第240話 ご近所付き合い

 ベティーナさんと話し合いも終わり、オレ達3人は店の外へと出た。青空から降ってくる太陽の光は変わらずに強烈で、すぐに汗が滲んでくる。


「暑いなあ……」


 熱の籠った空気を吸い込みながら、姉弟へと振り返る。


「じゃあ、まずは2人が泊まっている宿屋に行こうか」


 オレが差し出した手を、2人はそれぞれ素直に取った。人が多いので迷子防止だ。


「はい。よろしくお願いします」


「……お願い……します」


 右にエル、左にルカを連れながら、活気に満ちた大通りを進む。


 2人が帰るのは4日後らしい。村の人達とは、4日後の朝に広場で待ち合わせなのだとか。都市の広場には創設者であるリリアナさんの像があるので、待ち合わせに使われるのはよくあることだ。


 そして、その4日の間、2人はオレの家に泊めることにした。村の人達と一緒ならともかく、幼い2人だけで過ごすのは危ないし不便だろう、という判断だ。


 という訳で、まずは宿屋に行って宿泊のキャンセルだ。幸いなことに、2人が泊まっている宿屋はオレが知っている場所だった。キャンセルの手続きもすぐに出来るだろう。


 宿屋を目指し、2人の手を引きながら人混みを進む。そうしていると、エルが遠慮がちにオレを呼んで来た。


「あの……お兄さん」


「ん? どうかした?」


 視線を向ければ、エルはなにやら不安そうな表情でオレを見上げている。


「お兄さんの家族には、先に話さなくてもいいんですか?」


「ふむ……?」


 当然ながら、2人を家に泊めることについて、ロゼには何も伝えていない。携帯電話なんて無いのだから当たり前だ。

 先に伝えておくにしても、オレの家は都市の外れの方にある。家を先にすると、宿屋の手続きにまた戻って来る必要があって二度手間だ。


 だから、ロゼには事後承諾を得るつもりで行動をしている状態だ。まあ、心配はいらないだろう。ロゼなら大丈夫だ。


 その旨を伝えながら2人の頭を撫でようかと思ったが、両手はそれぞれエルとルカの手に繋がっていて無理だった。仕方ないので安心させるように笑顔を作り、ついでに嫁の自慢もしておく。


「うちの奥さんなら嫌な顔なんてしないから大丈夫だよ。子供は好きだし。優しい上に美人だからね。2人が出会ったのがオレじゃなくて奥さんの方でも、きっと同じ展開になったと思うよ」


 オレの人助けは後付けだけど、ロゼの優しさは生来のものだ。怪しい異邦人を、下心なく助けてしまうくらいのお人好しである。


「まあ、申し訳なさとかがあるなら、うちの娘の遊んでくれればそれでいいよ。最近は元気が良すぎてね。相手をするのが大変なんだ」


「えっと、はい。それくらいでいいなら……」


「ははは。それくらい、かどうかは、リーゼに会ってからのお楽しみだね」


 小さな体には不釣り合いな魔力量のせいか、リーゼの体力は底なしだ。テンションが上がっている限り、休むという言葉はどこかに行ってしまうらしい。毎日寝かしつけるのが大変なほどだ。


 オレの言葉にエルは良く分からないような顔をしていたが、とりあえずは納得したらしい。軽く頷き、オレの手を握り締めながらお礼を言って来る。


「お兄さん。どうもありがとうございます」


「どういたしまして」


 やっぱり頭は撫でられないので、とりあえず笑っておくことにした。




 そう歩くことなく、目的の宿屋まで着いた。木造の3階建て。造りは少し古いが、綺麗に手入れをされた宿屋だ。


 換気のために開けたままになっている玄関を通り、中へと入る。その途端に、元気の良い声が響いて来た。


「いらっしゃませ~! って、あれ? コーサクさん? こんにちは。どうしました? お義父さんかアビーちゃんに用事なら、今日はいませんよ?」


 パタパタと歩いて来たのは若い娘さん。この宿の看板娘であるエリンだ。


「こんにちは。今日は2人に用事があるんじゃなくてね。こっちの姉弟がここに泊まってると思うんだけど、オレが面倒を見ることになったから、悪いけど宿を引き払いたいんだ」


