第236話 ギルドとの交渉

 冒険者ギルド内の会議室。飾り気の少ない実用的な家具が並ぶ室内を、夏の太陽が明るく照らしている。

 午前中のためにまだ涼しいが、雲一つない空はこれから暑くなることを伝えてくるようだった。開け放たれた窓から入ってくる風には、石の壁に貼り付いている苔の匂いが微かに混じっている。


 今日は海の向こうに冒険者ギルドの支部を建てるという一大事業の交渉の日だ。

 提案、というか要請をする側の人員は、交渉の中心となるカルロスさん、島の代表者としてグルガーさん、資材の準備をはじめとした諸々に関わるガルガン親方、ついでにオレの4人だ。


 対して冒険者ギルド側は3人。ギルド長のコルス老に、いつも通り落ち着き払ったトールさん、残る1人は名前を知らない30代くらいの男性だ。見知らぬ男性は、さっきから会話の内容を紙に書き留めて書記に徹している。


「――という訳でだ。冒険者ギルドにはこの島に支部の建設をお願いしたい」


 会議の参加者を観察している内に、カルロスさんの話が終わった。内容は、向こうの島の現状から、冒険者ギルド側のメリットまで様々だ。けっこう長い話だったが、カルロスさんの話し方は分かり易く、それほど長くは感じなかった。


「ううむ……なるほどのう……」


 カルロスさんの演説を聞いたコルスさんは、話の内容を咀嚼するように目を細めて頷いている。

 直接姿を見るのは一年ぶりくらいだが、数年前からまったく変わらないように見えるお爺さんだ。今でもギルドの訓練場では若い冒険者を転がしているらしい。

 既に70歳を超え、ひ孫まで産まれたらしいのに元気だ。


 というか元気過ぎだ。最近はそういう妖怪なんじゃないかと思ってきた。とっくの昔に現役を退いているのに若い冒険者を数人まとめて相手するとか、控えめに言っても化け物の類だろう。


 そんな妖怪染みた力強さを毛ほども感じさせず、コルスさんは朗らかに笑う。


「ほっほ。がむしゃらに前に進めるのは、若いもんの特権じゃのう」


「……あなたから見れば、ほとんどの人間は若造だろうな」


 カルロスさんすら若者扱いするコルスさんの言葉に、さすがのカルロスさんも苦笑している。

 つい先日、自分が全盛期である間に航海に出たい、と言っていたカルロスさんにとって、生涯現役を公言するコルスさんはどう映るのだろうか。

 残念ならが、未だ本物の若造であるオレには分からなかった。


「さて、さて。儂がギルド長の椅子に座っている間に、新たな支部の建設要請が来るとは思わんかった。しかも、それが海を渡った向こうだとはのう」


 面白い話を聞いた、というようにコルスさんは笑う。


「引退前の一仕事としては丁度いいだろう? コルス老。冒険者ギルドの歴史に残る初の試みだ。あなたを含めて、関わった者の名前は永遠に残るだろう」


「ほっほ。確かにの。自らの名を歴史に刻みたいと願う者は多い。特に男となれば尚更じゃ」


 カルロスさんが示した名誉欲を、コルスさんは朗らかに受け流す。その返答にカルロスさんは口元を吊り上げた。


「ああ。俺も昔は船乗りとして名を残したいと思っていたものだ」


「ほほ。今は違うのかの?」


 カルロスさんの隻眼が笑みで細くなる。


「今はどうでも良くなったな。海の果てをこの目で見ることが出来るなら、例え誰一人俺を覚えていなくとも構わない」


 そう言い切ったカルロスさんは眩しく見える。何もかもを夢につぎ込んだ姿に、羨ましい、と、心のどこかが感じた気がした。

 その心の動きに、贅沢だと笑ってしまう。オレの夢はとっくに叶い、現在何よりも優先するのは家族の幸せなのだから。


「ほほほ。賢いとは言われぬ望みだのう。それは捨て身と呼ばれる愚行じゃ」


 言葉は否定的ながらも、コルスさんの口調には楽しそうだった。


「しかし、愚かと思われる行為が道を拓くことも、人の世にはままあることじゃ。そして、儂の役割は無茶をする若者の手助けをすることでもある」


 目を糸のように細めて、コルスさんは顔に皺を作りながら笑う。


「冒険者ギルドの本分は、自らの家族を、あるいは同胞を守るために戦うと決めた者達を支えることにある。その地に住まう者が望むなら、儂らが断る理由はない」


 後半の言葉は、成り行きをじっと聞いていたグルガーさんに向けて語られた。冒険者ギルドの理念の前に、人種や距離など関係ないらしい。


「とはいえ、じゃ」


 一転、流れを否定するような前置きから始まる台詞は、酷く現実的なものだった。


「海の向こうに支部を建てるとなれば、儂は部下たちを少なからず危険に晒すことになる。のう、カルロスよ。儂は息子や娘同然の部下たちを失わせるつもりはないぞ?」


 細く開いた目が、カルロスさんを見つめた。カルロスさんは片側のみの目で、その圧力を受け止める。


「それに関しては最善を尽くそう。この2年の調査で魔物たちの縄張りを把握することもできた。比較的安全な航路の割り出しも終わっている。絶対の安全は保証できないが、ギルドの人員は最優先で守るつもりだ。そこは俺達の腕を信じて欲しい」


 真摯なカルロスさんの言葉を、コルスさんは無言で受け止めた。会議室が沈黙に包まれる。会話に参加していないのに、オレの手には緊張で汗が滲んできた。巨大な組織の長である2人のプレッシャーは凄まじい。


