられるだろうし」


「そうだね! エルちゃん、一緒に食べよう!」


「本当? ありがとう!」


 嬉しそうに孤児院の女の子と笑い合うエル。仲良くなっているようで何よりだ。


「ルカは何か好きな料理あった?」


「……スープ。美味しかった」


 口数は変わらないが、ルカはいつもより満足そうな様子だ。


 マグロのスープは、余った骨の部分を炙って出汁を取っている。マグロの風味が良く出ていて、最初に口に含んだときは、舌の根がキュッっとするほど旨味が濃い。

 マグロの身と野菜もたっぷりと入っているので、オレならスープだけで白米が食べられるくらいだ。


「そうか。そっちが好みとは、ルカは見どころがあるな。実はあのスープ、けっこう手が込んでるんだ。うん。気に入ってくれたなら良かった。スープだけだと味が濃いから、他の料理も食べろよ?」


「……うん。お姉ちゃんと一緒に食べる」


 素直に頷いたルカの頭を撫でておく。エルとルカが帰るのは明後日の朝の予定だが、どうにもこの姉弟は面倒事を抱えている雰囲気がある。


 このマグロパーティーで、周囲に対する緊張というか、警戒が緩んだように見えるので、今日は帰ったらぐっすり眠ってもらって、明日にでもより詳しい事情を聞かせてもらいたいと思う。


 まあ今は、何も気にせず他の子達と楽しんでくれればいい。


「さて、それじゃあ、みんな。遠慮せずにいっぱい食えよ?」


「はーい!」

「食べるよー!」

「ありがとうございます!」

「……うん」


 返事をする姉弟と他の子に手を振って、オレも料理へと向かう。


 魔力アームを使って複数の皿に料理を取って、最後に兜焼きへと近づいた。


「……さすがに、誰もマグロの目は食べてないか」


 焼けて随分と縮んだマグロの眼球は、両目とも手付かずだ。


「よし。スライに食わせよう」


 そう決めて眼球を皿に盛り、頭部の身も一緒にそぎ落としていく。時間をかけて火を通したおかげか、内側の方はまだ湯気が出るほど熱を持っている。美味しそうだ。


 さて、これでだいたい料理は取り終わったけど、戻る前に少しだけリーゼの様子でも見に行こうか。



 ロゼとリーゼがいるテーブルには、幼い子達が固まっている。その中でも一番小さいのはリーゼだ。


 テーブルに近付くと、既にお腹が膨れた子が多いのか非常に賑やかな様子だ。小さな子の高い声が、洪水のように溢れている。誰が何の話題を口にしているのか、判別は困難だ。


 リーゼは言葉を覚えるのが速い方らしいが、その理由の一つは孤児院に遊びに来る度に、こうして年上の子達の言葉を聞いているからだろう。

 あとは、潤沢な魔力も関係がありそうだけど。


 オレの来訪に、リーゼの近くでのんびりと伏せていたタローが顔を上げる。その反応に気が付いたリーゼも、キョロキョロと顔を動かし始めた。そして、オレと目が合う。


「パパ~!」


 相変わらず、リーゼとタローは以心伝心のようだ。リーゼは満面の笑みでオレを見る。その汚れた口元を、ロゼが笑いながら布巾で拭った。


 リーゼが食べているのは、少し味を薄めにした専用のメニューだ。普通のマグロ料理は、リーゼにはまだ少し早い。一緒にお刺身を食べられるようになるのは、まだまだ先の話だ。


 それでも、リーゼ本人は満足そうな顔ではあるけど。


「リーゼ。ご飯は美味しい?」


「おいしい!」


「それなら良かった」


 リーゼに笑い掛けてから、ロゼへと視線を向ける。


「ロゼはお疲れさま」


「ふふ。気にするな。私はコウほど、海の魚に思い入れはないからな」


「まあ。それでもありがとう」


「うむ」


 リーゼと一緒だと、自分が食べる時間も上手く取れないものだが、ロゼは気にした様子もなく微笑んでいる。ありがたい。後で何か埋め合わせはしておこう。


「アリシアさんも、どうもありがとうございます」


 一緒のテーブルで子供達の面倒を見ているアリシアさんにもお礼を言っておく。


「うふふ。こっちも気にしなくていいわよ。うちの子達も喜んでいるもの。こちらこそ、いつもありがとう」


「そう言ってもらえると助かります」


 いや、本当に。イベントがある度に場所を貸してもらっているので、とても助かっている。



 それから一言二言話してテーブルを離れた。ケイトさんとスライを放っておいたまま、あまり長居は出来ないし、リーゼが運んでいる料理に興味を持っても困る。


「という訳で、ただいま」


 生食専用テーブルに戻り、持って来た料理を並べて行く。


「おせえぞ」


「ありがとう。コーサクさん」


「……」


 スライが条件反射のように文句を言い、ケイトさんが礼儀正しくお礼を言う。それから、いつの間にか増えていた人物が重々しく頷いた。


「グルガーさん、いらっしゃいませ。……魚、生でいけるんですか?」


 新しいお客さんは、次期島長しまおさのグルガーさんだ。本人にとっては普通らしいが、傍から見ると堅苦しい顔をして、普通に刺身を食べている。


 え、あの島って生食の文化あったの……?