「そうなんですかあ……」


 言いながら、エリンはオレの両側に立つ姉弟をまじまじと見る。それから納得したように笑みを浮かべて、宿の奥へと声を掛けた。


「分かりました。ガルー! お客さんが出るから、台帳をおねがーい!」


 その良く響く声に、「分かったー」と低い声が返ってくる。返事を確認したエリンはオレ達に向き直り、悪戯気に片目を瞑った。


「余裕が出来たら、どんなことがあったのか教えてくださいね?」


 さすが看板娘。情報収集には抜かりがないらしい。


「そんな大した話じゃないけど。そのうちね」


 そう伝えながら宿屋の奥へと足を進ませると、ちょうどエリンが声を掛けた相手が出て来た。

 引き締まった体をした、大柄な青年だ。接客業に相応しい柔らかな笑みを浮かべている。


「コーサクさん、こんにちは」


「こんにちは、ガラド。客じゃなくて悪いね」


 客どころか、これから宿泊客を連れて行く訳だけど。


「いえ、コーサクさんには父と妹がいつもお世話になっていますから。いつでも歓迎しますよ」


 そう言いながら、ガラドはエリンへと視線を送る。その視線に、心得た、とばかりにエリンが説明を始めた。


「ガル。こっちの小さなお客さんたちが、コーサクさんのところに行くんだって。だから宿は引き払いね」


「あの、せっかくお部屋を用意してもらったのに、ごめんなさい……」


 ペコリと頭を下げるエルに、ガラドは安心させるように笑いかける。


「大丈夫ですよ。人の行き来が激しいこの都市では、急な宿泊も取り止めも良くある話ですから。残りの宿泊代はお返ししますね」


 そう言いながら、ガラドは宿の台帳をめくり始めた。代金も返してくれるとは、さすがいいサービスだ。姉弟と一緒に来た村人達に良い印象はないが、この宿を選んだのは良い選択だったと思う。

 まあ、そのぶん他の村人達がどこに泊まっているのかが謎だけど。あとで2人には話を聞かないとな。


「それにしても、2人がコーサクさんのところで厄介になるなら良かったです。子供2人での宿泊だったので、エリンと2人で心配していたんですよ」


 取り出した硬貨を数えながら、ガラドがそう言った。様々な人が泊まる宿屋であっても、子供だけの宿泊はやはり珍しいらしい。


「まあ、心配になったのはオレも同じだよ。オレも子供も持つ親だからね。さすがに放っては置けないさ。とりあえず、2人が帰るまではオレが面倒を見るつもりだよ」


「ええ、それなら安心です。何か協力できることがあったら言ってください。では、こちらをお返しします」


「ありがとう。エル、受け取って」


 エルの背中を軽く押して前に出す。エルは申し訳なさそうな表情で、ガラドから前払いした宿泊費用を受け取った。


「あの、ありがとうございます」


 カバンにお金を仕舞ったエルがお礼を言いながら頭を下げる。その後ろで、真似をするようにルカも頭を下げた。


「いえいえ、またのお越しをお待ちしていますよ」


「ふふふ。大きくなったら泊まりに来てね」


 礼儀正しい姉弟に、ガラドとエリンは優しく微笑んだ。


 さて、これで宿のキャンセルは終わった。あとは家に帰るだけ、だ。ロゼには早めに事情を説明した方がいいだろうし、さっさとお暇するか。


「じゃあ、オレ達はそろそろ行くよ。客を奪っちゃって悪いね、2人とも。ゴルドンとアビーちゃんにはよろしく」


「はい。伝えておきます」


「また来てくださいねー」


 2人に見送られて宿屋を後にする。


 ちなみに、ガラドとエリンは新婚の夫婦で、ガラドの父親は冒険者のゴルドンだったりする。

 建築資材染みた大剣を振り回す、騒々しい筋肉ダルマのゴルドンから、しっかり者のガラドと、可愛らしいアビーちゃんが産まれたのは奇跡だと思う。教育の秘訣について、ゴルドンの奥さんに聞きたいくらいだ。


