第241話 マグロ一本
オレの何人分か、という巨大マグロを見た衝撃からも多少落ち着いたので、ジャス青年との会話を再開することにした。
「そういえば、ジャス君は最近どうしてるの?」
「基本的に船に乗ってますよ。人と物を運んで、こっちとあっちを行ったり来たりです。今はちょうど海が荒れる時期なので、近場で漁師の真似事をしてますけどね」
「へえ。そうなんだ」
それでこのマグロを獲った訳か。ていうか、近場にこんなのいるんだ。すごいな。
「ええ。それで、コイツはコーサクさんの家まで運ぶつもりだったんですけど、どうしますか? 家に帰る途中だったなら、一緒に行きますけど」
「ああ、それならここまででいいよ。運ぶ方法ならあるし」
魔力アームを使えば1人でもいける。というか、運ぶ方法より、このマグロをどう消費するかが問題だ。
「ジャス君たち、今日はこれから暇? ご飯食べていかない?」
せっかく持って来てくれたので、一緒にマグロを食べてはどうだろうか。
「いえ。遠慮しておきます。せっかく
ジャス君の顔には、はっきりと『魚は飽きた』と書いてある。
「そっかあ……確かにそうだよねえ」
船に乗っている間は、嫌ってほど魚を見るものだ。長期の航海となれば尚更。新鮮な食材は釣れる魚しかないから当然だ。
そりゃ飽きもする。好き嫌いはなくとも、同じものばかりは辛いのだ。
「まあ、それなら仕方ないや。この魚はオレ達でありがたく食べるとするよ。どうもありがとう。あとで、オレ特製の干し肉でも届けるね」
「ありがとうございます。それではコーサクさん。ご協力の件、どうぞよろしくお願いします」
「「「お願いしやす!」」」
ジャス青年の言葉を、他の3人も復唱した。船乗りらしい、良く通る太い声が響く。元気で何よりだ。
一度深く礼をし、ジャス青年たちはそのまま来た道を走って戻って行った。振り返る素振りすらない。
「相変わらずクールだねえ……」
遠くなる後ろ姿に手を振りながら、そんなことを呟く。久しぶりの再会にしては短い時間だった。いや、肉が食べたくて急いでいただけかもしれないけど。
まあ、どちらにしても、若者らしく素直でいいことだ。
「ええと、お兄さん……?」
ジャス青年たちが見えなくなった頃、エルがオレを呼んで来た。困惑したような表情だ。ああ、確かに、今のやり取りは2人にとって意味が分からないか。
「放って置いちゃって悪いね。ちょっとさっきの人達の商会から仕事を請けてね。この魚はそのお礼みたいなもんだよ」
お中元的なものでもあるかもしれない。夏だし。
「あの、そうじゃなくて……これ、運べるんですか?」
エルの視線が、マグロの入った木箱に向く。なるほど。そっちの心配だったか。
「それなら大丈夫。『魔力腕:8』で起動っと」
オレの周囲に浮き出る半透明の腕。魔力で作られたその腕を操作し、マグロ入りに木箱を持ち上げる。8本も使って分散しているのに負荷がすごい。かなりの重量だ。
「わ、わ、わ、すごい……」
「ふお……!」
半透明の腕と木箱が宙に浮いている光景を見て、エルとルカは目を丸くして驚いている。
いいリアクションだ。最近はオレの行動に驚くような人は少ないので、なんだか新鮮な気分になる。
「この腕はオレが作った魔道具の効果だよ。これで運ぶのに問題なしだ。さて、じゃあ今度こそオレの家に行こうか」
小さな姉弟と、巨大なマグロを連れての帰宅だ。出掛けて帰ってきたらこんな状態のオレを見て、ロゼはどんな顔をするだろうか。
数分ほど歩き、家の玄関前まで来た。オレの右側には手を繋ぎ合った姉弟。左側には水滴を垂らすマグロ入りの木箱だ。
う~ん、オレが言うのもなんだけど、すごい状況だ。説明が大変。まあ、時系列的に伝えるしかないだろうけど。
「よし。じゃあ、入ろうか。2人とも。そんな緊張しなくていいよ」
オレの言葉の通り、右側にいる姉弟は少し緊張した表情だ。まあ、今日出会ったばかりの人の家に、急に泊まることになった訳だし、緊張しないのは無理かもしれない。
2人の緊張を解くのは我が家のアイドルと、空気の読める狼に期待しよう。
そう思って扉を開けるのと、今考えたばかりの両者が視界に入るのは同時だった。
「パパー!」
玄関の内側、輝くような笑顔を浮かべたリーゼが、伏せた状態のタローの首元に跨っている。
それを認識した瞬間に、オレはリーゼの次の行動を予想して身構えた。案の定、タローが首を上へと振りながら、バネ仕掛けのように勢いく良く立ちあがる。
その勢いで、リーゼが宙を飛ぶ。狙いは正確にオレの胸元。最近流行りの協力ジャンプだ。流行っているのは、この家の中だけだけど。
「おかえりー!」
「っとお……。ただいま、リーゼ」
小さな体を上手く受け止め、勢いを殺しながらくるりと回る。