 その沈黙を破ったのはコルスさんだった。老いてもなお分厚い体から力が抜け、感じる圧力が弱まった。


「まあ、いいじゃろう。この世に絶対に安全な旅路などあり得んからの。人に出来るのは、いつでも精一杯備えることだけじゃ」


 コルスさんは一瞬遠い目をし、それからガルガン親方へと目を向けた。


「ガルガン。海の向こうまで行くような、命知らずの職人はどれほどおる?」


 その質問に、ガルガン親方は口の端を上げる。


「決めるのに殴り合いが起きるくらいにはいるな。手付かずの土地でほとんど自由に物を作れるとなりゃあ、他のことなんざ気にする暇もねえさ。誰も触ったことのない素材を一番に弄れるなら、自分の師匠とだって殴り合うぜ」


 親方の態度から、既に殴り合いが起きたことが分かる。名を上げたい職人たちにとって、今回の支部建設は願ってもない機会だろう。


「ほっほ。それは元気なことじゃのう。うむ。ギルド側も人員の問題はないじゃろう。そろそろ経験を積ませたいのが何人かおる。慣れない地では上手く行かないことも多いじゃろうが、まあ、困難は人を育てるからの。大丈夫じゃろう」


 コルスさんの頭の中では、現地に送り出す人の候補は決まっているらしい。誰かは知らないが、転勤先でも頑張ってもらいたい。


 さて、これで大まかな交渉は終わりだろう。後の細かい話はカルロスさんが詰めるはずだ。オレは本当に座っていただけだったな。まあ、話を振られても困るんだが。


「さて、さて。ウェイブ商会と職人連合の支援を受けられるのなら、冒険者ギルドとしても支部の建設には尽力するとしよう。じゃが、カルロスの望みはなるべく早く、だったのう?」


「ああ。何よりも速度を優先したい。そのために必要なものは、俺の商会が受け持とう」


「ほっほっほ。太っ腹なことじゃのう」


 コルスさんは満足そうに頷いた。これで言質も取れただろう。


「うむ。人には未来を見通す目はなく、世界の行く先を知るのは精霊のみじゃ。ならば素早く動き、現場の者に余裕を与えるべきじゃろう。こちらとしても、早く行動することには異存はない」


 うん。これで終わりだな。


「ない、のじゃが……ここ最近、儂らはちょっとした問題を抱えておってのう」


 何でもないような顔でコルスさんはそう言った。だけど何だろうか。微かに厄介事の気配を感じた。


 オレと同じものを感じたのか、カルロスさんの顔も少しだけ引き締まったように見えた。


「……俺たちが協力できる問題なら、もちろん手を貸そう」


 だが、カルロスさんは踏み込むことを選んだ。何というかさすがだ。自らと商会の力を信じている故の言葉だろう。オレはあまり関わりたくない。


「ほっほっほ。そう言ってくれると助かるのう。実はのう……最近、厄介なねずみが走り回っておるようなのじゃ」


「ネズミ……?」


 カルロスさんがオウム返しに呟いた。


 コルスさんの目は真剣だ。当然、本物のネズミに困っている訳ではないだろう。首を突っ込まない方がいい、と、これまで経験が警鐘を鳴らす。


 だが、席を立つ暇は与えられなかった。コルスさんがトールさんに視線を送り、説明が始まってしまう。


「10日ほど前から、冒険者ギルド周辺で間諜と思われる人物が確認されております」


 淡々と、トールさんはそう言った。間諜。つまりスパイだ。一般人が聞くには危なすぎる情報だろう。


「狙いは魔石の加工技術じゃろう。よくある話ではあるが、今回はちと人数が多いようでのう。連携も上手く、捕らえるのに難儀しておる」


 つまり相手は、そんな人員を用意できるくらいに大きな組織なのだろう。


 隻眼を細め、カルロスさんが質問する。


「相手の目星は?」


「王国の人間だろうと当たりは付けておる。今の王には10年ほど前に釘を刺しておるからの。相手はどこぞの貴族じゃろう」


 10年前に何があったのか、聞いたら不味いやつだろう。


「……それで、俺たちに捕まえるのを手伝えと?」


 カルロスさんの質問に答えたのはトールさんだ。


「いえ、ウェイブ商会には船の見張りをお願いしたいと思います。間諜が逃亡を図った場合、一時的で良いので、大河を渡る船を止めてください」


 逃亡防止。確かにこの都市から逃げるなら、足の速い船で移動するのが手っ取り早い。そして、付近の船の大半はウェイブ商会の傘下にある。カルロスさんからの指示なら、船の一隻くらい止めるのは簡単だろう。


 陸路で逃げる場合は……それはギルド側でなんとかするんだろう。


「そして――」


 何故がトールさんの目がオレを向いた。非常に嫌な予感がする。


「コーサク様には、間諜の動きを追う手伝いをお願いしたいと思います。その優れた感知能力を、ぜひ我々にお貸しください」


 背中に嫌な汗が流れた。オレの魔力察知は、一応親しい人間以外には秘密にしている。だが……冒険者ギルドには筒抜けだったらしい。


 この話を断るのは無理だろう。オレは魔道具作りのために冒険者ギルドから大量の魔石を仕入れる太い客だが、裏を返せば、冒険者ギルドから魔石を売ってもらっている立場でもある。


 というか、今までの話をオレに聞かせた時点で、ギルド側はオレを逃がすつもりはないだろう。


 つまり、だ。


「……精一杯頑張りますけど、なるべく安全なところに置いてください」


 こう言うしかない訳だ。


 そんなオレの返事を聞いたギルド長のコルスさんは、とても人の良さそうな好々爺然とした顔で笑っていた。


 ……もうちょっと、ちゃんと交渉術とか磨いた方がいいな、オレ。

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