 ぜひ、これからの参考にさせてもらいたいと思う。





 2人を連れて、都市の雑踏を人の少ない方へと歩いて行く。都市の外れにあるオレの家には、人の少ない道へと曲がることを意識すれば迷うことはない。そんな風に姉弟に道順を教えながらの帰り道だ。


「とりあえず、分かり易い目印をいくつか覚えておけば大丈夫だと思うけど。それでも迷ったら、どこかの店に入ってオレの名前を出せばいいよ。たぶん、ちゃんと対応してくれると思うから」


「ありがとうございます、お兄さん。頑張って覚えます」


 エルが代表して礼を言い、2人はキョロキョロと周囲を見渡し始める。まあ、何回か歩けば道も覚えるだろう。


 最悪、さっきオレが言った通り、迷子になったらどこかの店に入ればいい。これでもオレは、この都市ではそこそこの有名人だ。店側も、オレの知り合いを無下に扱ったりしないだろう。


 オレの珍しい風貌と名前は、だいたい悪目立ちの原因ではあるけれど。だけどまあ、顔を売りやすいと考えれば利点でもある。


「さて、ここまで来れば、オレの家まではもうすぐだよ。都市の外れだけあって、買い物には少し不便なんだけどね。ちょっと爆発したり、煙を出したりしても怒られるような相手がいないから、そこら辺は気に入ってるよ」


「えと、そうなんですか……?」


 エルが良く分からなそうな顔で首を傾げる。けっこう大事だよ? 近所の人とのトラブルは面倒なんだから。怪しい外見をしたオレみたいな異邦人なら特に。


 その点、オレの家の立地はいい。魔道具を暴発させても騒ぎにならないし、焼き芋の煙で苦情が来ることもないし、燻製の匂いが染みつくと怒られることもないのだ。


 あとは最近だとリーゼが泣いたり騒いだりでうるさいこともあるが、ご近所さんから夜眠れないとか言われる心配もない。


 オレとロゼは移住者なので、そこら辺の心配をする必要がないというだけでも、けっこう負担は減るものだ。

 値段と庭の広さだけで選んだような家だけど、昔の自分を褒めたい気分だ。良くやった、若いオレ。


 まあ、昔のオレの選択はともかく。家に着いたらロゼに事情を説明だ。客室は使えるようにしてるから……あとは食事か。今日明日くらいの食材は足りるとして……。


「ああ、そういえば、2人は食べられない物とかってある?」


「食べられないもの……ですか?」


「?」


 オレの質問に、2人は揃って疑問顔だ。聞かれた意味が分からない、という表情をしている。


 魔物のいる厳しいこの世界。裕福でないと好き嫌いなんて言っていられないのが普通だ。とはいえ、食べ物のアレルギー自体はあるはずだけど……まあ、2人の様子だと大丈夫っぽいな。


「まあ、ないならいいよ……って、あれ?」


 2人に続き、オレも疑問の声を出してしまった。何故かと言えば、エルへと振り向いた視界の端に、変なモノが映り込んだからだ。


「え、御輿……?」


 ……じゃないな。なんだあれ、棺桶?


 オレ達が来た方角から、大きな木箱を協力して肩に担ぎながら男達が走ってくる。全部で4人。全員上半身裸。鍛えられた肉体は、綺麗に小麦色に焼けている。


 夏の日差しの下で、男達の周囲はさらに暑苦しい。体感気温で2、3℃は高そうだ。


 それが何故か、本当に何故か、オレを目指して走って来ているように見える。


「ええ……? なんで……?」


 さっぱり意味が分からないが、逞しい男達が迫って来る様子はけっこうな迫力だ。その異様な光景に、エルとルカはオレの後ろへと隠れた。気持ちは分かる。なんならオレも隠れたい。