「きゃはー!」
楽しそうで何より。
この飛びつきはオレ専用の出迎え方だ。タローの協力が必要な以上、危ないときには発動できない。たまにやる家族のスキンシップというやつだ。
まあ、オレの方では万が一にもリーゼを落とさないようにと、中々に緊張感があるのだけど。
おかげで家に帰るときには心構えが必要だ。家に着くまでが仕事とは言うけれど、小さな子がいるのなら家でも気を抜くな、というリーゼからの本能的なメッセージなのかもしれない。お父さんをやるもの大変だ。
そんなことを考えていると、リーゼが腕の中で身じろぎした。
「むう?」
視線はエルとルカ。オレの腕から乗り出すようにして、不思議そうに2人を見つめている。さすがリーゼ。人見知りという言葉とは無縁だ。
リーゼが見やすいように抱き直し、姉弟へと紹介する。
「さて、2人とも。うちの娘のリーゼだよ。よろしく」
オレの紹介の間にも、リーゼはじぃっと2人を見つめている。そして、見つめられた姉弟は……何故か固まっていた。
なんでだろう、と2人の視線を追ってみると、そこにはお座り姿勢のタローの姿。
……なるけど。一緒に暮らしているから意識はしないが、タローは2メートルほどの狼だ。夏場になって毛を少し刈ったので、凛々しい顔も良く見える。
まあ、つまり、この2人にとっては玄関を開けたら猛獣がいた状況な訳だ。そりゃ固まってもおかしくない。
オレとしたことが、これはミスった。とても申し訳ない。
「あ~、ごめんね2人とも。こっちは白狼のタロー。うちの家族の一員だよ。噛まないし、吠えないし、空気の読めるいい狼だから、あまり怖がらなくてもいいからね?」
「そ、そうですか……分かりました……」
エルは少し震えながら言い、ルカは涙目のまま固まっている。やっぱり怖いらしい。
その2人の様子を見たタローは、悲しそうな目をしてオレの背後に回った。怖がられたのがショックのようだ。背を向けて伏せた背中には、哀愁が漂っている。
……あとでちょっと良い肉でもあげようと思う。
そんな光景の中で、リーゼだけが不思議そうに姉弟とタローを見比べていた。産まれたときからタローと一緒にいるリーゼにしてみれば、タローを怖がる意味が分からないのだろう。オレも慣れ過ぎて見落としていたな。
まあ、今更どうしようもないので仕切り直しだ。仕切り直し。まだ挽回はできるはず。
「はい! じゃあ改めて! 娘のリーゼです! よろしく!」
とりあえず、冷えた場をテンションでゴリ押すことにした。
「えっと、エルです。リーゼちゃんよろしくね」
「ルカ……よろしく」
ぎこちなくはあったけど、2人は笑いながらリーゼに自己紹介した。少しは空気が良くなった気がする。
そして、2人が気に入ったのか、リーゼも楽しそうに笑って手を振った。
「リーゼ! よろしくー!」
はつらつとした良い挨拶だ。『ゼ』の発音が『じぇ』に近かったのはご愛嬌。
「ははは。リーゼはちゃんと挨拶ができて偉いなあ」
褒めながらリーゼの頭を撫でておく。やっぱりこっちの方が掌にしっくり来る。オレの手はリーゼの頭専用かもしれない。
「えへへー」
くすぐったそうに笑うリーゼは、いつまでも撫でていたい可愛らしさだ。だがしかし、今はロゼへの説明を優先しなければならない。ちょっと残念だ。
「リーゼ。ママはどこ、って、ちょうど来たね」
リーゼに聞いた瞬間に、ロゼが廊下の奥から姿を見せた。エプロン姿だ。家事の最中だったらしい。
「コウ、おかえり。ふむ? 可愛らしいお客さんも一緒のようだな」
オレの後ろに浮かぶ巨大な木箱に動じることもなく、ロゼは柔らかな笑顔で姉弟を見る。さすがの余裕だ。ちょくちょく突飛な行動をするオレの奥さんなだけはある。
「オレに魔道具を注文してくれたお客さんだよ。色々と事情はあるみたいだけど、4日間2人だけで過ごす予定だったらしくてね。せっかくだから
「ふむ。なるほど……」
話しながらアイコンタクト。ロゼの空色の瞳と見つめ合う。
『訳ありだと思います』『うむ。了解だ』
以心伝心。さすが奥さん。まあ、夫婦の絆と言うよりは、冒険者時代に鍛えた特殊技能だけど。ジェスチャーの強化版だ。
オレの意を汲んでくれたロゼが、姉弟を歓迎するように穏やかに微笑む。なんというか、とても絵になる微笑みだ。題名は『母性』だな。後で写真を撮らせてもらおう。
「私は妻のロゼッタだ。ようこそ2人とも。歓迎しよう。この家にいる間は、自分の家だと思って寛ぐといい」
とても恰好良く、ロゼはそう言った。エプロン姿でも格好いいのが不思議だ。
そして、その笑顔を浴びた姉弟はと言えば、一瞬硬直した後に慌てて自己紹介を開始した。
「あ、あのっ、エルです! お世話になります!」
「あ、う、ルカです……お願いします……」