「……普段は食わん。が、大物を仕留めたときには、心臓をそのまま食べることもある」


 お、おおう……。それは中々の独自文化で……。魚の心臓を……生で、か……美味しいのか?


「そう、ですか。ま、まあ、刺身を楽しんでもらっているならいいです。他の料理も持って来たのでどうぞ。グルガーさんは、何か気に入った料理はありましたか?」


 グルガーさんは口数が少ないので、いまいち料理の好みが分かっていないのだ。


 オレの言葉に、グルガーさんはしばらく沈黙する。その沈黙はどっちだ。どれも気に入ったのか、それとも気に入ったものがなかったのか。


「……油で揚げたもの。あれは美味かった」


 沈黙の末に、グルガーさんは気に入った料理を言う。ちゃんとあって良かった。


「マグロのフライですか。確かに美味しいですよね。ちょうど持って来てますよ。食べますか?」


「いただこう」


 素直に頷くグルガーさんへと、マグロのフライを渡す。オレも一つ食べるとしよう。


「おい、俺も食うぜ」


 やり取りを見ていたスライが声を上げる。そういえば、スライ用にマグロの眼球を持って来ていたな。


「好きに食えよ。あと、これをやろう」


「……ンだこれ?」


「マグロの目。体にいいんだぞ?」


 確かDHAがたくさん入っているとか。そういえば、DHAって何の略だったか……。さすがに記憶が薄れてるなあ。

 とりあえず、体にいいのは確かだ。


「ふうン」


 熱で水分が抜けて縮んだ眼球。その虚ろな瞳をジロジロと観察していたスライは、納得したのか微妙な声を上げつつ、マグロの眼球へと齧り付いた。


「んン~……?」


 眉を寄せた怪訝そうな顔で、スライは眼球を咀嚼する。


「……肉の方がウメエな」


「まあ、眼球はどっちかっていうと珍味だよね」


 珍しい味と書いて珍味だ。美味しい味だとは言っていない。コラーゲン的な部分の食感が気に入るかどうかで、味の好みは分かれるだろう。


 オレはそんなに好きでもない。マグロの眼球で白米は進まないし。


「それじゃあ口直しって訳じゃないけど、マグロのフライも食べなよ。ケイトさんもどうぞ」


「ありがとう。いただくわ」


 マグロのフライには濃い目に味を付けているので、ソースは必要ない。


「いただきます、と」


 少し行儀は悪いが、そのままフライへと齧り付く。


 ザクリッ、と、粗目のパン粉の心地よい音が歯に響き、衣の層を抜ければマグロの柔らかい身が迎えてくれる。

 同時に、粗く挽いた胡椒の香りが鼻に抜けて来た。そのまま噛み進めれば、火を通し過ぎていない中心部のしっとりとした食感に行き当たる。衣とマグロの身、2つの異なる歯応えが楽しい。

 少し強めに振った塩と胡椒のおかげで、いくらでも白米が進みそうな味だ。


 というか、実際に白米も一緒に食べた。うむ。美味い。


 やっぱりお米だな。濃い目の料理を、白いご飯と一緒に食べるときの幸福感が堪らない。


 さて、他の料理も食べてみよう。





 その後もマグロ料理を楽しみ、締めの漬け丼を食べ終えた頃には、オレはすっかり満腹で満足で、ついでに眠気も襲って来ていた。


 マグロパーティーは無事に終了。料理も綺麗になくなった。子供達も満足したようなので何よりだ。


 眠気を振り払ってなんとか片付けまで終えて、最後にもう一度アリシアさんにお礼を言ってから、オレは家族と姉弟を連れて帰宅した。


「ふああ、ねむ……」


「コウ。今日はお疲れさま」


 自宅の居間で、ロゼから労いの言葉をかけられる。


「うん。今日は疲れた……。エルとルカがお風呂から上がったら、交代で入ってもう寝るよ。片付けは明日だね……」


 オレも眠いが、慣れない環境で疲れたのか、エルとルカもかなり眠そうだった。寝落ちする前に、先にお風呂に入れている。

 ちなみに、リーゼはけっこう元気そうだ。その小さな体のどこにエネルギーが詰まっているのやら。


「コウ? お風呂の中で寝ては駄目だぞ? 危ないからな」


「う~ん。分かってる~……」


 それは気を付ける。



 それから10分ちょっとで、エルとルカはお風呂から上がって来た。眠そうな2人を部屋に送り、オレも入浴する。


 油やら炭やらの強い匂いを洗い落とし、ベッドに倒れ込んでも問題ない清潔さを取り戻した。


 すっかり気の抜けた状態でロゼとリーゼとタローに声をかけ、先に寝室へと向かう。


 早朝からスパイを追って、マグロ料理に全力を出して、と、今日は長い一日だった。


 疲労のままに倒れ込んだベッドは、優しくオレの体を受け止めてくれた。夢の世界へと向かうには、羊の数を数える必要もない――



 ――――――



 ――――



 ――



 ピィーーーーー……!!


 …………誰だよ。うちの防犯装置に引っ掛かったの……。

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