 そんなオレの動揺も関係なく、男達は当然のようにオレの前で停止した。汗で濡れた肌の照りが眩しくて暑苦しい。


 どうすればいいのか困っていると、男の1人が口を開いた。右前にいた、10代後半くらいの若者だ。


「コーサクさん。どうもお久しぶりです」


 自然と眉が寄る。お久しぶり、ということは、オレの知り合いのはずだ。オレの知り合いに、上半身裸で走り回る存在がいたかと、その顔をまじまじと見る。


「ええと……」


 よく見れば、確かに見覚えのある顔だった。日に焼けた顔と、オレを見る冷めたような視線が、オレの記憶を刺激する。それは見たことがある。今日と同じように、太陽の光が降り注ぐ船の上で――


「もしかして、ジャス君……!?」


「……忘れてたんですか……」


 ジャス君。君付けするには成長した青年が、オレを呆れたような視線で見る。


「うわあ、久しぶり! 航海のとき以来だから2年ぶりくらい? 大きくなったねえ!」


 懐かしい! と、見知った少年の成長ぶりに、親戚の叔父さんのような台詞が出てしまった。


 ジャス君。いや、ジャス青年は、カルロスさん率いるウェイブ商会の若き船乗りだ。オレが航海に出た時点、リーゼが産まれる前だから2年以上前の時点で、最年少の乗組員だった。


 よくよく見てみれば、日に焼けた肌と逞しい肉体は、確かに船乗りのものだ。かつての少年は、いつの間にか立派な青年になっていた。

 男子三日会わざれば刮目して見よ、なんて言葉があったが、2年半もあれば、刮目しないと気が付かないくらいだった。成長期ってのは凄まじい。


 まあ、産まれたばかりでしわくちゃだったリーゼが、拙いながらも会話をして走り回れるようになったのだ。オレの知り合いも成長しているのは当然か。


「それで、今日は急にどうしたの? 何かあった?」


 用事があったから来たんだとは思うけど。というか、用事がないと来ないだろう。男同士だと、そこら辺は淡泊だ。


「今日はちょっとした贈り物を届けに来たんですよ。うちの商会のために、コーサクさんがまた骨を折ってくれると聞いたので」


 そう言いながら、ジャス青年は運んで来た木箱を下ろすように指示を出す。今更だけど、箱はかなり大きい。幅は1メートル半。長さは4メートルほどありそうだ。重量もかなりのものだと思うが、軽々と運んで来たあたり、やはりこの世界の人は力強い。


 それにしても……。


「贈り物……?」


 ジャス青年の言葉から、どうやら冒険者ギルド支部の建設協力への感謝らしいけど……。


 オレにはカレーライスの普及という目的があるから、純粋な感謝はちょっと心苦しい。

 まあ、この大陸での常識として、贈り物を断るのは逆に失礼になるから、ありがたくいただくけれど。


 中身はなんだろうか。さっきから木箱が濡れているのが少し気になる。


 オレの疑問の視線を受けながら、ジャス青年達は手際よく木箱を開けた。蓋が外れた瞬間に、ひんやりとした冷気が足を撫でるように流れて来る。


「今朝、ちょうどよく大物が網にかかったんですよ」


 大物、と言ったジャス青年の言葉に偽りはなかった。中身を覗いたエルとルカが、驚いたように声を上げる。


「わあ……すごい……!」


「おっきい……!」


 箱の中に入っていたのは魚だった。ただそれは、一匹で巨大な木箱を占領するほどの大きさの魚だ。


 敷き詰められた氷の中に横たわるのは、流線形の美しい体。銀色にも見える体表は眩しく太陽光を跳ね返し、黒々とした目は、鮮度の良さを物語っている。


「……うはあ、超でかいマグロじゃん。すっげえ……」


 大振りのマグロが一匹、いや一本って言うんだっけか? ともかく、百キログラム単位の重量がありそうなマグロが、オレへの贈り物らしい。


 どうすんだ、これ……?

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