オレのときとは随分と態度が違う気がする……。別に悪い気はしないけど。うちの奥さんは綺麗だし。むしろ鼻が高いくらいだ。
まあ、ともかく、ロゼのおかげでタローを見たショックも薄れたようだ。これで一安心。奥さんナイスプレー。
「さて、じゃあ玄関で立ち続けるのも何だし、中に入ろうか。2人とも、楽にしていいよ」
「うむ。エルもルカもそう気を張らなくていい。まずは泊まる部屋に案内しよう。だが、その前に……コウ、結局
“それ”というのは、当然オレの背後に浮いたままの巨大な木箱だ。
「ええと、貰い物のマグロ」
「マグロ……?」
首を傾げるロゼに、見せた方が早いだろう、と木箱の蓋を開けてみる。
中を見て、最初に反応したのはリーゼだ。目を真ん丸にして、巨大なマグロを見つめている。
「おお~」
リーゼの何倍もある巨大魚だ。怖がるかもと思ったけど、そんなことはないらしい。興味津々な様子で手を伸ばしている。さすがに触らせはしないけど。
リーゼの声に反応して、タローも起き上がった。尻尾が振られているのは食欲からだろう。タローは魚肉もいけるのだ。誰に似たのかグルメな狼である。
そして、オレと一緒に台所に立つロゼはと言えば、眉を寄せ、少し困った表情でマグロを見つめていた。
「また随分と大物だな……。どうするつもりだ?」
色々な意味合いを含む問いだった。さすがのロゼでもマグロを捌いたことはないし、そもそも一家族で食べきるのは無理そうな巨体をどうするのか、という話だ。
あとは妻として、このマグロのお返しへの懸念もあると思われる。
「まずはちょっと処理をして、冷蔵室で保管かな。マグロなら何日から熟成させた方がいいはずだし。オレが素人だっていうのも考えて、食べるのは明後日くらいかな? まあ、オレ達だけで食べるのは無理だし、アリシアさんとか、他の知り合いにも声を掛けようと思ってるよ」
さっきジャス君にはその場で食べるつもりで話してしまったが、良く考えればマグロなら旨味がある方がいいはずだ。切らずに丸ごと熟成させようと思う。
幸いなことに、ジャス君の方でマグロの内臓は綺麗に処理してくれている。氷も海水から作った物のようだ。あとは余計な血とかを拭き取って、低温で保存しておけばいいだろう。
家にあるのは冷蔵
「うむ。その方がいいだろう。アリシア殿にはいつもお世話になっているからな。料理は私も手伝おう」
孤児院を管理するアリシアさんには、リーゼが産まれてから特にお世話になっている。何せアリシアさんは、大勢の子供達を育てて来た偉大な母親だ。教わることは多いし、リーゼも孤児院で良く遊ばせてもらっている。
お世話になりっぱなしなので、お裾分けする相手としては悩むこともない。
「うん。ありがとう。手伝いはよろしく。捌くのと、料理の指示はオレがやるよ」
まあ、捌くのはオレしかいないだろう。陸地にいて海の魚を捌く機会は基本ない。オレは昔の航海でよくやったから慣れてるけど。むしろ沖に出るとデカい魚しかいなかったし。
ジャス君も、そこら辺を踏まえての選択だろう。航海のとき、オレが捌いた魚と作った料理は、よくジャス君と一緒に食べたものだ。懐かしいな。タコは食べてくれなかったけど。
「あとこのマグロは、ウェイブ商会の船員達からの個人的な贈り物だよ。昔一緒に航海した知り合いからだね。お返しには、後で干し肉でも送ろうと思う。魚は飽きたらしいし」
「ふむ。分かった。では、2人の案内は私がしよう。コウはそちらの処理を頼む」
「うん。よろしく」
頼みながら、リーゼもロゼへと渡した。
「うむ。では2人とも。待たせてすまないな。改めてようこそ。遠慮せずに入ってくれ」
オレ達のやり取りをじっと黙って聞いていた姉弟は、ロゼの言葉にちょっと緊張しながら頷いた。
「お邪魔します」
「……します」
家の奥へと進む4人と一匹を見送り、オレは玄関を出る。木箱は溶けた氷と結露した水で濡れているので、外で作業した方がいいだろう。
「……庭でやるか」
呟いてから、巨大マグロを引き連れて移動する。
生のマグロ。それも丸ごと。冷凍もされていないマグロなんて、あっちの世界では超高級品だろう。それを自由にできるのだ。ついつい鼻歌も出てしまう。
「ふんふふふーんと、さてさて、はてさて、どうやって食べようかなあっと」
この大きさなら、思い付く料理を全て作っても余裕だろう。刺身に煮物に焼き物に。マグロのカツもいいな。漬けもできるし、豪華に丼にしてもいい。ネギトロ丼も山盛りだ。
「うーん、お腹が空いてきた」
何やらやることの多いこの夏だけど、美味しいものを想像するのは、いつだって楽しくて幸せだ。
さて、どんな料理を作ろうか。
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